第4話 ――美味しい生活――

【第四話 ――美味しい生活――】




 私に抱き締められた骨格標本は数瞬固まったあと、派手な奇声を上げてクローゼットに飛び込んだ。そのまま数日経っても、出てこない。身じろぎひとつ聞こえない。

 あんなのに悪夢を見せられていたのかと思うと別の意味で腹が立つこともないわけではないけれど、まあこの際水に流すことにした。

 ――原因は全部、おじいちゃんがもののけたちに慕われていたせいだと思えば、まあ許せないこともないし。

 翌日の休みを利用して睡眠不足を解消し、私の体調もすっかり元に戻った。

 毎日、元気にバイトに精を出しています。

 京都物産展は大盛況のうちに無事終了し、今はウエディングドレスの格安セールをやっている。

 本当に、イベントフロアは何でも売る。

 今回は、レンタルドレスのうち型落ちしたものや少し汚れたものを、お得なお値段で販売するフェアだ。

 この催しはコアなお客さまの熱が入る。

 自分の結婚式用のウエディングドレスを格安で仕入れ、手を入れて好みにカスタマイズする花嫁さん有り、コスプレが趣味のお客さまも同様にカスタマイズ有り、あとはとにかく安く、衣装としてのドレスを仕入れたい演劇関係のお客さまとか変身写真館のスタッフさんとか、ウエディングドレスを集めるのが趣味のコレクターさんとかウエディング関係のお仕事をしている人たちとか。

 純白のドレスだけじゃなく、カラードレスや打掛けも少し混じっているから、試着室が常にない混み合い方をしている。

 なので、試着は一度に三着まででお願いしている。列に並び直していただけるのなら、試着を何回繰り返されても問題なし。

 千夏もそれほど混んでいない時間帯に一度来て、ドレスを試着して大喜びしていた。試着室で写真を撮りまくり、友達に配りまくったらしい。

 そういえば今日、こんなことがあった。




「要はこれって、レンタルドレスの型落ち品ってことでしょ!? こんな安っぽいドレスじゃダメ! 絶対ダメ! せっかくの門出なんだし、ケチケチしないの!」

 混雑中の試着室の手前で、一着のドレスを手にした若い女性の声が響き渡る。

 レジが手すきなのでフロアに接客に出ていた私は、頭を抱えたくなった。

 ――困ります、お客さま~!

 ――売り場で型落ち品とか安っぽいとか、大声で叫ばれても困ります~!

「いいのよこれで! ホテルのレンタルドレスだって充分高いんだし! これでも贅沢なくらいだわ!」

「ダメ! レンタルドレスなんて、今まで何人が着たかわからない中古品でしょ!? 新品がいいの! せっかくのおめでたいことなんだから!」

 二〇代前半くらいの可愛らしい感じの女性と、母親らしき女性が一着のドレスを挟んで大喧嘩している。

 ぱっと見たところ、花嫁さんがドレスを選びに来たけど、気に入るものがなくて母娘喧嘩ってところかな。

 ――デパートの中で喧嘩されてもなあ。

 ほかのお客さまが遠巻き気味にしていて、ちょっと迷惑行為になってしまっているかも……。

 親子ってすぐわかったのは、理由は簡単。顔がそっくりだからだ。

 特に、くりんとした目が似ている。

 立場上傍観しているわけにも行かず、私はそそっと近づいて声をかけた。

 親子喧嘩に口を出すつもりはないけれど、もう少し声のトーンを落とすとか、場所を移動するとかしていただけるとありがたい。

「あの、お客さま……」

「あらまあ、店員さん。ごめんなさいね」

 喧嘩には加わらずに傍観していた、連れのおばあさま――こちらもよく目もとが似ている――が、申し訳なさそうに私に話しかけて来た。親子三代でお買い物も、イーストデパートでは珍しくない。

 でもおばあさまの目がちょっと赤く潤んでいて、口もとは幸せそうに微笑んでいる。

 私はパチパチと、不自然にならない程度に瞬きしてしまった。

 ――何で?

 目の前で、親子が喧嘩しているっていうのに。

 おばあさまが、品の良い様子でおっとりと続けた。

「娘がね、もう娘っていう年齢でもないけど――今度、再婚することになりましたの。早くに夫が事故で亡くなってしまって。苦労してシングルマザーで孫を育てて来ましたのよ。それがとうとう、良い人とご縁があって再婚することになって」

 おばあさまが、ハンカチを口にあてがう。

「そうしたらね、孫が娘にウエディングドレスを贈りたいって。娘はもうお式もあげるつもりはないし、そんなことはしないでいいって言っているんですけど、孫も頑固ですから。絶対お母さんにドレスを着せたいって。写真だけでも撮ってもらいたいって。そのためにバイトをして、頑張って貯金して」

