『15戦地の恋人』
「おはよっ! 光!」
「あ、楓。おはよう」
眩しいほどの日差しが降り注ぐ午前11時。
もうすぐ夏の訪れを感じるギラギラとした陽光に目を細めている
「今日の3限目の課題やった? あたし、あの授業いまいち良く分かんないのよねー」
難しそうに口をへの字に曲げて愚痴る楓に苦笑する光。
真面目な光に助けてもらおうという楓の魂胆が丸見えである。
「私も自信はないけど……。良かったらお昼食べながらでも見てみようか?」
「さっすが光! 頼りになるー!」
お調子者、というほどではないが、コロコロと表情を変える楓に微笑みを返すと、少し早めのお昼にでもしようかと大学の食堂へと光は足を向ける。
「あ、そうそう」
「どうしたの?」
しかし、楓は何か思い出したのか唐突に足を止めた。
不思議に思い楓へと振り返った光の碧眼に映ったのは、なんだかニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべている友人の姿だ。
栗色のポニーテールが楽し気にゆらゆらと揺れている様子は可愛らしいのだが、なんだか妙な威圧感を覚え、光は人知れず後ずさってしまう。
ただ、この時ばかりは光の直観はある意味で外れる事となった。
「
「詳しく!!」
「うひゃぃ!?」
――――――
「猛、邪魔するぞー……って、相変わらず汚い部屋だな」
「ほっとけ」
六畳ほどある猛のアトリエに無断で入ってきた男性は、その部屋のカオスぶりにため息を吐くが、猛にとってはいつもと変わらぬ仕事部屋だ。
「ほれ、差し入れ」
「サンキュー、
「はいよ」
気楽に呼び合いながら響助と呼ばれた男は勝手知ったる我が家の様に、近場に置いてある椅子へと逆向きに腰かけ、背もたれに顎を乗せた。
猛は一心不乱にキャンバスへ筆を走らせており、仕事部屋に訪れてきた友人に構っている暇などないらしい。
久々に見る猛の熱心な様子に響助も興味をそそられたのか、顔の位置をずらしてキャンバスを覗き込む。
「それって、例の彼女か?」
そこに描かれていたのは、肩甲骨あたりまで伸びた黒髪と碧眼が特徴的な美しい女性だった。
猛がこのタイミングで描く女性など一人しか思い当たらないというのもあるが、その女性は猛と妹に聞いた人物像に酷似していたため、響助は正解と分かりつつも確認のために声をかける。
すると、「なるほどねぇ」となんとも嫌らしい笑みを浮かべる友人の雰囲気を察したのか、今まで見向きもしていなかった猛が響助へと振り返った。
「勝手に見るなよ」
「おやおやおやぁ? 何? それって、もしかして独占欲? やだ、猛君ってばそんなキャラだったっけ?」
「お前もそんなキャラじゃねえだろ……」
すぐに己のセリフを後悔する事になった猛はため息を吐きながら再びキャンバスへと体を向ける。
二人の時は阿保みたいに猛をからかってくる奴なのは知り合ってから2年ほどの付き合いで分かってはいたが、だからと言ってこうも毎回面倒くさい絡みをされるのもたまったものではない。
しかも、他の人がいる時は爽やかなのだ、
「で? 今日は何の用事だよ? 見ての通り、今、俺は、久々に、忙しいんだ」
まるで強調する様に言葉を区切って告げてくる猛にも、響助は愉悦を滲ませた笑みを顔に貼り付けたままだ。
キャンバスに向かいながらも、その様子がありありと想像できる猛はこめかみに血管が浮きそうになるのを必死に堪える。
ある意味、似たもの同士の二人であった。
「ふぅ……」
「ん? どうした?」
「休憩だよ。こんな状態じゃまともに描けやしねえ」
「それは悪い事をした」
「絶対に思ってないだろ」
苦々し気に言葉を漏らしながらも、響助が持ってきた差し入れからペットボトルの飲み物を取り出すと、キャップを捻る。
プシュっと気の抜ける音がした。ラベルを見ていなかったが、どうやら炭酸らしい。猛はチラリと壁に掛かっている時計を見やると、針は12の位置で重なっていた。ちょうどいい時間である事に、なんとなく敗北感を覚えてしまう。
「あ、そうそう」
エアコンが利いているとは言え、季節はもうすぐ夏。
集中していた事もあって、猛は滲むような汗をかいていた。
炭酸飲料を喉へと通し体に水分を補給していると、ワザとらしい響助の声が聞こえてくる。
この時点で既に嫌な予感はしていたのだろう。
慌てて口に含んだものを飲みこもうとするも、
「
願い叶わず鼻にまで逆流してきた炭酸飲料で、猛は盛大にむせる事となった。
――――――
「ど、どうも、初めまして……?」
「あ、ああ……」
時刻は18時。
楓と響助から、それぞれの恋人に会えると聞いて急いで支度した二人は、とあるファミレスで顔を合わせる事と相成った。
猛の家から電車で二駅、光の家からは徒歩10分という距離だ。
まさかこんな近くに住んでいるとは思ってもみなかったので、二人は未だに状況を把握できていない。
「なあ、初めて会う訳じゃないだろ? まあ、こっちで会うのは初めてだろうけど?」
「そうそう、恋人なんだし? もうちょっと親密でもいいんじゃない? まあ、こっちでは初めてだろうけど?」
