第16話 転 ー陸ー

「いやいやいやいや」

 土居は慌てて藤原を追った。

「そいつは穏やかじゃない。法務官を起訴するってのは大変なことだぞ?!ただの上官を起訴するってだけじゃない、厄介なもんだ。失敗すれば、いや例え勝ったとしても、キミのキャリアに傷が付く。組織内での評判は良くなるわけがなく、むしろ悪くなりかねない。損ばっかりで得は無いぞ」

 一気にまくし立てた。それを受け、「アッハッ!」と、藤原は噴き出した。

「損とか得とか、そんなこと、どうだっていいんですよ?」

 あわれなものを見下す目で、秀麗な容貌を歪ませる。このひとは語るに足りない存在だ、そういう嘲笑を、あからさまに示した。

「仕事を真面目にしたくないなら、ずっとしなくて済むようにして差し上げるだけですから」

 土居が引き留める手をあっさりと払いのけ、藤原は顔に似合わぬ力強い歩幅で、ズカズカと部屋から出ていった。

「中尉!中尉、まぁ待て。落ち着け」

 土居も黙っていられない。藤原を説得しようと早足で追っかけ、つられて言葉も早口になった。

「君が納得しないのもわかる。正直私だって君の立場なら腹も立つし、そうじゃなくても、100%廣瀬が悪いのはわかっている。だが今回だけ、少し思いとどまってはくれないか?」

「理由」

 短く、藤原は吐き捨てた。

「それは……」

 言えない。

 重大でありつつ、未だ不確か。正直土居も、どういう事態か把握しきれてない。事が事だけに、どこまで明かしていいのかもわからない。確信を得るための渡航は少将からの許可を得たものの、秘密裏に行く以上、廣瀬の職場放棄は擁護のしようが無い。

(困った…)

 次の言葉を言いあぐねる。

「フッ」

 藤原は酷薄に鼻で笑い、困惑する土居の存在を、その思考からポイと放り捨てた。

(この際だから、徹底的に潰してしまうべきね)

 怒りの歩みを、まっすぐ廣瀬の部屋へ向ける。立ち止まる気なんて全く無い。土居のすがりつく妨害など意にも介さず、藤原はヒールの音をカツカツ鳴らして、長い廊下を小気味良く渡った。

 間の悪いことに、そこに坂本が帰ってきた。

「あら、准尉。試験も終わったばっかりだっていうのに、いろいろ忙しいみたいですね?」

 それを見咎めた藤原が、擦れ違いざまに即、坂本へ向けて非難の礫を投げつけた。事情の解らぬ坂本は、いきなりのことに面食らって萎縮し、ただでさえ不健康そうな顔色を青冷めさせた。

(あ~あぁ、可哀相に…)

 藤原を後ろから追っかけて現場を目撃した土居は、顔をつるりと撫でて坂本に同情した。

「あなたが近頃、とみに諂っている廣瀬大尉を、ここまでお呼びしてきてくれないかしら?」

 にっこりと、藤原は笑った。その目に、坂本は震え上がった。全然笑っていない。言葉のいちいちが、自分への叱責を含んでいる。全くもって何のことだか意味が分からないし、理不尽だ。

