午後11時22分

 プラモデルの箱をぼんやり見ながら歩いていると、いつのまにか家に着いていた。私の家の屋根には、大穴が空いていた。その屋根の向こうでは、いつのまにか厚い雲が晴れて、薄青色の夜空にちらほらと星が顔を出している。

 玄関先に目を向けると、そこでは妻がガレキや割れたガラスの片付けをしているのが見えた。


「あら、おかえりなさい」


 妻は私の姿を認めると、笑顔でそう言った。


「ただいま」

「こんなガレキだらけなのに、早かったのね」

「朝、早く帰るって言ったろう」

「それより見て、あの屋根! あんな大きな穴が空いちゃって。ちょうど寝室のところよ、今日からどこで寝ればいいのかしら」


 彼女が眉をひそめて、屋根の大穴を指さした。そうか、ちょうど寝室のところだったか。


「……星を見ながら眠るのも悪くないかもね。それより腹が減った。片付けは後で私がやるから、ご飯にしよう」

「もうっ、適当なこと言って」


 私は真面目に言ったつもりだったが、そうは受け取ってもらえなかったらしい。少し肩をいからせた妻を正面に見据えると、私は彼女がちゃんと生きていたことに安心して息を吐く。

 彼女の無事は予言で見たが、しかし、私の予言は必ずあたるとも限らない。それどころか本当に私の超能力は予言なのかすら疑問だ。

 怒った彼女をただぼんやりと見ていると、彼女も毒気を抜かれたのか、ふっと息をついて、「まぁ、いいわ」と言った。


「私も片付けしてたら、なんだかお腹空いちゃった。キッチンは無傷だったから、あなたの好きなカブの浅漬けも無事にあるわよ。……あら、どうしたの、その箱?」


 彼女は私が手に持ったプラモデルの箱を見つけたらしく、不思議そうな顔でそう言った。彼女からすれば、私がプラモデルなど買ってくるなど思いもしないことだろう。私も思いもしなかった。


「買ったんだ。プラモデルだよ」

「プラモデル? そんなの好きだったの? おもちゃを衝動買いなんて子供みたいね」


 そう言って妻は笑った。

 そうか。確かに子供みたいだ。

 私はこのプラモデルの箱を持って、奇妙な笑顔を浮かべたキオスクの男を素敵だと思ったが、そういうことなのだ。私は彼が無邪気な子供のように見えたのだ。

 その日暮らしでも子どものように笑うあのキオスクの男。

 彼を思い出すと、焦げたような匂いを発する気持ちが和らぐが、その理由が分かった気がした。

 私がこのプラモデルを欲しくなったのは、彼に憧れていたからもしれない。


「そうか、こどもみたいか」


 私は笑った。彼に近づけたように思えたから。


「そうだ、きみにもプレゼントがあるんだ。サイズが合うかわからないけど……」

「指輪? どうしたの、急に」


 背広の内ポケットから、歪んだ箱に入った、あの飾り気のない指輪を差し出した。彼女はと言えば、怪訝な顔をしていた。しばらく妻に何もしない男が、急にプレゼントなんてすればそうもなるか。そう思うと私も急にプレゼントなんてしたのが気恥ずかしく思えた。


「どうしたってわけじゃあないけど、その、ずいぶんときみに何もしてあげられていない気がして……」

「そんなこと考えてたの? いいのに、べつに。……でも、ありがとう」


 怪訝な顔をした顔をしていたように思えたが、よく見てみると口元がにやにやと歪んでいる。気恥ずかしくて、素直に感情を出せないのはお互い様だったらしい。

 妻が指輪をはめると、すっぽ抜けるほどではなかったが、少しばかりサイズが大きかったようだ。


「ごめん、見た感じサイズは合うかと思ったんだけど……」

「だいじょうぶ。すぐどっかに行っちゃうほど、ゆるいわけでもないし。それにこのぐらいなら、どこかでサイズも直してくれるわ。今度一緒に行きましょう。さあ、ご飯にしましょう」


