第一話「付喪神ノ心ヲ想フノ事」/其の三

「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」


「おかえりなさいー……」


 自宅の玄関先に乗りつけられた車から、その二人は降りてきました。


 助手席から降りてきたふくよかな女性は、薮内ちさこ。私のお母さんです。


 対して運転席から現れた無口そうな印象を受ける男性は、薮内東太。私のお父さんです。


 歩み寄ってきた二人は挨拶もそこそこに、私の背中を押しました。


「さ、行くわよ、あおい」


「え、え? どこにですか?」


「ほら早く車に乗りなさい。遅れちゃうでしょ」


 二人は私を車に押し込めると、行き先も告げないまま車を発進させました。遠ざかっていく自宅の前では良江さんがにこやかに手を振っています。あれよあれよという間に、車は大通りへと出てしまいました。私は後部座席から、助手席に座っているお母さんに尋ねました。


「あのう、お母さん。私たちどこに向かってるんでしょう?」


「ふふふ、それは着いてのお楽しみよ」


 お母さんはそう言うと私に振り返ってウインクをしました。もう、こういうお茶目なところは好きなんですけどね。


 もうどうにでもなれと、流れていく景色をぼんやりと見ていると、ふとハンドルを握るお父さんが振り向かないまま私に声をかけてきました。


「あおい、最近はどうだ? 勉強は頑張ってるか?」


「ええと、まあ、ほどほどですかね……」


「駄目よ、ほどほどじゃ。立派なお嫁さんになってもらうためにあなたを学校へやってるんですからね」


「はあい……」


 始まりました。前に顔を合わせた時もこの話題でした。お嫁に行くだなんてまだまだ先の話なのに、本当に気が早い人たちです。


 そうしてしばらく車を走らせてやってきた先は、高級そうなホテルでした。


 真っ白な石造りの玄関の奥には回転扉があり、私の背丈のゆうに五倍はありそうな天井のホールが広がっています。まだお客さんを迎え入れる前なのでしょう。パリッとした黒服を着た従業員さんたちが忙しなく行き交っています。


「はぇー」


 変な声を上げながら覗き見える天井を見上げていると、後ろからお母さんに手を引かれました。


「こっちよ、あおい」


「あ、はあい」


 足早に歩いていってしまう両親の後ろを小走りで追うと、ホテルの隣に建つ豪邸へと着きました。見るからに豪奢でそれでいて品のある庭に圧倒されていると、先に行っていたお母さんから声が飛んできました。


「あおい。こっちに来てご挨拶なさいな」


 慌てて走り寄ると、そこに待っていたのは一組の和装の男女でした。


「手毬家の方よー。ほら、地元にいた頃のお隣さんの。」


 言われてみれば小さい頃に会ったことがあるような気がします。男性の方が手毬家の旦那さんで、女性の方が奥さんなのでしょう。私はぺこりと頭を下げました。


「こんにちは、薮内あおいです」


「あらあらまあまあ。あのおちびちゃんがこんなに可愛らしくなって」


 手毬さんの奥さんはにこにこと微笑みながら、私を上から下まで眺めまわしました。


 可愛いと褒められるのは嬉しいです。嬉しいのですが――こうもじろじろと見られていると、どこか値踏みされている気になってきます。いっそどこかに隠れてしまいたい気分になりましたが、生憎と盾になってくれそうな人はこの場にいません。


 ……はぁ、先生がここにいてくれたらいいのに。


 吐きそうになったため息を飲み込み、私は曖昧に愛想笑いで返しました。


 手毬家の人たちはどうやら満足したようで、うんうんと頷きながら顔を見合わせました。振り返ってみると、私のお父さんとお母さんも上機嫌です。一体何だというのでしょう。


 尋ねようとしたその時、お母さんは私の肩をぽんぽんと叩きました。


「それじゃあ、お母さんたちは大人の話があるから、あおいはちょっとお庭で遊んでらっしゃい」


 ……もうそんな風に外で遊ぶような年じゃないんですが。


 この人たちは私のことをちょっと幼く見すぎているんではないでしょうか。豪邸の中へと消えていく両親たちの後姿を眺めながら、私はようやく大きなため息を吐きました。







 特にすることもないので、言われたとおり庭を散策することにします。


 とはいっても走り回るような年でもありませんし、庭の善し悪しが分かるような年でもないので、正直言って暇です。非常に暇です。


 所在なく庭に植えられた低木を見ていると、突然背後から気弱そうな声が私にかけられました。


「あの……」


 振り返るとそこには、一人の男の子が立っていました。


 年頃は私と同じぐらいでしょうか。黒の学ランに身を包んで、頭には学生帽を被っています。学ランは彼の背丈にしては大きめなようで、手足の袖がぶかぶかです。肩の位置もずれてしまっていて、全体的に野暮ったい印象を受けました。ここにいるということは、もしかして手毬家の方でしょうか。


