目に映るセカイ

しちみ

描かれているのは

 わたしは、絵を描くことが好きです。だから、昔から、いろいろな絵を描いていました。好きなキャラクターの絵だったり、意味のない記号だったり、風景がだったりしました。自分の中の世界を、紙やキャンバスに描き出すこともありました。

 技法などを勉強しながら絵を描いていると、壁にぶち当たります。上達しない、という壁に。そんなときだったでしょうか、わたしがあることを思いついたのは。

 あることを思いついたわたしは、そのままに絵を描いて、親しい人に見せに行きました。

 そして、訊いたのです。

「この絵を見て、どう思いますか?」

 親しい人は、笑顔で言いました。

「上手だね」

 わたしは落胆しました。今回は、そういう答えがほしかったわけではなかったからです。落胆したのを隠して、そのときは、ありがとう、というようなことを言った気がします。

 それから何人かの人に聞いてまわりました。

 みなさん、「上手」と褒めてくれたり、「こういうところが素敵」と言ってくれたりしました。なかには「ここを直した方がいい」と鋭い指摘をくれる人もいました。どれも、そのときのわたしが本当に望んだ答えではありませんでした。

 けれど、どう見てほしいのか、と説明でもしない限り、出てくる言葉とはそんなものかもしれません。逆に、わたしの絵が「そうとしか見られない」ということなのかもしれません。

 それでも。わたしはあえて意図を説明しないまま、人々にいろんな絵を見せにいきました。

 気づいてくれる人は、なかなか現れませんでした。

 

 ある、よく晴れた日のこと。わたしはその日、あるバス停でバスを待っていました。設置されたベンチに腰をおろし、今しがた、この場所で描いたばかりの絵をながめていました。鉛筆一本で描き出された風景画。それは、このベンチから見える、街路樹や建物を描いたものでした。車の通りが少ないためか、描きたいものにだけ意識を向けることができていました。

 わたしが見るともなしに絵を見ていると、靴音がして、影がさします。顔を上げると、知らない男の人がわたしを見ていました。背が高いです。年頃は、わたしと同じくらいでしょうか。その男の人は、わたしを――わたしの持っている絵をしばらく見つめると、「きれいな絵だね」と言いました。わたしは、ありがとうございます、と答えました。男の人はほほ笑みます。

「俺も、絵を描いてるんです。風景画が苦手だから、うらやましいな」

「わたしも風景画は苦手ですよ。今、練習中です」

 絵を描いている、という人がわたしのまわりには少ないです。だから、この出会いは嬉しかったです。わたしが喜びを隠すのに必死になっていると、男の人が、また絵をながめます。今度は少し、目を見開きました。

「でも……この絵、なんだか不思議ですね」

「え?」

「ここから見た景色を描いたものでしょう? でも、なんというか、写実的なだけじゃないというか」

 そこまで言って、男の人はうなったあと、人さし指をスケッチブックに近づけます。

「たとえばほら、この建物、なんで看板の文字が、片方ははっきり書かれていて片方は丸で表現してあるのかな、って思ったんです。看板の字の大きさは変わらないし、建物もだいたい同じ距離にあるのに。あえて統一しなかったんですか」

 わたしは、驚いていました。驚いていたから、言葉を失っていました。彼はわたしの様子に気がついていないのか、この絵の不思議な部分を述べていきます。

「それになんだか、全体的に白っぽいというか、まぶしすぎるというか。左上がまっしろなのは、ここに光源があるからだろうけど……」

 その後も、男の人は不思議な点を次々と挙げていきました。車が不自然なくらいにぼやけているとか、ここにある物が黒塗りの塊で表されているのはわざとか、とか。けれどそのうち、わたしがぽかんとしているのに気づいたらしく、慌てて言葉を切りました。

「あっ――ごめんなさい。い、いきなり、こんなぶしつけに物を言ってしまって」

「いいえ、大丈夫です。むしろ、嬉しいです」

 自然と笑みがこみあげてきました。男の人は、まだ気まずそうにしています。社交辞令と思われたでしょうか。けれど、わたしにとって「大丈夫」も「嬉しい」も、まさしく本心なのです。スケッチブックを見おろしたあと、男の人を見上げます。

