第5話 ルイさんと付き合い始めてみた。

 ――ぼくとルイが付き合い始めた事は、意外にも早くにバレてしまった。ほとんどはぼくの様子で分かったらしい。社長や事務員や千石さんは応援してくれた。玉部さんや稲葉さんからは半分やっかみで、いじられたりした。山岸さんからは、まるで娘を送り出す父親のように、ルイの事を頼まれた。それからの仕事は、まるで二人の思い出作りと仕事の先輩としての技を教えてもらう、そんな雰囲気の中、時間が過ぎていった。

 マンガの方も、ネームを井上に見せてOKをもらえた。いよいよ下書きからペン入れに入る。締め切りまで時間がないので、かなりのペースで描きあげていかなければならない、そんな充実した日々を過ごしていた。

 「あんた大丈夫か?」

 「全然大丈夫や! むしろ元気なぐらいやで」

 休憩中、心配してくれたルイが声をかけてくれたが、本当に自分でも不思議なぐらい元気だった。おそらくルイが傍にいてくれるからだと思う。

 「あんたはすぐ注意力散漫になるさかい気を付けなあかんで」

 「そんなに危なっかしいかな?」

 「危なっかしいわ!」

 「でも、ここで頑張らんとズルズルいってまいそうやから、頑張るわ」

 「マンガに関しては、うちはなんもできひんからな……事故の無いように見といたるわ」

 何度も背中を叩かれ、痛みで目が醒める。

 仕事もプライベートも充実し過ぎて、死亡フラグでも立っているんじゃないかと思うほど順調な日々を過ごしていた。家に帰って下書きをしていると、突然、井上が家にやってきた。

 「下書きの進捗しんちょくをみにきたで」

 まるで、我が家のように振る舞う井上に、描き上げた分の下書きを見せた。

 「どうや?」

 「……お前、ヒロイン好き過ぎてみんな同じような表情やんけ」

 いきなりダメ出しされて、我が耳を疑った。

 「もうちょっと人間味ださんと読者に伝わらんで」

 「そんな喜怒哀楽のある人やないからこんなもんでええやろ?」

 「メインヒロインやなかったらそれでもええたろうけど、やっぱメインヒロインはそこそこ感情を出さんと、読者が入り込めんわ」

 「そんなもんやろうか……」

 半信半疑だが、作品にのめり込み過ぎているぼくより、客観的に見ることのできる井上の言う事の方が正解なのだろうと、しぶしぶ手直しをすることに決めた。

 「……ところで、もう彼女とはやったんか?」

 マンガを読んでいた井上が、ねずみ花火を投げるように言葉投げて、ぼくを驚かせる。

 「――はぁ、な、何言ってんだよ!」

 「その感じやと、まだっぽいな」

 盗み見るようにして、ぼくの表情から読み取る。

 「最近二人とも忙しくて、それどころやないんや」

 ぼくは仕事を覚えながらマンガの制作をして、ルイは独立のための準備と二人とも忙しいのは嘘ではない。

 「忙しいっていってもやるぐらいの時間はあるやろう……お前病気か何かか?」

 「いや、それは言い過ぎやろ」

 「ドーテーボーイが彼女出来てやらんなんて、どこかおかしいと思うのが普通やろ」

 「失礼な! ぼくかってやりたいと思うけど……」

 「――なるほど、ドーテーボーイが陥るどうやってそんな風にもっていったらいいか分からんってやつやな」

 正鵠せいこくを射られて、頷くだけしかできなかった。やりたいなんて素直に言ったら引かれそうで言えない。だからといって、そんな雰囲気の作り方なんて知らないから出来ない。もう、どうしていいか分からず、何もできないまま、時間だけが過ぎていった。

 「これやからドーテーボーイは困るんや」

 井上は高校の頃に彼女がいて、すでにドーテーを卒業していたのだった。当時かなり得意げに話していて気に入らなかったが、今は脱ドーテーの先輩として、色々ご教授してもらおうと思っていた。

 「具体的に教えてくれよ」

 「そやな……まずは、二人っきりになれる場所にいって、彼女の目を見て肩や髪を触りながら顔を近づけてキスをする。そしたらそのまま一気に押し倒してやってもうたらええねん」

 「最後雑になってなかったか?」

 「勢いが大切なんや!」

 そんなもんやろうかと思いつつも、分からないので素直に聞いとくことにした。

 「問題は二人っきりになれる場所やけど……やっぱラブホテルとかか?」

 「お前ん家は両親いるしなぁ……彼女の家はどうなん?」

 以前、ルイの家で会った親父さんのことを思い出した。商売風の女の人を連れ込んで、ルイとケンカして、止めに入り殴られたので、あまりいい印象はなかった。そんな場所でドーテー卒業もなんだか複雑な気分だし、ルイも良い気がしないだろうと思った。

