1.羽鳥望海

 驚きだよね。恵夢くんがさ、わざわざこんなのくれるなんて。

 だってさ、もう十年だよ。俺たちが卒業して、恵夢くんが卒業と同時にどっか行っちゃってから、十年。どうやって調べたんだろうね、俺たちの今の住所。

 特にさ、俺とか優季くんなんかは、結構、厳重に管理されているはずなのに。……え、嵩原くんとは連絡取りあっていたんだ。へえ、そう。やっぱり、特別なんだね嵩原くんは。

 恵夢くん、言っていたよ。

「嵩原先輩がいなかったら、きっと、この学校を辞めていた」

 てね。実際、あの子の演技ってすごかったもんね。

 ホント、なんで役者にならなかったのかな? …ああ。やっぱり、理由を知っているんだ。そっか。

 じゃあさ、今日、ここに俺たちが呼ばれた理由も分かるんじゃない?

 薔薇園の鑑賞ツアーに招待されたはいいけど、俺たち、この会館に閉じ込められちゃったよね。二階のこの部屋に。

 ちょっと古臭いけど、洋館だよね。元は喫茶店だっけ?

 ビロードのソファーに大理石のテーブル。天井の、スズラン型の照明はちっちゃいから、わざわざ銀製の燭台を用意したのかも。

 木製っぽいデザインのクーラーボックスだけ、新しく設置したのかな? これだけ内装と合わないんだよね。中は……お酒とソフトドリンク、水もあるや。開封されてないし、何かを刺した跡もない。わざわざグラスまで冷やしてあるよ。

 恵夢くんって、お酒飲めたの? ……そっかあ、やっぱり下戸かあ。あの子らしいや。


 ここまでお膳立てしておいて、肝心の本人がいないって、どういうこと?


 いや、俺だって、おかしいとは思うよ?

 薔薇って、咲くの朝じゃん。なのに、夜八時にここに来いって、招待状にはあったんだよ。

 で、俺が来て、君たちが着いた途端、ドアが閉まった。通常のオートロックの逆バージョンだよね。外側からしか開けられないの。

 恵夢くん、何がしたいんだろ?

 あの子、綺麗なものとか可愛いものも好きだったけど、同じくらい、怖い話も好きだったよね。

 俺たちとここで怪談やりたかったりして? なんてね、あはは。

 嵩原くん、怒んないでよ。ちょっとでも場を和ませようとしただけじゃーん。

 あ。聡くんってば、飲み物作ってくれんの? サンキュー。俺、シャンディガフがいいな。

 ヘーキヘーキ。嵩原くんは相変わらず神経質だなぁ。未開封なのは確認したし、賞味期限も大丈夫だから。


 なになに? 優季くん、なにか見つけたの?

 メッセージ? 恵夢くん……の、奥さんかぁ。

『天羽恵夢の思い出について、語ってください。語り終えるまで、ここから出しません』

 へえ。今の状況は、奥さんの趣向ってわけ。……え、マジ? 昔からこんな高圧的な人だったの? 逆らうとさらにひどい目に遭う?

 よくそれで恵夢くんと結婚したね。

 うーん。仕方ない。ここは大人しく、恵夢くんとの思い出を語ろう。

 だってさ、聡くんも優季くんもすっかり怯えているじゃない。トラウマになっているよ、これは。

 そこまでのことをする子なんでしょ、恵夢くんの奥さんは。

 俺はね、あんまりしんどいのは嫌なの。それに、語り終えたら出してくれるんでしょ? この文面からするに。

 つまり、語るのに支障が出るようなことは、向こうだってしないよ。毒を入れて俺たちを殺す、とかね。


 へえ、おつまみもあるんだ。生野菜中心っていうのがありがたいねー。お酒は好きだけど、この時間からだと、どうしても食べるものが気になっちゃうんだよね。

 ちょっと食べてから、俺から話すね。

 だって言い出しっぺだし。

 みんなに比べれば、全然、詳しくないんだけどね。恵夢くんについて。


 ***


 恵夢くんって、あの学校の中ではわりと異質だったよね。

 背がちっちゃいとか、女の子みたいな顔立ちとか、そういうのじゃなくってさ。もっと本質的な部分が。同学年の友だち、少なかったんでしょ? ……ふーん、やっぱりね。最初はみんなと馴染む気、なかったんだ。

 あの子、記念受験だけして、別に本命があったんだって。でも、そこは落ちちゃったから、夏休み明けとか次の学年になる前までには、転校するつもりだったみたい。

 その手続きの相談を、俺は受けていたんだよね。

 きっかけは……まあ、あれだよ。サボタージュ。俺、三年生になって、やる気なくしてたんだよね。割と真面目に演劇部で活動していたけど、二年生の後半ごろから、今一つ結果につながらなくってさ。だんだん、端役もできなくなって……あー、自分の限界ってここなのかなって思っていたわけ。

