第17話 転 ー漆ー

「柳沢、嵯峨両名帰着いたしました」

 昼前に無事帰還し、少将室で報告する。手応えと成果を確信した嵯峨の表情は、実に誇らしげだった。

「ご苦労。よく無事に帰ってきた。柳沢少佐もよくやってくれた。報告書をまとめたら、今日は半日で休んでくれていい。公判に備えてくれたまえ」

「感謝します。それと、廣瀬大尉にも無事に帰ってきたよと挨拶しておきたいですね。女でもきちんとした準備と能力があれば、問題なく魔巣窟にだって近づけると教えておいてあげないと」

 気分の高揚している嵯峨が軽口を叩く。

「ん?んん、まぁ、そうだな。大尉もそれを聞けば、反省するだろう。とにかく、今日は早めに切り上げて休め」

「?はい、そうしま…す」

(なんだろか?)

 少将の妙な歯切れの悪さを不思議に思いながら、嵯峨と柳沢は少将室を辞した。

 お昼にはちょっと早いため、書類をまとめておこうと院に用事のある柳沢と別れ、オフィスに向かう。雲の去った久々の青空と日差しが温かい。

(清々しい気分で公判を迎えれそうね)

 検察側の藤原中尉は強敵だけれども、五藤大佐側の主張を通すのに困難はないだろう。なにせ当日の急変した気象から、不可抗力の事故の可能性が濃厚なのだから。

 オフィスでは他の法務官たちがデスクワークをすすめていた。個室を持つ藤原や土居などの上級法務官の姿は見えないが、雑多なデスクの中で坂本准尉が何をするともなしにしょんぼりと座っている。

「どうしたの?」

 苦笑して話しかける。藤原中尉にでも怒られたのかな?

「あ、あぁ中尉、お帰りなさい。どうぞご無事でなによりです」

「一体どうしたの?」

 腑抜けた感じに、またついつい笑ってしまった。

「自分はそんなに役立たずなんでしょうか……?」

 深刻な雰囲気に眉をひそめた。

「今朝、藤原中尉のお手伝いにオフィスに行ったら、肩を叩かれて『公判前まで用無いから土居大尉のお茶くみでもしてろ』って言われて……」

 事態はよく呑み込めないが、どうも本格的にお払い箱になったようだった。

(藤原中尉にしては手厳しいな?)

 あの温厚で人当たりの良い中尉がそんなことを言うなんて意外だ。よくよく愚痴を聞いてみると、中尉とは別に廣瀬大尉に引っ掻き回されて、藤原中尉の機嫌を損ねたらしい。

(それは仕方ない)

 やや同情する気持ちがわいた。

「自分も少将に言われて、国体院議長の接待のお手伝いを少ししただけなのに……」

 そのままずるずる便利使いされた。それも元々、藤原自身が自分を助手として、あまり信頼してくれなかったからじゃないか。その挙句、「そんなに廣瀬大尉が好きなら廣瀬派に入れてもらったら?」なんて理不尽じゃないか。

 坂本の泣き言にも(なんだかなぁ)と思うが、藤原も藤原だし、廣瀬も廣瀬だ。法務部にきて間もないかわいい後輩に、もっと優しくしてあげなさいよ、と呆れる。

まぁ嵯峨は坂本も同じ海軍の出ということで、そのふたりより坂本に対し贔屓する気持ちがないではない。この細い柄で元潜水艦乗りだというから、あの沿岸警備隊の面々ほどではなくとも軍の優秀な人材のはずなのだから。

「わかった、あたしからもふたりに言っておくわ。でも貴方も廣瀬大尉には気をつけなきゃだめよ?前々から分かってることなんだから」

 元気づけるように笑いかける。坂本は気弱に片ほほを引き攣らせた。

「あぁそうだ」

 丁度思い出した。その廣瀬は今どこにいるか知ってる?嵯峨は妙に嬉しそうに話した。

「さっき大尉のオフィスに行ったら、不在の札が掛かってたの。お昼にしては早いし、土曜日だからってお休みしてるわけじゃないでしょ?」

「魔巣窟に行かれましたよ」

「え?」

「あ……」

 口を滑らした。

「あら、そんなにあたしが心配だったの、あの人?」

 驚きながら、まんざらでもない気分になる。わざわざ迎えにきてくれたのと、残念ながらどこかで行き違いになったようだ。もう帰ってきたよ、と伝えなければいけないな、と嵯峨は思った。

