第一話「付喪神ノ心ヲ想フノ事」/其の五

 そんなこんなで始めた隠密捜査でしたが、私はいきなりある人物に見つかってしまいました。


「……あおちゃん、そこで何してるの?」


 背後から突然かけられた言葉に私は飛び上がりました。声変わりが終わりきっていないこの声には聞き覚えがあります。


 そろそろと振り返ると、そこには予想通りの人物、手鞠シヨウさんが立っていました。


「こっ、ここ、こんばんはー。シヨウさんもこんな時間に何を?」


「……眠れなくて。そしたら庭にあおちゃんがいたから」


「そ、そうなんですねー」


 しどろもどろになりながら、私は少しずつシヨウさんから距離を取ろうとします。


「それじゃあ私はこれで……」


「あおちゃんはこんな時間に何をしていたの?」


 そんな私をシヨウさんは見逃してはくれませんでした。こうなってしまっては仕方ありません。ここで逃げて大人たちに言いつけられるよりも、うまく言いくるめて協力者になってもらう方を選びましょう。


 私はえへんと一度、咳払いをしました。


「……シヨウさんはアヤカシって信じますか?」


 我ながら突拍子もない切り出し方だいう自覚はありました。言い訳をするように両手をわたわたと動かします。


「ええっと、アヤカシっていうのは普段は隠れて住んでるもので、猫又とか河童とかそういう……」


 再びしどろもどろになる私を見て、シヨウさんはクスッと笑いました。


 あ。笑った顔、かわいいですね。


「信じるよ。あおちゃんがいるって言うなら」


 話が早くて非常に助かります。


 私は一つ頷いて、シヨウさんにこの事件のあらましを話しました。


 ほんの十分の間に忽然と姿を消した思考する機械、ロハ。犯人は外に出たはずだが、外に張っていた憲兵たちはそれを見ていない。出入口は警備員さんたちが三人で見張り、窓以外は密室状態だった。その後、待機していた憲兵や駆けつけてきた警察が部屋も庭も捜索したが、どこにもロハはなかった。


 ふむ、こんなところでしょうか。私は指をぴんと立てました。


「それでですね、私はロハがつくも神になったんじゃないかって睨んでいるんです」


「つくも神?」


「ええと、つくも神というのはそうですね……」


 何か説明するのにいいものはないでしょうか。うーんと考えたあと、私はスカートのポケットに入れておいた櫛の存在を思い出しました。


「そう、こういう古いものや大切にされたものには魂が宿るってやつです!」


「壊れちゃってる……」


 私の掲げた櫛を見て、シヨウさんは悲しそうに言いました。


「ああ、はい。つい昨日壊れちゃったんです。お気に入りだったんですが……」


 と、そんなことはどうでもいいのです。私は櫛をスカートのポケットにしまいました。


「とにかく、ロハが命を持って自分で逃げ出したんじゃないかと私は思っているんです!」


 そうでなければ忽然と消えたことに説明がいきません。憲兵さんたちの見張りを完全にかわして逃げおおせるだなんて考えにくいですから。


 私の話を聞いていたシヨウさんは顎に手を当てて考え込んでいました。


 おや、どうかしたのでしょうか。


 それを尋ねると、シヨウさんは躊躇いがちに口を開きました。


「え、ええと、あおちゃんの話を疑う訳じゃないんだけど……、ロハは本当につくも神になったのかな」


 どういうことでしょう。私はきょとんとシヨウさんを見つめました。シヨウさんは目を逸らしながら答えます。


「僕にはもっと単純な事件に、思えるん、だけど……」


 シヨウさんの語調はだんだん尻すぼみになっていき、最後のあたりはぼそぼそと口の中で言うのみです。


 しかしシヨウさんが示した可能性は私にあるひらめきをもたらしました。


 私は慌てて立ち上がります。


 そうか。そういうことだったんですね!








 窓から差し込んだ月光がロハの部屋に落ちます。


 部屋の扉がゆっくりと開き、人影がその隙間から音もなく侵入してきました。人影が足音を立てないようにそろりそろりとロハに近づいていきます。そうして人影がロハの本体に触れようとしたその時、私はロハの陰から勢いよく立ち上がりました。