 「……やっぱラブホかな」

 そんな話をしていると、気持ちが悶々としてきた。

 「そこは男らしくお前がリードしてやらんとな――ビシっと決めてこい!」

 無責任そのものの表情を浮かべ煽る。どうやらそれが目的で家に来たようだ。

 「ルイって、そんなの待っているタイプやないとおもうんやけど?」

 「好きな男が手を出してこないって不安になるぞ、私に魅力ないのかってな」

 「そんなもんやろうか……」

 「そんなもんや、いつまでも手出さんかったら他の男に奪われるぞ」

 さんざん煽るだけ煽って、井上は帰っていった。一人、机に向かい漫画を描きながら井上の言葉が、トゲのように刺さっていた。

 「ああああ、そやけどどうすればええねん」

 自分だけの事なら、最後はやってまえ精神で生きてきたが、人の気持ちがかかわる問題となるとそうはいかない。相手の気持ちも考えて行動しなければならない。でも、相手の気持ちなんて分かるわけがない――だからって聞けるようなものでもないのも事実で、まさにメビウスの輪のような思考の迷路に陥り、とてもマンガを描く気分になれなかった。

 悶々とした気分が溜まり、ぼくは来るべきHの時に備え、予習をしておこうと、秘蔵のDVDを出して勉強をすることにした。あくまでも勉強の為である――

 

 ――それからすぐに、その予習を活かすチャンスが訪れた。ルイと休みが同じだったので、仕事終わったら一緒に晩御飯を食べる約束をした。ルイから誘われての事だったのが、なんとも情けない話だが……この後は、しっかりイニシアチブをとろうと色々計画を立ててみる。

 「待った?」

 「いや、それほどでもないよ」

 珍しく、ルイが着替えてから梅田で待ち合わせしようなんて言ってきた。

 久しぶりに見るルイの私服は、デニムパンツに白いTシャツとワインレッドのジャケットを羽織り茶色のカジュアルパンプスを履き、颯爽と現れた。

 「どこいく?」

 今日のルイは、いつもと違いほんのりと香水の匂いと薄ら化粧をしていた。普段見慣れないルイの姿に、ぼくの心臓は激しく血液を股間へと送り込み熱くさせた。

 ――やばい、静まれ!

 井上の奴が余計な事を吹き込んだから、変に意識していまう。今ではパブロフの犬の如く、ルイの顔を見るだけで体が反応して宥めるだけで必死だった。

 「どうしたん? さっきから大人しいけど」

 「そ、そう?」

 平常心を保つだけでこの消耗――この先一緒に食事とかしていて、ぼくの心と体は持つのだろうかと、本気で心配になった。

 「男らしくリードしてーや」

 意地悪そうな笑顔を浮かべて背中を二発叩く。――そうだよな。しっかりルイをリードして、脱ドーテーだ、と気持ちを決めた。とりあえず、食事は居酒屋に入った。

 「じゃ、お疲れ様~」

 ジョッキを重ねて、まずはお約束の乾杯をする。ぼくが一口飲む間にルイは一気にビールを飲み欲して、すぐにお代わりを頼む。

 「言い飲みっぷりやけど、どうしたん?」

 「独立してからの仕事も順調に入ってきていて、とりあえず安心してな」

 その言葉に、外見では見せない独立による心配があった事を始めて知った。そんなルイの気持ちも知らずに、自分の事だけしか見ていなかったと恥じ入った。

 「たまには長峰美装にも来るんやろ?」

 「もちろんや、社長が結構仕事回してくれてるからな、ほんまありがたいわ」

 今度はゆっくりビールを飲みながら、つくねを食べる。

 「ぼくができることなんてしれてるけど、それでも弱音とか言いたくなったらいってや」

 その言葉を聞いたルイは、目を丸くして見つめ返してきた。そして、大きな声で笑い、「イサオに頼るようになったら、独り親方辞め時やろうな」と、運ばれてきた料理を食べながら豪快に言い放つ。

 「真剣なんやで」

 茶化すようなルイの言葉に、少し反発する。

 「ごめんごめん、ありがとうな。それよりあんたも飲みや」

 ルイに、まだまだ子ども扱いされ、不機嫌になってビールを飲みまくった。

 それから、仕事の話や近況報告などの話しをしていた事を途中まで覚えていたが、そこから先の記憶がなかった。

 気が付いた時には、知らないふかふかのベッドに横たわっていた。起き上ろうとしたが、頭が痛くてすぐに蹲る。やがて、自分がパンツだけのハダカ状態であることが分かり、さらに混乱する。

 「――やっと起きたか」

 バスタオルで体を隠し、髪の毛を拭きながら、まるでお風呂上がりの姿でルイが現れた。その様子に、一体何が起こっているのか分からず、呆然と見つめているとタオルをぶつけられる。

 「ちょっと見過ぎや」

 ルイは照れながら怒り、ベッドに座る。

 「……あ、あの~、ルイ、これって……?」

 「なんや、昨日のこと覚えてないんか?」

 ルイは少し不機嫌そうな声色で、聞き返してきた。

 「いえ、まったく覚えていないわけじゃないんですが……」

 慌てて取り繕ったが、咄嗟にとはいえ、嘘をついてしまった罪悪感に胸がズキリと痛んだ。

 「昨日あんなに激しかったのに……」

 ――激しかったって、まさかルイとHしたのかあああ!?