――やっと、意図を伝えられる時がきたようです。

「実は、これ……わたしが見ているものを、そのまま描いた絵なんですよ」


 不自然にぼやけた車も。同じ距離にあって同じ大きさなのに見え方が違う看板の字も、白っぽく、まぶしすぎるくらいの光も、すべて、そのまま見えているもの。

 そう言うと、男の人は不思議そうにしました。わたしは言葉を続けます。

「わたし、生まれつき、目がよくないんです。めがねをかけても『ないよりまし』くらいにしか矯正されなくて。日常生活に支障はないんですけど、困ったな、ってときがあるんです。だから、その、目に映った風景を、見たまま絵に起こしたら、どうなるかと思ったので」

 男の人は驚いた顔をしていますが、わたしをあわれんだり、やりにくそうにしたりする様子はありません。そのことに、ほっとしました。

「看板の文字の見え方が違うのは、色や書体のせいだと思います。白っぽいのは……日の光が強いと、すごくまぶしくてまわりが見えくくなるのを表現したんです。全部、そのまま描いたんです」

 男の人は、しばらく言葉を探している様子でしたが、わたしが変わらず笑顔でいたからか、興味深そうに身を乗り出してきました。

「そうなんですか……。あ、あの、昔から、そんなふうに描いてるんですか?」

 わたしは、その問いに、いいえ、と首を振りました。

「ついこの間、思いついたことだったんです。いつもどおり絵を描くのとどう違うのかな、って思いまして。違いに目を向けてくれる人は、やっぱり少なかったです。だから、気づいてもらえたのが、嬉しかった」

 ありがとうございます、と言うと、男の人はほんの少し、照れくさそうにしていました。わたしは彼にほほ笑んでから、腕時計を確かめます。よく「かっこいい」と言われる、あまり女の子らしくはない時計ですが、わたしは気に入っています。デジタル時計の大きな文字を確かめて、うなずきました。――まだ、バスが来るまでに少しの時間があるようです。わたしは、もう一度、男の人を見ました。

「あの。あなたも、絵を描かれているんですよね」

「え? あ、はい」

 こちらから話しかけたせいでしょうか。男の人は、びっくりしたふうに振り向きました。

「実は、わたし、この絵の違いに少しでも気づいた人がいたら、お願いしたいと思っていたことがあるんです」

 わたしはそう言ってからスケッチブックをめくり、まっしろなページを表に出すと、それを一本の鉛筆と一緒にさしだしました。

「あなたがそこから見た風景を、描いていただけないでしょうか」

 男の人は今度こそ、ものすごく驚いていました。わたしは不安になりながらも、頑張って、言葉を続けます。

「わたし、人の目に映る世界の違いを知りたいな、って、思うんです。誰かにわたしが見ている世界を知ってもらって、そのうえで、他人が見ている世界もきちんと知りたいなって。どのくらい認識に差があるのかを知っておきたいというのもありますが、何より違う世界が見てみたいと思っていたんです。

……いきなりこんなことを頼んでしまって、すみません。ずうずうしいかもしれませんけど」

 描いて、いただけないでしょうか。またそう言って、わたしは頭を下げました。すると、スケッチブックに添えた鉛筆が、ころころ転がり落ちそうになったので、あせりました。けれど、鉛筆が落ちる前に、男の人の手がそれを止めました。男の人はそのまま、鉛筆を指で器用に、くるり、と回すと正しく持ちました。

「わかりました。描きますよ。俺も、まだしばらく、時間があるので」

「ほ、本当ですか?」

 わたしは言いました。声が裏返ってしまいました。もしかしたら、外からは、わたしの目がきらきらと輝いているように映っていたかもしれません。男の人は笑ってうなずいたあと、「その代わり」と言ってスケッチブックをめくりました。わたしがさっき描いた鉛筆画が出てきます。

「この絵が、ほしいです。俺にくれませんか。これを見ていたら、なんだか新しい発想が生まれそうな気がして」

 わたしは迷いなく「わかりました。さしあげます」と言っていました。わたしの絵がこの人の助けになるのなら、本望です。男の人ははにかんでから、また白いページまでめくってから、鉛筆の先を軽く紙に当てました。

「じゃあ、少し待っていてください」

 男の人は言いました。わたしは、はい、と答え、言い添えます。

「――あなたの目に映る世界を、教えてください」

 黒い線が白い紙に躍り、新しい世界を描きはじめました。

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