 家に入って、私が部屋着に着替えている間に、妻はテキパキと夕食の準備をした。料理をする妻の後ろ姿は心なしか弾んで見えた。

 妻と二人で食卓につくと、テレビを付けて、それをぼんやりと見ながら食事を取った。今日の夕食は焼き鮭と味噌汁、ほうれん草のおひたし、そしてカブの浅漬けだった。


「やっぱりきみの浅漬けはうまいよ」

「そう、どのくらい?」

「「きみと同じくらい」」

「ほら、言うと思った」


 私が言うのに合わせて彼女は言った。私の言いそうなことなど、お見通しらしい。私が何を言うか彼女はしたわけだ。

 結局、予言なんて、その程度のものだ。

 私の超能力が予言なのか、それとも違うなにかなのか。それはわからない。けれど、所詮は人間のやることだ。きっと大したことじゃないのだろう。

 私の言葉を言い当てて、嬉しそうに笑う彼女を見て、私はそう思った。


 そうして食事を終え、一休みすると、私は隕石に荒らされた家の片付けを始めた。何とか日常生活ができる程度に片付けると、そそくさと風呂に入って、そして寝室へ向かった。

 大穴の空いた寝室も、何とか今日の内に片付けることができた。

 ベッドに横たわるとちょうど真上に穴が空いて、夜空が見えた。空には昔よりも随分はっきり見えるようになった星々と、いくつもの流星が絶えずに流れた。

 夕方まで空を覆っていた黒雲は一体どこにいったのだろうか。


「本当にそこで寝る気?」

「今日だけ。明日は居間にでも布団を敷いて寝よう。きみも来てごらん。星がきれいだよ」


 彼女は不審な顔で寝室の入り口から、無邪気にベッドに寝転ぶ私を見ていた。私が誘うと諦めたようにため息をついて、同じベッドに横になった。


「あっ……。ほんと、きれい。今日世界が滅んだなんて思えないわ」

「そうだろ。たまにはこういうのもいいじゃないか」


 二人でベッドから天井の大穴を通して星を見上げる。

 彼女は左手を空へと掲げて、指輪と星を見た。私がそれを愛おしいと感じたのは確かだ。

 プラモデルの箱は枕元のサイドテーブルに置いた。視線を横に向けると、すぐにそのよく知らないロボットの絵が見える。

 早くプラモデルを組み立ててみたい。そう思うと待ちきれない。かといって今日はもう遅い。そこで仕方が無く私は枕元に置いたのだ。

 そうすると、まるでクリスマスの夜、サンタクロースを待つような気分になって、年がいもなくわくわくとした。

 星と妻とプラモデル。

 それに囲まれて今日は眠ろう。

 あのキオスクの男のように無邪気になるのは到底無理だが、それでもこれは私なりのささやかな無邪気さだった。


「なんだか今日のあなたは本当に子どもみたいね。……何かあったの?」

「……何もないよ」

「会社が嫌なら、辞めたっていいのよ。私に気を遣わないで。転職したっていいし、それにしばらく何もしなくたっていいし。少しくらいなら貯金もあるし……」


 顔を横に向けて彼女は私を見た。ひどく心配そうな顔を私に向けていた。

 私も横を向いて彼女を見る。

 出会った頃と比べて、当たり前だがずいぶん老けた。私にはそれが嬉しかった。それだけ長い間、私の妻でいてくれている。

 老けた彼女の顔が私にそれを確認させてくれるのだ。


「別に大丈夫さ。何にもないよ」


 もう一度、星空を見上げると、まだまだいくつもの流星が流れていた。それはまるで軌跡写真のようにも見えて、まるで地球が自転を早めているようにも見えた。

 あるいは本当に地球が自転を早めて、いつも見る星々が流れ星のように見えるのかもしれない。

 私はその空を眺めながら答えた。


「でも、明日は会社を休もうかな。プラモデルを作りたいんだ」

「ふふっ、子どもみたい」


 彼女は笑った。そうして僕らは眠りについた。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 星は流れていく。




 今日は予言の日。

 地球は滅び、人類は絶滅する。

 そう予言された日だ。


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予言の日 井戸川胎盤 @idonga

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