 部活サボって、図書室で勉強してたんだ。あの頃って、奥のほうがわりと人目につかない構造で席も少なかったから、常連になると、自然とお互いの顔を覚えるんだよね。

 閉館ギリギリまでいて、一緒に帰ることが増えて、ちょっとずつお互いのことを話すようになったね。俺も恵夢くんも、あの学校以外に居場所があるような気になっていたんだよ。


 恵夢くんが学校に残ろうって決めたのは、嵩原くんに会ってからだよね。

 俺、それも知らなかった。

 夏休みの公演、急遽、俺が代役することに決まっちゃってさ。五月の連休明けから、バタバタし始めたんだよね。俺、その時は正直「もう最後だから」て気持ちでいっぱいだった。

 もう最後だから、ちゃんとやっておこうって。だから、サボる回数も減っていった。

 恵夢くんは大丈夫かなあ、急に行かなくなっちゃって悪いなあ、とは思っていたよ。

 でも、結局彼に会う時間も作れないまま、五月が終わろうとしていた。

 そしたらさ、部室に、恵夢くんがいたんだよね。

 嵩原くんがスカウトした、新入部員として。

 俺だけじゃなく、他の子たちも驚いていたよ。

 だってさー、嵩原くんって実力はあるけど、超気難しいことで有名じゃん。

 うちの演劇部って、やたらと人数が多いから、いくつかのグループに別れてあちこちで公演していたよね。リーダーがほぼ監督みたいな感じだったし。俺のいたグループが一番人数多くってさー。競争とか、超激しいの。

 でも、嵩原くんとこのグループ、一番メンバーが少なかったよね。君の性格に合う子が少ないからって、噂だったし。今だって、少人数制の選択授業の講師なんでしょ?

 まあ、君の要求するレベルに答えられるってだけで、そうとう、実力がないと厳しいんだけどさー。俺、ダンスレッスンで君と組むの、正直、めちゃくちゃ緊張したからね。


 ああ、うん。ゴメン。話がズレちゃった。


 だからさ、そんな厳しい嵩原くんのお眼鏡にかなったんだよね、恵夢くんは。大したもんだと思ったよ。逆に、その大した実力を持て余していたのかよお前は、とも思ったね。

 見抜いて取り込んだ嵩原くんは、ホント、すごいと思うよ。

 でもまさか、女装させるとは思ってもみなかったけど。……いやあ、うん。しゃべっても「ちょっと声が低めの女の子だな」としか思わなかったね。違和感がなさすぎて怖かったよ。演目のためだけに、髪も伸ばしていたし、休日にスカートも履いていたんだよね。いや、完璧主義な恵夢くんらしいけどさ。……ちょっと、嵩原くんなんで嬉しそうなの。……ああそう、自分のプロデュースにご満悦なのね。はいはい。


 でも、部活では、全然組まなかったよ。新入部員の恵夢くんは、冬の公演が初舞台だったからね。

 それにね、嵩原くんのグループと俺のグループは、演目が全然違うから。

 俺のとこは描き下ろしの現代劇が中心だったけど、嵩原くんとこは古典のアレンジが中心だからね。他のグループとの合同公演も、全然なかったよね。

 シェークスピアとかチェーホフとか、あと、たまにバレエの演目もアレンジしていただっけ。

 恵夢くん、嬉しそうに話していたよ。今日はこんな事教えてもらったとか、この戯曲のこういうところが好きだとか。


 夏休み明けてから、図書室で会う回数は、減っていったな。恵夢くんには居場所が出来たし、俺も進路が決まったし―――夏休みの公演がきっかけで、今の事務所にスカウトされたしね。……あはは! ありがとう双葉くん。自分でも、結構あの時の役はうまくできたんだよね。

 俺たちは普通の先輩と後輩になったよ。図書室では会わないけど、廊下ですれ違う時にちょっと喋ったり、食堂で見かけたら一緒の席で食べたりはしてかな。

 恵夢くんとは、くだらない話をいっぱいしたな。

 おかげで一時期、俺たちが付き合っているとか噂されたっけ。

 でも、優季くんたちはあの噂がデマだって、知っていたんでしょ? 噂が出る前から、恵夢くんは今の奥さんと付き合っていたんだから。……え。噂が出た後に付き合っていたの? ふーん。そうなんだ。

 俺はね、知らなかったよ。聞かなかったってのもあるけど。

 まあ、俺も当時は付き合っている子がいたけど、恵夢くんにわざわざ話してなかったしね。


 恵夢くんの好きなものって、ちょっと女の子よりだったな。絵画とか女優さんとか、綺麗に踊るバレリーナとか。あと、レースとかリボンも好きだったよね。

 ここに「ホラー」が加わっている時点で、なんか台無しって感じだけど。

 俺? 俺は別になんともないかな。好きでも嫌いでもないから、ホラー映画見るのにも抵抗はない。……うーん、さすがに夜見たら、眠れなくなっちゃうときもあったなぁ。ただ、話を聞くのは、苦ではなかったね。

