最終話



「イリサ…」

 エゼトが息もえに追ってきて、木の下でしゃがみ込んでいたイリサを見つけた。

「今日はどうしたんだよ。いつもならああなっても言い返して、戦がいらないってこと納得させてんのに」

「……私だって」

 イリサは顔を膝にうずめてうめいた。

「私だって、自分がなんて呼ばれてるかくらい、知ってたわ」

 自分の名前は、人々にとっては今の世を終わらせる不幸な『終末』の象徴だって。

 ――だが分かっていても、面と向かって否定されたら傷つく。

 ただの罵倒や、なじる言葉だったら、受け流せたのかも知れない。いろいろな考え方の人がいる。仕方がないと。

 でも否定されたら、今までの自分の行いが全てなかったことになるような気がして。

「…それに、エゼトがローブを持ってきたとき、なんかどうでもよくなっちゃったの」

「え?」

エゼトはイリサの前に膝をついた。

イリサは顔を上げ、ぼうっと自分の髪を触り、呟く。

「……私、この髪が好きだわ。お父様や兄様と一緒の、エメラルド色に光る金髪。…でも」

 自分が今の世界の終わりのために旅を始めてから、悪目立ちするようになった。

「ああ、やっぱりエゼトまで隠せって言うんだなと思ったら、…悲しくなっちゃったの」

 エゼトが瞠目したのが目の端に見えた。

 もう。

「…もう逃げ出しても、いいかな…?」

 自分一人が頑張ったって、世界は何も変わらない。

 涙と一緒に、そんな言葉がこぼれ落ちた。



「イリサ…」

 エゼトはどういう言葉をかけるべきか分からなかった。

 だけど、目の前で泣くイリサを見て、ある光景が蘇った。

 それは彼女と一緒に旅をしようと思った、ひる下がり。

 五月の記憶。

「――俺には………お前の名前は、かけがえのない希望を意味するんだ」

「え?」

 エゼトが眩しいものでも見るように目を細める。

 記憶の中と、目の前にいる今のイリサが重なった。

「お前が、王国との戦を終わらせたとき…。泣いてただろ? ……その時、俺は」

 エゼトは言おうかどうか少し迷って。だが結局目をそらして呟いた。

「……お前の側にいたいと思った」

 イリサが瞠目した。

「お前はたったひとりで、叶わないと、誰もが諦めていた夢を追い続けて」

 それで、本当にひとつの戦を終わらせたんだよな。

 開戦し、でも終戦を諦めた父帝にかわって。

 エゼトは苦笑いした。

「…俺より二つも年下の、それも女の子が、ひとりで戦って、成し遂げて。…目をそらして逃げ出した俺とは大違いだった」

 多分、皇帝にイリサについて行ってくれと言われなければ、お前に話しかける勇気さえなかった。

「………」 

「そんなお前が泣いててさ。…あぁ、こいつには誰かが側にいてやらないとだめだって思った」

 それに。

「俺はお前の見る夢が叶うところを、一緒に見たいんだ。逃げた俺が言える事じゃないかも知れねえけど」

 エゼトはふっと、鮮烈なまでのくれないに染まる空を仰いだ。

「戦のない世界を、見てみたい。誰もが笑って暮らせる世界を。……剣のらない世界を」

 だから。

 真っ直ぐイリサを見つめる。


「俺と、これからも一緒に戦ってくれないか」

 ――君の嫌いな剣で。


 イリサはすっとこちらをいている瞳に気圧けおされた。

(エゼトは本気だ)

 もう見ないふりをしようとした自分とは違って。

 覚悟を、もう一度決めよう。

 声をしぼり出す。

「――ええ、エゼト。…私も、貴方あなたの言葉で、こんなところで立ち止まってる場合じゃないことを思い出したわ。…ありがとう」

 こぼれた涙をく。

 みっともなく震えたけれど、力を入れて立ち上がった。

「これからも、私の側にいて。引き返したくなる弱い私を、叱咤しったして」

 膝も声も、震えが止まらない。でもこれは、恐怖でも絶望でもなく、武者震い。

 エゼトと見る未来への希望。……そう自分に言い聞かせる。

「…私も、貴方が隣に必要なの」

 右手を差し出し、決然とエゼトを見返した。

 するとエゼトは見たことのない、満面の笑みを浮かべた。

 喜びと、ほんのすこし寂しさの混じった顔。それがどうにも魅力的で、イリサは思わず見とれた。

「――ああ。必ず」

 エゼトがぐっと握り返す。と、そのままイリサを自分の方に引っ張った。

「ぅわ!?」

 とん、と勢いを殺し、そのまま自分の胸元で抱きしめる。

「ちょ…エゼト!?」

「………ちょっとだけ、このままでいさせて」

 ぼそっとイリサの頭の上に呟きを落とす。

「え? 何!?」

 本気で困惑するイリサに苦笑いして、エゼトはそのまま抱きしめ続けた。

 …彼女が本当にこの世界を終わらせたら。

(自分はもうこんなふうに側にはいられない)

 ただの〝戦士〟で〝旅人〟のイリサから、〝皇女〟イリサに戻る。

 自分はちょっと強いくらいの平民騎士。

 いや、戦のない世界になれば、騎士という身分もなくなるのかもしれない。


 だけど、自分の隣に剣を持つ彼女がいる未来よりも、剣のない未来で微笑む彼女をみたいと思ってしまったんだ。

 仕方ない。

 心の中で笑った。

(俺の負けだよ、イリサ)

 君の夢に負けた。

 ……だから、どうか今だけは。


 この世界が終わるまで、側にいさせて。


 エゼトはそっと寂しさのにじむ顔で微笑んだ。

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君が世界を終わらせるまで 雪羅 @sela

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