期待していれば。


馬鹿みたいに泣いてしまった。

傷つけたのは私の方なのに、どうして泣いてるんだと思って、また泣いた。

涙は血液と同じ成分なのだと先輩が言っていたっけ。

公園の中でも海に面していない方へ歩くと、本当に人がいなかった。夜中に男女がいちゃつきそうなベンチに一人で座って、涙が引くのを待った。このままでは家に帰れない。

ドーン、と花火が上がる音がする。夏って感じだ。あ、もう夏なのか。

何やってるんだろう、私。


こんな予定ではなかった。本当に今日は気乗りはしなかったけれど、普通に花火を見に来るつもりだった。嘉月くんだって今日返事をしてほしいと言ってきたわけじゃない。というより、もうすぐ夏休みになるのに、私は返事をしないし嘉月くんもその催促を全くしてこなかった。このまま静かにフェードアウトするというやり方もあったはずだ。

じゃあどうしてあんなことをしたのか。

ごしごしと目元を手の甲で拭う。足先のブルーグリーンが暗くて、全然可愛く見えない。それはそうだ、あんな風に人を傷つける人間は自分が可愛いだけ。

心のどこかで、追いかけてきてほしい、という甘えがあるだけ。


落ち着くと、途端に死にたくなる程自分が嫌になる。自己嫌悪にたくさん浸りながら帰ろう。


「帰んの?」


目の前に現れたのは救世主でもヒーローでもない。

息を乱し、走ってきたと思われる嘉月くんだった。


「……うん」

「送る」

「いい、そんな」

「危ないから」


いつもより強い声だったので驚いた。少し肩を竦めていると、嘉月くんは「ごめん」と小さく謝る。


「危ないから送らせて」

「みんなは?」

「ちゃんと言ってきたから、大丈夫」


手を取られた。熱い手。それから、さっきまでハンカチを持っていなくて手の甲で涙を拭っていたことを思い出す。


「ちょ、ちょっと待って。私の手汚いから」

「え、なんで。転んだ?」

「そうじゃなくて、涙を……」


あまりに心配そうな顔で見るので、言葉が漏れた。


「泣いてたの?」


暗いけれど、顔をじっと見られるのは気が憚られる。それでも嘉月くんは見ていて、動かなかった。

とても気まずい。もう帰りたい。


「……帰ろ」

「うん」


手を繋いで、公園を出た。嘉月くんの背中に問いたくなるのを、喉まで突っかかって、留める。私たちは自分の足音を聞きながら帰路を辿る。

強い潮の香りと、湿気を含んだ空気。昼間よりも下がった気温が頬の涙の跡を冷やしていく。花火の音を背にしているのが少し可笑しくて、でも笑えなかった。


「赤面症治すために、他人から見られてるって自意識過剰になるのやめることにしたんだ」


嘉月くんが話す。私は相槌を打つ。


「だから、なんていうか、新良が違う人間だって言ったの聞いて、ほっとしたんだ」

「え、どこらへん?」

「新良は俺に期待してないなって思った」


なんだそれ、と思って、結局笑ってしまった。

嘉月くんに期待したこと、確かに何かを期待したことはないかもしれない。それのどこが良いのかが分からない。


「期待されるのって怖いからさ」


嘉月くんが笑った。作ったような笑い方に、私は口を開きかけた。なにかあったの、と言いたくなって、なにかあったよな、と思い直す。


「私、期待してたよ」


だから正直に話すべきだと思った。今日別れる前にそれは伝えておくべきだと。

街灯が私たちを照らす。


「さっき、心のどこかで嘉月くんが追いかけてきてくれるのを期待してた」

「本当?」

「うん、それで嘉月くんは来ちゃった」


図らずも、嘉月くんは私の期待に応えてしまったことになる。嘉月くんは少し歩を緩め、こちらを見た。


「そっか、なら良かった」

「……うん」

「でも、新良が泣いてたなら、もっと早くに来たかった」


あまりに優しく笑うので、私は押し込めていた涙がまた出てきそうになるのを感じた。今すぐ雨が降れば良いのに。早く私をぐちゃぐちゃに濡らして、もう何も分からなくなりたい。