 ベッドに腰掛けるルイを直視することが出来ず、俯いたまま必死に昨日の事を思い出そうとした。――が、まったく、記憶の欠片も発見できなかった。

 「……あんた、やっぱり覚えてないんやろう?」

 ルイが睨むように覗きみてくる。言い訳の術が思いつかないぼくは、観念した。

 「すみません、まったく覚えていません」

 ベッドの上で土下座して謝った。そうすることしかできず、赦してもらえるまで頭を上げないつもりだった。そんなぼくに、ルイはしばらく無言でいた。なんともいえない居心地の悪い時間の中、頭を下げていたのでルイの表情は読めなかったが、おそらくかなり怒っているのだろうことは、この間が教えてくれているようだった。

 「あ~あ、もったいないなぁ、あんな濃密な夜を覚えていないなんて……」

 ようやく口を開いたルイは、からかうような笑い声を上げながら言う。

 「……あ、あの、ぼく上手く……普通にできたんやろうか!?」

 記憶がない状態で、ドーテーを卒業したなんてショックでしかたがない。どこまでもダメな自分に、今日ほど嫌になったことはない。

 ぼくが落ち込んでいると、ルイは足をばたつかせながら大笑いしだす。何について笑っているのか分からず、頭が真っ白な状態で、大笑いをしているルイを見た。

 「ごめんごめん、あんた酔いつぶれてもうて、なんもしてないよ」

 ルイの言った言葉を理解するのに、一分ほど時間を要した。やがて理解すると、血液が一瞬で頭まで駆け上った。

 「マジでぇ~~!? 初めてがまったく覚えてないなんて、マジで最悪やと思ったわ」

 「覚えてない方がよかったって思うほど悲惨やったらどうする?」

 いたずらっ子のような笑顔を浮かべてベッドに座るルイの身体には、バスタオルが巻かれているだけで、露出された肩や腕、そして太ももが気になって仕方なかった。

 「……いやらしいなぁイサオ、さっきからチラチラ見てきて」

 「あ、いや、その……」

 ――バレていた。

 こんな時、スマートな男やったらどう振る舞うんやろうか、などと考えてしまう。

 「……うちはいいんやで……イサオがしたいんやったら」

 人生で、二度とできないほど高速で首を縦に動かし、今までにないほど目を血走らせルイをみた。ルイも仕事や、普段でも絶対に見せることがないような、恥ずかしがった表情を浮かべていた。そんなルイを見ただけで下半身は痛いほど脈打ち、飢えた野犬のように獰猛な動きをしていた。

 「……ぼく、初めてなんでルイみたいなベテランを満足させれるか分かりませんが……」

 思いっきりグーパンチが顔面に食い込んだ。

 「人をビッチみたいに言うな!!」

 「す、すみません……そ、それじゃあどうしましょう?」

 「そんなん女に聞くなや!」

 もっともだったが、なにせ仕事ではルイに色々聞いていたので、その癖がつい出てしまった。気を取り直して、今まで見たり聞いたりネットで調べた知識を総動員して、脱ドーテーの儀式に挑もうとした。

 「そ、それじゃあ……」

 ルイの露わになっている両肩に手を置きキスをしようと顔を近づけた。

 ――トゥルルルルル。

 枕元にある備え付けの電話が鳴った。慌ててルイがでると何やら話して受話器を置いた。

 「な、なんやった?」

 「……時間やて」

 チェックアウトの時間となり、ぼくらは完全に興をそがれたので、延長せずにラブホを出ることにした。

 ホテルから出る時って妙に気恥ずかしいものがあり、辺りを警戒するように出ると、急ぎ足でラブホから離れた。

 太陽は中天にさしかかっていたのだが、半袖では肌寒く、冬がひたひたと近づいてきているのを感じた。

 大通りに出ると、大勢の人が行きかっていた。こんな真昼間からHをしそうになっていたのかと思うとまた恥ずかしくなった。ルイの方は平然としていたので、思わず「慣れてるなぁ」と、口走りそうになって止めた。絶対殴られるに決まっている。しかし、せっかくドーテー卒業間際までいたのに、何もできなかったのが、心残りだった。

 「……帰ろうか」

 「そうやな……」

 ぼくのダメっぷりに愛想を尽かしたルイは、そのまま駅へと歩みを進めた。その後を「ダメ男」の看板を背負うようについて歩いた。

 「――そうや、新しい車来たから見にこうへん!?」

 ルイは独立するにあたって、コツコツと貯めていたお金で、自分の車を買ったらしい。折角誘ってくれたので、見に行くことにした。

 昼間の電車は空いていて、二人で並んで座る。

 「酔い潰れて残念やったなぁ」

 ルイがぼくの耳元で囁いた。

 「ほんまやで……」

 「もうこんな機会ないかもな!」

 「そ、そんなぁ~」

 「うちも独立したら忙しくなるからな、あんたもマンガ追い込みやろ?」

 そう言われると返す言葉がなかった。それだけに昨日の夜は後悔してもしきれない出来事だった。

 電車を降りてルイの家の近くにある駐車場に辿り着いた。そこには、真新しい黒の軽ワゴン車が止まっていた。

 「今はこんな小さい車やけど、すぐにハイエースぐらいの車買えるぐらいになったるからな!」

 嬉しそうに、自分の車を見せてくれた。その車を見て、ルイがもうすぐ長峰美装を辞めるという事実が実感できて、余計に寂しくなった。

 「そういえばお腹すいたな……家でなんか作ろうか?」

 「え? ルイ料理できるん!?」

 スパーンと、見事なほどいい音をさせて頭を叩かれた。

 「失礼やな、食べたくないんやったらええけど」

 問答無用で、ぼくを置き去りにして歩いていった。その後ろを慌てて追いかける。

 ルイの家に来るのはこれで二回目だが、初めての時は親父さんが水商売風の女を連れて戻り、ルイとケンカになったっていう最悪のイメージだったので、入る前にどうしても親父さんの存在が気になった。