「そこまでです!」


 びくりと立ち止まった人影たちを私は睨みつけます。一緒に隠れていたシヨウさんも私の後ろでおずおずと立ち上がりました。


「やっぱりあなたたちが犯人だったんですね」


 固まったままの人影たちに、びしっと人差し指をつきつけます。


「警備員さんたち!」


 カーテンが揺れ、月の光が犯人さんたちの顔を照らします。三人の警備員さんたちが揃って、そこに立っていました。


「まさか三人ともグルだったなんて思いもしませんでしたよ」


 厳しい顔をしていた警備員さんたちのうちの一人が、ふと私に向かって相好を崩しました。


「やだなあ、あおいちゃん。俺たちはただ、外にいる憲兵さんたちに言われてここの警備をしているだけだよ」


 嘘ですね。私には分かります。


「でしたら呼んできましょうか?」


「え?」


「本当にその通りなら憲兵さんを呼ばれても問題ないはずです」


 警備員さんたちはぐっと言葉に詰まったようでした。しかしすぐに私を睨みつけると、見当違いのことを言い始めました。


「……あおいちゃん。ただロハを守ってるだけの俺たちをこんな風に犯人扱いして、失礼だと思わないのか?」


「思いません。あなたたちがこの部屋に戻ってきたこと自体が、あなたたちが犯人の証拠ですから」


「何ぃ?」


「まあまあ。俺たちがもし犯人だとして、どうして現場に戻ってくる必要があるんだい? もうロハは盗み出したんだから、そのまま逃げればいいじゃないか」


「ふふん、それはですね!」


 私はぴんと人差し指を立てました。何故か後ろでシヨウさんがあわあわとしています。どうしたのでしょう。


「ロハの姿が無くなったのは私が部屋を出てから十分後。どこか遠くへ持ち去る時間はなかったはずです。そして監視されていた庭には不審な人物の姿はなかった。つまり犯人は庭に出たわけではない。だとすれば犯人がロハを隠したのはこの部屋の中かその近くだと考えられます」


 警備員さんのうちの一人が、軽く声を上げて笑いました。


「だけどね、あおいちゃん。部屋の中や部屋の近くは憲兵さんや警察の方々がすみずみまで探していったじゃないか」


「それです。憲兵さんたちは部屋をくまなく探したはず。ですが捜査が及んでいないところが一カ所だけあったんです。それが……ここですよね?」


 私はこんこんとロハの本体を叩きました。警備員さんたちの表情が硬くなります。


「私、昼間に見ちゃったんです。ロハの箱のここのところ。ここ、軽く触るだけで取れるように細工してありますよね。そして、本体の中にはゆったりとした空間があった。つまりあなたがたはその中にロハを隠して、後からゆっくり取りに来ようと――」


