新車地獄
ゴールデンウイークまであと一週間となった週明け、ご丁寧に布にくるまれた新車様が次々にキャリアカーから降ろされた。
連休前までの稼働日数は5日、納車待ちの新車は9台。
その9台を俺一人で整備しなければならない。
考えただけでも具合が悪くなる。殆ど全ての車には前後ドラレコを取り付け、アクセサリーは外車が買えるような金持ちだからてんこ盛り、たまに全部乗せのラーメンみたいな金に物を言わせた内外全てのアクセサリーを付ける輩もいる。
新車が届くと先ずやらなければならない事がある、それは故障診断機に繋いで新車モードから通常モードに変更することだ。
新車モードとは輸送中のバッテリー消費を極力減らすため、車両に機能制限を施して走行することだけに電力を使うようにプログラムされたモードだ。だからディーラーに新車が届いたらこの制限を解除してやらないと車に鍵を掛けることも出来ない。
新車はキャリアカーから数台降ろされ、すべての新車モードを解除してやらないといけないのだが、こっちも暇じゃない。車を工場に入れ、保護カバーをめくって視界を確保させて診断機に繋げ、読み込みをしてモード変更、そして駐車場に戻して鍵にユーザー名を記入する。一台10分掛からない位の時間を取られる。
そんなの大したこと無いって? ×届いた台数だぞ? しかもそれをする作業時間は確保されていない。だから仕事の合間にちょっとづつやるのだが忙し過ぎると届いたことを忘れてしまって、帰り際の戸締りの際に発見して電源を落としたPCを再び起動して新車モードを解除するって事がたまにあるくらいだ。
新車整備は雑な人間にはやらせられない。塗装面はツヤツヤのキラキラ、作業中外装には指も触れないような所作が必要で、作業者を選ぶ。
新車の扱いが雑なメカは、だいたいメカニックデビューが新車を扱っていない現場に居た奴で、そういう環境で長く働くと新車が日常的にある現場の人間とは車の扱いに差が出て来ることが多い。
取り敢えず現時点で工場のリフトは開いている、俺は届いたばかりの新車を工場に入れて新車モードの解除ついでに車両ソフトウエアのアップグレードを行う。
新車はヨーロッパから船で運ばれ、数か国の港を経由して日本に陸揚げされる。そして日本のインポーターが車両をチェックして日本仕様への軽い変更を施し、傷が有ればコッソリ板金塗装を施す、それが地方の販社まで陸送されるのだから時間が掛かり、製造段階では無かった更新プログラムが溜まっていてダウンロード時間が一時間なんてことはザラだったりする。
ウチのディーラーが扱うメーカーだと十中八九ダウンロードが必要でこれは納車整備では結構な負担になる事が多い。何故かというとダウンロード中、リフトと故障診断機を占拠してしまうからだ。仕事は他にもたくさんあり、ただ置いてあるだけの状況が勿体無い。まぁ、ダウンロード中、その車両にドラレコを着けたりもするのだが、こちらも体は一つしかなく、必ずしもその時間を有効活用しきれていないのが現状だ。
自動車整備工場は何処もかしこも人員不足で忙しく、社員を募集しても人は集まらない。暑い、寒い、給料安い、汚い、怪我する、死亡する、客から罵られる、帰れない、朝早い、手が汚い、まだまだ考えればきりがないネガティブな事しか思いつかない仕事だ、やりたい奴なんてこのご時世現れない。若い子も整備士なんて眼中に無く、俺の地元の整備士専門学校は閉校になり、そもそも整備士の絶対数が足りていない。
とうとう俺の働くこの工場も完全予約制に変更を余儀なくされた、人が少なすぎて飛び込み客に対処しきれなくなったからだ。皆さんの地元の整備工場はどうだろうか?
予約が取りやすければバンザイをしていいレベルにあると思うが……。
インポーターはCS向上を謳い、昨今メカに接客までやらせるようになってきたが、そんな事をさせている暇があったら整備をやらせた方が仕事が回り、予約も取れるようになり、CSは向上すると思うのだが……。毎日毎日仕事を断り続けることがCS向上にならない事は誰でも分かるだろう。
この新車は何を付けるんだ? 俺は作業伝票に目を通した。
「げっ! 光るステップ付けるのかよ、軽く三時間は掛かるぞ……」
そんなに光らせたいかね……乗り降りする時にぼんやり光るだけで光らないやつより10万は高いぞ。
後は保護フィルム満載か、如何にも日本人が欲しがりそうなアクセサリーだ。いわゆる貼物、これも取り付けが厄介で埃が入らないように気を遣う。だけど工場はクリーンルームじゃ無いし、新車と言っても埃は付いている。だから稀に埃が貼り付け面に挟まり、フィルムを無駄にしてしまう事がある。
そんなに傷が恐怖か? 外走ってるんだし諦めろよ。
仕事の合間にゲリラ的に新車整備をこなす、だけど待ち作業では無い新車納点は後回しになりがちで、概ね残業してアクセサリーを取り付けることになってしまう。
全てのアクセサリー取り付けを終え、作動チェック。車両に付いている全てのボタンを押して正常に動くかチェックする。最後にバッテリーを充電してそのまま帰宅。
作業終了と思いきや、翌日明るい所で塗装不具合が発見され、焦って板金外注を頼む。
納期は営業のスキルにもよるが変更出来ない事が多く、板金塗装の突貫作業が行われることも少なくない。
毎日残業、新車が売れるのはありがたい限りだが、今月もインポーターとの協定台数に足りず大量の自社登録をする羽目になり赤字が膨らむ。
この赤字は資産計上されるから数字のトリックとしては赤字では無いのだが、経営が厳しい販社は減価償却もままならず、新古車として売る度に大赤字が発生する。
だから新車が売れて、整備も忙しいのに決算は赤になる。
インポーターは俺たち販社を殺さない程度に搾取する、ウインウインなんて事はあり得ない。
今年、昇給あるのかな……? 去年は千円上がったっけ? このままだと定年までの20年間で2万円の昇給が見込めるな……。
俺は新車の鍵を握り締めて、連休前、残り8台となった新車の整備を行うため、車両を取りに駐車場へと向かった。
◇ ◇ ◇
《整備士あるある その1》
車両乗降時、絶対にドアから手を離さない。
(不意にドアがひらいて車両が傷付く恐れがある為)
今回からあるあるシリーズ始めました、超久しぶりに更新しましたが今後も不定期で更新して行きますので宜しく。この小説は現実に沿ったフィクションです。
外車整備士は底辺でも辞めないようです みりお @mirio
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