 「あのオッサンは、オカンとケンカしたから当分帰ってけーへんと思うわ」

 そりゃあんなことがあったら、普通はケンカだけでは済まないだろう。ルイもそれについてはとくに気にした素振りも見せないので、変にほじくりかえして怒らせるのも得策だと思わなかったで、黙ってる事にした。

 家に入るとルイは、すぐに台所に向かい冷蔵庫を開けて料理の準備に取り掛かった。

 「何か手伝おうか?」

 「それやったら米洗って焚いといてくれる。……洗うって言っても、洗剤で洗うんちゃうからな」

 「それぐらい分かってるわ!」

 ちょっとムキになって言うと、ルイは大笑いしながら色々な準備をしていた。

 ――ご飯が炊きあがる頃には、野菜炒めとお味噌汁が出来ていた。それらを居間に運びテーブルに並べた。

 「おいしそうやな、いただきます」

 野菜炒めを一口食べる。

 「どう?」

 ――ちょうどいい塩加減とシャキシャキの野菜が、口の中で心地いいハーモニーを奏でた。

 「めちゃくちゃ美味しい!」

 お世辞じゃなく本当に美味しかった。むさぼるように野菜炒めとご飯に食らいつく。それを、ルイは嬉しそうに眺めながら一緒に食べる。

 「――ごちそうさまでしたぁ、本当に美味しかったぁ」

 「口にあってよかった」

 ルイが嬉しそうに微笑み、ぼくもそんなルイの姿がかわいく、満面の笑顔で答えた。すぐにルイが食器を片づけようとしていたので、手伝って食器を台所に運んだ。

 「他に得意な料理ってあるの?」

 「煮物以外はなんでもできるんやけど、煮物はなんか苦手なんよね」

 「これだけ美味しい物作れるんやから、煮物ぐらい簡単にできそうやのにね」

 食器を洗いながら、そんな会話をする。

 「やればできるんやろうけど、仕事が忙しくてなかなかゆっくり煮物を作る元気がないわ」

 「ぼくも、少しは料理できるようにならんとなぁ」

 「料理男子ってやつやな」

 ルイが食器を洗いぼくが流す。その連携をしていると、ルイの泡だらけの手がぼくの手が触れた。

 「ごめん」

 謝ったルイだが、すぐに泡だらけの手で、ぼくの手を握り泡をつけてきた。

 「ちょっと、泡だらけになってもうたやん」

 「おもろいやろ」

 ルイは嫌がるぼくの手に、また泡を付けてきた。

 「もう、食器流されへんやろ」

 泡を流し落とすと、すぐに泡を付けようとしてきたので、慌ててよけたが、しつこく泡をつけようとしてきた。そんなルイのイタズラに抵抗しているうちに、手を握っていた。

 ぼくとルイは手を握り見つめ合う。水道水が流れる音だけが台所に響き、ぼくたちはその音を聞き、見つめ合っていると自然とキスをしていた。はじめは優しく触れるだけのキスだったが、やがて、お互いを求めるように激しいキスへと変わる。

 「……ルイ、ええか」

 ぼくの問いにルイは頷いてくれた。洗い物を置いてぼくたちは強く抱き合い激しいキスをした。触れる唇を通してお互いの荒い息遣いや激流のように流れる血液の慟哭を感じた。

 「部屋に行こうか」

 消え入るような囁く声で、ルイが重ねた唇の隙間から漏らした。手を繋ぎ誘われるように部屋に入り、ルイと初めて身体を重ねた。


 ――次の日の朝、目覚ましより先に目が覚めた。まだ時間があり布団の中で微睡まどろんでいると、昨日経験したルイとの濃密な重なりを思い出してニヤけてしまう。女性の身体があんなに柔らかく甘美な味だと知らなかった。知ってしまったら忘れることが出来ず、また味わいたくなったが、そればかり求めても嫌われるんじゃないかと心配になった。それでも今すぐ欲しい、欲しくてたまらなかった。

 ――布団の中で気分が盛り上がり、鎮めようとしたしたところで、目覚ましが鳴った。

 「やばい!」

 鎮める時間がなくなり、慌てて布団から飛び出すと、シャワーを浴びて気分を少し押さえてから事務所に向かった。

 事務所に着くとルイがいた。その姿を見た瞬間、下半身が反応を示したので、慌てて眠たそうな素振りをして中腰になる。

 「オッス」

 ルイはいつもと変わらず、気怠そうに挨拶をしてきた。ぼくも眠たそうにしながら普通を装いつつ挨拶をする。――が、今しがたまで、昨日の事を思い出し抜こうとしていた女の人をまともに見れるわけもなく、すぐに目を逸らす。

 「あんたキョドり過ぎや」

 ルイが近づき耳元で注意してきた。やっぱり挙動不審だったかと反省して、自然に自然にと心で念じながら現場に向かったが、仕事中もルイを見かけるたびに、裸を思い出しては股間を熱くさせ、一日中大変だった。