 普段の雰囲気と全く違う藤原の態度に抗議を挙げるような気概は坂本にあるわけも無く、帰ってきたばかりの疲れもあって、ますます肩を窄ませて視線を不安げに漂わせた。

「ほら、怯えなくていいよ。私が用事あるのはあなたじゃなく、廣瀬大尉なんだから」

 ズケッと抉るような言葉と、いつもの微笑み。掛け値なしの美女なだけに、それが余計に凄みになる。

「あ、あのぅ……」

「?」

 言いよどむ坂本の視線、自分を通り越して土居に助けを求めるような表情に、藤原は違和感を覚えた。

 土居も、困ったように肩をすくめる。

 さっきから土居が、そして今坂本が、ふたりして何かを誤魔化そうという素振りをみせた。

 ━━何か。

 廣瀬についての、何か。

 かすかなニュアンスの違和感が、藤原の喉に小骨としてチクリと刺さった。

 ダッと、藤原は早足を取り戻し、ふたりを振り切って廣瀬のオフィス前へ走った。走り着くなり、そのドアノブを手荒に握って、ガチャガチャとうるさく鳴らした。

「大尉、藤原です!用件がありますので、ここを開けてください!」

 取り繕う気も全く無く、強い詰問口調で中に居るであろう廣瀬に呼び掛ける。その剣幕に、土居と共に藤原を追いかけた坂本は、手前で立ちすくんでおどおどと戸惑うばかり。何か言いたそうにするも、怯えてしまって言うに言えない様子だ。

「大尉、いらっしゃいますよね?!まさか、」

 イライラした口調。

 ジロリと、土居と坂本の顔を睨みつけ、

「待機命令中に本学舎を離れるなんてこと、ありませんですよね!?」

 藤原は決定的な疑惑を、背中越しにふたりへ突きつけた。

「うっ……」

 土居はもう、ぐうの音も出ない。藤原相手にごまかし続けるのも、ここが限界だった。

(スマン、廣瀬)

「いやぁ、実はな中尉」

 まるで狂犬をなだめるように、土居は声色を作って愛想笑いを向けた。

「廣瀬大尉は密命を受けて、ある特殊な任務に就いていてだなぁ」

「へ~、誰のですか?」

 首だけをひねったままで、きゃるんっとあどけない表情になって、藤原は無邪気に聞き返す。ある意味皮肉たっぷりのその変貌ぶりに、引きつった愛想笑いの土居は、苦虫を噛み潰した何ともいえない顔になった。

「密命だからね、それは秘密だ」

「内容も?」

「秘密だ」

「の、わりに、土居大尉もその“密命”っていうのに、お詳しいみたいですよね」

 今度はくるりと身体を回し、腰の後ろで手を組んで、藤原は前屈みにニコリと笑ってみせる。

 言下に、『随分とお粗末な秘密主義ですこと』と、言葉のナイフを突きつけている。土居はますます苦々しい。それに、

「坂本准尉も、何か知ってるみたいですよね」

 もごもごと、何か吐き出したそうにしつつ言いあぐねている坂本を、藤原はちろりと視た。准尉までが知っているような、そんなグダグダなセキュリティーレベルのものをもって、藤原に対し「何も訊かず納得だけしてくれ」などと言われても、はいそうですねとうなずけるわけがない。

「お二方とも廣瀬大尉のお仲間なら、大尉がどこへ行ったのか、わかるように教えてくださいますか?それか、廣瀬大尉を、ここに連れてきてください。今、すぐに」

 黒目勝ちなキラキラ光る瞳に見竦められて、土居と坂本はすっかり気持ちも折られてしまった。やむを得ず、ふたりは友を売った。

「廣瀬は魔巣窟へ行った。三日は帰ってこない」

「はぁーーーーっ」

 とたんに深く深く、藤原がため息をついた。心底呆れかえったのか、首を斜めに傾げて、眉間にシワを作っている。

「嵯峨中尉、ですね」

 即答。

(おや、予想がついてたか)

 と、土居は感心した。

「どうしてそう思うんだい?」

「あら、あのふたりを見てて、むしろそう思わないひとがいるんですか?」

 かすかに、唇の端を上げる。可愛らしいその微笑に、トゲトゲしい毒をたっぷりと含んで。

 が、土居の後ろで間抜けな坂本は「へ~、あのふたりってそうだったんですか」とすっとぼけた相づちを打った。

「いやまぁ、当たらずとも遠からず、だ。」

 土居はここにきてもなお、重要な事項をどうごまかすか頭を回転させていた。この際、多少廣瀬の評判を落としたって構わないだろう。

「魔巣窟近辺で、ちょっと厄介な事態が起きそうだという情報を掴んでね、すぐに奴はいてもたっても居られなくなって飛び出して行ったのさ」

「厄介なことって?」

「いや、実際そんな大したことじゃないんだが、もしかしたら嵯峨中尉と柳沢少佐の身に危険が及ぶ、かもしれない。いやいやホント、大事ではないし全くもって大丈夫なんだが、万が一ひょっとしたら、と心配したようで」