 おばあさまの目から、幸せの涙がぽろっと零れる。とっても幸せで、ちょっとほろ苦い涙だ。

 ううう、私まで涙腺が刺激されて喉の奥がぐっとなる。

「今までシングルマザーで大変だったんだから、絶対幸せになってもらいたいって、頑張っているんですのよ。ですから、ご迷惑でしょうけど」

 おばあさま、ここで限界。

 私も限界。

 思わず手で顔を覆ってしまった私に、おばあさまが泣きながらも微笑んで、ハンカチを差し出してくださった。



 デパートにやってくるのは、9番さんばかりではない。

 こんな素敵なことも時々起こるから、デパートの中には、目には見えないドラマがたくさん詰まっているから。

 だから、この仕事はやめられない。

 人間も、まだまだ捨てたもんじゃないよね。接客業の醍醐味だ。

 あの親子三代のお客さまは結局私まで含めて全員泣いてしまい、ちょっと休憩してからドレス選びを再開された。私もそれに付き添い、販売スタッフさんにおススメのドレスを選んでもらった。

 娘さんからのプレゼントのドレスだもの。

 事情を知ったスタッフサイドにも気合いが入る。

 結局選んだのは、展示品の中から、ストンとしたシンプルなラインのオフホワイトのドレスだった。

 飾りが少なくてあっさりめのシックなデザインだったけど、それが落ち着いた年齢のお客さまによく似合っていて、本当に嬉しかった。

 花嫁さんは最後まで固辞し続けていたけれど、ドレスは娘さんが頑張って貯めた貯金から。

 ウエディングベールは、おばあさまが結婚式のときに使ったものをリメイクして。

 そして真珠のネックレスを、新しく夫となる人がプレゼントしてくれるのだそうだ。

 皆に愛される、とっても幸せな花嫁さんのウエディングドレス姿は、ため息をつきたくなるくらい綺麗だった。

 こういうこともあるから。

 私は、デパートの仕事が大好きなのだ。



「ああいうお客さまに出逢うと、心が洗われるよね……」

 心地よい疲れを感じながら帰宅すると、外にいてもわかるくらい良い匂いが家の中から漂ってきていた。煮込み系でチーズの匂いがする。

「今夜は、シチューかな?」

 玄関を開けると、ちょこんとヌーさまが立っていて、笑顔で出迎えてくれる。

「よう戻った」

「ただいま。また真人が来てるの?」

「うむ。来ておるぞ」

 また美味しいものが食べられそうだ、とヌーさまは嬉しそう。

 私もちょっと嬉しい。

 コンビニごはんはいい加減飽きた。

 実家だと商店街やスーパーが近かったから、手作りのお惣菜に困ることはなかったんだけどなあ。

 デパ地下ごはんは毎日となるとコスパが悪いし、第一シフトの時間中に買いに行くことができないから、ほぼ手に入れられないことの方が多い。

 スイーツ系は、たまにロッカールームで投げ売りしてくれるけど。

 消費期限の迫った高級ブランドのケーキとかが投げ売りされている姿を見るのはちょっと忍びないけど、同時にとても嬉しい。

 お総菜は夕方のタイムセールであらかた売り尽くされるけれど、時々、スイーツは『ざん』が出ることがある。

 ひらたく言えば売れ残りで、生クリームなど痛みやすいものを使っているだけに、次の日に売るわけにもいかないし第一それでは味が落ちる。

 それを格安で、スタッフしか出入りできないロッカールームに卸してくれることがあるのだ。 

 通称ワゴンセールと呼ばれていて、これを買うことができるのは、イーストデパートで働いている人だけだ。

 時々やってくるご褒美みたいなものかな。

 ケーキ類だけじゃなく、普段は立派な箱に詰めてセットで売られている、高級フルーツショップの缶入りジュースが一本ずつバラ売りされている現場に鉢合わせしたことがあるんだけど。

 一瞬にしてばばっと人が取り囲み、ものすごい熾烈な争いになったのを覚えている。

 まだまだその中に割り込んでいく術を知らなくてその時は買い逃してしまったけど、いつか、あの高そうなジュースを買ってみようと心に決めている。普段はとても手が届かない。

「そういえば、タンさんは?」

 怪我が完全に治ったら出て行くと散々言っていた気がするけど、あの一反木綿はずっとここに居着いている。

「それがなあ」

 ヌーさまがちょっと困ったように、つるつるの顎を指先で撫ぜた。




 真人が夕方から仕込んでおいてくれたほこほこのホワイトシチューは、絶品だった。

 豚肉と小松菜、ジャガイモやニンジン、玉ねぎがくたくたほろほろになるまで煮込まれていて、蕩けるチーズを溶かし込んだ味付けも良い感じ。市販のルウを使わなかったそうで、コクがあるわりに優しい味がする。

