第8話

 こんが亡くなって、大晦日も正月も過ぎ、兵十の住む村を覆う白い雪も溶け始めた頃。


 村の近くの森の中で小さなほこらの前に立つ三人の男がいた。

 茂平と弥助、それに兵十である。


「それにしても村中で狐に化かされていたなんてなあ……」

 弥助は溜め息を漏らした。

 こんは人間に化けて村で暮らせるほどの妖力の持ち主だと、皆に思われていた。

 ゆえに神様のような扱いを受けて、村が総出で小さな祠を作ってまつる事になった。

「しーっ! 祠の前で滅多な事を言うんじゃない! 祟られても知らんぞ?」

 茂平が弥助を注意した。

 二人の、やり取りを聞いていた兵十は、軽く苦笑いをする。

「祟られるのなら、先ず俺だろうなあ……」

 兵十は二人に向かって、そう言った。

 彼は祠に向けて一歩前に出ると、しゃがんだ。

 二人は兵十の背中を見て複雑な表情になる。

「ま、まあ、なんだ? 化かされているのが分かったのが、祝言を挙げる前で良かったなあ?」

 事情を良く知らない、弥助が言った。

「そうだな……。悪い夢でも見ていたと思って、早く忘れることだ」

 同じく経緯いきさつを良く知らない、茂平が言った。

「夢か……」

 兵十は呟く。

「いや、いい夢だったよ……。あいつに悪い事をしたこと以外は……」

 兵十は祠の前に油揚げの煮物の入った暖かい蕎麦の椀と、あんころ餅、きな粉餅、ごま餅を皿に載せた物を置く。

 鼈甲の櫛は、こんの亡骸と一緒に祠の下で眠っている。

 兵十は、お供え物を置き終えると、しっかりと両手を合わせて祈った。

 そして再び呟く。

「出来れば永久とこしえに見ていたかった程の……本当に、いい夢だった……」


 母親を喪った時の兵十は、死んだも同然だった。

 だが、こんを喪った兵十の立ち直りは、意外にも早く、仕事である猟へ直ぐに復帰した。


 あの時の様な自分を、こんが望む筈が無い。


 兵十は、そう思って精一杯に生き抜く事を決めた。


 彼は立ち上がって祠を見つめながら言う。


「こん……ありがとうな」


 兵十は眠りについている、こんに……その言葉だけを伝えると、また来る……とだけ約束して、茂平や弥助と共に祠の前から静かに去って行った。


 祠を背にして歩く兵十の目に山の向こうへ沈もうとしている真昼の月が見えた。


 まるで月は兵十と、こんを見守り終えたかの様に、ゆっくりと沈んでいった。

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こんぎつね ふだはる @hudaharu

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