第一話「付喪神ノ心ヲ想フノ事」/其の二

「壊れた櫛の捨て方ぁ?」


 読んでいた新聞から顔を上げて、裏島先生は聞き返しました。


 時刻はお昼過ぎ。いつもの特等席に座る先生の背中に真夏の太陽が照りつけています。先生の声に驚いたのか、給湯室からちらっと一助さんが顔を出し、すぐに顔を引っ込めました。


 私はポケットから件の櫛を取り出しました。


「はい、今朝壊れちゃったんです……」


 櫛を手渡すと、先生はそれを何度もひっくり返して観察しました。


「ほおー、いいもんだな」


 驚きました。まさか先生に櫛の善し悪しが分かるとは。でも褒められるのは悪い気はしません。むしろ自分のことのように嬉しくなってしまいます。


「えへへ、おばあちゃんから貰ったものなんです!」


「なるほどそれで」


 ……それで?


 そう聞き返しましたが、先生は櫛を眺め回すばかりで答えません。仕方なく私は話を続けることにしました。


「ほら、古いものですし、ただ捨てるのは気が引けるというかなんというか……」


「化けて出るような気がする?」


 そう! それです!


 私はこくこくと首を縦に振ります。先生は「まぁなぁ」とか言いながら私に向き直りました。


「あおい、つくも神って分かるか?」


「つくも神?」


 はて、聞いたことがあるようなないような。


 うーんと唸る私に、先生はぴんと指を立てました。


「つくも神。長い間使われた道具が変化するっていうアヤカシだ」


 私はぽんと手を打ちました。


 ああ、思い出しました。大切にされた物には魂が宿るってやつですね。


「そうとも言えるが、そうとも言えないな」


「違うんですか?」


 そう聞き返すと、先生は手元にあった紙の裏にいくつかの漢字を書きつけました。


「つくもは、喪に付くと書いたり、九十九と書いたりもする。文字通り九十九年のことともとれるが、水中の岩に藻が付いて「つくも」――それぐらい長い時間のことと考えればいい」


 最後に先生はひらがなで「つくも」と書いて、丸で囲みました。私はそれをのぞき込んで目で追います。


「この世にある全ての物は、長い年月を経るとアヤカシの力を得る。道具、植物、動物。――人だってそうだぞ。その中の道具の場合がつくも神ってわけだ」


 なるほど。大切にされたかどうかではなく、長い時間を経たものがつくも神というわけですね。


「まあ、道具が長い時間存在し続けるには当然人に大事にされなきゃいけないわけだから、あながち間違っちゃいないんだけどな。実際、短い間大事にされただけでアヤカシに化けた例がないわけでもないし」


「はぇー、先生は物知りですね」


「だてに長生きはしてないからな」


 なるほど、と私は頷きます。つい数ヶ月前に先生の本当の姿を目撃した私にはものすごく納得のいく言葉でした。


「でだ。そんなつくも神だが、一番有名なつくも神たちは逆に大事にされなかった道具たちが怒って化けたってものなんだよ。

 こんな話がある。道具というのは百年経つと、化けることができるようになるとそのころの人間は考えていた。そこで人間は、九十九年使った道具は道に捨ててしまっていた。

 それに怒ったのは捨てられた道具たちだ。九十九年もの間こき使われ続けて、ようやく自由に歩けるようになると思ったら、その直前で捨てられちまったんだから、まあ当然っちゃ当然だな。

 そこで道具たちは一計を案じた。アヤカシ未満の奴らでもアヤカシになりやすい日。季節が変わる前日、つまり節分の日に人間たちに復讐しようってな。

 かくして節分の日にアヤカシとなった道具たちは百鬼夜行の列をなして、夜を練り歩いたって話だ。最後には朝日に照らされて退散していったがな」


「百鬼夜行」


 名前だけは聞いたことがあります。アヤカシたちの行列のことです。


「だからその櫛をぞんざいに捨てたら化けて出るかも、っていうのは正解だな」


「やっぱりそうなんですね……」


 私は先生から手渡された櫛を見下ろします。


 でも……、お気に入りの櫛でしたから、アヤカシになった櫛さんとも会ってみたい気もします。


 ぼそっとそう呟くと、先生は新聞に戻しかけていた目をこちらに向けました。


「ん? 何か言ったか?」


「なんでもないですっ。それで先生。化けて出ないようにするにはどうしたらいいんです?」


 先生は手を顎に当てて考えました。


「あー、寺にでも持っていって供養してやるのが一番なんじゃねえか?」


 もうある意味手遅れなんだがな。


 そっぽを向きながら呟かれた言葉に私は首を傾げましたが、先生はそれ以上何も教えてくれそうにはありません。私は気にしないことにして、うんうんと頷きました。


「なるほど、お寺ですか。ありがとうございます、今度持っていってみます!」


「ああ、それがいいな」


 私は櫛をスカートのポケットに入れ直し、ふと壁時計を見て飛び上がりそうになりました。


「ああっ、もうこんな時間!」


 慌てて鞄に荷物を詰めていきます。先生は呆れかえった声色で私に尋ねました。


「どうした、騒がしい奴だな」


「久しぶりに両親が帰ってくるんです! 早く帰らないと……」


 間に合わなかったら何を言われるか分かったものじゃありません。一日に二回もお小言をくらうのはさすがの私でもごめんです。


「それじゃあ先生! また明日来ますね!」


「おう、来なくてもいいぞー」


「なんでそんな意地悪言うんですかっ」


 先生の軽口に叫ぶように答えて、私は家への道を慌てて駆けていきました。

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