午後2時42分
私の仕事の九割は新聞を読んで暇を潰すことだが、残りの一割は世界の滅亡を予言することである。
だからこそ私はこのご時世に会社をクビにならず、悠々自適に窓際族をやっていられる。
過去すでに四回の――今日も含めれば五回の地球滅亡を予言した。自分で言うのもおこがましいが、『月刊アトランティス』、ひいては(株)学ぶ研究社にとって、今や私の予言は欠かすことができない。
私自身が予言をするのだから、当然、私が誰にも喋らなければ、予言が外に漏れることがない。それ故に『月刊アトランティス』は必ず的中する世界滅亡の予言を独占記事とし続けることができるのだ。
私がはじめて『月刊アトランティス』編集部に配属になったのは、まだ世界が一度も滅亡していない頃だった。
当時の(株)学ぶ研究社の主力雑誌は、当たり前だが『月刊アトランティス』などではなく、子供向けの教育雑誌や参考書などであり、お堅い出版社の一つであった。
その頃の『月刊アトランティス』は(株)学ぶ研究社の中で数少ないふざけた雑誌だったのだ。ただ一定数の固定客がいるからという理由で惰性で続けられていた雑誌だった。
若い頃の私は世の中を少しでも変えたいと願う、情熱ある若者だった。大学の教育学部を出た私が(株)学ぶ研究社に入社したのも、より良い教育図書を出すことに意義を感じていたからだ。一教師として教壇に立つよりも、出版社に入って教育図書の出版に携わっていた方がもっと多くの人に影響を与えられると考えたからだった。
そうした志ある若者であった私が、なぜ今窓際族になっているかと言えば、これは全く単純な話で、仕事ができないからだった。
ただ仕事ができないだけでは窓際になど追いやられないが、しかし私の仕事の不出来さは尋常のものではなかった。
私とて当時は仕事に情熱を燃やし、一生懸命に仕事をしていたが、がんばればがんばるほどに失敗ばかりが積み重なった。それも新人の頃であれば、そういうこともあろうとかわいがられたが、しかし何年経っても私は仕事ができるようにならなかった。
何をしても最低限の水準のことすらできなかった。
本当に義務教育を終え、大学まで卒業した人間なのかと周囲に言われ、そして私自身もそう思った。
いつまで経っても失敗ばかりで成長しないどころか、何かをするたびに周りに迷惑をかけて足を引っ張る私に、周囲は次第に見切りをつけて、ほとんど仕事を任せてもらえなくなった。
私はそれを気に病み、自分なりに努力を重ねた。自分の不出来さに何かの病気なのではないかとも思ったこともあった。そうして私は悩んで、努力をさらに積み重ねたが、それで何かが好転することはなかった。
なぜそんなにも私は不出来なのか、むしろ逆にそんなに成長しないということが可能なのか、それは私にはわからなかった。そして、そうしているうちに虚しくなって私は何もしなくなった。
当然、(株)学ぶ研究社も会社であるから、仕事をしないタダ飯食らいは必要ない。流石にクビにはならなかったが、私は主力であった教育図書部門から左遷されたのだった。
その左遷先というのが、『月刊アトランティス』編集部だ。
今でこそ会社の主力である『月刊アトランティス』だが、当時は会社の鼻つまみ者であったのだ。『月刊アトランティス』編集部に左遷された頃の私は完全に腐っていた。
ただでさえ壊滅的に仕事ができない上に、やる気すらない。いくら『月刊アトランティス』編集部が会社の中で立場の低い部署であっても、そうした人間が許されるはずがなかった。
そうして私は会社の中の掃きだめであるはずの『月刊アトランティス』編集部の中でも鼻つまみ者になった。
それでもその頃はいくらかは仕事をしており、たまに小さな記事を任されることもあった。偶然にも予知能力を持ち合わせていた私は、その小さな記事に自分が予知した未来を書いてみることにした。オカルト雑誌といえども、当然、記事はなにかしらの取材をして書かれる。自分が予知したことなら、取材先は自分で済む。そうして楽だからという理由で私はその記事を書いたのだ。
