午前8時50分

 私の会社はかつて二十五階建てのビルであったが、今使うことが出来るのはぜいぜい三階までだ。ここ何年かの世界の崩壊で私の会社だけでなく、東京にある多くの高層ビルはその階層を幾分減らしていた。

 会社の玄関をくぐり、階段を登って二階に行くと私が籍を置くオフィスがある。

 エレベーターは二年前に起きた核戦争によって、三階よりも上、合計二十二階とともに壊れた。上層階が壊れていなければ、下手をすれば十階以上も階段を登るはめになっていたであろうことを思うと、壊れていてよかったと安堵した。

 ビルの高さが減るとともに、会社の事業も縮小したが、だからと言ってオフィスが足りているわけではない。

 私の所属している部署は幸いにも残っている中でも最も良い部屋を確保できていた。あまり力を入れていない部署の場合は、廊下の突き当たりなんかを割り当てられているから、自分たちのオフィスがあることはかなり上等な扱いと言えた。

 なぜ私のいる部署がそうした良いオフィスを確保できているかと言えば、当然ながら最も会社の業績に貢献しているからだ。より正確に言うならば、私の部署がなければ会社は存在していない。

 (株)学ぶ研究社発行の雑誌『月刊アトランティス』。

 その編集部が私の仕事場である。

 『月刊アトランティス』と言えば、かつては胡散臭いオカルト雑誌の代表選手として、アングラ系を好む読者の熱い声と世間からの冷たい視線を集めた存在であった。しかし、それも今は昔の話である。

 現在、『月刊アトランティス』は日本で一番の発行部数を誇る一流雑誌である。

 その理由はと言えば、『月刊アトランティス』はここのところ毎年のように起こる世界の滅亡を予言し、的中させ続けているからだ。

 『月刊アトランティス』は一九七九年の創刊以来、毎年のように世界の破滅を予言する記事を掲載し続けている。

 四年前、初めて世界が滅んだ時も当然それを予言していた。世界が滅亡したものだから、大抵のものは『月刊アトランティス』に興味を持っている場合でなくなったが、しかし、最初の世界の崩壊から時間が経ち、次第に世間が落ち着いてくると注目を集めるようになった。

 毎年、いや毎号のように『月刊アトランティス』は世界滅亡の予言を記事にしているのだから、数打ちゃ当たることもあるだろうと思うかもしれない。しかし、その時の『月刊アトランティス』の予言は、その滅亡の日時や原因、なりゆき、それらを事細かに、そして正確に的中させていたのだ。

 世界は『月刊アトランティス』の予言の通りに滅んだ。

 『月刊アトランティス』は確かにオカルト誌最大手であった。狭いオカルト業界では追うことができるネタは限られており、同じようなネタがいくつもの雑誌でかぶってしまうことは往々にしてあることだった。

 そんな中にあって、この予言記事は『月刊アトランティス』だけの独占記事であった。後にこのネタの発信元をいくつもの週刊誌やテレビといったメディアが追おうとしたが、誰もそのネタ元を掴むことが出来なかった。

 最初の世界滅亡があった年から、毎年のように世界は滅亡し続けている。時にそれは世界規模の核戦争であったり、地球規模の大洪水であったり、原因は色々だが、ともかく毎年滅亡しているのだ。

 そして『月刊アトランティス』だけが世界の滅亡の予言を的中させ続けた。

 後追いで様々な雑誌が『月刊アトランティス』を真似て予言の記事を載せるようになった。

 元からオカルト系の雑誌であったもののみならず、それこそ幼年向けの『小学生一年』からビジネスマンを対象とした『プレジデンテ』まで実に大小様々な雑誌が予言記事を掲載するようになっていた。

 果てはテレビの天気予報までもが、今では“天気予言”と名を変えて、気象情報とともに予言を行う始末だ。“天気予言士”などという肩書きの若い女の子が神妙な顔で予言をする場面はすでに日常の一部になっている。

 こうして世界中で、ありとあらゆるメディアがこぞって世界滅亡の予言をするようになったが、今に至るまで世界の滅亡を正確に予言出来るのは『月刊アトランティス』一誌だけである。

 世間では次にいつ世界が滅亡するのか、それを知るために『月刊アトランティス』の予言、いや予報を欲しているのだ。今や『月刊アトランティス』はどんなメディアよりも信頼を寄せられる存在となっていた。

 かつてそれがただのオカルト雑誌であったことなど、誰も覚えていようはずがなかった。


 編集部の隅の方にぽつりと置かれたデスクの脇に鞄を置くと、まずはコーヒーを入れて一息ついた。

 出勤時間にはだいぶ早いというのに、すでに何人かは忙しく仕事をしている。それだけ今の『月刊アトランティス』編集部は忙しい。

 だが、私には特に仕事がなかったため、キオスクで買った新聞を一つ一つ読みながら、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。

