手紙の行方

御手紙 葉

手紙の行方

 僕はゆっくりと校舎裏へと歩きながら、緊張で右手と右足が一緒に出て、まるで錆び付いたロボットのようにぎこちない動きをして傍から見たら本当に滑稽な姿だったかもしれなかった。けれど、僕にとってはそんなぎこちなさがまだ精一杯の気持ちから来る今の自分の本当の姿だったので、今は体裁を考える余裕はなかった。むしろ格好悪い姿を晒して砕け散っても構わない、と思っていたのだ。

 卒業式の清々しい余韻がまだ冷めないうちに、僕は校舎裏へと呼び出されていて、ある女子生徒の元へと向かっていたのだった。自分の靴箱に手紙が入れられているなんて、そんなこと生まれて初めてだった。ましてや、校舎裏に呼び出されるなんて、まさかこの僕が? と信じられない気持ちだった。

 やっぱりこれは夢なんじゃなかろうか、と自分の頬を引っ張ってみたけれど、やはりそこにはれっきとした痛みがある。それより胸の奥が緊張と喜びにきりきりと締め付けられて、そちらの方が痛かった。けれど、それは甘い痛みだ。

「お前、本当に大丈夫なのかよ? そんな調子で行って、固まって何も言えなくなったら本末転倒だぞ?」

 親友の春日が呆れたように肩をすくめながら、僕の後ろに続き、そしてぽんと背中を叩いてきた。

「お前がどんな返事をするのかわからないが、その子、想い人なんだろ? だったら、最高に幸せな卒業式だぜ。もっとお前はそのオールノーマルの存在感を誇っていいんだぞ? ノーマルってことは、それなりの位置にずっといられている、っていうことなんだぜ? 俺は思う、ノーマルこそがアブノーマルだ」

「何、下らないこと言ってんだよ。僕の身にもなってみろ。今、僕の心臓は電子レンジの中で破裂寸前のゆで卵なんだぜ?」

「とっとと破裂しちまえよ。そして、爆発したゆで卵は新しい命を育てるんだ。有機肥料となって肥溜めと一緒に元気な野菜を育てようぜ」

「いい加減にしろよ。その金髪頭をイカ墨スパゲッティで黒く染め上げるぞ?」

 そんなやり取りをしているうちに、僕の鼓動は少しずつ、熱湯が冷たい空気に触れて温度を下げるように、常温へと落ち着いていった。僕は小さく息を吸い、そしてすぐに吐いて、一つうなずいて決心を固めた。

「よし、行ってくるよ。無事彼女と付き合うことになったら、彼女の友達をお前に紹介して、ダブルデートだ。そして、ダブル卒業式だ」

「ダブル卒業式? 今日のことか?」

「僕達が真の男になったことを祝う、卒業式ってことだ」

 今度は逆に春日に頭を殴られながら、僕は一歩前へと踏み出し、そしてゆっくりと歩き出した。その歩幅は小さかったけれど、それでもその小さな歩幅が積み重なると、すぐに彼女へとまっすぐ繋がる道程へと引き寄せられていったのだ。

「よし、行くぞ」

 僕は立ち止まって大きく深呼吸し、そして校舎裏へと身を乗り出した。すると、本当に夢なのではないかと思ったけれど、そこに――鈴村の姿があった。

 すっきりとした長く艶やかな黒髪は背中でゆっくりと揺れ、小柄なほっそりとした体がしっかりと地面に立ってしなやかだった。その細い足も、綺麗な整った柳眉も、僕にとって本当に憧れの的だった。ちょっぴり天然でおっちょこちょいだけれど、いつも僕はその姿を遠くから見て、恋焦がれていたのだ。

 鈴村の気持ちをしっかり受け止めて、そして彼女に自分の本当の想いを伝えるんだ。彼女のことが好きだとはっきりと言って、付き合ってください、とこちらから言おう。それから――。

 僕は目まぐるしく移ろう思考を抑えて、そっと彼女へと歩み寄り、鈴村、と小さく零した。すると、鈴村はその長い前髪を伏せて俯いたまま、真っ赤な顔で大きく叫んだ。

「好きです、付き合ってください!」

 その大きな叫びはこの校舎中に響き渡るんじゃないかと思うくらいのもので、僕はあまりの絶叫ぶりに髪の毛を逆立てて、吹っ飛ばされるんじゃないかと思った。本当にそんな言葉を自分が投げかけられているなんて、信じられなくて目を瞠った。