「それで待機命令を無視して飛んでいった?」

「そうだ。うん、そう。まったく廣瀬には困ったもんだよ」

 腕を組んでうんうんと頷き、土居は自分の口から出た説明に自分で納得したような、満足げな鼻息を荒くした。

「じゃあ密命ってのは嘘ってことですよね?」

「あ……」

 呆れて嘆息した藤原の言葉に、途端、土居は自分が口を滑らしたことに気づいて、青ざめた。

「いやぁ~、あははっ…。あぁいけないもうこんな時間だ行かなければ」

 袖を捲って腕を見、土居はそそくさと立ち去ろうとする。

「腕時計してない」

 ズケッと指摘し、その土居の白々しい挙動をジトッと睨みつづける藤原。

「おっと、ホントだ。探しに行かなきゃ」

 何も着けていない自分の手首に、土居は言われて今気づいたみたいに驚く。

もちろんそんな、芝居がかった幼稚なジョークは通用しない。



「……」



「……」



「……」




「……スマン」


 ジッと無言のまま、微動だにせぬ藤原。その射抜くような視線に負け、土居はゴメンと頭を下げた。

「はぁ~…」

 再び深く、藤原は溜め息をついた。

「少将の許可は受けてるんですか?」

「一応……」

 あの廣瀬大尉のことだ、もうとっくに出立してしまっているだろう。それに、危険度は低いとはいえ、嵯峨は魔巣窟の近辺まで潜っている。嵯峨の安全に関わることだし、藤原自身、仲間として心配するのは当然だ。杓子定規に服務違反だからと廣瀬の行動を批判することはできない。何よりここで土居に対して我を通せば、後々無用の不興を仲間たちから買うことになるかもしれない。

 不正を叩き潰すためにならまだしも、メリットどころかデメリットだらけのそんな選択肢を、藤原はあえてここで選ぶ気は無かった。

 だとしても、だ。

(やっぱりあのふたり、か)

 内心、腸の煮えくり返る思いは拭えない。

 思えば今までも、あのふたり、特に廣瀬という男の卑怯でいい加減な態度に、何度不快な思いをしてきただろうか。

 廣瀬の不誠実はいまに始まったことではない。依頼者の利益を守るため、時には正々堂々とは程遠いえげつない手を平然と使う姿を、藤原は係争者としても傍聴者としても、幾度となく見てきている。それらはあくまで仕事のためであり、藤原とは思想が合わなくても結果的に仕事が出来るため、藤原とて一目置くべき有力な法務官だと思っていた。

 しかしここまで身勝手に約束をないがしろにする男とまでは、思わなかった。協力を要請した藤原が、重大な案件を抱えているとわかっていて、だ。

 もっとも、自分の恩師に関わる裁判だから関わるのを避けて素早く逃げの手を打った、とも考えられる。魔巣窟に行ってしまえば裁判初日には間に合わない。それならそれで、きちんと廣瀬本人が藤原に対し申し開きなり弁明なりするべきだろう。

 緩衝材のように、ひとのいい土居を間に立たせるなんて卑劣もいいところだ。

(本当にあのひとにはイライラする)

 思い通りにいかない。期待してるようには動かない。気が触れた人間が予想外の行動をとるだけなら、藤原にとってはたいしたことではない。しかし廣瀬の場合、こちらが要求していることや想定していることを理解した上で、わざわざ嫌なところばかりを踏み抜いていく。

(つまりは周り全てを馬鹿にしているんだろな)

 藤原が心底嫌いなタイプの人間だった。要領よく利益だけを掠めとり、自分が不利なところは相手を貶め、そうでなければ上から目線で嘲笑する。

 そんな軽薄で不快な人物と、軍隊内での友好な信頼関係を結ぶなど、望むべくもない。

(むしろ軍にとって害悪)

