午後5時23分
今日もまた世の中は滅んだが、人類はしぶとく生き残っていた。
私は過去四回、今日を含めれば五回、世界の滅亡を予言した。その予言は当たったとも言えるが、外れたとも言える。
私の予言では、世界が破滅するとともに人類が絶滅することになったいた。しかし、その部分だけは一度も当たったことがなかった。
確かに世界は破滅したかもしれないが、人間が地上から消え去ることはなかった。
かくして今日もまた私の予言は外れたわけだった。
幸いにして『月刊アトランティス』編集部のオフィスは天井に大穴をあけただけで済んだ。しかし、天井に穴が空いたとなれば、また編集部のオフィスは引っ越しをすることになるだろう。今度は安全面を考えて地下にでも移動させられそうだ。
隕石の大雨が止んだあと、わざわざ社長が編集長のところにやってきて、彼に賞賛の言葉を贈った。これでまた『月刊アトランティス』の売上が伸びると。にこにことした社長の言葉に、彼は「これからもお任せ下さい!」と胸を叩いた。
佐々目くんはそれを見て、やはり不満げな顔をしていた。
かろうじて壊れなかった壁掛け時計を見ると、時刻は五時を過ぎていた。今日は早く帰ると妻に言ったことを思い出し、荷物を鞄に詰め込むと席を立った。もっとも仕事で遅くなることは私にはない。
ふと立ち止まって、もう一度、佐々目くんのデスクの方を見ると、そこには誰も居なかった。私が帰り支度をしているあいだにどこかへ行ったのだろうか。社長に直訴なんてバカなまねをしていなければいいが。
まだ、オフィスに残っていた他の面々に一言あいさつをすると、階段を降りて出口へと向かった。もちろん私のあいさつに帰ってくる返事はなかった。
外へ出ると街並みは朝とは一変していた。
四度もの世界滅亡でその数をかなり減らしていたビル群は、さらにさびしいものとなっていた。五年前には東京の空がこんなに広くなるとは思いも寄らなかった。
広くなった空を見上げると、先ほど隕石群が通った場所だけが雲に穴をあけ、その雲間から光の束がいくつも差し込んでいた。けれど、その他の場所はさっきよりも余計に雲が厚くなり、気候変動を予感させた。
黒々とした雲と明るい光の束の対比が如何にも世界滅亡の様子を映し出していた。
ガレキをいくつも避けながらやっとのことで神保町駅に辿り着くと、あたりのガレキをごそごそとかき分ける人影があった。
闇市の連中だった。
彼らはガレキに埋もれた商品を――その商品が自分のものとは限らないが――掘り出そうとしているようだった。
その人影たちの中に、今朝会話をしたキオスクの男があった。彼は私と目が合うと、また笑っているのか、そうでないのかわからない笑顔を浮かべて手を振った。
「旦那もご無事だったみたいでなによりで」
「きみも怪我もなさそうでなによりだ」
彼は拾い上げた商品を抱えたままに、私のもとへ駆け寄ると、「へへっ」と笑い声を浮かべた。
「これからお帰りで? へへへっ、文字通りの掘り出しもんですが、なんか買ってきませんか?」
そう言って彼は手に持った商品を私へと押し出した。
箱がヘコんでいたり、ほこりやすすをかぶってはいるが、綺麗にすれば十分売り物として成り立つものばかりだった。最もその商品は今朝、彼のキオスクで売られていたとは思えない、高級時計やバッグ、宝石といった音の張るものばかりだった。
「なるほど。今日みたいな日は商売どきってわけだ」
「咎め立てたって安くはなりませんぜ。このあたりじゃあ、誰でもこうでさ」
私は彼を咎めるつもりなど毛頭無かったが、彼にはそのように思えたらしく、むっとした口ぶりで答えた。
私はむしろ彼らのたくましさに感心していたのだ。それは到底、私には持ち得ないものだった。
ふと、彼の手にあった商品の中の一つにプラモデルの箱があるのを見つけた。一体どこから拾ってきたのだろう。神保町に模型屋なんてあっただろうか。
私はそのプラモデルが妙に気にかかった。私はそのプラモデルの箱に描かれたロボットなんて知らないし、そうしたロボットが好きというわけでもなかった。ましてやアニメなんて子どもの時以来見ていない。
けれど、高級品ばかりを拾ってきた彼の商品の中にあって、何の変哲も無いプラモデルは異彩を放っていた。
笑っているのか、そうでないのかわからない、彼の笑顔とそのプラモデルは奇妙にマッチして、私はそれを素敵だと正直に思えた。
プラモデルなど、小学生のときに親にせがんで買って貰ったことはあったが、そのときに作ったきりだ。
だというのに、私は無性にそのプラモデルが欲しくなった。
「そのプラモデル。中身は無事なのかい?」
「これですかい? まあ、箱はヘコんでますが、中身は無事ですが……。けど、旦那、こんなものよりこっちの指輪なんてどうです? 奥さんのお土産に!」
そういって黄色く汚れた歯をニッカリと見せた。
そういえば、ここ数年妻に贈り物なんてした覚えがない。彼がすすめた飾り気のないその指輪は妻の指とサイズも合いそうに見えた。
「じゃあ、その指輪とプラモデル。両方売ってくれないか。いくらになる?」
「まいど!」