 パプリカを焼いて甘みを増したホットサラダも美味しいし、薄切りの黒パンにシチューを乗せて食べるとボリュームもたっぷりだ。

 舌を火傷しないよう注意しながら食べていた私は、いきなり言われた一言に、スプーンを落としそうになるくらい驚いた。

 タンさんは食事はいらないらしく、一階にいる。

「はあ? 真人がここに住む? 何で?」

 真人の家はここから遠くない。

 通っている仏教系の大学だって交通のアクセスは良いし、特に不便なこともないと本人から直接聞いて知っている。

「頼むお願い、この通り!」

 真人が、私に向かって手を合わせて拝む。

 拝む姿は、ものすごくしっくり来る。さすが寺育ち。

「俺の家、寺なの前に言ったっしょ? 今まで御寺の部分を修理改装していたんだけど、今度、老朽化してきた住居部分も改築することになっちまって」

「それで?」

「両親は近くの親戚の家に間借りすることになったし、兄貴たちはそれぞれアパートとかに部屋を借りたんだけど、俺の分がないの」

「真人も部屋借りたらいいじゃない」

「高いんだよ、この辺の部屋って家族向けが多いから。一人暮らしするのに生活費をもらうっていうのもダサいし、でも俺授業が結構詰まっているから、バイトもそんなに増やせないし。正直、生活費を捻出するだけでぎりぎり」

 これ以上バイトを詰め込んだら過労死する、と真人が心底情けなさそうな顔をする。

 確かに真人の通っている大学は、遊ぶ余裕なんてないくらいにカリキュラムがびっしり詰まっていることで有名なんだけど。

「安い部屋捜すと、ここから遠くなるんだよ。通学時間が倍に増えるのは痛い」

「そりゃまあそうだろうねえ……」

「一階の玄関そばの部屋、空いているんでしょ? ヌーさまが教えてくれた」

「え? ちょっとヌーさま?」

 子供用スプーンでシチューをかっこんでいたヌーさまが、気まずそうに私から目をそらす。

 さっきのあの表情の原因はこれか。

「ヌーさま、話をするときは人の目をちゃんと見ようか」

「じゃって、こやつが住むなら、美味い飯が三食食べられると言うものだからつい」

 元同級生を睨みつける。

 シチューのほこほこの湯気に包まれた食卓ではいまいち迫力が出ないけど、それはこの際しょうがない。

「真人? どういうこと?」

 だからさあ、と真人が鼻の下を指先で擦った。

「俺を住まわせてくれたら、三食作るし家事もやる。その代わり家賃は相殺。生活費は折半。この条件で飲んでくれたら嬉しいなーって思って」

「勝手に進めないでよ。この家の名義は一応私だけど、諸々の権利はうちの両親なんだからね?」

 もっと詳しく言うなら、権利を持っているのはおじいちゃんの実の娘であるママだ。

「ちなみに今日の食事、賄賂の一環だから」

「え」

 そう言って目の前に出されたお皿には、油揚げ。

 薄く開いてぱりっと焼いた油揚げの上に、みょうがと白髪ネギとシラスがわっさり乗っている!

「これ、油揚げでくるっと巻いて食べて。油揚げ、細く切ってあるから。バイト先で一番人気のおつまみ」

「きゃああ、美味しそう!」

「トマトソースとバジル、チーズを乗せて焼いたやつも美味いよ」

「それも美味しそう~。ピザみたいだね」

 そして始まる、悪魔のごとき畳みかけ。

「油揚げ、自家製がすごく美味いって知ってる? 豆腐を水切りして揚げるんだけど」

「きゃあああ」

 大豆製品が好きすぎる私に、それは誘惑度が高すぎる。

 しかもそんな美味しそうなもの、食べたことがない。

「手作りのがんもどきとか、油揚げの中に卵割り入れて焼いたやつとか」

 きゃー。

 思わず耳を両手で覆う。

「やめてぇ」

「豆腐も好き?」

「大好き!」

「よっしゃ。市販品も美味しいけど、豆乳とにがりがあれば簡単に作れる。作りたての豆腐はまずはオーソドックスに冷奴、湯豆腐、麻婆豆腐に肉豆腐…あと、黒蜜ときなこかけて食べるのも美味いよ。寺育ちだから精進料理系はレシピたくさん持ってるし、バイト先で覚えたのもあるし」

「やめろーやめるんだ」

「あと俺、お菓子作るの得意。アップルパイ焼ける」

「アップルパイ……」

 お菓子どころか料理もろくにできない私にとって、アップルパイって、もはや聖域に近いくらい難易度が高そうに思えるんだよね。そして私は甘党。

「……どうして皆して、私を甘いもので餌付けしようとするの」

 完敗!

