キノコタケノコ戦争(ウォーズ)

那由多

キノコタケノコ戦争(ウォーズ)

 昨年秋、突如勃発した戦いは、年が明け、春を迎えてもまだ続いていた。

 キノコタケノコ戦争と銘打たれたこの戦いは、学内に突如として現れた二つの団体間において行われていた。一つは、キノコの種類の多さに無限の可能性が秘められているとして、キノコこそ至上の食べ物であると宣言したキノコ至上主義連合。もう一つは朝日を浴びるまでのわずかな間に、その清々しく気高い味わいが光を放つとして、タケノコこそが季節を味わう究極であるとするタケノコ食推進同盟。

 そして、タケノコ食推進同盟はキノコ至上主義連合に対し、親の脛を齧り、寄生し続ける姿はキノコそっくりだと言い放ち、キノコ至上主義連合はタケノコ食推進同盟に見てくれだけで中身はすっからかんと揶揄した。このやり取りだけでもどっちもどっちという言葉が如何にふさわしいか、容易に理解できる。

 だが、このバカバカしく冒涜的な戦いは、大学生活に確実な影を落としつつあった。

「食堂の春ランチ、今年は無いんだって」

「タケノコと桜エビのパスタ、毎年楽しみにしてたのになぁ」

「仕方ないよ、キノコ至上主義連合が、メニューにタケノコを入れれば食堂の使用をボイコットするって声明を出したんでしょ?」

「この分だと、秋のキノコパスタもないね。タケノコ食推進同盟も同じことをするに決まってるもの」

「あー、アタシあれ、好きなんだけどなぁ。秋までに終わるかな、この戦い」

「さあねぇ」

 本来であれば、楽しげであるべき女子大生のランチトークも、今や悲しみに満たされてしまった。

 サークル宣伝用の掲示板には、両食材のネガティブな部分を抽出したビラがべたべたと貼られている。食用キノコにそっくりな毒キノコをあげつらい、いかにキノコが悪質な食物であるかを物語ったビラがあれば、タケノコを食べ過ぎた時、人体にいかような影響があるかをオーバーに書き連ねたビラもある。

 そのビラを前に、佇む一人の女子がいた。瞳に静かな怒りを湛え、冒涜的なビラを見つめていた彼女は、矢庭に手を伸ばし、そのビラを思い切りはぎ取った。くしゃくしゃとそれを丸め、手近なゴミ箱にそれを叩き込む。

「そろそろ……我慢も限界ね」

 呟く彼女の名は小邨杉乃。幸せな食卓を探求する会を名乗るサークルの会長を務めている。

「食事とは、人を良くする事」

 これを信条にしている彼女にとって、このバカバカしく冒涜的な戦争は、到底看過できぬものであった。

 

 そもそもこの戦争はあるカップルの痴話げんかに端を発する。

 仲睦まじく同棲生活を営んでいたはずの二人は、本当に些細な事でケンカを始めてしまった。

「炊き込みご飯の具って、やっぱりタケノコが一番美味しいよね」

 夕飯の真っ最中に放った女の一言。男はこの一言がどうしても我慢ならなかった。なぜなら、彼は幼き頃入った竹藪で、全身くまなく蚊に刺された経験からタケノコはどうも好かない食べ物だったからだ。

「いやいや、キノコ飯が一番旨いって。種類も多いしな。タケノコご飯ってなんか単調」

 彼の過ちは、タケノコを細やかなれど侮辱してしまった事、そして寄りにも寄ってキノコと言ってしまった事にある。

 何しろ彼女はインターネットで調べた毒キノコの、あまりの毒々しさにその時食べていたプリンを戻してしまったという経験から、キノコはどうも好かない食べ物になっていたからだ。

 にも拘らず、彼はタケノコを侮辱し、さらにはキノコの下に据えようとした。これはもう許されざる愚行と言って差し支えもない。

 この話を耳にした時、杉乃は心の底から叫んだ。

「味、関係ないのかよ」

 ともかく、そういうわけでケンカはこじれた。

 こじれた挙句、二人はそれぞれのゼミに所属する仲の良い先輩や同期にこの話をした。もちろん、それぞれのゼミにキノコ好きとタケノコ好きが揃っていたという事は無い。むしろ大半のゼミ生にとってはキノコ、タケノコなんかよりうまい炊き込みご飯というものが存在した。本来であれば、まあまあ、と諫められるのが当然の流れである。