「……もういいよ、あおいちゃん。降参だ」


 警備員さんたちのうちの一人が両腕を軽く上げました。降参のポーズです。私は嬉しくなって、身を乗り出しました。


「そうですか! じゃあ観念して自首を――」


「見られちまったんだ、どうせここにはもう用はないしバラしちまおう」


「そうだな、それがいい。下手に助けを呼ばれても厄介だ」


「へ?」


 警備員さんの手の中で、折りたたみナイフがパチンと音を立てて開かれました。


「え……、え?」


「あおちゃん、逃げて」


 焦った様子のシヨウさんに促され、ようやく私は緊迫した状況にあることに気が付きました。


「逃げて、お巡りさんたちを呼んでくるんだ」


 私をかばうように前に出たシヨウさんは、声も、体も、震えていました。


「まだ庭にはお巡りさんたちが残ってるはずだから」


 全身くまなくがたがたと震えながら、シヨウさんは私を後ろに押しやりました。


「早く!」


 ナイフを持った警備員さんが、私の前に立つシヨウさんに向かって突進してきます。


 咄嗟に体が動いていました。


「駄目っ!」


 私はシヨウさんを横に突き飛ばしました。しかし悲しいかな。私は彼を突き飛ばした後の自分のことをまるで考えていなかったのです。


 気づいた時にはナイフは私のすぐそばまで迫っていて、その切っ先はまっすぐに私の左胸、心臓のあたりに向いていました。


 ぎらぎらとこちらを見る警備員さんと目が合います。


 ああ、これは死にました。もうだめです。この世とおさらばです。


「あおちゃん!!」


 シヨウさんの悲痛な声がどこか遠くに響きました。


 心配させちゃって、ごめんなさいシヨウさん。でもあなたも危ないんです。私は助からないから、あなただけでも早く逃げてください。


 胸にナイフが突き立ちます。血こそ見えませんが、こんなに深く刺さっているんです。これはもう助からないでしょう。私は床に崩れ落ちました。


 直後、必死に叫ぶシヨウさんの声が頭上で聞こえました。


「だっ、誰か! 誰か来てーー!」


「こいつっ!」


 倒れた直後から目を閉じていたので何が起こっているのかは余りよく分かりませんでしたが、どうやらシヨウさんは犯人さんたちともみ合っているようでした。


 それもつかの間、辺りは急に静かになり、次いでシヨウさんが呼んできたのでしょう。憲兵さんたちが部屋になだれ込んできたようでした。


「無事か、あおいちゃん!」


 犬村さんが私を心配する声が聞こえてきます。でももう駄目なんです、犬村さん。私、死んじゃったんです。


 全身の力を抜いて、犬村さんにもたれかかります。


 それにしても随分と長く死ぬまでにかかるものです。こういうものは刺されたらその場で終わりというわけではないんですね。それもどうかと思います。だってこんな傷の痛みがずっと続くなんて……、


 ――あれ? 痛くない?


 私はむくりと起きあがりました。胸には相変わらずナイフが立っています。でも胸は痛くないのです。傷を負っていないのです。


 驚いた顔の犬村さんをよそに、私は左の胸ポケットを探りました。


「あっ、櫛が……」


 私の命を奪うはずだったナイフの切っ先を、壊れてしまったあのつげの櫛が受け止めていたのでした。








 今回の騒動、犯人は無事御用となりました。幸いにもけが人も出ていないそうです。強いて言うのであれば、私が床に頭をぶつけたぐらいなものです。盗まれかけたロハも手鞠さんの手に戻って一件落着というやつです。


 しかし――、


「なんて危ないことをしたんだ!」


 至近距離で雷を落とされ、私はヒッと肩を竦めました。


 仁王立ちした犬村さんは普段よりずっとずっと大きく見えます。恐ろしいです。怖いです。


「あとちょっとで殺されるところだったんだぞ!」


「ご、ごめんなさい……」






 怖い顔をした犬村さんにこってりと絞られて、私は肩を落としていました。


 先生や犬村さんたちの力を借りて色々な事件を解決してきた私です。逆に言えば力を借りなければ何もできないのです。少し調子に乗っていたのかもしれません。


 私は、はーああ、と大きなため息を吐きました。





 でもおかしいのです。私はこの櫛をスカートのポケットに入れていたはずなのに、いつの間に胸ポケットへと移動していたのでしょう。


 手の上の櫛を見つめます。ナイフを受け止めた櫛は、真ん中からぽっきりと折れてしまっています。


 ――もうある意味手遅れなんだがな。


 先生の呟きを思い出します。私の脳裏に、とある可能性が持ち上がりました。だけど櫛が砕けてしまった今ではそれを証明することはできません。私はぶんぶんと首を横に振りました。


 そうです。どんな不思議なことが起こったにせよ、この櫛が私を守ってくれたことには違いありません。


 私は手の中の櫛をぎゅっと握りしめました。


「……ありがとうございます、櫛さん」







「あおちゃん」


「あ、シヨウさん」


 朝になり、さあ帰ろうという話になりかけた頃、シヨウさんは私の前に現れました。


 今回はシヨウさんにも本当に迷惑をかけてしまいました。反省です。


 私は深々と頭を下げます。


「昨日は守ってくれてありがとうございました」


「ううん、結局守られたのは僕だったし……」


 シヨウさんは相変わらずの消え入りそうな声で答えます。そうしてからもじもじとしているシヨウさんに私は首を傾げます。


 まだ何かあるのでしょうか。


 シヨウさんはしばらく躊躇った後、決意のこもった目を私に向けました。


「あおちゃん!」


「は、はい!」


「あの、これ……!」


 震える手で差し出されたそれは、アジサイの絵が彫られた一本の櫛でした。


「へ? くれるんですか?」


 シヨウさんは、こくこくと首を縦に振りました。どうやら肯定のようです。


 受け取ってみると、櫛はひんやりとすいつくような肌触りで、私の手にすごくしっくりきました。まるで私のために作られたような……なんて言ったら大袈裟すぎますかね。


 高そうな物のような気もしましたが、一度受け取ったものを返す方が失礼というものでしょう。私は櫛を胸に抱きしめて、シヨウさんに笑いかけました。


「ありがとうございます。大事にしますね!」


 するとシヨウさんは一気に顔を真っ赤にさせて、どこかへと走り出してしまいました。


 一体何なのでしょう。シヨウさんの行動には謎が多いです。


 後ろ姿を見送っていると、シヨウさんはふとこちらを振り向いて声を張り上げました。


「約束だよ、あおちゃん!」





「大人になるまで待ってるからね!」

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アヤカシ記者、七変化ノ香ニ酔フ。 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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