 怒濤のアピールで、完全に落ちました。

 真人が、私を見つめてにっこり微笑む。

「快適な食生活を保証するよ」

 ……やられた。




 真人の引っ越しは、私と張るくらい簡単だった。

 身の回りのものだけを持って転がり込んできて、一階の空き部屋を自分で掃除して使っている。

 さすがにベッドは置いていないから、ベッド代わりにマットレスを買い込んでいた。

 バイトを終えて帰って来た私は、夜、おシャレさんとまったりお喋りを楽しむ。

 真人は、今日はまだバイト中。

 知り合いの居酒屋で、調理のバイトを週2のペースでやっていると聞いた。

 夕飯は、温めるだけで良いものを作り置きしていってくれている。

「真人とタンさんて相性悪いのかな? なんかふたりとも目を合わせないし」

 それに真人が引っ越してきてからというもの、タンさんは食事時にダイニングにやってくるようになった。

 タンさん自身は食事を必要としているわけではないし、興味もないという。

 それでも、私たちが食事をしている間、ダイニングのテーブルのそばとか階段寄りのスペースなどにいて、新聞に目を通していたり、本を読んでいたり。

 それでも一階には断固として行かないのがおもしろい。

「廊下とかで鉢合わせになるとメンチ切り合ってるし、お互いピリピリしている感じがするんだよね」

 一階のおじいちゃんの机の上でノートを広げながら、おシャレさん相手にそう零す。

 おシャレさんは、私の話を聞きながらくすくす笑った。

 本当なら二階の寝室に来てほしいんだけど、あの骨格標本がいるから嫌だと断られてしまった。

 おシャレさんの骨格標本嫌いも、筋金入りのようだ。

 結局あの骨格標本の名前は、まだわからないままでいる。ヌーさまもおシャレさんも思い出せないでいるからだ。

 ――おシャレさんて前に、おじいちゃん一筋だって言ってたから……だから、骨格標本には冷たいのかも。

「それで? それを杏南はどう思っているの?」

 笑みを含んだ声で言われて、すなおに返す。

「困ったなあって思ってるよ」

「それだけ?」

「同じ家に住んでいる以上、仲良くしてほしいじゃない?」

 そうなのだ。

 タンさんは真人がこの家に住むと知った途端、出て行くのを撤回した。

 理由はよくわからないけど、一階に居着いているので特に害はないから、好きにしてもらっている。

 ――タンさんがいなくなっちゃったら、ちょっと寂しい気もするもんね。

 おじいちゃんのカルテを広げる。

 ドイツ語のほうも少しずつ読んでいきたいけど、まずは手っ取り早く読める日本語の箇所をどんどん読み進めていかなくちゃ。


『「もののけの医師」をしていることが、虹子さんに露見してしまった。虹子さんが怒ってしまい、ここ数日というもの、必要最低限しか口を利いてくれない。どうしたものか思案中である』


「あらま」

 一生隠し通すはずの秘密が、隠し通せなかったらしい。

「同じ屋根の下で隠し通そうっていうのも無理があるよねー」

「佐一郎のそういうちょっと抜けたところもステキよ♡」

「おシャレさんはホントにおじいちゃんのこと大好きだね」

「もちろん!」

 おシャレさんの声が一層華やぐ。

「もののけで、佐一郎を嫌いなモノなんていなかったわ。人間が嫌いなもののけは多いけど、佐一郎のことは誰でも知っていたし、慕っていたし」

 ふーっと、深いため息をついてしまう。

「それを継ごうとしている私には、ものすごいプレッシャーだねえ……」

「大丈夫よ、杏南なら」

「そう? 自信はないよ?」

「だって、佐一郎の孫だもの。素質はあるわよ」

 え。

「違うでしょ? 素質がないから、おじいちゃんが跡を任せられなかったんじゃない?」

 もし私に素質があったら、おじいちゃんはきっと、生前のうちにいろいろなことを教えてくれたはずだ。

 でもおじいちゃんは私に、もののけの医師であることさえ隠していた。

「ついこの間まで、もののけが視えたこともなかったし、存在すら知らなかったし」

「でも、もののけの医師のことは覚えていたでしょ?」

「覚えていたというか、思い出したというか」

 ――あれ?

 そこでようやく気付く。

「私、もののけの医師のこと、知ってた……覚えていた」

 誰にどこで聞いたのかも、ちゃんと思い出せる。

 だからこそ、ヌーさまやおシャレさんのほか、続々と現れるもののけに、たいして恐怖感を持たなかった。充分過ぎるくらい怖かったけど。

 ――普通の人間なら、もっと怖がってもおかしくないよね……?