 一旦は矛を収めるけれど、藤原にこのまま廣瀬をのうのうと捨て置く気は無かった。

「わかりました、今回だけは嵯峨中尉のことは廣瀬大尉にお任せしときましょう。無事お帰りになられるのを祈っておきますわ」

「あぁ、そうしてくれ」

 藤原の軟化した態度に、土居はほっと胸をなでおろした。これ以上の追及は、さすがに堪える。危機は去ったと、ひと息ついた。

 でも一つ、土居は見落としていた。

「坂本准尉、さぁ仕事をしますよ。オフィスにいらっしゃい」

 先程までの険のある表情から一変、普段の煌びやかな微笑みで手招きしながら言った藤原に、土居は「あっ!」となった。

「す、すまない中尉!まだ准尉に手伝って欲しいことがあるんで、今日一日は、彼を借りれないかい?」

 焦って藤原と坂本の間に割って入る。仕事がてら事情を探られたら、ボロが出かねない。特に、坂本という小心者からすれば。

 土居自身ですら苦しい時間だったのだ。ただでさえ一番階級が低く、いつもおどおどしている坂本が、尖ったナイフの藤原と顔突き合わせて仕事しながら詰め寄られたりすれば、とてものこと耐えられやしないだろう。

(その時間を考えただけでも、恐ろしい…)

 ゾッとして、息を飲んだ。

 途端に、藤原が怪訝そうな目でジトッと見る。

 土居はたじろいだ。負けてはいられない。

「頼むよ。こちらの用事が終われば、約束通りふたりでキミの仕事を手伝うから」

 上官としては情けないが、拝み倒すように手を合わせる。

「……」

 藤原の口元に、フッと小さな嘲りが浮かび、

「……わかりました。その代わり、明日からは目一杯、こちらの仕事をお手伝いしていただきますからね☆」

 にっこり笑って、快諾の返答をした。

(これ以上遊ばせておくのも癪だけど)

 昨日の今日で急に坂本の重要性が増した、なんて言えば、彼を締め上げようとしているとあからさまにわかってしまう。なにせ昨日まで、藤原は坂本を雑用でしか使っていなかったのだから。藤原はもっと、スマートに物事を詰めていくタイプなのだ。

「廣瀬大尉の分も、たっぷりと」

 チクリと、仕返しの皮肉の針を土居に引っ掛ける。土居は顔をしかめて頭を掻いた。

「では、また」

 クルリと踵を返し、藤原はサッサと立ち去っていった。

 残されたふたり。フーッと息を吐き、おちゃらけた汗を拭く仕草をして、土居は坂本と顔を合わせた。坂本は、ニヘラと気弱なせせら笑いで会釈を返してきたが、あまり良く事態を理解してはいなさそうだった。





 嵯峨美津樹。

 藤原が一目置く数少ない同期生で、宿敵の法務官。

 普段は藤原の色香にほいほいと誘われる廣瀬大尉が、こと嵯峨中尉がからんだときだけ、藤原の誘いに全く乗ってこない。嵯峨には柳沢という、学院屈指の優等生であるフィアンセがいる、というのにだ。

 これで本人たちにそのつもりがないなど、片腹痛い。

(あのふたりに手を組まれると、厄介なんだよね…)

 過去に数回、藤原は裁判で思わぬ苦戦を強いられたことがあった。そのいずれもが、あのふたりが陰に陽にと手助けし合っていたものだった。さすがに、あのレベルの法務官ふたりを相手するのは骨が折れる。

(さきに離しておきたかったけど、うまくいかなかったなぁ)

 忌々しいが、まぁこの際仕方ない。どのみち、廣瀬は検察側の証人として押さえている。裁判中、弁護側に公然と助言することは出来ないだろう。

 ともかく、週明けの第一回公判には廣瀬は使えない。その分、被告を追い詰める論理展開を用意しておかなければ。

(今日明日の徹夜で十分仕上がるかな?)

 資料集めは坂本に全部させておいたし、紅茶くらい自分で注ぐ。

(坂本はもう少し泳がせてから話を訊きましょ)

 案外、スパイになりかねない毒素を取り込んでしまったことを、土居大尉は気づいてないみたいだな、と藤原は思った。





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