 「西嶋ぁ~、ルイとなんかあったやろ!?」

 玉部さんが倉庫で明日の準備をしていると、肩を組んできて周りには聞こえない程度に僕に聞いてきた。

 「な、何もないですよ……」

 「いや、絶対なんかあったわ……やったんか?」

 この人、意外に他人を見ているんだと感心してしまった。

 「や、やってませんよ!」

 「ほんまかぁ~?」

 疑いの眼差しでぼくを見る。その目は全てを見抜いているようで、薄気味悪かった。

 「ほんまです!」

 「男同士でなにやってるんですか!? 事務所戻りますよ」

 ルイが助け舟を出してくれた。あのままだったら玉部さんに押し切られそうだったと胸を撫で下ろす。ジェスチャーで感謝を示したが、ルイは軽く睨んで、すぐに運転席についた。

 なんか長い一日だった。

 ――家に帰り、お風呂に入って今日の疲れを取る。そして、少し休憩してから机に向かってマンガを描こうとしたが、気分が乗らず落書きをして気分転換をすることにした。

 ――落書きのつもりが、真剣に裸婦画を描いていた。そんな自分に気づいた時、純粋な絵の練習なのか、欲望のまま描いていたのか分からず自己嫌悪に陥る。こんなことじゃマンガの投稿日に間に合わないと、気を引き締め直し下書きを急いだ。

 ――あのドーテー卒業の日から、ルイとはすれ違いのように時間が合わず、Hどころかデートも出来ないでいた。そのせいで心は悶々として、持続力も低下してしまい、何をしても散漫となっていた。

 「――そんなことでうちに来るな!」

 「そんなこと言わんと聞いてくれよ~」

 心に溜まった膿を出したくて、井上の家でいつものように愚痴る。

 「聞かされる方は気持ち悪いわ!」

 ヘッドフォンでぼくとの会話を打ち切ろうとした井上のヘッドフォンを取り上げる。

 「悩める親友を助けてくれよ!」

 「うっとうしいなぁ……風俗行け! 風俗!」

 「風俗なんて行ったらルイに悪いだろう!」

 「じゃ、AVでも借りて死ぬほど抜け!」

 「そんなんじゃぁなくて、ルイとゆっくり会えなくて寂しいんや……」

 「寂しいって、ただHしたいだけやろうが!」

 「それだけやないで、会ってしゃべってメシを食いたいんや……そりゃ、できればHもしたいけどな……」

 「彼女やねんから呼び出してやってまえばええやろ!」

 「そんなんできるか! それにそんなんしてくれる人やないしな」

 「だったら、お前がいったらええやん、絶対彼女も待ってるで」

 その言葉は甘美な響きを放ち、重い腰を浮かせるのに十分だった。――だけど、迷惑がられても嫌だし、万が一にも家に行って親父さんと出くわしたら最悪だと思うと、簡単な話ではなかった。

 「……そんなに悶々としとったらマンガも仕事も手につかんやろ? 彼女がそんなお前見たらどう思うやろうな」

 はっきり言われて、ようやく決心が固まった。

 「……じゃあ誘ってみるわ!」

 「そうしいや!」

 「やっぱりもつべきものは親友やな!」

 「さっさと帰れ!」

 荒っぽい励ましの言葉を背中に受け、井上の家を出てた。そして、明日ルイを食事に誘うと心に決めた。


 ――次の日、倉庫で道具のチェックをしているルイに近づき、食事の事を言ってみると、あっさりOKをもらえた。こんなことならもっと早くに誘っていればよかった。

 その日は、一日中仕事が早く終わらないかと思いながら作業をしていた。今にして思えば浮かれていたんだと思う。いや、確実に浮かれていたんだろう。――そして、いつも思いもよらずにその時は訪れる。ぼくは、六メートルの梯子で二階部分のガラスを清掃していた。横にずらりと並んだガラスなので、普通にやっても時間通り終わるのだが、少し無理して手を伸ばし距離を稼いでやれば、梯子の上り下りの回数を減らせ、時間の短縮にもなるので、早くデートに行きたい気持ちが無理に腕を伸ばして作業をする行為をさせた。その結果、バランスを崩した。

 ――気が付いたら仰向けに倒れ、息が出来ず半分パニック状態となっていた。とにかく起き上がろうとしたが、腰のあたりに激痛が走り、すぐに蹲って痛みを堪えるだけで動けなかった。地面に蹲って丸まっていると、腰の痛みが多少マシになったので、その姿勢のままじっとする。そうする事しかできなかった。

 ――しばらくして、痛みが和らいだので動こうとしたが、また腰に電流が走るような痛みが広がり、まったく動けなかった。助けを呼ぼうにも丸まった状態からポケットにあるスマホに手を伸ばすことが出来ず、声を出そうにも大声が出せる姿勢でもなかった。こうなったら誰かに気づいてもらえるまで待つしかなかった。

 ――落ちてから長い時間経ったように思えた時に、ルイの誰何すいかが聞こえた。

 「どうしたんやイサオ!?」

 駆け寄り覗き込むルイの顔をみようと、何とか首を動かしてみた。

 「……落ちた」

 しぼりだすように、なんとか声を出すことができた。

 「マジでか!? どこか痛いとこあるんか!?」

 「腰が痛い」

 「動けそうか?」

 「ちょっと無理っぽい」

 「とにかく肩貸したるから立とうか」

 ルイがぼくの腕を掴み起き上らせてくれた。少し痛みがあったが、このままじっとしていても変わらなさそうなので、無理してでも起き上がる。

 「車まで行くで」

 ルイに負担をかけないように歩こうとしたが、痛みが酷くとても一人では歩けなさそうだった。ルイにもたれかかりながら、ゆっくりと車まで辿り着く。なんとか後部座席に寝かせてもらう。