 記憶の奥底から、唐突にひとつにビジョンが浮かび上がって来た。

 二階のリビングの籐の椅子の上で、小さい私はおじいちゃんの膝の上にちょこんと載って絵本を読んでもらっている。

 おじいちゃんは絵本を読むついでに、色々なお話を聞かせてくれたのを思い出す。

「おじいちゃんから教えてもらったんだった」




 たぶん、三歳になったばかりのころだ。

 まだ幼稚園に通い出す前の、遠すぎる記憶の中。

 その当時は私はこの家によく預けられていて、ほとんど住んでいるも同然の状態だった。

 パパもママも忙しかったし、家も近かったしね。

「杏南。おじいちゃんのとっておきの秘密を教えてあげようか」

「うん! なあに?」

「おじいちゃんはね。実は、もののけのお医者さんなんだよ」

「もののけ?」

「この家にいる、人ではないモノたちだ。杏南には視えているだろう?」

「うん。このおうちにはいっぱいいるね。でも変なの」

 幼稚園に上がる前の小さな私は、おじいちゃんの顔を見上げて首を傾げる。

「このおうち以外の場所には、あのヒトたち、いないのよ」

「居場所が減ってきているからねえ…………」

「おじいちゃんはお医者さんなの?」

「そうだよ。もののけ専門のね」

「じゃあ、お腹もしもしってするの?」

「ふふふ。もののけ相手だから、聴診器は使わないかな」

「パパは、するよ?」

「ほう?」

「杏南のお腹にね、もしもしーって。お野菜もちゃんと食べる、元気なお腹ですかーって、時々こちょこちょするよ?」

「杏南のパパは、そんな遊びをしているのかい」

「遊ぶんじゃないの。杏南のお腹が痛いときに見てくれるの。そうすると元気になるのよ」

「それはそれは、祐一ゆういちくんは立派なお医者さんなんだね」

「あのねあのね、風邪で咳コンコンがひどいときはね、ママが水飴をあーんって。飲むと治るの。ママもお医者さんなの」

「エリ子さんもかい。杏南の周りはお医者さんだらけだから、杏南はきっと元気な子になるなあ」

 それきり、他の話に夢中になってしまったけれど。

 もののけたちには医者というものが存在しないから、誰かが彼らの面倒を見てあげなくてはね――折に触れて、そう言っていた。

 ――そうだ。

 ごくりと、唾を飲み込む。

「子供のころ、私、もののけが視えていたわ」

 それどころか、ごく普通のこととして受け止め、この家に来るともののけ相手にかくれんぼとかして遊んでもらっていた記憶がある! 本物の鬼の子供と、正真正銘鬼ごっこをしていたこともあったわ。

 ――今考えるとすごいかも。

「……ものすごく警戒心のない子供だったんだな、私って」

「アタシはずっとこの部屋にいたから、当時の杏南を見たことはないの。でも佐一郎がね、嬉しそうによく話してくれたわよ。杏南が今日は縄跳びができるようになっただの、ご近所さんに可愛いお孫さんねって褒められただの」

