第4話 陰キャな那子のホントのキモチ
ショック療法。
一言で言えば、そういうことになる。
帰りのホームルームが終わるや否や、誰よりも早く帰宅しようとする那子をサクッと拉致ると、俺はすみやかに生徒指導室と書かれたプレートの下をくぐった。
素早く扉を閉める。スペースはうちの教室の半分ほどしかなく、あまり使われていないのか、少し埃っぽい。
普段は施錠されているこの教室だが、ゆきなちゃんに事情を説明したところ、すんなりと鍵を貸してくれた。普通なら反対されるどころか俺たちのほうがこの場へ拉致られる案件だと思うが、普通じゃないゆきなちゃんは俺たちを信じているからと、笑顔でエールを送ってくれた。
ゆきなちゃんがゆきなちゃんでよかったと、はじめて思った。
俺は那子の手を引きながら、待機していたくーちゃんにアイコンタクトを送る。
くーちゃんは真剣な目をしてうなずくと、那子に駆け寄り、その華奢な身体に抱きついた。
「……え? えっ? え?」
予期せぬ出来事の連続に、那子は半ばパニックに陥ったようにきょろきょろと首をめぐらせ、最終的に俺を見た。
俺はおもむろに両手をズボンのポケットに入れると、左から15cm定規、右からハサミを取り出してみせた。
どちらもなんの変哲もない、どこにでもあるシンプルな文房具だ。
さすがは幼なじみ。那子は一瞬にして、俺がしようとしていることを察したようだった。
澄んだ二つの目が、大きく見開かれる。
「離すなよ、くーちゃん」
「わかってる。桜庭さん、動くと危ないから、怪我したくなかったらじっとしてて」
俺は目の前に垂れ下がる長い髪を束にして掴むと、定規をあてがう。……だいたいこのくらいか。
ハサミを構える。
「…………う、そ」
「美容院代が浮くぞ。やったな那子ちゃん」
「い、嫌……ま、まって……けい、と――」
待てと言われて待つわけがなく、俺は一切迷いのない手つきでハサミを入れた。
しょきしょきしょきしょき〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
ザクザクザクザクザクぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
ぼとり、ぼとりと。
大量の髪の毛が束のまま床へ落下していく。
「ほんとにやるのが啓人くんのすごいところだと思う」
あまり感情が伴っていない声色で言って、くーちゃんが那子を解放する。放心しているのか、那子は微動だにしない。
「それじゃ私、先に帰るから」
俺の手から定規とハサミを回収すると、くーちゃんは真面目な顔で俺を見た。
「これで桜庭さんのこと泣かせたりしたら、いくら啓人くんでも怒るからね。知ってると思うけど、私、女の子を泣かせるコがいちばん嫌いなんだから」
「でも、協力はしてくれるんだな」
「それはっ……信じてるから」
どこか照れくさそうに、そんなことを言う。
俺はそっとくーちゃんの耳元に顔を寄せると、心からの言葉を囁いた。
「ありがとな、美空」
「――っ!?!?」
くーちゃん――美空は飛び退くように俺から離れた。その顔はみるみるうちに赤く染まっていく。
「やめてよ……今さら、気を持たせるような呼び方しないで……」
「悪い、つい」
「せっかく、昔の呼び方にも慣れてきたのに…………啓人のばか」
俺にだけ聞こえる声で言うと、美空は真っ赤な顔のまま、逃げるように教室を出て行った。
ふう……と、俺はひとつ息をついて。
那子の正面へと、回りこんだ。
那子は依然、硬直したようにじっと俯いていたが。
ふいに、ぼそりと。
「……気に入らない」
つぶやいて。
顔をあげて、俺を見た。
「いきなり、無理やり髪を切るとかっ……気に入らない!」
目の前には、那子がいた。
あのころと同じ、俺の知ってる桜庭那子が、そこにいた。
「啓人、きみっ、髪は女の命って言葉知らないのっ!?」
「調子、戻ったみたいだな」
「……え?」
那子は数瞬、ぽかんとした表情で目をしばたたかせたのち、「あ……」と小さく声を漏らした。
ショック療法成功だ。
「き、きみが急に、とんでもないことしでかすからっ……」
狼狽したように、那子は言う。
自分で自分の変化に戸惑っている、そんな様子だった。
「なんで、こんなこと……」
「気に入らなかったから」
俺は言った。
「早く本当の那子に逢いたくて、我慢できなかったんだよ」
「……ばか」
「おかえり、那子。また逢えてよかった」
那子は、じっと睨みつけるように俺を見つめて。
その視線をふいに、逸らした。
にわかに、表情に翳がさす。
「……きみは本当に、昔と全然変わらないよね」
那子はどこか感慨深げに言った。
「……那子は、」
「わたしだって……こんなはずじゃなかった……!」
強い語調で、俺の言葉を遮る。
「わたしだって、こっちに帰ってくれば、すぐに昔みたいに戻れるって思ってた。だけど……いざ教室に足を踏み入れようとしたら、身体が全然、言うことを聞かなくて。ちょっと環境が変わったくらいじゃ、一度身体に染みついたものはそう簡単には消えないんだって、思い知らされた」
「なあ、那子。訊いてもいいか?」
「わたしが、こんなふうになっちゃった理由?」
自嘲するように言う那子に、俺はうなずく。
「話したくないなら、別にいい」
「話したくない」
「そっか、わかった」
「……いいの?」
「話したくないんだろ? なら訊かない」
「……ごめん。きみにこれ以上、情けないわたしを知られたくない」
そりゃあもちろん、気にはなるが。
思い出したくない過去の一つや二つ、誰にでもあるだろうから。
謎は永遠に謎のまま。那子がそれを望むなら、俺はそれでかまわない。
「代わりに、別の質問いいか?」
「うん、なに?」
「おまえ、これからはずっとこっちにいるのか?」
那子がどんな事情で帰ってきたのか、詮索する気はないが。そこだけは、ハッキリさせておきたかった。
「……それは、きみ次第、かな」
「は? 俺?」
「うん。きみがいいって言うなら」
……? どういう意味だ?