 「ちょっと待っときや、近くの病院検索してるから」

 「ありがとう」

 待っている間、落ちたショックと痛みと情けなさが同居した感情が、混沌と心を濁らせる。

 「……今日食事行く約束してたのに、ごめんな」

 運転席で一生懸命病院を探してくれているルイの姿を見て、思い出し声をかけた。

 「今はええから――あった! すぐ近くやな、あとは玉部さんに連絡しとくわ」

 電話で事の顛末を伝えたルイは、まるで救急車のように急いで車を出した。そのスピードに後ろの席で事故らないか心配となった。

 「……安全運転でな」

 「分かってるわ、大人しくしとき!」

 そう言いながらも、信号待ちで激しく貧乏ゆすりをしたり、ゆっくり走っている車に悪態をついたりと、とても安全運転を心掛けているようにみえなかった。それでも事故をすることなく病院へと着いた。

 ルイは看護師に事情の説明をしてくれたり、色々な手続きをやってくれてたので、ぼくは診察だけに集中する事が出来た。

 そして、レントゲンの結果尾骨骨折だと判明した。尾骨とは昔人間に尻尾があった頃の名残で小さい突起のような骨の事である。よくスキーやスノボーをやっている人が折る骨らしいが、そんな使わない骨が折れただけで、こんなに痛いものとは恐るべし尾骨。

 先生曰く、治療方法は大人しくしているしかないそうだ。痛みがなくなるのに、二、三週間はかかるようだ。

 診察を終え、会計などの手続きもルイがやってくれた。そして、今日は仕事が出来ないので家まで送ってもらった。

 「たいしたことなくてよかったな」

 家に向かう道中の運転は、さっきまでの荒い運転とはうってかわって、ゆっくりとしたものだった。

 「迷惑かけてごめんな」

 「ほんまやで、この埋め合わせはしてもらわなあかんわ」

 「なんでもゆうて、なんでもするから」

 「今度、回らない寿司屋で腹一杯食べさしてもらおう」

 「そんなんおやすいごようや」

 親指を立て格好良く決める。それを見てルイは苦笑いを浮かべていた。

 「……早く治るように大人しくしてるんやで」

 「うん、分かった」

 ぼくに衝撃が伝わらないよう気を使った運転を心掛けてくれたので、痛みを感じることなくハイエースで横になっていたら家に着いた。まだ一人で歩くのは無理だったので、ルイの肩を借りて自分のベッドへと連れていってもらった。

 「ありがとうな」

 「ほな、うちは現場戻るわ」

 「みんなにすみませんでしたってゆうといて」

 「了解――社長にも連絡しとくから、あんたはゆっくり休んどきな」

 「ありがとうな、気をつけて」

 ベッドからルイを見送った。鍵はポストに入れといてもらった。

 自分のベッドに横たわり、ようやく一息つけた。――気持ちに余裕ができたことで、怪我をした自分に腹が立ってしかたなかった。いつもルイに仕事中は気を散漫にせずにしっかり集中するように言われていたのに、こんなミスをしてみんなに迷惑をかけてしまった。ルイに呆れられて見捨てられるんじゃないかと、一人でいるとネガティブな気持ちが増幅されていく。


 「――それで俺を召喚したのか……」

 椅子に座り、呆れ顔で見つめる井上に何も言い返せなかった。

 「……まぁいいけどよ、この貸は必ず返してもらうからな」

 「ああ、何でも言ってくれ」

 「期待に応えてやるよ」

 井上は悪巧みをしているような、薄ら怖い笑顔を浮かべる。

 「それと……もう一つ頼みがあるんやけど……」

 「彼女と代わりにデートして欲しいなら任せとけ!」

 「そんなこと絶対頼むか!!」

 「遠慮するな親友だろ」

 舌をペロっと出して、おどけたふりをする井上に若干の殺意が湧いた。

 「いらんわ! それよりマンガのことなんやけど――」

 二、三週間も休むわけにはいかない。――だが、すぐにはマンガが描ける状態でもないのは確かで、誰かに頼らなければならないのだが、誰でもマンガが描けるものでもないのであった。

 「随分負債抱えることになるけど大丈夫か?」

 「親友割引でお願いします」

 「甘えるな、しっかり催促したるからな覚悟しとけ!」

 いつもなんだかんだといいながら助けてくれる井上には、いつか必ず恩を返したいと思った。これで締め切りには間に合いそうだと、安心して療養に集中できると胸を撫で下ろせた。


 ――休んでいる間、意外でもなかったが、ルイからは一切連絡がなかった。忙しいのは分かるが、彼氏が怪我で休んでいるのに音沙汰なしとは愛を疑いたくなる。

 心が闇に呑み込まれそうになったので、メールだけはしてみたが、「ゆっくり療養しいな」と愛想のない返信だけだった。

 ――絶対に嫌われたんだぁーー、とネガティブになる。電話でもしようかと思うのだが、こんなことを言ったら増々嫌われるんじゃないかと思うと、電話も出来なかった。

 そんな訳で、いてもたってもいられなくなたぼくは、一週間ほど休んだだけで現場に復帰した。社長やみんなは大丈夫だから休んでいていいと言ってくれたが、家に閉じこもっていると自己嫌悪で自己崩壊しそうだった。それに、いつまでも現場に穴を空けるわけにはいかないと思い、まだ痛みがあるが動けない程ではないので、仕事に出ることにした。