 その男の子はしばらく視線を泳がせていましたが、不意に決意をした顔で私に向き直りました。


「あ、あおちゃん!」


 あおちゃん? 私のことでしょうか。そんな風に私を呼ぶ方には心当たりはありません。私は曖昧に笑いながら、首を傾げました。


「ごめんなさい、どこかで会いましたっけ?」


 するとその男の子は一瞬傷ついたような顔をした後、寂しそうに目を伏せました。


「……僕はシヨウ。四葉と書いてシヨウ」


 シヨウ。なんとも珍しい名前です。でもなんでしょう、どこかで聞き覚えがあるような……。


 ――というかこの様子ではどうやら私たちは昔、お友達だったのでしょうね。罪悪感を覚えた私はシヨウさんに頭を下げました。


「忘れちゃっててごめんなさい、シヨウさん。私は薮内あおいです。改めてなんですが……よろしくお願いしますね」


 そう言って手を差し出します。するとシヨウさんはこちらに手を伸ばし、しかし私の手に触れる寸前で手を止めました。そうして、そのまま自分の手をぎゅっと握りこむと、踵を返して、どこかに駆け出してしまいました。


 私はシヨウさんを追い掛けることができませんでした。私の言葉は、彼を本当に傷つけてしまったのでしょう。やってしまいました。


 次に会ったときは、ちゃんと謝ろう。いえ、謝らなきゃいけません。


 そう心に決めて、庭へと目を戻すと、今度は見るからに怪しい男性が豪邸の壁際にいるのに気付きました。


 男性は帽子を目深にかぶって顔を隠しています。ですが、その男性の正体に私はすぐに気づきました。だぼだぼのズボンに、柄物のシャツ。遠目からでも分かる、この珍妙な私服は――


 こっそり近づいて、顔を覗き込んでみます。


「あのー、犬村さん?」


「あ、あおいちゃん!?」


 やっぱりそうでしたか。こんな独特なセンスを持っている方は犬村さんと犬村さんのご両親ぐらいですからね。


「……ごめん、今あんまり目立ちたくないんだ。俺がここにいることは誰にも言わないでくれ」


「それはいいですが……。逆に目立ってますよ、その服装」


「えっ」


 犬村さんは自分の服をわたわたと見下ろしました。仮にも憲兵さんなのに隙がありすぎでしょう。その様子がおかしくて、私は小さく笑ってしまいます。


「わ、笑わなくてもいいじゃないか」


「ごめんなさい、だって、うふふ」


 普段の格好つけている犬村さんも好きですが、どうにも格好つかない犬村さんを見るとにこにこしてしまうのです。これは仕方がないことです。誰だってそうなります。


「それで犬村さん。今日はどんなご用でこちらに?」


 犬村さんはきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認した後、私に顔を寄せました。


「……これはここだけの話なんだけどね」


 そう前置きして犬村さんは私に事情を話してくださいました。


 この豪邸の持ち主である手毬家は、とある過激な活動家に狙われているらしいのです。それはどうやら手毬家が経営する会社が開発したとある機械のせいなのだとか。そんな通報を受けて、こっそり犬村さんたち憲兵隊がこのお家に張り込んでいるというわけなのです。


「なるほど、そういうことだったんですね」


「ああ、だから悪いんだが、今日はあまり構ってあげられないんだ」


「いえいえ、お仕事中なのにお邪魔しました!」


 私が敬礼の真似事をすると、犬村さんは私の頭をくしゃっと撫でて、どこかに行ってしまいました。いやはや、お仕事ご苦労様です。


 そうやって犬村さんを見送っていると、玄関からお母さんの声が聞こえてきました。


「あおい、そんなところで何してるの? こっちへいらっしゃい!」


「はあい!」


 何か用でもあるのでしょうか。声を張り上げて答え、私はお母さんたちが待つ方へと向かいました。

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