午前8時15分

 会社への通勤路は、いつものことながら、とても億劫だ。

 四年前、世界規模の大地震、超地殻変動によって世界は滅びた。それからというもの、年に一度は世界が滅んでいる。おかげで綺麗に整備されていたはずのインフラはぼろぼろで、通勤するのにも一苦労だ。

 その上、家から地下鉄の駅まではそれなりに遠い。普通に歩けば十五分程度の道である。だが、あたりには崩れた家々のガレキが散乱し、道には横倒れになる電柱と街路樹でところどころが塞がれている。それらを避けて歩くのだから、結局三十分以上はかかる。JRの駅ならばもう少し近くにあったのだが、しかし地上を走る電車というのは何年か前にこの世から消えた。

 どちらにせよ、私の職場へはJRの路線よりも地下鉄に乗った方が早いのであまり関係のない話であった。

 億劫なのはこのガレキだらけの通勤路だけじゃない。

 出勤するということそのものが億劫だ。特に今日が月曜というのがよくない。ただでさえ億劫な仕事が、休みを挟むことで余計に辛くなっている。

 若い頃はこういうとき、空から隕石でも降ってきて会社が休みにならないかなと、よく他愛もない妄想をしたものであった。いや、今だってたまにそうした妄想をしながら通勤することもある。

 しかし、その妄想がどんなに空虚なことか。 

 地下鉄のホームは朝の通勤ラッシュでごった返している。

 空から隕石が降って来ようと、会社は休みにならず、こうして皆一様に出勤しようとしているのだ。ただでさえ無意味な妄想がより無意味になった気がして、私は余計に肩を落とした。

 テレビや新聞であれだけ人類滅亡のニュースをやっていたのだから、家族で最期の日を過ごそうと会社を休む人が多いのではないかと思っていたが、どうもそうではないらしい。日本人の勤勉さというものにはほとほと頭の下がるばかりであるが、その勤勉さに何の意味があるというのだろうか。

 連中には自分というものがないらしく、世界が滅亡を迎えようとも、周囲の人間が出勤するのを見れば、自分だけが休むわけにもいかないと息を巻いて出勤する。

 今日だけではない。

 去年も、一昨年も、その前も。世界が滅亡した日、みんなが思い思いに最期の時を過ごすかと思いきや、いつもと変わらず出勤していたのだ。

 かくて空から隕石が降ってきて、会社が休みになるという私の妄想は、完全なる幻想に過ぎないということが証明されてしまった。

 そしてまた残念なことに、私も仕方が無くその勤勉な日本人の一人に過ぎず、為す術も無く、いつも通りにすし詰めの地下鉄に乗り込むしかなかった。

 電車に乗り込むと、いつもと変わらずに満員だった。

 すし詰めの車両にぎゅうぎゅうに押し込められると、私はいつも通りに鞄を肩に掛けて、両手でつり革に捕まった。最近では痴漢冤罪に気を付けて、必ず両手でつり革を掴むようにしていた。四十肩気味の私にはつらい姿勢だ。

 電車が左右に揺れるたびに、ぎりり、ぎりりとつり革の軋む音が聞こえてくる。最近ではそれがまるで両手を荒縄で束縛されたように感じられて、冤罪にならずともすでに逮捕されているようにも思えた。

 こうしてげんなりするような通勤時間を三、四十分過ごして、ようやく目的の駅に私は辿り着くことができた。


 私の職場は神田神保町にある。

 毎日、神保町駅を降りると迷路のような地下鉄の通路を歩き続けねばならない。

 ただでさえわかりにくい駅の地下通路は、最近ではあちこちの天井が崩落を起こし、一定の道を辿らなければ、出口までは到底辿り着けない。新宿駅ほどでないにせよ、もともと何本もの路線が入り組み複雑な構造をしていた神保町駅は、これによって迷宮と言って過言ではないほどに複雑化していた。

 目的の出口があったとしても、崩落して通れなくなっている通路を避けている内に結局はいくつかの決まった出口にしか出ることが出来ない。しかも、時には新たな崩落が起きて、前日まで通ることが出来た道すらもふさがることもある。そうして余計に地下通路をさまようはめになる。