 当時は佐一郎も、杏南を跡継ぎにしようとしていたんじゃないかしら――おシャレさんの一言に、はっとする。

「それそれ! 何で私、いきなりもののけが視えなくなった上に記憶まであやふやになっちゃっているの? 全然覚えてないんだけど」

「それはねえ~……えっとねえ……」

 それ以上詳しいことはヌーさまに訊いたほうが早いと言われ、腰を浮かせたところで。

 夜の散歩とやらに出かけていたヌーさまとタンさんが揃って戻って来た。

「お。なんじゃ。どうした杏南」

 座卓の上には置きっぱなしの碁盤があって、勝負が途中になっている。

「なんて渋い遊び……中身の年齢を考えれば正しいっちゃ正しいか」

 でも、見た目は不釣り合いなんだよね。

 睫毛を瞬かせるだけで風を起こせそうなショタ系美少年のヌーさまと、ヒトの姿のときはワイルド系美形なタンさんが向かい合って碁を打っているっていう姿は。

「そうそう、それどころじゃなかった」

 私はおシャレさんを抱きかかえて、ヌーさまとタンさんの間に割り込んだ。




「ああ、杏南が視えなくなったきっかけな。よく覚えておるぞ。なんじゃ、杏南はまだ思い出せぬのか?」

 若いくせに頭が固いのう、と嘆息されて、唇を尖らせる。

「思い出せないものは仕方ないじゃない」

「まあ、術をきつくかけておいたからの」

「あんたの仕業か、あんたの仕業か、あんたの仕業かあ~っ!」

 詰め寄った私を気にすることなく、黒い碁石を手にしたまま、ヌーさまが静かに答える。目線は碁盤に惹きつけられたままだ。結構良い勝負をしているらしい。

「仕方あるまい。ワシは、佐一郎の頼みを引き受けただけじゃ」

「おじいちゃんが何て頼んだの」

「杏南の中から、もののけに関する意識を一切合切を消してほしい、と」

「おじいちゃんがそんなこと言ったの」

「うむ……もともと、人の記憶を弄り回すことは禁忌とされているのだがな。あのときは仕方なかった」

 白側で迎え撃つタンさんも、黙ったまま、興味深そうな目をヌーさまに向けている。

「何があったの……? 教えて。お願い」




 昔の話じゃ。

 そう前置きして、ヌーさまが語り始める。

「杏南が三つであったかの。お前はこの家を訪れる妖怪の小者どもと遊ぶのが大好きでな」

「小さいころは、かくれんぼに命懸けるタイプだったらしいけど」

「そうじゃ。確かあのときの相手は猫又じゃった。遊び好きなやつでの。一緒に隠れ場所を捜しているうちに外に出てしまい、杏南が迷子になってな」

「迷子?」

 そんなこと、覚えていない。

「猫又が、絶好の隠れ場所を見つけようとして繋げた空間の抜け道に、うっかり入り込んだらしい。佐一郎が気づいたときには、杏南はもうこの家の近辺にはいなかった」

 えええ。

 このご時世、子供がひとりで外にいるのって結構危ないと思うんだけど。

「隣町にまで迷い込んでおってな。様子がおかしいことに気づいた杏南が、帰ろうとして散々歩き回って余計迷ってしまったらしい。周りの大人が見つけて、警察に連れて行こうとしてな」

「ええ~……警察のお世話にまでなってたの?」

 結構おおごとじゃない。

「いや、そこでワシらが駆けつけて、何とかことなきを得たが、あのときは危なかった」

「パパやママは、この話知っているの?」

「いや、知らぬ。結果的にとはいえ危ない目には遭わなかったし、怪我も、転んで擦り傷をこしらえたぐらいで済んだ。じゃが杏南は、余程怖かったのだろう。熱を出して寝込んだ挙句、治っても、もののけを見るだけで怖がって泣くようになってしもうた」

 まあ――トラウマになっても当然の状況のような気もするけど。

 何せまだ三歳。

「でも、それって、時間が立てば落ち着いて平気になったんじゃない?」

 それがな、とヌーさまが苦々しそうに首を振った。

「佐一郎が、大切な孫娘を怖がらせてしまったことでいたく反省してな。あの生真面目な佐一郎が、お前の記憶からもののけに関する一切合切を抜き取ってほしいと頼んできたのじゃ」

 おじいちゃんてば、なんて無謀かつ思い切ったことを。

「佐一郎は、虹子どのにそっくりなお前を溺愛しておったからのう」

「それで、記憶を消したのか?」

 それまで碁盤を凝視しながら耳を傾けていたタンさんが、低く唸る。

 碁盤の様子からして、タンさん、ちょっと劣勢だ。

「人間の記憶を操るのは、かなりの事情がないと許されない禁忌のはずだ。記憶は人の宝。もののけが好き勝手にはできない」

「そうじゃ。問題はそれよ」

 それでヌーさまはおじいちゃんの望みを叶え、かつ禁忌に触れないぎりぎりの方法を選択をした。

「杏南の記憶の一部を抜き取って、佐一郎の記憶の中に預けておいたのよ。じゃがその佐一郎が死んで、記憶が杏南の中に戻った」

 だから、この家に来たときにはすでにもののけが視える目になっていたのだ。

 ただ私が気づかなかっただけで。

「杏南の母――エリ子も、幼いころは視えていたんじゃ。だがエリ子は大きくなるにつれて視える目を失っていった。もののけに関する記憶ももう消えておるはずじゃ」

「ママも視えていたの!?」

 うっそぉ。

「お前のように、霊力が戻ってくるケースのほうが稀じゃ。杏南の霊力は本人に似てタフなようでの」

 ヌーさまが続ける。

「この家で日常的にもののけの霊力や妖力に接していれば、子供ならすぐに視えるようになるものじゃ」

「おばあちゃんには、視えていなかったよね?」

 骨格標本みたいに実体がある場合ならともかく、普通のもののけは視えなかったはずだ。

 あ、そうか。

「だからおばあちゃんに、もののけの医師をしていることがばれちゃったんだ」

 骨格標本は姿を消せないし変化もできない、実体持ちのもののけだ。家の中をうろついていれば、嫌でも見つかる。

「そういうことじゃ。普通の人間なら隠し通せても、虹子どのは鋭いところがおありでな。霊力はないしごく普通の女子だったが、我々は皆、佐一郎のことも虹子どののことも好きだったよ」

 いろいろ腑に落ちたけど、納得できないことがひとつある。

「おじいちゃんは、私がまた視えるようになるって知ってたのかな?」

「さあて。視えるようになっても、杏南が現実を受け入れなければ、また視えぬようになっていただろう。どうなるかは誰にもわからなかったはずじゃ」

 おじいちゃんが私を跡継ぎに指定しなかったのは、そういう過去があったせい、と考えていいのだろうか。

「素質がないからじゃなくて、大切に思っていてくれたからこそ、跡継ぎにしようとしなかったってこと……?」

 玄関から、足音が近づいてきてドアを開ける。トントントン、と身軽く歩く、真人の足音だ。

「ただいま。何、新見、皆こっちにいるの? 何してたん?」

「ちょっとね」

 目の縁に滲んでいた涙を紛らせながら、私は微笑んだ。

「祖父の愛を、再確認していたの」

 何せ私は、おじいちゃんの最愛の孫娘だからね。

 パチ、と黒い碁石が小気味良い音を立て。

「――参った」

 タンさんが惜敗して、この試合も投了だ。





「あ。そうだ」

 寝室に戻ろうとした私ははっと気づいて、昇りかけた階段の途中でくるっと引き返した。

 ヌーさまが席を外していて、おシャレさんも眠っているみたいで静かだ。

 部屋の中で、ソファーに腰を下ろしたタンさんだけが本を片手にしたまま目を瞑っている。

 ――寝ているのかな?