 あ、そうなんだ。クラスメイトのほとんどは、ホラーがダメだったんだ。……うん。嵩原くんはグロテスクなのはダメだけど、黒魔術とかは平気なんだ。よく分かんない基準だなぁ。

 そういう状況だったから、俺、よく恵夢くんからホラー系作品の話もされたんだよね。愛好家じゃなかったから、もしかしたら、物足りなかったかもしれないな。

 あとはねー、俺もあの子も女の子が好きだったから、それが一番盛り上がったよ。

 あれ、意外だった?

 俺の女の子好きは有名だったけど、恵夢くんは違ったもんね。

 でもなんていうか、恵夢くんの視点って、俺の視点と違うなって思ったよ。顔とか胸とかじゃないんだ。え? 見るでしょフツー。男子高校生だったんだよ、俺たち。

 恵夢くんはね、あんまり、女の子の顔を見ていなかったな。

 ほら、彼が好きだって言っていたバレリーナがいたじゃん? 美人ってわけでもないし、まあ、普通の顔だったよね。でも、恵夢くん、彼女のこと大好きだったでしょ? ……だよね。優季くんは、一緒にバレエ鑑賞に行っていたもんね。

 俺たちのファンもそうだけど、有名人の熱狂的なファンって、その人との恋愛を夢見ている部分があるよね。それじゃなくっても、好きになる顔の系統ってあるじゃん? スポーツ選手みたいな有名人も、例外なくね。

 恵夢くんがいう「女の子好き」は、「表現者としての尊敬」の感情が強いんだなって。

 だから、なのかな? たまに役作りしていると、本当に女の子にしか見えなくなる時があった。驚いた時に「きゃっ」なんて言っちゃった時もあったし。

 なんで芸能界に来なかったのかな、恵夢くん。

 実力はあったし、努力家だったし、見た目だって綺麗に成長していったじゃない。急にごつくなるとかなくって、線の細いまんま、いい具合に男らしくなっていったよね。

 女装なんかしなくっても、恵夢くんは役者としてやっていけたと思うよ。

 綺麗に成長していったから、女装も男の子の役もできるようになっていたよね。演技の幅、増えていたじゃん。でもそういうの、あっちが卒業した途端に、全部、なくなっちゃったんだよね。

 俺、卒業間際で今の事務所から声かけてもらってさ。何とか公演は見に行っていたけど、楽屋へ遊びに行ったり、恵夢くんとしゃべったりする時間なんて、取れなかった。だから、進路のことも、メールだけで報告されたな。

「ごめんなさい、芸能界には進みません。卒業後は、大学に進学します。今までいろいろ、ありがとうございます。さようなら」

 すぐには返事できなかったな。まあいいや、時間があるときにゆっくり話そう―――なんて思っているうちに一年が過ぎちゃって。もう一回連絡取ろうとしたら、メアド変わっててさ。

 メールだけでお別れだった。


 恵夢くんの初舞台、何人かの友だちと一緒に観に行ったんだよね。受験の息抜きに。

 すごくよかったよ、『黒蜥蜴』。今でも思い出せる。高校生がやるにはちょっと難しい内容だとも思ったけど、恵夢くんは、きっちり演じていた。謎めいていて、艶っぽかったな。

 一緒に見た友だちも、公演が終わった後、しばらく呆けていたな。

「ホントに、あんなに綺麗な男がいるのかよ」

 なんて、思ったね。一年生であれを演じるんだから、大した才能だよ。

 でも、その時の面子の中に、彼の義理のお兄さんがいるのは、知らなかったな。知っていたら、誘わなかったよ。

 噂自体は、一年生の間で流れていたんだってね。

 俺はね、義理のお兄さん本人に教えてもらったよ。公演見終わった後に、こっそりね。

「親父がどうして、あいつの母親に惚れたのか分かる気がする。……それがすごくムカツく」

 なんて言われてさ。彼を誘ったことを後悔したね。……責任感じて、女の子紹介したり、いろいろ遊びに誘ったりして、できるだけ恵夢くんのこと、忘れてもらうようにしたんだ。

 彼と恵夢くんの関係を知った時は、結構、ショックだったよ。義理のお兄さんと会うのが気まずいから、転校したかったんだなって。

 でも、そんなこと気にならないくらい、演技に夢中になったんだよね。嵩原くんのおかげで。


 だからさ、俺が知っている恵夢くんなんて、本当に、恵夢くんの一部分でしかないんだよ。あの学校で一緒に過ごした一年間だけ。時間に換算したら、もっと短いんじゃないかな。

 俺が話せるのは、ここまでだよ。俺が知っている恵夢くんは、これで全部。

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