「ずっとずっと好きでした! 私の気持ちを受け取って下さい!」

 彼女はそう叫び、薄らと目の縁に涙を溜めて、勢い良くお辞儀をした。それは彼女の大きな大きな風船のように少し突けば弾け飛んでしまうような想いだったけれど、僕は少し怖気づきながらも、小さくうなずいた。

「僕も……鈴村さんのことが好きでした。僕と――付き合ってください」

 そう言って手を差し出すと、ふと鈴村さんの肩がぴくりと震えた。そして、ゆっくりとその端正な顔がこちらを向いた。そして――。


 目をきょとんと丸くさせて、そして口元を抑えると、すぐに――。


「ご、ごめんなさい!」

 ……………………は?

 僕は何を言われているのかわからず、こちらこそ何かまずいことをしたのかと謝りたくなる。

「ご、ごめんなさい、私――やだ、こんな時にも間違えるなんて……今のは全て、忘れて下さい!」

 僕は頭のてっぺんから冷水を浴びせられて、ゆっくりと足元へと伝い落ちていくような冷たい感覚を味わった。それは、どういう……?

「間違えました!」

 間違えました。I made a mistake.マチガエマシタ。何を? 告白する……相手を?

「ま、間違えた?」

 僕の口からぞっとするほど冷たい悪寒が零れ落ち、冷たい春の風へと流されていく。

「は、はい。靴箱に入れるの、一つずれて入れてしまいました! 私が好きなのは――」


 その名前を告げられた時、僕は全てがやはり夢だったということに気付いた。そうだ、そんなの決まりきっていたのだ。僕は彼女と話したことだってろくにないし、いつもどこかで想いを通い合わせるようなこともなかった。

 彼女のことをずっと遠くから見ていた、ということは、彼女は僕を見ていなかった、ということだ。それはつまり――。

「私が好きなのは、春日君です!」

 その二回目の絶叫が、僕の頭蓋を大きな矢で撃ち抜いた。それは恋のキューピットが放った矢ではなく、失恋の神様が無情に放った、僕を砕け散らせるジ・エンドの旗だった。

「そ、そんな……」

 そう来たか。この状況、如何にして乗り切るべきか。

 でも、そんなことを考えても、もう気持ちはすっと落ち着いて、僕は再び深呼吸すると、彼女へと向き直った。

「鈴村さんのことだから……こんなおっちょこちょいをすることも、ちょっと考えていたんだ。僕はそれを込みで、君のことが好きだったから。でも、これだけは聞いて欲しい。僕は君のことが好きだったんだ。その想いだけは、受け取って欲しい。それを断ったとしても、僕の気持ちだけは覚えていて欲しい」

 僕がそう言って差し出していた手をゆっくりと下ろすと、鈴村さんの瞳に大粒の涙が浮かんだ。そして、その涙がぽろぽろと零れて、「ごめんなさい、私……」と何度も頭を下げる。

「清水君を傷つけちゃったね。最低だね……いつも私はドジばっかりして、皆に迷惑掛けて、色んな人を傷つけて……その人に想いを告げる資格なんか、ないね」

 そう言って彼女が走り出そうとすると、僕は「待って!」と彼女の涙を払い落とす大きな声を上げた。彼女は大きく肩を震わせて、立ち止まる。僕の声にも少なからず怒気が滲んでいたけれど、すぐにそれは萎んでいった。やがて僕はすっと目を細めて微笑み、彼女へとうなずいてみせた。

「僕は君のことが好きだから、恋のキューピットにでも何にでもなるよ。もう玉砕した後だから、派手にそいつの胸を撃ち抜いてみせるよ」

 そう言って、春日! とその柱の陰に隠れている親友へと怒鳴った。

「な、なんでしょうか……」

 細い声が柱の奥から聞こえてきた。

「さっさとこっちに来て、彼女の想いを受け止めろ」

「いや、喋ってるのは柱の精です。柱が全てを聞いていただけなんです。柱には何の責任もありません。柱は無実です。柱はここから動くことも、清水の鉄拳を受けることも、ましてや生き物として足跡を残すことはできないのです。私は柱です……」

