爪先の色に気付いていれば。


高校最初の春休みを迎えて、私は化学部に行ったり友達と遊んだりした。三年生との送別会は大いに盛り上がり、そして部長は泣いていた。半分以上が不安からだったと思う。


「久しぶり」


学校の廊下を歩いていると、ジャージ姿の嘉月くんが向こうから歩いてきた。私も同じように返事をする。久しぶりと言っても数週間ぶりくらいだ。


「部活?」

「予選近いから」

「忙しそう」

「忙しい、ちょっと疲れた」

「お疲れ様」


一年からバスケ部のエースと期待されているのだから、疲れるに決まっているだろう。私はそれを想像するにも烏滸がましい。窓の外で桜が咲き始めていた。

春だなあ、と思ってそれを見ていると、同じように嘉月くんもそれを見ていた。


「一年あっという間だった」


ぽつりと呟いた。その言葉に、立場の違いを深く感じた。私にとってやっと過ぎた一年だった。なんとか友達を作って、化学部に入って、赤点を取らないように勉強した。思わず苦笑する。


「面白かった?」

「馬鹿にして笑ったわけじゃないよ。ただ、違うなって」

「うん?」

「私たち全然違う人間だなって、実感しただけ。じゃあ、まだ部活あるから。嘉月くんも部活頑張って」

「あのさ、新良!」


既に廊下を歩き始めた私を呼び止めた嘉月くんの方を向く。







「みんな揃ったみたいだから行こう」


皆越さんが言ったことで、駅に集まった団体が動き始める。私と穐田くんは最後尾にぞろぞろとついていた。きっと途中で抜けても気付かれないはずだ。

前に嘉月くんがいなければ。


「あ、もう屋台出てる」

「本当だ、たこ焼き買いたい」


前の方の女子がきゃっきゃと屋台を見てはしゃいでいる。集まったのはやはり体育祭実行委員だけではなくて、他の運動部もいた。女子は殆ど浴衣を着ていて、私みたいにジーパンにロンTで来る女子は一人もいない。だって誰も注目しないと思ったし。穐田くんも私の服装なんて気にしないと思ったし。

まさか、嘉月くんに言われるとは。

思い出すだけで頭の中がどんよりとしてくる。いやもう、今更後悔しても遅いんだけど。浴衣なんて持ってないし、お姉ちゃんも貸してくれないだろうし、可愛い私服で来たら浮かれてる奴だと思われると思ったし。せめてスカート履いてくれば良かった……。


「もしかしてさ、もしかして、なんだけど」

「何?」

「付き合ってんの?」


隣の穐田くんが前を指さす。嘉月くんとその隣を歩く皆越さんの姿があった。

そういう情報に疎い私に聞かれても知るわけがないし、前にいるんだから直接聞いた方が早いに決まっている。


「知らない」

「知らないって、それはないだろ」


私の目は前から逸れて屋台の方へ向いていた。美味しそうな匂い、音、色。かき氷や綿あめの看板を見る度に心の奥が躍る。

穐田くんは諦めたようで黙った。そして、急に皆越さんが振り向いた。


「ごめんね、思ったより大勢になっちゃって」

「いや、誘ってくれてありがとう」

「二人とも化学部だよね。どんな活動してるのか気になるよね?」


青地に百合の花が描かれている浴衣。可愛いと何の服でも似合うんだな、と感心してしまった。笑いかけられた嘉月くんが、「うん、まあ」と曖昧な返事をする。


「新入生歓迎会でやってたの面白かったよね。えっと……」

「皆越さん、前の方で呼ばれてる」

「え、あ、はーい!」


一緒に嘉月くんも呼ばれている。隣を見ると、穐田くんがほっと息を吐いていた。こんなで今日保つのかな、と不安になる。私はサンダルの先から出た爪先を見た。

ブルーグリーンに塗られている。自分でやった、唯一のお洒落。

よし、はぐれるなら今だ。


「穐田くん、かき氷食べよう」

「お、いいね。俺ブルーハワイ」

「私イチゴが良い。半分こしよう」

「じゃあレモン」


声が聞こえる。かき氷の屋台の前で空気を読んで立ち止まった穐田くんとは他の声だった。振り向くと、穐田くんよりも高い背。


「おお、三人で分けよう。な? 新良ちゃん」

「……うん」


固まる私と、飄々とした顔をして立つ嘉月くんを見て、穐田くんがその空気を壊さぬように繋げた。三つの味を頼んで、ガリガリと氷を削ってもらう。シロップは全部同じ味らしいが、色と香りがつくことで人の脳味噌は簡単に騙せるらしい。

それぞれの味を受け取って、屋台を出る。もう既に体育祭実行委員のひとたちはいなくて、私たちは人の流れに乗って少しだけ進んだ。屋台の角に空いているスペースがあったので、そこに入り込んだ。

赤、青、黄色。信号の色。氷の破片を口に入れて溶かす。蒸し暑い夜の至福の味だと思った。


「さっき呼ばれてたけど、大丈夫なん?」

「聞こえないふりしてきた」

「へー、嘉月もそういうことするんだ。人間味あんだね」


穐田くんがとても失礼なことを言っている気もするけれど、嘉月くんは特に気にした様子もなく、笑った。それからかき氷を食べてこめかみを押さえる。

たっぷりとかかった黄色がキラキラと眩しい。それを見ていると、嘉月くんと目が合った。はい、と差し出されたレモンのかき氷。


「食べる?」

「……いい」

「なんで?」

「私、ブルーハワイが食べたい」


穐田くんを巻き込んだ。知らん顔をしていた穐田くんがぎょっとした様子で、こちらを向く。だって私が半分にしようと言ったのは穐田くんがブルーハワイを食べると言ったから。

「もちろん。嘉月も食べて」とブルーハワイが差し出される。穐田くんはこの空気の悪さに気付き始めたのだろう。「おいおいどうしたんだよ」と顔が問うている。

私と嘉月くんが二人でいるのを穐田くんは見たことがないし、私も嘉月くんと一緒にいるときに誰かがいたことはない。

穐田くんには悪いけれど、私の態度はそのまま変わることがなかった。けれど、嘉月くんの態度も変わらず、私や穐田くんに構わず楽しそうにしている。


「部長、副部長!」


聞いたことある声がどこからか聞こえた。私と穐田くんが振り向く。

我らが化学部の一年生、日南ちゃんがいた。しかも浴衣姿で、白地に金魚がいる。とても可愛くて、私たちは見惚れていた。


「こんばんは。まさか二人揃ってるとは思いませんでした」

「うん、私もすごく驚いた。天使に見えた」

「はい?」

「日南ちゃん、誰と来てるの?」

「妹と弟と来てます。あそこでヨーヨー釣りしてるんです」


示した方向にまだ幼い子供たちがいた。よし、と私はガッツポーズを心の中でした。

多分、穐田くんも同じだっただろう。



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