私が書いた記事は世界の滅亡の予言だった。当時、まだ一度も世界が破滅したことのない時代には、それはオカルト雑誌によくある無難な記事でしかなかった。
たまたま地球上のあらゆるところで地殻変動が起きて、人類が滅亡する未来を見た。だからそれを書いたのだ。
その数か月後、私の予言は現実になった。
私の予知能力が本物であったことが証明されたのだ。子どもの時から自分はなんとなく勘が鋭いタイプだとは思っていたが、しかし、そこまで大それた未来まで見通せるとは思っていなかった。
私の予言記事が大当たりし、それをきっかけに『月刊アトランティス』が会社の主力雑誌になると、その功労者である私は大いに期待され、大きな仕事を任されるようになった。
私とてそれに奮起しないわけがない。自分の思い描いた将来とは違ってしまったが、しかし、それでも人に期待され、その期待に応えたいという気持ちは確かにあったのだ。
けれども、やはり私は仕事ができなかった。
任された仕事すべてというすべてを失敗し続ける私が、鼻つまみ者に戻るまで、そうは時間はかからなかった。
けれど、私の予知能力――私の予言が本物であるがために、会社は私をクビにすることもできず、そうして今のように予言以外は何一つ期待されない男が出来上がったのである。会社は私に“副編集長補佐”などという何をする立場なのか不明瞭な肩書きを与えただけだった。
『月刊アトランティス』編集部には、予言以外は全く無能である私にいい感情を持つ者はいない。何一つまともにできないやつが、突然に大手柄を立てたのだから、それももっともだろう。
かといって私にへそを曲げられて、よその会社に行かれては困るため、私は扱いにくいアンタッチャブルな存在とされたのだった。
私の仕事は予言以外、何一つ信頼されず、しまいには予言の記事も編集長が書くようになった。私は予言したことを箇条書きにして、編集長へと渡すだけだ。そのほかに私がすべき仕事は何もない。
結局のところ、私は致命的なほどに、この仕事に向いていなかったということだ。
別に私は今の自分の立場に満足しているわけではない。
けれど今さら会社の中でどうあがこうとも現状を変えることはできないように思えた。また転職して別な出版社へと移っても、私が全く仕事ができない無能であることに変わりはない。今の会社と同じことを繰り返すだけに違いなかった。
私はそうした現状をなるべく直視しないように生きてきた。けれど今日、佐々目くんが私に言った言葉は、現実から目を背けた私にするどく刺さった。
彼の言葉が何度も頭の中で繰り返されたが、しかし私にできることは目の前のクロスワードを解くことだけだった。
ふと佐々目くんの姿をオフィスの中に探すと、編集長に何かを訴えているようだった。しばらく編集長に抗議を続けると、しまいに今度は編集長が怒り出し、彼はどこかに連れていかれた。
おおよそ彼の直訴の内容は、私のことだろう。
彼はどこまでも若く素晴らしい青年であるに違いない。私にはまぶしくてうっとうしい。私のためにわざわざ編集長に直訴までして、そうしておそらく別室で説教されるのだろう。ご苦労なことである。
ほっといてくれ。
それが私の願いだった。彼のその行為は確かにありがたいものだし、それに感謝していないわけではない。けれども、その正義感を目の当たりにすることで、私は普段目を背けている現実を見ないわけにいかなくなるのだ。
それは私の欲している現実ではなかった。
それはとてもつらいことなのだ。
私が無能であることがつらいのではない。同僚たちに遠巻きにされることがつらいのでもない。
この現状を何一つ変えることができない自分の弱さがつらいのだ。
その苦痛は私の隅をちりちりと焦がすのだ。
いやな気持ちだ。
私は新聞を読んでも、クロスワードを解いても、その焦げ臭さから逃れることはできなかった。
昼に妻の作った弁当を食べると、少し気分は楽になった。
私が窓際族であることを知りながら毎日弁当を作る妻に、申し訳なさを感じないわけではないが、しかし彼女の料理を食べると少し気が紛れるのは確かだった。腹をいっぱいにして脳に血がめぐらなくなったからかもしれない。
けれど、それも長くは続かなった。
