第一話「付喪神ノ心ヲ想フノ事」/其の四

「薮内さん、先日は『ロハ』への出資をありがとうございました」


「おかげで『ロハ』を完成させることができましたわ」


「いえいえ、先行投資というやつですから」


「『ロハ』の可能性は無限大ですからねえ」


 私には分からない話をしている大人たちの後ろを、居心地の悪さを感じながらついていきます。『ロハ』とは一体何なのでしょう。


 尋ねる機会を逃したまま歩いていくと、お父さんたちはとある部屋の前で立ち止まりました。


「ささ、お入りください」


 手毬家の旦那さん(俊明さんというそうです)に促されるままに入った部屋の中には、私の背丈ぐらいの大きさの機械が鎮座していました。機械の中からは歯車が回る音が響いています。


 それだけならば何の変哲もない機械なのですが、何故かその機械の前にはぬいぐるみほどの大きさの人形が座らされているのでした。


「これが『解析機関 呂‐八号』、通称『ロハ』です」


「ほう」


「まあ、これが」


 お父さんたちが感心した声を上げます。私はといえば何が何やらで、ロハと呼ばれたその機械とお父さんたちを見比べるばかりです。


 ロハの前には左右の箱に分けられた積み木が散らばっています。俊明さんはロハに歩み寄ると、まるで人間に対してするように声をかけました。


「ロハ、右と左、積み木が多いのはどっちだ?」


 すると機械の前に置かれた人形はきょろきょろと箱の中身を見比べると、立ち上がり、ぎこちない動きではありますが積み木が多い方の箱へと歩み寄ったのです。そうしてから答えを確認するかのように私たちのほうを見上げてきます。


 俊明さんは誇らしげな顔で振り返りました。


 私は数か月前に遭遇したまるで人間のような動きをするエレキロイドたちを思い出しました。でもあれはアヤカシの力を借りて動かしていたはずです。これは一体どうしたことでしょうか。


「このロハは、従来のスチームロイドとは違い、操作がなくても指示だけで動くことができる。つまり自分で考え、判断する機械という訳です」


「えっ、それって……このスチームロイドには、心があるってことですか?」


 思わず口にしてしまった疑問に、俊明さんは声を上げて笑いました。


「ははは、あおいちゃんは随分と感傷的な見方をするんだね」


 大人たちに微笑ましいものを見るような目で見られて、私はその場に縮こまりました。もう、調子が狂います。


 その時、ふと部屋の隅を見やると黒い制服を着た警備員さんが背筋をぴんと伸ばして立っているのに気がつきました。


「おや、ロハのためだけに警備を三人もですか」


 私のお父さんもそれに気づいたようで、部屋をぐるりと見回しました。


「当然ですよ」


 俊明さんは両手を広げて胸を張ります。


「今はまだ単純な動作しかできませんが、複雑な指示を受け付けられるようになれば、ロハはどんな場所にでも忍び込めるスチームロイドとなりますからね。産業スパイや過激な活動家の手にでも渡ったらコトですよ」


 なるほどその通りだ、とお父さんとお母さんが頷きあいます。


 そっか、犬村さんが言っていた狙われている機械とはロハのことだったんですね。私も納得して、もっともらしく頷いてみました。


 しかしなんという技術力でしょう。個人的にはもう少し見ていたいものですが、きっと大人の皆さんはそれを許してはくれないでしょう。大事なものだからというのもそうですが、私のような年齢の女性がスチームロイドを熱心に観察するだなんて子供っぽいことをするのはふさわしくないはずです。


