振り向かないと決めるなら。


結果を言おう。

私はじゃんけんに負けた。じゃんけんはとことん弱いと感じた。

グーとチョキとパーしかないのに、どうしてここぞという所で負けるのだろう。


「……笑ってる」

「……いやいや」

「笑ってるでしょう。こっち向いてよ」

「それよりさ、なんでそんなに不機嫌なの?」


不機嫌!?


「不機嫌にみえる?」

「多分穐田の戸惑い要素の半分がそれだったと思う」

「ありゃ……」


それは少し、申し訳なかったなと思う。じゃんけんで勝った穐田くんは日南ちゃんたちと共に行ってしまった。そう感じているならじゃんけんをする前に言ってほしかった。部長と副部長という間柄だというのに。

唇を無意識に尖らせていると、食べ終えたかき氷のカップを嘉月くんが攫っていく。少し遠くから放られたそれは、上手い具合にゴミ箱の中へ吸い込まれた。

さすが、バスケ部エース。


「ありがとう」

「不機嫌じゃないなら良かった」

「んー……ちょっと、考えてて」


赤い提灯がゆらゆらと揺れる。海辺なだけあって、風も少し吹いている。

後れ毛が項をくすぐる。少し肩を竦めて、こちらに手を空いた伸ばす嘉月くんを見た。


「なにを?」

「嘉月くんと、どうなるのが良いのか」


ぴたりとパソコンがフリーズした時みたいに、嘉月くんは固まった。そんなに大きい衝撃だろうか。衝撃を与えた私がそんなことを思ってしまう。

きっと、嘉月くんのように優れた人と付き合ったら、誰だって考えると思う。私はどうするのが正解なのか。どうすれば最善の選択ができるのか。

固まった嘉月くんと、汗ばんだ私の手。その距離、15センチ。


「ごめん、私、」






呼び止められて振り向く。どこからか花の蜜の香りがした。春の温かい気候が午後の柔らかい気配を孕んでいる。

振り向いたものの、嘉月くんはこちらを見ようとしなかった。


「今付き合ってるひといる?」

「え、いませんけど」


てゆーか、年齢=彼氏いない歴ってやつですけれども。そういう色恋沙汰とは無縁に生きてきた人間ですけれども。私とは真反対の世界に住んでいる嘉月くんにとってそれは日常茶飯事のことかもしれないけれど、私にとってそうではない。なんて、散々心の中で言い訳したのは、わざわざ確認を取られて悔しかったから。


「どうしたの、急に」

「好きなひととかは?」

「いないけど……」


もしかして、と私は勘づいてしまった。

もしかして、あれか。俺の友達が新良のこと良いなって言ってるやつがいるんだけど。みたいな。

正直に言う。そういうのは今まで何度かあった。何度とというのは少し見栄を張った。中学で二度あっただけだ。でも、人を介して誰かに会うのが面倒だと感じて、結局断った。

ああ、どうやって断ろうかな。頭の中で断る台詞が浮かぶ。いやでも高校生だし、一度くらい私を良いなと思う顔を拝むのも有りなんじゃないか。


「付き合ってほしい、です」

「えっと、誰と?」

「俺と」

「あー……は!?」


出た声が大きい。廊下に響いて、下の階で練習している管弦楽部にも聞こえたかもしれない。

嘉月くんはそんなことお構いなしに項に手を当てている。

あ、真っ紅だ。


「そ、そうきたか……」

「三か月」

「さんかげつ?」

「三か月、お試し期間として付き合ってほしい。それで新良の気持ちが決まったら」


返事欲しい。

白昼夢を見ているんじゃないか、と思った。


「あのさ、私、嘉月くんとは釣りあ」

「無理」

「え」

「今、否定の声は聞かない」


あ、もう紅くない。悪戯に笑っている顔が可愛い。嘉月くんのそういうところ、本当に尊敬するくらい強いと思う。

私は思わずその勢いに任せて頷いた。そうしないといけない気がした。






嘉月くんの瞬きが目に入った。花火まであと十分ほど。

段々と公園の方へ向かうので、屋台の周りから人が引いてきた。浴衣を着た幼稚園生がパタパタと走って横を通っていく。


「あ、いた! 二人とも、花火始まっちゃうよ」


皆越さんが携帯を手に持って現れた。このタイミングで、というのは神様を疑い過ぎだろうか。

私の手を取ることのなかった嘉月くんの腕を掴み、「あっちに場所取ってるよ」と皆越さんは指し示す。それを見て、ちょっと嘲笑ってしまった。悔しいと思った。その手を取らなかったのは自分なのに、その手に簡単に触れられる彼女が羨ましいと思った。


「私、穐田くん捜してくるね。先行ってて」

「一人で大丈夫? もうすぐ始まるよ?」

「大丈夫。皆越さん、嘉月くん、ありがとう」


終わりだ。花火が始まる前に言えて良かった。週明け、私たちは他人に戻る。お試し恋人期間は幕を閉じて、それから夏休みが始まる。

嘉月くんはまだ何かを言いたそうな顔をしていたけれど、それを聞く前に歩き始めた。きっと、もう呼び止めはしない。

私も振り向かない。


本当は全部嫌だった。

新良、と呼ばれただけで跳ねる心臓も。

あの手が誰かに触れられるのも。

彼の名前が呼ばれるのも。

擦れ違っただけで話しかけてくれるのが嬉しいのも。

バスケ部の中に紛れているのを見れば、自分とは違うことを感じてしまうのも。

全部たまらなく嫌だった。でも嘉月くんが嘉月くんでなかったなら、なんて考えられない。


もし、彼が彼でなかったら、彼を好きになることはなかった。







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