 小声でそっと呼びかけてみる。

「タンさん」

 タンさんの薄い瞼が、ぴくりと動いた。

「ん……杏南か」

「ごめん。寝てた?」

「いや。気にしなくていい」

 タンさんが、本を手から離す。

「本、いいの?」

「何か用があって来たのだろうが」

「わかる?」

「ああ。お前はそういうところがわかりやすい」

「あのね。私、言わなくちゃいけないことがあると思って」

 まあ座れ、というように、タンさんがあごをしゃくって向かいのソファーを指し示した。見た目が和風の美形なので、そういうしぐさが難なく決まる。

「それで、何用だ」

「うん。あのね」

 改めてじっと見据えられると、ちょっと照れくさい。

 もののけのヒトたちの眼差しって、人間よりもずっと真っすぐだ。真っすぐに迷うことなく目を見つめられると、気恥ずかしかったり照れくさかったり、妙に落ち着かなかったりするけれど。

 でも、嫌いじゃない。

 もののけの眼差しは、人間よりもずっと深い気がする。

 一瞬にして心の奥まで見透かされそうな気がするし、何も誤魔化せないし取り繕えないような気にさせられる。

 この目を真っ向から受け止めて見つめ返せるようになりたい。おじいちゃんはきっとそうしていたはず。

 私は強くなって、同時に優しくなりたい。人間相手にももののけ相手にも、優しくできるようになりたい。

 そしてもののけの医師になって、助けてあげたり、力になってあげられることを少しずつでもいいから増やしていきたい。

「タンさんに、言ってなかったことがあると思って」

「何だ?」

 思い当たることがないらしいタンさんが、不思議そうに目を見開く。

 わりと言葉が少ないけど、タンさんの目はとっても雄弁だ。やっぱりもののけなんだな、と実感する。

「バクさんを呼んでくれたでしょ。それと、夢の中にもついてきてくれたでしょ」

 その前も、高熱に苦しむ私のそばについていてくれたのが、どれだけ心強かったことか。

「お礼を、言ってなかったと思って」

 あのときは骨格標本の出現で、何だかバタバタしてしまったから。

「バクさんにも、きちんとお礼言っていないの。何かお礼したいなあ。また逢えるかな?」

 バクさんは公私ともに多忙で、あれ以降姿を見ていない。

「……バクには、伝えておいてやろう。だがあれだけの悪夢を喰ったんだ。満腹で満足したから、それ以上の礼など要らんだろう」

「そうなの?」

 悪夢がお礼って言われても、複雑な気分だ。

 まあ、バクさんに食べてもらったおかげで、あの件は綺麗に片付いたけど。

「それと、俺に礼は要らん。お前には、助けてもらった恩がある」

「いや、そういうわけには。それとこれとは話が別だし」

 礼儀は大切だ、と、両親やおじいちゃんたちから教えられて育ってきた。

 人間、ありがたいと思う心が大切。それを忘れてしまいたくはない。

「いや、だから、要らんと言っている」

「いやいや、そういうわけには」

「いやいやいや、だから要らん」

「いやいやいやいや」

「いやいやいやいやいや」

「いやいやいやいやいやいや」

 これをどこまでも続けていくのは不毛な気がする。

「タンさん、何か欲しいものないの? 食事は必要ないみたいだし、一反木綿の好物って何かないの? ヌーさまなら美味しいものがあれば一発だし、おシャレさんはアクセサリー系で大喜びしてくれるんだけど、タンさんの好きそうなものっていまいち思いつかないんだよね。タンさん自身が極上の木綿だから、布も要らなさそうだし……」