相変わらず笑っているのか、そうでないのかわからない顔で彼はそう言った。
駅のホームに着くと、幸運なことに地下鉄は走っているようだった。もっともそれを確認するために地下鉄のホームに辿り着くのに、いくつも崩落して使えなくなった地下通路を迂回しなければならなかった。その上、手に持ったプラモデルの箱が邪魔で、ガレキを避けて通るのに一苦労をさせられた。
地下鉄に乗り、自分の家の最寄り駅に着くとやはり苦労しながら地上に出た。家までまたガレキを迂回しながら、とぼとぼと歩いていると、あたりの家々でガレキの撤去をしている人々がまばらに見えた。
結局、私などはアテにならないのだ。世界は滅んでも人は滅ばなかった。
「世界はあなたの見たとおりにしかならない」
今日、佐々目くんに言われた言葉を思い出した。
彼はそう言ったが、そんなことはない。
あちらこちらに見える人々がその営みを続けようとしている。私は偶然、未来を部分的に見ていたに過ぎないのだ。
今日、空から隕石の大雨が降るのだって、去年、世界規模の大洪水が起きたのだって、一昨年の核戦争も、その前も。この五年、毎年のように起きる世界滅亡は全て私が――私の超能力が私に見せたビジョンの通りだった。
そして、そのたびに人類が滅ぶ未来を見た。
けれど、結局、未だに人は毎日を生きている。
不意に今日の朝を思い出した。
私は今日の朝、もう一つの予言を見たのだった。
隕石が落ちてくるとき、私の家に大穴が空き、そしてその時、偶然にも妻はデパートにいて助かる未来を。
「世界はあなたの見たとおりにしかならない」
私の中で繰り返される佐々目くんの言葉は、私にあることを想起させた。私は今日の朝も、先週の朝も、その前も、確かにそのことを考えていた。
――世界が滅べばいい。
――隕石でも降ってきて会社が休みにならないかと。
誰にだってある他愛もない妄想だ。
この世に天変地異が起こって会社が休みにならないかなと。休み明けの気だるさが見せる突拍子もないただの妄想。今日だけではない。先週だけではない。さらにその前も、ずっとその前も、気だるい休み明けのたびにそんなどうしようもない妄想をしていなかっただろうか。
そして、もう一つ。
私は人類滅亡の予言を見るたびに考えた。
人類が滅んでも妻にだけは生きていて欲しいと。
たいがい人類滅亡の予言を見るのは通勤中だった。たいがい妻が生き残る予言を見るのは予言が的中したことを知った日だった。
私の予言の能力は本当に予言なのだろうか。
もしかしたら私の超能力は未来予知なんかではなく、妄想を現実にする能力ではないのだろうか。
もしかしたら私が連休明けに妄想した世界が現実になっているだけで、私が予言のビジョンだと思っているものは、ただ過去の妄想を思い出しているだけではないだろうか。
私が妻に生きていて欲しいと願ったから、妻は必ず生き残るのではないか。妻が生きていくには、妻以外の人間もいなければならないから、人類は滅亡しないのではないか。
ちりちりとした焦げが血管を伝って全身に巡る。どっといやな汗が噴き出して、私はかぶりをふった。
――そんなわけはない。
そう自分を言い聞かせようとした。けれど佐々目くんの言葉は、私にそれをさせてはくれなかった。
「世界はあなたの言ったとおりにしかならない」
繰り返される言葉は何度も何度も何度も何度も私の中で響き渡った。
私が見た滅亡だけだ。
この世に起きる滅亡は、私が見えた滅亡だけだ。
空想を現実にする超能力。
私の理性はそんな荒唐無稽なことがあるわけがないと否定していたが、しかし、それでも私にはこの考えが決して間違いであると思えないでいた。
ぐるぐると巡る思考に疲れて顔を落とすと、その視線の先には手に持ったプラモデルの箱が見えた。そこでは私の知らないロボットが、よくわからないけれども、何かともかく格好のよい剣を掲げている。
プラモデルの箱を見ると、これを持っていたキオスクの男の奇妙な笑顔が浮かんだ。不思議とプラモデルの箱を持った彼の顔を思い出すと、私は心を落ち着けることができた。
そうしてゆっくりと息を吐くと、顔を上げた。
夕暮れと厚い黒雲に暗く落ちていく街並みは、相変わらずガレキに埋もれた廃墟の街だ。
見回すと、私以外にも仕事帰りであろう人々が、疲れた顔に肩を落として帰路についている。
世界が滅亡しようとも、毎日通勤して、仕事をして、そして家に帰るだけの人々。私もその一人であることは間違いない。
あのキオスクの男は世界が滅亡しようとも、たくましく生きていた。例えそれが火事場泥棒であろうが、少なくとも私にはそう思えるのだ。
生気のない顔で毎日を過ごす人々と、あのキオスクの男と、果たしてどちらが本当に生きていると言えるのだろうか。疲れた顔でただ漫然と日々を過ごす人々は、この滅んだ街で死んだことにすら気づかない亡霊のようにも見えた。
わたしにはどうしても彼が見せた、あの笑っているのか、そうではないのかわからない笑顔が嫌いになれない。
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