「柱でも、喋っているんなら、話はわかるだろ。さっさと来い、そうしないとお前の秘蔵映像をクラス中に暴露するぞ!」

 それは嫌だ! と叫びながら春日が出てきて、そしてしまったとばかりに硬直した。鈴村の視線が春日へと繋がり、彼は冷や汗を垂らしながら唇を震わせた。

「いや、俺、どうしていいかわからねえよ。だって、お前を傷つけてまで、彼女の想いを受け取ることは――」

 春日が唇を引き結び、ぐっと拳を握って俯いた。そして、その想いをずっと噛み殺すように、震え続けていた。僕はふっと微笑み、春日に歩み寄ってその肩を叩いた。

「何言ってんだよ。お前だって、鈴村さんのことが気になっていただろ?」

 僕がそう言った瞬間、春日の瞳が驚きに揺れて、じっとこちらへと怯えたような眼差しを向けてくる。

「いや、俺は……ただ彼女のそのキュートな容姿を追うだけで……」

「嘘こけ。朝、僕がその手紙をお前に見せた時、すごく動揺してただろ。それでさっきから気になって拳を握って張り付いていたじゃないか。僕はお前のその気持ちを裏切って、鈴村さんと付き合おうとした。両成敗だ。お前も、そんな親友になんて気を遣わずに、鈴村さんの気持ちを受け止めろ」

 春日は唇を噛み締め、男泣きに俯いてしまったけれど、すぐに僕へとまっすぐ視線を向け、いいのか、とその真剣な声で聞いてきた。

「言っただろ。僕は玉砕した後だ、もう恋のキューピットにでも何にでもなってやるって。さあ、鈴村さんの想いを受け取れ。さっさと柱は歩けっての!」

 僕が彼の背中をドン、と強く押すと、彼は突き出されるままに前へと踏み出し、鈴村さんへと真正面から向かい合った。そして、視線を彷徨わせて頭を掻きながら、つぶやいたのだ。

「鈴村……今の言葉、嘘じゃないよな?」

 その必死に嬉しそうな声を抑えているような様子に、鈴村さんもようやく小さく微笑みながら、その桜色に染まった言葉をつぶやいたのだった。

「うん。私……春日君のことが好きだったの」

 春日の肩の揺れが収まった。そして、彼女へと微塵も揺れることなくまっすぐな視線を向け、そしてその想いを――春色に染まった声を、彼女へと返した。

「俺も……好きだった」

 僕は、ああ、これで……と薄く水色に視界が滲むのがわかった。けれど、すぐにそんな自分に鞭打って、春日の背中と鈴村さんの背中をドン、と押した。

 おわっ、きゃっ、と二人の間から声が漏れる中、僕はその背中を押して二人を歩き出させた。

「今まで伝えられなかった想いがあるんだろ。さっさとこんな殺風景な場所から離れて、ゆっくりと話せよ。もうお前達、この素晴らしい恋のキューピットのおかげで、恋人になったんだからよ」

 春日と鈴村さんがゆっくりと頬を紅潮させながら視線を交わし、うなずいてゆっくりと歩き出す。その指が微かに触れて、震えながら絡み合い、やがてしっかりと繋がれたことを確認すると、僕はすぐにそこから離れて体育館の方へと歩き出した。

 結局僕の思った通り、これは夢だったのだ。けれど、親友の気持ちに背いて進んでいこうとするその意思にも後ろめたさがあった。その想いを踏み越えて鈴村さんに気持ちを伝えたかったのは僕の偽りならぬ本当の気持ちだ。だから、後悔はない。

 本当は彼女に、そして春日に口汚く怒鳴り散らしたい気持ちもあったけれど、そんな気持ちを越えたところに、僕の本当の想いはあったのだ。僕は鈴村さんの想いも、春日の想いも受け止めたかったのだ。だから、結果的にこれで良かったのかもしれないな、そう思いながら、僕は――。

 溢れるその熱い雫を、腕で必死に拭いながら、思い切り自分の頬をパチン、と叩いて気合を入れた。そうして、しゃあねえな、と小さく笑って。そして――。


 桜色の溢れる花道を、たくさんの卒業生の背中を追いながら、小さく微かに笑い、その桜の花びらをふわりと風に乗せた。


 了

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