 お礼の品が見つからない。

 腕を組んで考え込む私をやわらかな眼差しで包み、タンさんがそっとつぶやいた言葉は。

 生憎聞き逃してしまった。




 ――俺の欲しいものを、お前はすでに与えてくれている。

 怪我を治し、木綿がまだ必要とされ、愛されていることを教えてくれた。それだけでも充分過ぎるほどだったはずだというのに。

 一反木綿は、自分がいつの間にかひどく欲深くなっていることを自覚している。

 自分の一番欲しかったものを、杏南は与えてくれている。

 一反木綿として長い月日を生きて来た自分が欲しかったものは、名前だ。

 ――自分だけに呼びかけられる、自分だけの名前が欲しかった。

 名は体を表すもの。妖怪全般の中で、真名を持つモノは少ない。

 一反木綿という名は、種族の名前で自分自身だけを示すものではない。

 ずっと名前が欲しかった。

 誰かがつけてくれる、自分に呼びかけるために使う名前が欲しかった。

 杏南に好きに呼ぶように言ったとき、

「じゃあ、今まで通り一反木綿さんて呼ぶ」

 そう言われてしまう可能性もあった。むしろ、その確率のほうが高かったかもしれない。

 でも杏南は結果的に与えてくれた。

 自分だけに呼びかける名前を。

 そして、その名で呼んでくれる。

 そのことが――どれだけ幸せなことか、きっと人間には理解できないだろう、と思う。

 人間は生まれ落ちてすぐに、自分だけの名前を与えられるのだから。羨ましいと同時に、名前による呪縛が煩わしいとも思う。

 だから、いい。

 理解などされなくてもいい。

 けれど自分はこの恩を、杏南に返していくつもりだ。

 もののけは案外義理堅いもの。受けた恩義は必ず返すのが、もののけの誇りだ。




 しばらくの間私から顔を背けて小声で何事か言っていたタンさんが、不意に私に目を向けた。

「ところで杏南」

「何?」

「あの若造は、本当にこれからここで暮らすのか」

 タンさんは、真人のことを『若造』呼ばわりか。

 タンさん自身見た目は二〇代半ばくらいにしか見えないので、違和感があるかも。

 実際生きて来た年数は、比べ物にならないんだろうけどさ。

「あー……うん。真人ってうちのママと仲良しでね。真人がママに直接連絡してOKもらっちゃったから」

「年頃の娘の一人暮らしに、男が一緒で良いと? 母親がそう言ったのか!?」

「いまどき男女混合のシェアハウスも珍しくないし、第一男の子が同じ屋根の下にいるほうが防犯上安全なんじゃない、って言ってた。ていうか、真人がそう売り込んだっぽい。ママは、うちにもののけの皆がいることも知らないし、完全な一人暮らしだと思っているから」

「……やはりあやつとは相容れんな」

「やっぱり? 何かタンさんと真人って、天敵みたいな感じで睨み合っていること多いよね。何かあった?」

「いや……別にない」

 私は、疑わし気にタンさんの顔を覗き込む。

「ホントに?」

「もののけは嘘は好かん」

「だよね。だったら相性の問題なのかなあ……」

 頭を悩ませるけれど、こればっかりはすぐには解決しないかもしれない。

 男同士なので、拳で語り合うとか、喧嘩をしてから仲良くなるプロセスとかが必要なのかもしれない。

「――タンさんと真人がガチで喧嘩したら、真人の命に関わるかな。でも真人って御寺育ちだから、もしかしてタンさんのほうが不利かも……」

 どっちだろう。

 ああ、新たに気になることが増えてしまった。




 寝室にひとり戻って、自分用のノートを広げる。

 もののけの医師であることがバレたあとのおじいちゃん夫婦のことも気になるけど、たぶん、あっさり仲直りしているだろう。

 結構――言葉は悪いけど他に的確な表現が見つからない――バカップルだから。

 もののけの医師と言いながら、この家にメスや酸素マスクなどの手術道具が見当たらない理由もわかった。

 もののけの治療に、人間用の器具は必要ない。

 必要なのは話を聞いて、何が原因かを確かめて、適切な処置を取ること。

 そしてもののけの医師に何より必要な要素はきっと、いついかなるときでも、もののけの味方であること。

 心優しい友人たちと大切に、対等に付き合っていくこと。

 たぶんこの仕事には、デパートで修行中の接客スキルを存分に活かすことができる。

 階下で、かちゃかちゃと控えめな、でも賑やかな音が聞こえて来る。

 遅番でお腹が空いている真人の夜食に、ヌーさまが同席しているのだろう。

「ヌーさま、大食漢だものね」

 私は、今日は夜食は食べない。

 明日もバイトで、あのイベントフロアに出勤し、ウエディングドレスを売るのだ。

 明日はいったいどんなお客さまがやってくるのか。

 ノートに、ペンを走らせる。



『おじいちゃんへ。

 ようやく、私は私の夢を見つけました。

 もののけのことはまだまだ勉強不足だけど、これから一生懸命勉強して、おじいちゃんみたいなもののけの医師を目指そうと思っています。

 がんばるので、安心して見守っていてください。杏南。』



 ノートをぱたんと閉じて、一瞬待ってから、もう一度開いてペンを握る。

 背後に、かすかに骨格標本の気配を感じるけれど、もう怖くない。向けられる視線も、怖々覗いているというか、謝るタイミングを伺っているかのような気配だ。


『追伸。天国のおばあちゃんにも、どうぞよろしく。』


 そう書き足して、今度こそ私は、にっこり笑いながらノートを閉じた。


               /完結


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もののけ、もののけ、杏南が通る 河合ゆうみ @mohumohu-innko

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