 さっきから突き刺さる両親の視線が、私の言動を制しているように感じるのはきっと気のせいではないのでしょう。


 私はできるだけ大人っぽく上品に見えるように手を前で組んで、それでも視線はちらちらとロハを窺っていました。


 うう、できればもうちょっと近くで見てみたいです。なにせ、以前見せ物小屋で見たスチームロイドとは比べものになりません。気になります。興味津々です。


「それじゃあ早速ですが出資の件についてお話を……。ああ、あおいちゃんは……もう少しロハと遊んでいくかい?」


「えっ、いいんですか?」


 思わず大人っぽさの仮面をかなぐり捨てて声を上げると、お母さんから鋭い視線が飛んできました。


「あおい」


「あ、ごめんなさい……」


 私は再び身を縮こまらせます。しかし俊明さんはそんな私に鷹揚に笑いかけました。


「いいんですよ、こういう新しいものに興味を持つのはいいことです」


「手鞠さんがそう言うのなら……」


 お母さんは渋々といった様子で引き下がってくれました。手鞠さんは立ち去りがてら、警備員さんたちに声をかけます。


「君たちは部屋の外で見張っていなさい。いいか、侵入者は誰であろうと捕まえるんだぞ」


「いい、あおい? くれぐれも、ロハを壊さないようにね!」


「はあい!」


 壊しませんよ、失礼な!


 扉の向こうに隠れていくお母さんの後ろ姿に、べーっと舌を出します。本当にひどい子供扱いです。


 それでも憤慨しても仕方ないのです。あの人たちはそういう人たちですから。所詮子供の私が何を言っても聞き入れてはくれないでしょう。


 私はロハに向き直ってしゃがみこみ、ほんの三十センチほどの大きさしかないロハ人形を抱え上げました。


 ロハの体のほとんどは金属で、関節だけがゴムでできていました。手が二本に足も二本。二足歩行でよちよちと動くことができるようになっています。等身は低く、よくあるくまのぬいぐるみほどの大きさでした。


「……ロハさん、聞こえてますか?」


 目の位置まで持ち上げて、ロハに話しかけてみます。当たり前ですが答えはありません。


 私はロハを膝の上に下ろすと、ロハの手をぴこぴこと動かしてみました。金属でできたこの物体は生きているようには見えません。それでも人間の言うことを聞いて思考するのですから、やっぱり私にはこの子には心があるように思えてきます。


「心がある機械かあ……」


 そもそも思考ができることと心があることはどう違うのでしょう。私には同じように思えるのですが。それでもロハは喋れないので、心があるかどうかの証明はできません。


「あなたと話せたらいいんですが」


 そう言ってみてから、私はふと、朝にした先生との会話を思い出しました。


「いっそ百年経ってつくも神になったら話せるかもですね!」


 百年経った器物はアヤカシになる。心も体も持ったアヤカシに。そうすればロハ本人に聞けばいいのです。あの時あなたには心があったのか、と。


 これ以上ない名案に思えましたが、それには一つだけ重大な問題がありました。


「でもその頃には私はおばあちゃんですよね、死んじゃってるかも」


 やっぱりロハの心の有無を証明するのは難しいようです。今すぐロハがつくも神になって自力で動き出しでもしない限りは。


 私はロハ人形を元の場所に戻し、ロハの本体である機械の箱に触れてみました。箱と人形、二つ揃ってロハだというのは、なんだか変な気分です。ロハに心があるとしてそれは人形の方にあるのでしょうか、それとも機械の箱の方にあるのでしょうか。


 私はぺたぺたと機械の表面を触ってみました。


 と、その時。


 ――キィ……ガシャン!


「ひゃっ」


 機械の表面の一部がはがれ、床へと落ちてしまったのです。はがれた壁の向こうには、思ったよりもゆったりした空間の中にカラクリが詰まっていました。


 私は慌ててそれを拾い上げると、元あった場所へとはめなおします。幸いにも外壁は元あった場所へと無事おさまってくれました。


 危ない、危ない。警備員さんたちが外に出ていてくれて助かりました。


 私はそろそろと後ずさると、お母さんたちが消えていった扉へと向かいました。


 三十六計、逃げるが勝ちです。見なかったことにしましょう。そうしましょう。


 重厚な扉を押し開けると、扉の横には警備員さんたちが控えていました。そのそばをそっと通り抜けようとしたその時、頭の上から苦笑気味の声が降ってきました。


「ふふ、ロハがつくも神になるには流石に早すぎるんじゃないですかね」


「はぇっ!?」


 斜め上から背の高い警備員さんに微笑まれ、私は硬直しました。他の警備員さんたちも微笑ましそうにしています。


 き、聞かれてた……!