 しばらくして編集部の主要なメンバーが出揃うと、彼らはやがて集まって、がやがやとその声は大きくなった。今日の報道で先月号で載せた予言の記事がまたしても大当たりしたのだ。彼らの喜びは当然だった。

 『月刊アトランティス』が予言を的中させたのはこれで五度目だ。しかも、またしても独占記事なのだ。おそらく今月号ではさらに売上を伸ばすに違いなかった。

編集部員たちはみな一様に笑顔を浮かべ、その中心で編集長や副編集長が部下達をねぎらっている。まだ朝の九時前だというのに「今夜は飲みに行くぞ」なんて声までもが聞こえた。

 私はその輪には交じらず、ただ新聞を読みながら、彼らの声を遠くに聞いていた。ぱらりと一枚めくると、記事の片隅にクロスワードパズルを見つけて、私は鉛筆を手に持った。今日の午前中はこれで時間をつぶせそうだ。

 私はいわゆる窓際族というやつだ。

 日がな一日中、自分のデスクで新聞を読む。そして定時になると帰る。それが私の仕事の九割を占めていた。

 職場で私に用意されているのは、編集部の隅にぽつりと置かれたデスクと副編集長補佐という何の意味も持たない肩書きだけだった。

 縦の欄から解こうと思い、一問目に取りかかったところで、急に紙面が影で暗くなった。顔を上げると私のデスクの目の前に『月刊アトランティス』編集部員の一人である佐々目くんが立っていた。

 彼は今年入社したばかりの、バイタリティに溢れる期待の新人である。私より一回り以上も年下ではあるが、日々ぼんやりと生きている私とは格の違う存在と言える。その佐々目くんは一人、みんなが笑い合う輪から外れて、不機嫌な顔で私を見ていた。

 窓際族である私に用のある人間はそうはいない。

 佐々目くんが私に用があるとも思えなかったが、「なにか」といった表情で視線を返した。

 けれど、佐々目くんはその不機嫌な顔のままずっと黙っているものだから、だんだんと私も不安になった。

 何か彼に悪いことをしてしまっただろうか。

 そう不安になって「どうかしたのかい?」とおそるおそる声をかけみた。君も向こうでみんなの輪に入るといい。単純にそうすべきだと思った。

 すると、普段のやる気に満ちた佐々目くんらしくない小さな声を彼は発した。その声があまりにも小さかったために、聞き取れなかった私は今一度聞き返すと、今度は体を小刻みに震わせていた。


「どうして何も言わないんですか?」

 

 やはり彼の声は小さかった。

 まるでらしくない。普段の佐々目くんとはあまりに違うその様子に、私は彼の言っている言葉を飲み込むことができなかった。ただぽかんと彼を見ているだけの私を置き去りにして、彼は続けた。


「予言の記事は副編集長補佐が書いたものじゃないですか。副編集長補佐の手柄なのに、みんなまるでいないもののように扱って。こんな扱い納得しているんですか?」


 がやがやとした編集部の喧噪がやけに遠くなり、私と佐々目くんの間には不快な沈黙が生まれた。

 確かに『月刊アトランティス』の予言記事は私の担当である。

 過去四回、今日の世界滅亡も含めると計五回の予言記事は私の手によるものだった。

 だと言うのに、私は窓際に追いやられたままで、毎日デスクで新聞を読む以外に仕事はなかった。だけれども、それはもうそれでよいと諦めていたことだった。

 私にはそう納得できるだけの理由があった。けれど、今年入社したばかりの彼がそれを知るはずもない。どうやら彼は一人義憤に体を震わせていたようであった。

 彼は直情的な性格の持ち主なのだろう。まるで腫れ物のように扱われる私を見るに見かねたらしいが、正直に言って余計なお世話だった。

 ふと彼は振り返り、未だ喜びに満ちた他の編集部員たちに一瞬視線を向け、まるで何かを警戒するように――いや、実際警戒しているのであろう――そして、自分の背に隠れるようにして静かな苛立ちを発露した。


「見てくださいよ、あの人たちを。副編集長補佐のお手柄だって言うのに、それを無視するどころか、まるで自分たちの手柄だったみたいですよ。一体何なんですか、これは」

「なんなんですかって、なぁ。別にいつものことじゃないか」

「いつもこうだったんですか?」


 佐々目くんの低く押し殺した声色に、私までつられて小声になってしまった。それがなんだか妙に気恥ずかしくなって、そっと佐々目くんを見ると、私の答えが気に召さなかったらしく、ぎろりとした目でにらまれてしまった。