 「お世話かけてすみませんでした」

 事務所で開口一番社長に謝った。

 「この仕事はケガがつきもんやからな、大きなケガじゃなくてよかったわ」

 特に怒られることもなく、気をつけるように注意を受けただけだった。みんなが出勤してくる度に謝って回った。

 「それじゃ行こうか」

 山岸さんの合図で動き出す。そこにはルイの姿がなかった。

 「あれ、ルイは休みですか?」

 「――は? お前聞いてなかったんか? 今日からルイちゃんは独立して、知り合いの現場に行ってるわ」

 玉部さんの言葉に、尾骨を折った時より強い衝撃を心に受けた。なんでルイは何も言ってくれなかったのか? その疑問が怒りとなってふつふつとわき上がってきた。すぐにLINEで送ったが――返事はなかった。

 現場についてからも怒りが収まらずにいたので、ハイエースを降りてから深呼吸をする。とりあえず落ち着いて、またケガをして迷惑をかけたくなかったので、今は仕事に集中することにした。この件は、お昼にもう一度連絡してみようと思った。

 ――お昼にLINEしてみると、今度は返事があった。それには、今日仕事終わってから会って話す――とだけ書かれていた。話すと言ってくれているんだから仕事が終わるまで辛抱した。

 ――仕事が終わり、事務所の前で待っているとクラクションが聞こえた。そこには、以前ルイの駐車場で見た黒の軽ワゴンが止まっていた。扉が開くと笑顔を浮かべたルイが降りてきた。

 「おつかれさん、元気になってよかったな」

 笑顔のルイを見ると、悶々としていた一週間の辛さが蘇り、独立のことを話してくれなかった怒りをぶつけようと口を開いた。

 「……なんで言ってくれへんかってん!」

 「はぁ?」

 「独立が今日やってことや」

 「しょうがないやろあんたケガしてたんやし」

 「そうやけど……メッセージで教えてくれても」

 「そんな文句が言いたいだけで呼び出したんか?」

 少し怒り気味にぼくを睨んできた。

 「違うけど……ぼくら付き合ってんてんねんから言ってくれてもええと思うわ」

 「全部報告せなあかんとかめんどくさいねん」

 「めんどくさいとかないやろ!」

 酷い言われ様に、ムキになって言い返す。

 「遊んでる訳やないんやから愚痴愚痴言うなや」

 「愚痴愚痴言わしてるのは自分やろ!」

 そんなに強く言うつもりはなかったが、感情が爆発したように、そのまま口を紡いでしまった。

 「うちが悪いっていうんか!」

 ルイは右の拳でぼくの左肩辺りを殴ってきた。その衝撃が腰まで届き、踏ん張ることが出来ず倒れてしまった。

 「……ま、まだ痛いんやったら大人しくしとけ」

 そう言うと、ルイは車に乗り込みエンジンをふかしてさっさと行ってしまった。

 ――どうしよう、このまま終わったら……。

 走り去るルイの車を見つめながら、なんでこんなことになってしまったのだろうと、後悔で胸が押し潰しそうになっていた。

 家に戻ってもマンガが手に付かず、布団にくるまり、後悔の念と怒りの気持ちが行ったり来たりしていた。

 次の日の仕事終わりに、勇気を振り絞ってLINEをしてみた。――が、ルイからの返事はなかった。不安が現実味を帯びてきて、どうしたらいいか分からず、怒られると分かっていても井上に電話してみた。

 「――しばらく様子見るしかないやろ」

 井上は意外なほど親切に話を聞いてくれた。

 「そのまま別れてもうたらどうすんねん」

 「それまでの縁やったってことやないか?」

 「ちょっと無責任過ぎひんかぁ」

 「……じゃあ、家に行って土下座でもしてこいや」

 それも考えなくもなかったが――やっぱり抵抗があった。

 「それも男として情けないような……」

 「こんなウジウジした相談してて、男らしいとかあるかいな」

 全くその通りの意見に、返す言葉もなく沈黙してしまう。

 「……まぁ、ちょっと時間を置いてから会いに行くのがええとおもうで」

 同情したのだろう井上が最後にまともな事を言ってくれた。そのアドバイスを受けて、ちょっと冷却期間を置いてから会いに行く事に決めた。

 その間、マンガに集中しようとした。しかし、マンガにのめり込めばのめり込むほどルイが思い出された。なんでヒロインはルイに似ているんだと、理不尽な怒りと描けば描くほどルイが恋しくなっていく。