昼食を食べてしばらくすると、また佐々目くんが私のもとにやってきたのだ。
――もう勘弁してくれ。
それが私の素直な感想だ。
案の定、不満げな顔で私を見つめているが、その視線が私にはいやで仕方がなかった。
「やっぱり僕は納得できませんよ」
「……朝の話か?」
「ええ。だって、この予言の記事のおかげで生き残れた人だっていますし、あるいは予言のおかげで、これから死ぬかもしれないから悔いのない余生を送ろうと思えた人だっています。そういう感謝の手紙やメールが編集部に来ているのはご存じでしょう?」
「その人たちは私の言葉だったら信じなかった。ありもしない架空の偉人かもしれないが、その権威性を以てはじめて予言を信じられる。何の変哲も無いおっさんの予言なんてだれもありがたがらないだろう」
私は珍しく開いたパソコンの画面を見ながら、そう答えた。新聞は午前中に読み終えた。午後は料理レシピサイトで浅漬けの美味しい漬け方を読むことにしたのだ。
「はじめはそうかもしれません。けれど、今は違いますよ! 今、副編集長補佐はすでに四回も予知を的中させて、今日で五度目です。本当に人々に信じられるべきは、架空の偉人でもなければ、『月刊アトランティス』でもない。副編集長補佐、あなたなんですよ」
「編集長にもそう言ったのかい?」
「言いましたよ。でも、納得してもらえませんでした。あいつはあれでいいんだの一点張りで、話になりません」
私のことで編集長に嫌われるなんてやめてくれ。昇進に差し障る。
別に彼のためではない。そうなったら私の気が重くなるのだ。
「上司の言うことは素直に聞いた方がいいと思うよ」
「今日で人類は滅亡するのに今更評価もないでしょう?」
「私は確かに過去四回の世界の滅亡を予言して、それを当てた。けど、一方で私はその四回すべて外しているとも言える。君がいうほどすごい予言者ではないよ」
「すべてぴったり当ててるのに、いったい何を言い出すんですか? 実際すべてあなたの言う通りになっているじゃないですか。あなた素晴らしい予言者です」
きっと彼は予言を当て続ける『月刊アトランティス』に希望を見て入社したのだろう。だから、予言を行う私をこうも持ち上げてくれる。
しかし、私の予言は実は全てが的中しているわけではないのだ。
予言の中でも最も肝要な部分。その部分だけは必ず予言が外れる。
「あなたほどの予言者はいませんよ。あのノストラダムスだってあなたを超えられはしない。だって世界は……」
彼がそこまで言いかけた時だった。
遠くから地響きのような不穏な低音とかすかな揺れが感じられた。それに「おや」と思った瞬間、耳をつんざくようなひどい爆発音とともに大きな地震が起こった。
――いや、違う! 地震ではない! 隕石だ!
窓の外へ視線を向けると、空を薄暗く覆った雲に大穴を開けて、いくつもの黄色い閃光が大地へと墜落していく。そうして大地へと近づいた閃光は大きな光となった。
大きな光は何度も何度も我々を包み込む。
フラッシュのように何度も何度も光る。
そのたびに大きな揺れと音がこだまして、世界は滅亡に削り取られていった。
幾度も幾度も近くで遠くでその爆発音が響き渡り、大小様々な振動が地震となって伝わってきた。
その滅亡の中で私は恥も外聞もなく、机の下に潜り込んでぶるぶると震えた。こんなにも立場をなくしたって、死ぬのは怖い。
それにも係わらず、佐々目くんは私に向けて話を続けていた。きっとそのさらに向こう側では他の編集部員たちが悲鳴や怒号をあげていることであろう。
けれど、その声も、その音も、世界の破滅に飲み込まれて聞こえなかった。
彼らの声は私に届かない。
そのことだけは隕石が落ちてよかったと思った。
その静寂の合間、佐々目くんの言葉が私に響いた。
――だって世界はすべてあなたの言ったとおりにしかならないじゃないですか。
刹那の静けさの後、また世界は破滅の光と音と振動に包まれた。けれど私に響いていたのは彼のその言葉だけだった。
その日また世界は滅亡した。
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