「なんだそれ。じゃあ俺が帰れって言ったら帰るのか?」
「かもしれない」
「なんだそれ」
それってつまり、那子が帰ってきた理由に俺がガッツリ関係してるってことか??
……いや、なんだそれ。それはおかしいだろ、おかしくないか? だって、再会したのだってたまたま偶然なわけで……
「だってわたし、きみに逢いに来たから」
さらっと、しれっと、なんでもないことのように那子は言う。
「きみに逢いたくて。きみに逢うためだけに、わたしは帰ってきたの」
「……いや、え? いやいやいや……え、なんで……え?」
混乱する。頭の中が混乱して、俺は混乱している。え?
「学校調べるのだって大変だったんだから。あ、クラスはどうしてもきみがいるクラスがいいって希望出したら、簡単に通ったけどね」
いや、待て待て。よく考えてみろ。冷静に考えたら混乱する要素なんてひとつもないことがわかる。ならなぜ混乱した、那子の言葉をどう解釈した? 馬鹿か俺は?
答えなんて、たったひとつしかない。つまり、那子は。
「……那子はそれだけ、俺に友情を感じてくれていた。そういう認識で、合ってるよな?」
「合ってない」
即答。
合ってないらしい。
…………合ってない!?
「きみが、この先もずっと、わたしのそばにいてくれるなら。わたしはこれからも、本当のわたしでいられると思うから……」
「いや、だから待てって!! 待ってくれ!!」
「わたしの言いたいこと、ちゃんと伝わってるよね? 幼なじみ、なんだから」
それはもちろん、伝わってはいる。
そんなに熱を帯びた眼差しを向けられれば、幼なじみじゃなくたって気づく。
だけど待て。だからこそ待て。俺は、こういうのは慣れてないんだ。苦手なんだ。
まるで昔の自分に戻ったみたいに急激に顔が熱くなって、あわあわもごもごと狼狽えてしまう。
それに、それにだ。
那子は友達だ。親友だ。
確かにめちゃくちゃ可愛いとは思うし、女の子としての魅力がないなんてことは絶対にない。
それでも、那子は俺の親友であって、そういう対象としては見れなくて――
……そうなのか?
本当に、そうなのか?
そんなこと、誰が言った? 誰が決めたんだ?
そうじゃなかったから。
那子のことを忘れられなかったから――だから、美空ともうまくいかなかったんじゃないのか?
那子がいなくなって心にポッカリとあいた穴を、美空のそばにいることで埋めようとしていたんじゃないのか?
だとすれば、うまくいかなくて当然だ。
「ねぇ、わたしからも質問いい?」
ただただ狼狽えるばかりの俺へ、那子が訊く。
「
「それ誰……あぁ、ゆきなちゃんか」
そういえば、苗字はそんなだった気がする。
「どういう関係?」
「どうもこうも、教師と生徒の関係だろ」
「教師と生徒の、禁断の関係?」
「どうした那子? 大丈夫か?」
「だって啓人、名前で呼んでるし。向こうもけーくんとか呼んでるし」
「アレはああいう人なんだよ。いつまでも学生気分が抜けない残念な人なの。那子だってゆきなちゃんって呼ぶように言われてただろ?」
なにを訊かれるかと思えば、そんなこととは。
積もる話なんていくらでもあるだろうに……。
「そういえばそうだったね。じゃあ浅井さんは?」
「……は? な、なにが?」
「きみと浅井さんの関係。ただのクラスメイト?」
「浅井っていうと……あ、あぁ!! もしかしてくーちゃんのこと?」
「ほかにいる? いないよね?」
「た、確かにな……で、なんで急にそんなこと訊くんだ?」
「妙に親しそうに見えるから。どうなの?」
なんなんだよ。
なんでそんな、浮気を追及する彼女みたいにグイグイ来るんだよ!!
やめてくれ!!! 本当に慣れてないんだよそういうの!!!
「そりゃまあ、友達なんだから、多少はな?」
「友達? 本当にそれだけ?」
「ま、まあ……女子の中ではわりと仲が良いほう、だったり」
「きみさっき、浅井さんのこと下の名前で呼び捨てにしてなかった?? ちょっと聞こえちゃったんだけど」
地獄耳!!!!!
「それがどうかしたか? 那子のことだって那子って呼んでるだろ? 友達なら普通だろ? 普通だと思うぞ? 普通だよ普通」
那子はなにか言いたげな顔で、真正面から、じぃ〜〜〜〜っと俺を見つめてくる。
あぁ……だめだ。
那子にはかなわない。すべて見抜かれてしまう。
俺は悟った。この先一生、那子に隠し事はできないと……。
「いや、那子、あの、実は……」
しどろもどろになりながら、真実を告げようとした俺に。
那子は突然、なんか、いきなり――ぐいっと顔を近づけてきて。
…………唇が。俺の唇が。
……………………なにか柔らかいものによって、塞がれ、た?
那子の顔が離れる。
だけど俺は、那子の顔を直視できなくて(だって恥ずかしいから)、その表情を窺い知ることはできない。
俺は口元に手を当てて、それから思いきり顔をそむけて、
「なあ、那子、今、なんで、キス…………したんだ?」
あまりにもわかりきった質問を、わけもわからず口にした。
そんな俺に、那子は――
たった一言。
「気に入らなかったから」
陰キャに堕ちた幼なじみの扱い方 かごめごめ @gome
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