 ところが。この二人がそれぞれ所属しているゼミ同士というのが昔から犬猿の仲だった。そもそもそれぞれを指導する教授同士が仲が悪い。いい大人が、と思うかもしれないが教授というのは得てして子供じみている物である。

 それ故に、それぞれのゼミではお互いのゼミを低レベル扱いし、せっせとネガティブキャンペーンを繰り広げる始末。当然、それに染まるゼミ生もおり、そんな連中がこの話に食いついた。ゼミの同胞が受けた屈辱は、一丸となって晴らすべし。そのような危険思想の下、個人の戦いはゼミ同士のぶつかり合いとなった。その後、次々と友人知人の繋がりで膨れ上がった集団はキノコ至上主義連合、タケノコ食推進同盟とそれぞれ名前を改め、この醜い戦争を激化させていったのである。


 このバカ騒ぎで最も被害を受けたのは何か。

 言うまでもなく、無関係な学生達の昼食だ。杉乃は見た。タケノコメニューが無くなって悲しむ学生の涙を。その横で、勝利に浮かれるキノコ至上主義連合の醜悪な宴を。そして彼女は聞いた。タケノコ食推進同盟が、食堂メニューからキノコ類を撤廃させる計画を立てていることを。

「ここいらで、この愚かなる戦いに終止符を打ちます」

 彼女は目の前に並ぶ同胞、即ち幸せな食卓を探求する会の面々に向けて高らかにそう宣言をした。上がる歓声。そして集まった彼らは作り始めた。愚か者たちに鉄下す、食の鉄槌を。

 頼み込んで借りた食堂の調理場に、材料が次々と運び込まれる。

 ウズラの卵、豚のバラ肉、ショウガ、ネギ、干しエビ、もち米。そして、干しシイタケとタケノコ。

 それらを茹で、あるいは炒め、あるいは蒸していく。

 夜を徹して、彼らの作業は続けられた。

 蒸し器を見つめる杉乃の瞳は、静かなる怒りに燃えていた。


 そして後日。

 大学構内の大教室にて、二大組織の上位五人ずつによる話し合いが執り行われることとなった。教壇に当たるスペースに椅子が並べられている。そこで向かい合うように座らされ、睨み合う二組。それぞれの中央には、この戦いの始まりとなった男女が座っている。怒りを露にするほかの面子とは違い、この二人はどこか不安げな表情で互いを見つめあっていた。

 その間には、学祭実行委員会の腕章をつけた学生達が立ちはだかり、接触を防いでいる。

 そして、マイクを手にした学祭実行委員長が話を始めた。

「大学内で行われているこの激しい戦いは、激化の一途を辿り、いまだ沈静化の影すら見えない状態だ。春のタケノコメニューが無くなり、悲しむ学生も多くいると聞いています」

 キノコ至上主義連合はにやりと笑い、タケノコ食推進同盟は一様にした唇を噛みしめた。

「このまま戦いが続けば、悲しむ生徒はさらに増え続ける事でしょう。たった四年しかない大学生生活。悲しい一日などあって良いはずがない。直近で言えば秋に執り行われる大学祭。このまま戦いが激化すれば、楽しいはずの大学祭は混乱すること必至。つまり、われわれ学祭実行委員の仕事が増え、名誉が損なわれ、周囲から罵声を浴びる羽目に。こんなくだらない戦争のせいで、私の築き上げてきた有能なる学祭実行委員長としての立場はどうなる。余計な仕事増やしてんじゃねっはうっ……」