私は嘉月くんといると、いつもこうだ。心の中が平和でいることの方が少ない。


「泣いてない」

「そっか。俺は、もし今ここに新良がいなかったら泣いてる」

「そんなの」

「もう新良の心は、動かない?」


問われた。私の気持ちなのだから、私しか答えられない。

けれど、私には答えられない。


「嘉月くんは、私にはいつも自信があるようにみえる。他人からの期待があっても、なくても」

「そんなの当たり前」

「当たり前って」

「少しくらい自意識過剰にならないと、新良とは話せない」

「うん?」

「それくらい、好きってことです」


白い街灯の下。そんな告白を聞いた。

私はぽかんと口を開いていて、こんな間抜けな告白場面があるか、と思う。

ああ、告白だ。私は今、人生で初めて告白を受けた。


「ごめんなさい……」


ぼろ、と右目から涙が落ちる。嘉月くんが驚いた顔をして、それを拭おうとする。


「私も、好きです」


だから、君が私と同じくらい好きでいてくれることを期待して良いですか。









穐田くんは目をぱちくりとさせる。ぱらぱらと歴代の化学部レポートが風に捲られていった。窓の外は水溜りに日光が反射するほどに晴れていて、昨日までの台風が嘘のようだ。夏がやっと腰を落ち着けている。


「え、だから俺聞いたじゃん」

「何を?」

「付き合ってんのって」

「え、いつ……」


と、心当たりを思い出す。


「夏祭りのとき」

「あれ、私と嘉月くんのこと言ってたの?」

「寧ろ誰のこと言ってると思ったんだ」

「皆越さん」


はあー? と馬鹿にしたような、いや実際に馬鹿にしている穐田くんの返事。いやいや待ってよ、あの状況は誰だってそう思いますよ。証明と証言できるひとがいないのが悔しいけれど。

穐田くんはレポートをぱたりと閉じる。

ガラリと化学室の扉が開いた。時計を見るとちょうどチャイムが鳴った。少し早めに休憩になったらしい。


「涼しい、ここ」

「今日顧問の先生いないから温度下げ放題」


いいな、と嘉月くんが笑う。穐田くんの言う通り、先生は午後から学校に来られるらしい。


「俺は補習を受けている日南ちゃんと教室で昼飯を食べてくる」

「部長、一時から活動だからね」

「お前らこそ、一時になったら何があっても扉開けるからな」

「え、開けて良いよ? 窓から入ってくるつもりだったの?」


はー、と穐田くんは呆れたように大袈裟に溜息を吐く。立ち上がって、嘉月くんに「新良ちゃんよろしく」と言って教室を出ていった。

何だったのだろう。


「疲れたー腹減ったー」

「バスケ部っていつも大会近いよね」

「モチベーションってやつかな」

「課題も、モチベーションあればねー」

「課題終わりそう?」


首を横に振る。嘉月くんは苦笑した。

午後も練習があるので、今日はずっとコンタクトのままらしい。実験台のうえにお弁当を広げる。


「登校日、部活ないんだ。一緒にどっか行こうって思ったけど、化学部あるか」

「ううん、ない。かき氷食べに行こうよ」

「かき氷か……好きだな」

「うん。好き」


駅前のコンビニで買ったバナナ豆乳にストローを挿す。日南ちゃんにおすすめされて買ったんだけど、かなり好きな味だった。

嘉月くんはそれをじっと見ていたので、飲んでみる? と勧めてみた。


「甘いのはあんまり」

「そうなの? じゃあかき氷はやめよう」

「いや、新良が行きたいなら行こう」

「私は嘉月くんが行きたいところに行きたい」

「俺の行きたいところは新良の行きたいところだから」


素敵な悪循環にくすくすと笑うと、嘉月くんが私の手を握った。一瞬、静かに唇が重なる。あ、今、私の耳紅いはずだ。

目に入った嘉月くんの肩に顔を埋める。


「……どこにかき氷食べに行く?」

「……うちの隣駅に美味しいとこある」

「……じゃあそこ行こうか」


頷く。嘉月くんが笑うと、心地よい振動がくる。それが嬉しくて、私も笑う。


もし彼と出会わない世界に生まれたら、彼は私を好きにならなかっただろう。

ただ、彼と出会わない世界に生まれたとしても、彼を愛する自信はある。










たられば、きみを。

20170617 END.



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たられば、君を。 鯵哉 @fly_to_venus

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