 面倒なのは私の会社に一番近い出口というのが、ガレキに塞がれている上に、現在、最も地上に出やすいルートの出口はそこから最も遠いということだ。

 一時はどうにか会社最寄りの出口から出られまいかと、新たなルートを探ったこともあった。けれど、結局わかったのは遠かろうと一度地上に出た方が遙かに効率的であるということだけだった。

 電車から降りた人々の流れに乗って、今日も私は会社から遠い出口へと出た。今日の隕石で明日からはこの通路も使えなくなるかもしれない。いや、それどころか、この神保町駅が存在しているかすら怪しい。

 それを思うと憂鬱な朝がさらに迷宮に沈んだ。


 神保町駅から地上に出た場所ではいくつかの露店が並び、さながら闇市のような様相を呈している。ホームレス同然の格好で得体の知れない物々を売る彼らは自らを“キオスク”と称している。それが本当かどうかは分からない。

 確かに五年前、“最初の”世界滅亡によって地上を走る電車が消えたとき、それと同時にキオスクというものも見なくなった。不思議なのは無事だった地下鉄でも見なくなったことだが、その理由も知らない。

 しかし、かつてはこの“闇市”の中にはまるで本物のキオスクのようなきちんとした身なりの店員がいる店もあった。

 おそらく最初の破滅によって、地下も危険と判断されて、本物のキオスクは臨時的に露店で商売を再開していたのであろう。そして、それを闇市のようなものと誤解した人間――おおよそは食い詰めた連中だろうが――彼らが本物のキオスクを真似て露店を始めたのではないかと私は想像していた。

 本当のところは知らないが、しかしどうでもいいことだ。

 重要なのはコンビニが減った現代において、通勤中に買い物が出来ることが私には重要であった。

 比較的身なりのよいキオスクの一つに立ち寄ると、いつも通りに新聞を全紙くれと頼んだ。いつも買い物をするキオスクであるから、相手も分かっていて、あらかじめ準備していた新聞、それも全種類を一部づづまとめた束を私に渡した。


「また今日も人類が滅ぶんですってよ」


 小銭を出そうとしていた私に、新聞を渡した男が言った。毎日買い物をするから、確かに顔見知りではある。しかし話しかけられたのは初めてだった。


「そうみたいだね。テレビで見たよ」

「そうだっていうのに、旦那もよく会社なんか行こうと思いましたねぇ。こんな日くらい好きなことすりゃあいいだろうに」


 男は顔をくしゃりとして、笑っているようなそうでないような顔をして言った。他の露店の連中よりかは、確かにこの男の身なりは比較的よい。しかし、それはあくまで“比較的”と付くのであって、かつての世の中ではホームレスと言われるに違いなかった。


「君だって仕事してるじゃないか」

「そりゃあ、今日稼がなきゃあ今日食えねえもんで」

「私だって同じさ」

「ふーん。けどなあ、旦那も貯金くらいあるんでしょう? 今日休んだって、それこそ会社を辞めたって、しばらく分の飯は食えるわけだ。だったら一日くらい休んだらどうです?」

「そう言われると弱いが、けど今日本当に世界が滅ぶとも限らないしね。何もなかったら無断欠勤だろう」

「いいじゃねえですか、一日くらい。だいたい最近は本当に世界が滅ぶんだ。今日も予言は大当たりでさ」

「予言もあてにならんよ。現に毎年、人類の滅亡は予言されているけど、世界が滅んでも私たちは生きている」

「今日もはずれるかはわかりませんぜ」


 それきりに会話を済まして「それじゃあ」と挨拶をして私は去った。男は「まいど」と言って、また顔をくしゃりとして、笑っているのか、そうでないのかわからない笑顔を浮かべた。その表情を私は不思議と不快には思わなかった。

 けれども男の言葉にはどこか私の中に不快感を与えたのは確かだった。

 私は会社に向かおうと、人の流れにまた身を委ねようとしたが、しかし、その流れに戻ってもよいのかと一瞬迷い、そうして足を進めた。

 仕事は億劫だった。

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