「いえ、そのもっと奥にです。四日か五日は帰られないかと……」

「…どういうこと?」

 怪訝に坂本の顔を覗き込んだ。眉をしかめ、小声になる。

「いや、あー…、えっと……」

 極秘調査の詳細は口止めされている。それらを隠しつつ説明できるか?坂本自身にそんな腹芸ができるはずもない。

 言葉が詰まりプチパニックを起こしていると、嵯峨はその坂本の手を引き人のいない空き室に引っ張り込んだ。

「何か言い出しにくいことがあるの?秘密にしておかないといけないこと?誰かに聞かれたら不味いことなら訊かないわ」

 室内灯も点けず、薄暗いままで嵯峨は坂本にグッと身体を近づけた。

「ひとつだけ答えて。彼に危険は?」

「……」

 坂本が息を詰める。顔面蒼白で、嵯峨の力強いキラキラした眼差しに射すくめられる。

「答えなさい。上官命令よ」

「……」

 ジッと、一点を凝視したままの緊張した表情。思考の停止が、坂本の弾力を奪ってしまったようだ。

「准尉!」

 低く叱咤した声に、坂本はやむなく声をしぼりだした。

「魔巣窟の奥に、不穏分子が潜伏している恐れが出てきたので、その調査に、です……」

「な…っ」

 嵯峨が顔色を変えて絶句した。

 一瞬、意味が分からなかった。不穏分子?潜伏?昨日の今日で、何を言って……

「最初は中尉たちを呼び戻そうともしたんですが、混線で通信が使えないし疑いは深まるしで、ご自身で見てくる、と」

 廣瀬は嵯峨中尉のことを心配してましたよ、と坂本は続けた。

「……本気で言ってるの?」

「ええ、だから魔巣窟の方に中尉を行かせるのは気が進まなかったんだ、と言ってました」

「そんなことじゃない」

 にわかには信じられない内容を、坂本は言っている。この皇国軍の誇る魔法士官学園で反乱軍が現れたって?そんな兆候など、一切耳にしていない。

「でも、かなり確率の高い話なんです。ですからその証拠を魔巣窟に取りに行かれたんです」

 理解が追い付かないが、どうやら廣瀬が魔巣窟に向かったのは冗談でもなんでもなく、本当らしい。

「このことは少将の了承を得てるの?」

「そう、聞いてます」

 さすがに廣瀬といえど、独断では魔巣窟の禁足区域に立ち入ることはしないだろう。ということは、少将が許可を出すだけの根拠があったはずだ。

 そういえばさっきの少将も、何か言葉を濁しているようだった。廣瀬を派遣したとすれば、納得だ。

(あれだけ危険と言っていた本人が…っ!)

 腹が立つ。少将にも一言言ってやりたい気分だ。それよりも、

「ひとりでいかせたの?」

 あり得ない。大の大人が何人もいて、引き留めることをしないばかりか単独で危険地帯に送り込むなんて。

「いつ出てったの?いまからでも連れ戻さないと」

 反乱分子がいるというなら、正規軍を挙げて制圧すればいい。廣瀬独りで向かう意味などない。

「そんな、また魔巣窟に行くなんて少将が許してくれませんよ」

「魔巣窟まで行く必要ないわ。その前に廣瀬大尉を捕まえればいい」

 でしょ?と、嵯峨が坂本の顔を覗き込んで言った。

「だから急いで準備しなきゃ。大尉はどのルートで向かったの?バス?公用車?」

 何にせよ出来るだけ早く追いつかないとどこまで潜るつもりかもわからない。

「大尉から聞いてるスケジュール教えて。あの人のことだから連絡係を任されてるんでしょ?」

 矢継ぎ早の嵯峨の追及に、坂本は何から喋るべきか黙っておくべきか、答えあぐねてしまう。

「いや、あのぅ……」

 廣瀬から託っているのは、嵯峨中尉が無事帰還すれば、彼女から情報を仕入れておくことだけだ。帰ってきたかの連絡すら、通信が混雑しているだろうから不要と言っていた。

 その嵯峨を、廣瀬の向かうところに案内していいものだろうか?廣瀬自身、危険だからと坂本の同行すら認めなかった所に、だ。

 言いあぐねる坂本に痺れを切らした嵯峨が、ややイラついた調子で、

「じゃあ言わなくていい、ドライブに付き合ってくれる?あなたは何も知らない、たまたまハンドルを握って、たまたま道に迷っただけ。責任はあたしがもつわ」

 すでにコートを羽織りなおして踵を返している。

 冗談じゃない、嵯峨は自分も巻き込むつもりだ、と坂本は驚いた。

嵯峨にしてみれば少将にも一言言ってやりたいが、苦情を入れれば廣瀬を追いかけるのが叶わなくなる。廣瀬を追うにもどのルートを使ったかもわからない。だからいろいろ知っていそうな坂本を案内に拉致っていくのだろう。

「公用車の鍵はまだ持ってるから、あなた運転お願いね。急ぐから準備早くしてちょうだい」

「ほんとうに大尉を追いかけるんですか?少将に無断で?」

「何?あなたも企みの一員だから協力できないって言うつもり?」

 意地悪く、嵯峨は坂本に詰め寄った。

「企みだなんて、そんな…」

 坂本としては、少将まで噛んでいるのだから、嵯峨にもテトラ・グラマ・トンの危険を知らせて協力させる方が有益じゃないか、と思わないでもない。なにせ廣瀬や藤原と並ぶ法務科のホープの一人だ。反乱軍は不確定とはいえ、テトラ・グラマ・トン、及びそれに準ずる危ない触媒の痕跡は坂本自身の目でも確認している。

だけれども、これがまだ公にしていい情報かわからない以上は、機密を知る人間を増やしたくないと廣瀬と少将は判断した。

そんなこんなを“企み”と言われてしまうと、坂本の立つ瀬がない。

「あたしは半ドンで今から時間あるし、あなたも藤原中尉からお暇もらったんでしょ?問題ないよね?」

(もしかしたら廣瀬大尉よりこの人の方が人使い荒いんじゃないか?)

 坂本は今更ながらにため息をつき、公用車の鍵を受け取った。




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皇国軍魔法士官学園法務部ーJUSTICE&GLORYー @jordi14

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