 思えば、彼はまだ一年目の新人である。『月刊アトランティス』の予言が的中したのを見るのも、編集部での私の様子も、これがはじめてであった。


「まぁ、いつもこうだよ。確かに予言の記事は私の担当だ。けれど、仕事ってのは自分一人でやるものじゃないだろう? 私が書いた記事を他の人が校正したり、より面白なるアイデアを出したり。それにどういうレイアウトで、どのタイミングで紙面に掲載するか。他にも色々な仕事があって、そういった過程を経て、私の記事が世の中に出るんだ。私だけの手柄とは言えないよ」

「それは確かにそうですけど……。でも、その中心には副編集長補佐がいるべきですよ。だってあなたの記事なんですよ」

「そりゃあ、私が書いているよ。けど、原案だけだ。他の人たちが私の原案に沿って、読みやすい文章に仕立てているんだ。それがあるからみんなに読んでもらえる。だいたい私の書いた文章なんて面白くなくて誰も読んでくれないよ」

「本当にそんな風に思っているんですか? 本当にこんな扱いでいいと思っているんですか? 他の出版社に持ち込めば、いくらでも高値が付く記事なんですよ!?」

「思っているよ。おかげで予言の記事を書くだけで、あとは何をしなくても給料をもらえる生活だ。悠々自適だろ? 記事だって予言の内容だけを箇条書きにすれば、他の誰かが面白おかしく仕上げてくれる。こんな楽な話はあるかい」

「それだっておかしいですよ。副編集長補佐だって、本当は自分ですべて書いた記事を載せたいんじゃないんですか? だいたい誰なんですか、予言者プロフィティスって。そんな人、聞いたこともありませんよ。こんなでっち上げ誰が考えたんですか。デタラメですよ。予言したのは、そんないもしない人じゃあなく、

 彼は一層と声を潜めて、そう言った。

 佐々目くんの言う通り、『月刊アトランティス』に掲載される予言の記事はである。

 他の誰でもない、私自身が予言者であり、情報提供者であった。それ故に『月刊アトランティス』だけが予言を当てられる。

 私こそが世界の滅亡を見通す予言者なのだ。

 しかし、それは別に特別なことじゃない。人は誰しも未来を予測するのだ。それは難しいことじゃない。こういう受け答えをしたら上司に怒られるだろうとか、家に帰ってから嗅いだ匂いで夕食の献立を推測するとか、日頃から誰しもが未来を推し量る。

 少しばかり勘の鋭い人間がたまたま世界の滅亡を予言したにすぎないのだ。

 だんだんと佐々目くんをうっとうしく思い始めた私は、新聞を手にとって、先ほど見つけたクロスワードを解き始めた。

 縦の一問目の答えは『こけおどし』だ。


「べつにでっち上げの予言者だっていいじゃないか。『編集部の隅で新聞読んでるおじさんが予言しました』って言うよりも、『かつて存在した謎の予言者が予言しました』って言った方が読者は信じるよ。それが例え架空の人物だろうとね。だいたい読者にはプロフィティスなんて予言者がホントにいたかいないかなんて分かるわけない」

「そんな……。読者をバカにしてますよ」

「『月刊アトランティス』は元々バカが読む雑誌さ」

「今は違います」

「違わないよ。今も昔も『月刊アトランティス』はただのオカルト雑誌。オカルト雑誌を読むよりも新聞でも読んでいた方がタメになるよ」

「……いくら新聞を読んでても、クロスワードをやってたら同じですよ」

「もう全部よんだから」


 私の軽口に苛立ちを覚えて、佐々目くんがじろりとにらんだのがわかった。

 縦の二問目の答えはわからないから、飛ばして三問目へと進んだ。


「誰の手柄だとか、そんなのどうだっていいだろう? みんなの手柄だよ。佐々目くんを含めてね。だから予言の記事が書けたし、予言も当たったのさ」


 クロスワードに目を向けたまま、鉛筆を持った右手でおざなりに手を振った。その様子を見て、とりつく島もないと思ってくれたのか、肩を落としてそっと私のデスクから離れた。


「絶対おかしいですよ……」


 落ち込んだ様子でぽつりとこぼしたのが、かすかに聞こえた。

 じりりと私のどこかが焦げるような音がした。

 みんなの手柄? そのおかげで予言が当たった?

 我ながら心にもないことを言ったものだ。全部私の手柄に決まってる。

 一日中、職場で新聞を読んでいるのが楽なものか。何もしない、何もできないことはつらいに決まっている。

 編集部の連中の態度を不快に思わないわけがない。今のままで良いと思っているわけがないではないか!

 しかし、私にはどうしようもないことなのだ。

せっかく目をそらして生きていたのに、佐々目くんは私にそれを許さなかった。

「余計なお世話だ。ほっといてくれ」

 私にできるのはそう小さな声を発することだけだった。その声が誰にも届かないことも知っていた。

 縦の三問目の答えは『世界滅亡』だ。

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