 「あいたいよおおおおルイイイイイイイィ!」

 夜中に思わず叫び、親にめちゃくちゃ怒られた。

 ――あれから一週間、ちょこちょこメセージを出しているのだが、返事は一つも返ってこなかった。

 完全に嫌われているのだろうか……気にしすぎて朝食が喉を通らず、ゾンビのようにフラフラと仕事に向かった。

 ――事務所に着くと、一気に目が醒めた。

 「オッス」

 「ル、ルイ……どうしてここに?」

 そこには見慣れた作業着を着て、仲間と楽しくしゃべっているルイがいた。

 「今日はこっちによばれて応援や」

 独立したといっても長峰美装と縁が切れたわけじゃないから、こうやって応援として一緒に仕事ができるんだと分かり、今まで会えなかった不安が、一気に吹き飛んだ。

 「……この間は、ごめん」

 現場で休憩のときにこっそりと謝った。

 「ええわ、うちも言い過ぎたと思ってるから」

 「よかったぁ~……じゃ、今日食事いかへん」

 さらに仲直りしようと、誘ってみる。

 「あれ? あんた聞いてへんの……今日うちの送別会みたいなのやってくれるって言ってたんやけど」

 寝耳に水とはまさにこのことだろう。そんな話は聞いていなかったので、玉部さんに問い質してみた。

 「なんや、ルイちゃんから聞いてるもんやと思ってたわ」

 さらりと言われてしまった。

 確かに、ルイとケンカしていた事を話していなかったので、しょうがないかと思った。二人っきりじゃないけど、いつでも二人っきりで食事する機会はあると思い、今はルイの送別会を楽しみにすることにした。

 「――あんた無事そうでよかったわ」

 「え? 何が……」

 「あれだけ無視してたから、気にしすぎて注意力散漫になってケガでもしてないか、ちょっとだけ心配してたんやで」

 心配してたというより、楽しんでいた様子がルイの表情から窺えた。でも、こうしてルイの笑顔が見れたのは嬉しかった。

 ――仕事も無事に終わり、送別会を行う居酒屋で、みんなが集まり盛り上がる。その日のルイはいつになく上機嫌で、大量のビールを、まさに浴びるように飲んでいた。

 「ちょっと飲み過ぎちゃうか?」

 心配になりビールを取り上げる。

 「大丈夫や!」

 赤い顔で取り上げられたビールを奪い返す。それを見て、今日はルイを介抱しないと思いアルコールを控えた。

 ――二次会の頃には、一人で歩けないほどにルイは酔っぱらっていた。

 「しっかりしいやルイ」

 「しっかりするんはあんたや!」

 大笑いしながらふらつく足取りでぼくによりかかってきた。

 「それじゃぼくルイを送ってきます」

 途中で、みんなに挨拶をする。色々揶揄されながらルイを担ぎ歩き出す。

 「――西嶋! ルイのやつを頼んだで」

 「あ、はい!」

 珍しく山岸さんが声をかけてくれた。

 「今だけじゃなくて、これからもや――」

 山岸さんは、真剣な表情でぼくを見つめて話し始めた。

 「そいつは強そうに見えるけど、本当は弱くて気にしいなところがあるから、お前がしっかり支えたらなあかんで」

 ルイを一番長く見てきたのは山岸さんであり、ルイに仕事のノウハウを教えたのも山岸さんだと聞いている。おそらくルイのことを妹のように思っていてくれているのだろう。その気持ちがわかったから力強く返事をした。

 「はい、頑張ります!」

 その言葉を聞いて安心してくれたのか、山岸さんは大きく頷き、次のお店へと向かっていった。

 ――ルイの家の前に着き、誰もいない様子だったので、とりあえず一安心した。ルイに鍵を借りて部屋に入りベッドに寝かせる。水でも飲ませてあげようと立ち上がった。

 「コラ、どこいくんや!」

 ルイがぼくの服の裾を掴んで引っ張る。

 「水を持って来るわ」

 裾を引っ張る手を離そうとしたら、ルイは握っている手をさらに強く握ってきた。

 「うちを置いて、どこ行こういうねん!」

 酔っぱらった目で睨みつけてくる。こんなにだだをこねるルイを見るのは初めてで驚いた。

 「どこも、ただ水を汲みに行くだけ――」

 「どこへも行ったらあかん! 行ったらあかんでぇ~」

 ルイが裾を力一杯引っ張るので立っていられなくなり、ルイに覆いかぶさる形でベッドに倒れてしまった。

 「――ちょっと、危ないやろルイ」

 「行ったら……あかん……で」

 ルイは裾を握ったまま子供のように眠っていた。今まで一度もこんな子供っぽい一面を見せなかったルイが、酔っぱらってるとはいえ、こんなところを見せるということは、少しはぼくに心を許してくれてたのだろうと思った。

 ――やっぱり一人で頑張ってると、疲れるんだろうな。

 強がって見せてもやっぱり女の人なんだと、こんなルイを見て山岸さんの言葉を反芻する。子供のようにベッドで丸々っているルイの頭を撫でながら、ぼくの服の裾を握る手を見て、ルイと同じ年の女の人ならネイルをやったり綺麗にしているんだろうが、洗剤を使った仕事で少し荒れ、肌も焼けて女の子らしくない手をしているのを見て、改めてこの仕事の大変さが身に染みて分かった。そのことについて、一度も文句も言わず、真面目に働いているルイが愛おしく守ってあげたくなった。具体的にどうすればいいか分からなかったが、今は気持ちよさそうに眠るルイの頭を、何度も撫でてあげた。

 「うぅ――ゲロゲロゲロ」

 「うわっ、大丈夫か!?」

 ルイは寝ゲロを吐いたが、それでも気持ちよさそうに寝ていた。

 ――ある程度片づけたぼくは、ルイの家を出た。

 なんだか早く帰って、マンガを描きたい気分になっていた。

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