そんな様子に
ここに着くまでに説明を聞こうと質問を繰り返すも、「着いたら説明する」と言われて渋々付いてきたのだ。到着したら根掘り葉掘り色々と尋問しようと思っていた猛と光であったが、いざ現場に着いてお互いの顔を見てしまったらそんな事など頭から吹き飛んでしまった。
既に顔を合わせてから20分。
未だに世間話みたいなやり取りしかしていない状況に、楓の方が我慢できなくったらしい。
「もう! じれったいわね! 猛さん! 男らしくズバッと言ってくださいよ!」
「何を!?」
「光ちゃんも。もじもじしてるのは可愛いんだけど、このままじゃ猛、帰っちゃうよ?」
「ええ!? そ、それは困ります!」
さり気なく光を口説いている響助に猛は人を殺せそうな視線を向ける。
すると、相変わらずのしたり顔で答える響助に今度は毒気を抜かれてしまった。
重たいため息を吐き深々と椅子に体を預けると、猛は説明を求めて皆本兄弟へと視線を向ける。
さすがに事ここに至ってはぐらかすつもりはないのだろう。
響助と楓は二人でアイコンタクトを取ると、大げさな身振り手振りで話し始めた。
「簡単に言うとだな、俺と猛がやってるVRMMO『15戦地』を妹である楓とその友達である光ちゃんもやってたって訳だ」
――VRMMO『15戦地』。
以前から技術が確立されていたVR技術が一般家庭に普及したのは最近の話である。
そして、その中でもVRMMOタイトルである『15戦地』はゲームにおけるその自由度から爆発的人気を誇っていた。
ただし、このゲーム。装備やスキル、職業の選択を広めるために容姿に割くリソースが少ない。そのため、アバターの外見は現実世界に準拠したものになる、という若干夢のない仕様となっていた。
しかし、今後容姿に関するアップデートが行われるとの告知も出されており、ゲームとしては楽しめているので、猛を始め多くのユーザーが「後で弄れるならいっか」といった所に落ち着いていた。
「つまり、『15戦地の恋人』とまで呼ばれる君たち二人をリアルで知っていた俺たちにとって、そう驚くべき状態でもないんだよ」
「そうそう。確かに光に恋人が出来たって聞いた時は驚いたし、その彼氏がまさかお兄ちゃんの友達だとは思ってもみなかったけど」
「なあ」
「うん」
「いや、普通にありえない確立だろ!?」
「いや、普通にありえない確立じゃない!?」
「「おお、息ぴったり」」
「話を逸らすな!!」
「話を逸らさない!!」
響助と楓それぞれの隣で憤っているカップルを見て、何が面白いのクスクスと笑い始めた兄弟に二人は何も言い返せなくなってしまう。
それでも、緊張感というか肩の力は抜けたようで、先ほどよりも普段の状態に戻っていた。
「さて、それじゃあ、お邪魔虫は帰りましょう」
「そうだな」
猛と光がなんとか現状を把握できたと判断したのか、妙な気遣いをし始めた兄弟に二人は慌てだしてしまう。
いくらある程度リラックスできたとは言え、まだ二人きりで喋るのはハードルが高いようだ。
「そ、そんなに急いで帰らなくてもいいじゃねえか」
「そ、そうよ。もうちょっとゆっくりしていけば?」
そんなカップルの様子にまたしても嫌らしい笑みを浮かべる兄弟に「あ、今度は外れない。これは嫌な予感だ」と二人が思った瞬間、響助は机に置かれていた注文レシートを取って会計へと向かっていき、楓は軽く手を振ってそんな兄の後を追いかけて行ってしまう。
特に素早い訳でも、何かをした訳でもなかったのだが、そんな兄弟の様子に猛と光はただ茫然と見送る事しかできなかった。
「えっと……」
「あの……」
しばし気まずい沈黙が場を支配していたが、タイミングの悪い事に二人の言葉が被ってしまう。しかし、何となく可笑しくなって二人でクスクスと笑い合う姿は、正しく恋人以外の何物でもなかった。
「あのさ、俺、一応絵を描く仕事してるんだけど……、その、よかったら何か君にプレゼントしたいなって……。い、いきなりこんな事を言うと気持ち悪いかな? あ、あはは」
「そ、そんな事ないです! 凄く嬉しいです!」
「ほ、本当か? 良かった」
「どんな絵を描いてるんですか?」
「そうだな――」
会計を済ませたにも関わらず、ファミレスの喫煙所でタバコを吸っていた響助は、窓越しに見える二人の様子に安堵のため息を吐いていた。
「なんとか上手くいった、かな。」
「そうだね。でも、本当にこんな偶然ってあるんだねー」
タバコの煙を鬱陶しそうに払いながらも喫煙室まで付いてきた楓は何とはなしに呟く。
「流石、『15戦地の恋人』ってところか」
「なんだかロマンチック!」
「お前も早くいい人見つかるといいな」
「よ、余計なお世話だ!」
兄弟でじゃれ合いながら、もう一度窓越しに猛と光を見つめる。
「これからどうなるか分からないけど、こんな出会いもありだろ?」
誰に向かって呟いた訳でもない一言を残して、響助はタバコの火をもみ消した。
15戦地 橘 ミコト @mikoto_tachibana
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