 横から現れた学祭実行副委員長の手刀により委員長はその場に崩れ落ちた。

「このとおり、委員長はすっかり混乱をきたし倒れてしまいました」

 倒れたのはあいつのせいじゃね、という細やかな声について、副委員長は眉一つ動かさずに無視をした。

「このような悲しい犠牲者をこれ以上増やさないためにも、我々は速やかなる戦争の終結を提案する彼女に協力することと致しました」

 副委員長に招かれ、杉乃はゆっくりと壇上に上がった。

「幸せな食卓を追及する会の小邨です。今日はこの悲しい戦い幕を引くために来ました。まずはこれを召し上がってみてください」

 杉乃の合図で、向かい合う十人に竹の皮で包まれた三角形のものが配られた。ほの温かいそれは、いわゆる中華ちまきだった。

 戸惑う十人に食べるよう促す杉乃、その隣で副委員長も目を光らせる。先ほどの手刀を見ていただけに、十人は素直に竹皮を解き、中のおこわを一口齧った。

 そして、全員が妙な顔つきになる。

「どうですか、キノコ派の方」

「味は良い。けど……何か物足りない」

「歯触りだよ。それが欠けている」

「それに、少しくどくない、これ?」

「退屈だな。このおこわは退屈な味だ」

「それに優しすぎる。全体的に柔らかで優しすぎるんだ。優しさだけじゃ、世界は成り立たない」

 口々に言う五人を見て杉乃は満足げに頷き、そしてタケノコ食推進同盟の方へ向き直る。

「そちらはどうですか?」

「味が。一味物足りない」

「味の輪郭がぼやけているんだ」

「ちょっと、爽やかすぎるね、これは」

「厳しいね、これは。優しさが欠けているよ」

「見えるんだ。走り回る豚とウズラ、風に揺れる竹林、畑のネギ、ショウガ……。だが、それらを包み込む大地が……大地が見えないんだ」

 やはり物足りないおこわに対して不満を口にするタケノコ食推進同盟。それを見て杉乃はやはり満足げに頷いた。

「今、お配りした中華ちまき、それぞれキノコ派の方にはタケノコ抜きのものを、そしてタケノコ派の方には干しシイタケ抜きのものをお配りいたしました。どうやらどちらも満足されなかったようですね」

 黙り込む十人。

「良いですか、皆さん。中華ちまきを食べた時、まず目を引くのは豚肉やウズラの卵です。けど、今食べて頂いたように、何かが欠けると物足りなくなる。これは即ち、無用な食材などないという事を示しています。戦争は何も生まない。特に、こんなくだらなく冒涜的な戦争から、いったい何が生まれるというのですか。今食べて頂いて分かったでしょう。キノコとタケノコは相いれることができるのです。むしろ、両者が共存することで生まれる新しい味がある」

 この杉乃の言葉に、その場にいた全員が目を見開き、身を震わせた。自らの行った、愚かなる過ちに気付かされたのだ。ガタン、とイスを蹴り、キノコ派の真ん中に座る男子が立ち上がった。少し遅れて、タケノコ派の真ん中に座る女子も立ち上がる。

「すまない、美優……。俺、間違ってた」

「ううん、陽大。私の方こそ、ほんとにごめんなさい」

「タケノコ、美味いよな」

「キノコも、美味しいよね」

 壇上の真ん中で、がっちりと抱き合う二人。

 誰からともなく、拍手が起こり、そして、他の四人も次々に立ち上がり、今までいがみ合っていた相手にその手を差し伸べた。

 その光景を見ながら、杉乃はしばらくぶりに笑顔を浮かべた。学祭実行委員の面々も安堵の表情を浮かべ、健闘を称えあっている。

「それでは、最後に全ての材料を使った中華ちまきをご用意していますから、それを食べておいしさを味わってください。そして、全ての食材に感謝を。幸せな食卓に希望を」

 杉乃は弾ける様な笑顔でそう言い、こうして長き戦いに終止符が打たれた。


 戦いは終わった。

 キノコ至上主義連合、タケノコ食推進同盟はともに解散。

 事の発端となったカップルは、無事によりを戻した。

 お互いの母体となった二つのゼミは、手に手を取り合おうとしたが、そこは教授が許さず、学生達も単位が欲しいのでそれ以上何も言わなかった。

 食堂はすぐさまタケノコメニューを復活。多くの学生を喜ばせた。もちろん、キノコのパスタも無事にメニュー入りを果たした。

 こうして大学に平和が戻り、幸せな食卓を探求する会にも静けさが戻った。

 春の空を眺めつつ、杉乃は一人思う。

 これからも、食べ物に関する戦いは終わらないだろう。第二、第三のキノコタケノコ戦争がいつ起こるとも限らない。だが、その度に彼女は戦う。

 食事とは人を良くする事でなければならない。

 この信条を貫くために、彼女は戦い続ける。全ての人に食べる幸せを届けるためにも。

 結局、彼女の危惧は的中し、卒業までに幾度となくその身を闘いの渦中へ投じねばならぬ事となる。そして、数々の戦いを止めさせた彼女は、やがて大学内でこう呼ばれることになる。

「お母さん」

 だが、その事を彼女はまだ知らない。知る由もない。

 今はただ、つかの間の平和にその身をゆだねる杉乃であった。

「あー、私も彼氏欲しいなぁ」

 

 おしまい

 

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