 恥ずかしいです。赤面ものです。


「わっ、忘れてくださいー!」


 私は顔を真っ赤にして、逃げるようにその場を立ち去りました。








 そうして私がその部屋を後にしたほんの十分後、事件は起きました。


「大変です、旦那様!」


 駆け込んできた警備員さんに、俊明さんは眉をひそめました。焦った様子の警備員さんが俊明さんに何事かを耳打ちします。直後、俊明さんは椅子を蹴って立ち上がりました。


「何ぃ! ロハが!?」


 一体何だというのでしょう。私たちは顔を見合わせたあと、慌てて部屋を出ていった手鞠夫妻を追いました。


「どういうことだお前ら!」


 追いついてみると、俊明さんは顔を真っ赤にして怒り狂っていました。ロハの部屋の扉は開け放たれています。部屋の窓は少しだけ開いているようで、カーテンがひらひらと揺れていました。


 警備員さんがしどろもどろになりながら怒り心頭の俊明さんに状況を説明します。


「十分ほど前にそちらのお嬢さんが部屋から出てきたんです」


「それ以来、この部屋には誰も入っていなかったんですが……」


「ついさっき物音がして中に入ってみたら既にロハはどこにも……」


「馬鹿者! 犯人は逃げたんだろう! 早く後を追わないか!」


「そ、それが、外を見張っていた憲兵の方々に聞いてみたのですが、不審な人物は見ていないと……」


 部屋をもう一度覗きこんでみると、箱型のロハは残されていました。どうやら盗まれたのは人形のロハのようです。


「あれを守るのがお前らの仕事だろう! 何をやっているんだ貴様らは!」


「申し訳ありません!」


 三人の警備員さんたちが一斉に俊明さんに頭を下げます。俊明さんは怒りが収まらないようで、警備員さんたちをぎろりと睨みつけました。


「まさか……貴様らの内の誰かが犯人なんじゃないだろうな」


「い、いいえ! 私たちはずっと三人一緒にいました。なあ?」


「あ、ああ」


「妙な動きをしている奴はいませんでしたよ」


 警備員さんたちはこくこくと頷きあいます。二人ならともかく、三人が互いに見張りあっているというのにそのうちの一人が犯行をなすのは不可能に思えます。


「となると犯人は直前にロハに触っていた人物……」


 全員の視線が一斉に私に向きました。


 私は一瞬きょとんとした後、疑惑をかけられていることに気づいて狼狽えます。


「あおい、まさかあなたが壊して隠したんじゃ……!」


「ち、違います! そんなことしてません!」


 確かに外壁は壊しましたけど! 隠してなんていません!


「本当でしょうね! 今一番怪しいのはあなたなのよ!」


 お母さんから詰問され、私は涙目になりかけながら必死で否定します。お父さんも私に疑いの目を向けていますし、手鞠夫妻も私のことを睨みつけています。


 味方はどこにもいません。絶体絶命です。


 その時、救世主は思わぬところから現れました。


「いいえ、私も見ました。彼女が出てきた時には、確かにロハは部屋の中にありました」


「警備員さん……!」


 感激に目を輝かせて、警備員さんを見上げます。俊明さんは苦虫を噛み潰したような顔で考え込み始めました。


「それじゃあ一体誰がロハを盗み出したって言うんだ」


 皆が考え込む中、警備員さんがふと宙を見上げ、ぼそりと呟きました。


「つくも神……」


 他の警備員さんも顔を見合わせます。


「まさか、ロハが自分で逃げ出した?」


 それを聞き咎めた俊明さんは、警備員さんたちを怒鳴りつけました。


「そんな訳がないだろう! ふざけているのか!」


「すみません!」


 ロハが心を持って、つくも神になって逃げ出した。


 可能性としては捨て切れません。長く存在している物ではありませんが、大いに愛されているものではあるでしょうし、ありえないことではありません。


 なんてことでしょう。冗談で言ったことが本当になってしまうだなんて!







 駆けつけてきた警察の事情聴取は夜まで続きました。そのため私たちはそのまま帰るのではなく、手鞠さんのおうちに一泊泊めてもらうことになりました。両親は申し訳なさそうでしたが、私にとっては好都合です。


 深夜、私たち家族に与えられた寝室からそっと抜け出して、私は庭に降り立ちました。昼間よりは幾分か過ごしやすくなった夜の空気を肺いっぱいに吸い込みます。


 かけられた嫌疑は己で晴らさなければ。さあ、捜査開始です!

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