眠り姫は歌う

石宮かがみ

眠り姫は歌う

 ——眠ることは、何もしないことじゃない



 春の日差しは教室をほどよく暖かくしてくれる。

 誰かが眠りたくなるくらいに、誰もが眠りたくなるくらいに。

 だから本当に眠ってしまっている生徒がいても、それはもうしょうがないのだ。

「おーい、また寝てるのか。誰か起こしてやれ」

 昼過ぎの授業。地学担当の先生が、居眠りしている生徒を見つけた。

 今月に入ってから何度目かも分からないのだが、とにかく、その少女はよく居眠りをしている。

「また眠り姫だね」

「さっすが。あだ名は伊達じゃない」

 くすくすと、退屈な授業の中で面白いものを見つけた生徒たちに先生は顔をしかめた。

「こら、笑ってないで真面目にしろ。来年には受験なんだぞ。地学は真面目にやれば点数取れるんだから、ちゃんとやれ」

 地学担当の先生は真面目すぎるとよく言われるが、生徒たちの教育に熱心で、それが良いところでもある。

 隣の席の友人に起こされて、眠り姫が目をこすりながら深く呼吸をする。

 頭の奥では脳が痺れるような眠気があり不快。

 眠り姫には睡眠障害がある。それは常に強い眠気を感じるという過眠症だ。

 眠くない時期も時々あるのだが、どうも最近はずっと眠いのである。

「おう起きたか? じゃあこの問題について答えてみろ」

「先生ひどぉーい、寝てたのにー」

「……二酸化硫黄が多いからです」

 先生にうながされて黒板を見た眠り姫は即答する。

 他の生徒たちは顔を見合わせた。

 隣の席の友人があきれた様子で眠り姫を見ている。その目は珍獣でも見ているかのようだ。

「相変わらず寝てるのに成績はいいのね」

「……んぅ。眠いときは寝ないとだめだよ」

 全く成立しない会話に周りが苦笑している。

 隣の席の友人もつられて苦笑する。

 眠り姫は毎日がこんな様子だ。



 学校からの帰り道、眠り姫は教室で仮眠を取ってから帰宅する。その手を取る役目を買って出ているのは隣の席の友人だ。

 眠り姫はどこでも急に意識を失って眠ってしまうことがあるため、道の途中で寝たりしないかと心配なのだろう。今まではなかったが、これからも無いとは言い切れない。

 友人は今日もいつも通りのことを聞いていた。

「眠そうだけど大丈夫?」

「うん。暇だから、お星様まで意識を広げてるよ」

「そうなんだね」

 相槌は適当だ。それもそのはず、何度も聞いているなら答えだって何度も聞いている。

 でも、今日の眠り姫の答えは一言多かった。

「でも今日はね、誰か聴いてる気がするの。初めての感覚」

「ふうん」

 眠り姫は空を見上げていた。

「どうしたの?」

「近づいてくる」

「なに? なに? あそこ? 確かにあそこで何か光ってるね」

 そんなことを話す間に光はだんだん大きくなっている。

 最初のうちは少しずつ大きくなっていたけれど、光は加速度的に大きくなっていく。

 友人も光が近づいてきているとはっきり感じた次の瞬間には、もう視界一面が真っ白になっていた。

 耳がキーンと鳴って、視界は真っ白で、何が起こったのか全く分からない。

 最初からずっと握っている眠り姫の手と、その体温だけが自分以外の存在を示している。

 光はすぐに収まった。

 目の前にあるのは地上数十センチに浮いている小型の宇宙船だった。

 その外装は金属質ではあるものの透明感があり、どこか太陽光パネルに似た印象がある。もしも乗っている人物が銀色の肌をした宇宙人だとしたら色合いの組み合わせとしては及第点かもしれないなと奇妙な感想を持った友人は、眠り姫の手を握って下がろうとする。

「眠り姫。こっちだよ、危ないよ」

「…………んぅ。ドアが開くみたい」

「え? なに?」

 どこかに隙間ができたのか宇宙船内の圧縮された空気が突風のように吹き出し、気圧差で唸りをあげる。

 宇宙船からはなんだかとてもかっこいい感じの青年が現れた。どんな人かといえば宇宙人となるだろう。その視線は眠り姫にそそがれている。

「こんにちは。宇宙を旅している途中、偶然通りがかったあの太陽の近くで君の歌を聴いてね。様子を見に来たんだ」

 宇宙人の背後では、さっきまで乗っていた宇宙船がすっと透明になって消えていく。すごい技術力だ。

「んぅ、そうなんだね。こんにちは」

 眠り姫は気軽に頷く。

 ちょっと、とその手を引いたのは隣の席の友人だ。

「怪しいでしょ。何を普通に挨拶してるの」

「そちらのお嬢さん、怪しいとはどういうことだろうか」

「その、いきなり宇宙船から出てきて日本語を喋ってるし」

「現地意思疎通手段について不足点があると? 感情スペクトル分析から会話ワーカーを構築しているのだが会話が成り立っていないということだろうか?」

「言っていることも分かんないし! 眠り姫、逃げよう!」

「待ってくれ!」

 隣の席の友人に小脇に抱えられながら、眠り姫はストップをかける。

「んぅ。一緒に考えよぅ。私の家、もうすぐだし」



 友人と宇宙人は眠り姫の家に上がり込み、部屋に腰を下ろした。

 口火を切るのは友人だ。

「宇宙人のあなたのことを教えてもらいたいんだけど」

「そうだよねー。よく分かんないよねー。なんて呼べばいいんだろ。宇宙人くん? そーだ、宇宙を旅してるって、どういうこと?」

「どんな生命体の経緯も話せば長いものだが」

 宇宙人くんが前置きする。どうも日本語としておかしな言葉選びをするので、眠り姫たちは先ほどの会話に出てきた会話ワーカーという単語が多分なんとなく自動翻訳っぽいものだろうなと察した。

 本当に長ったらしい自己紹介によると、宇宙人くんは宇宙の中心に向かって旅を続けているそうだ。あまりにも長くて難解なので、眠り姫は途中からずっと眠っている。

「失礼ですみませんね。この子、すぐ眠るんです」

「気にすることはない。彼女が眠っていることは私の話を理解しないということにはならないのだから」

「ええと、どういうことですか」

「眠っていることと思考を止めることは別だ。彼女は半睡眠状態においても意識を発信できる」

「なんとなく言いたいことは分かる気がするんだけど、でもよく考えると全然分からないんだけど」

「もうすでに説明をしたはずだ」

「さっきの自己紹介で? でもさっき話も全然分からなかったんだけど」

「会話による意思疎通は難しい。言葉を尽くすより、一つの行動の方が意思疎通には役立つ。よければ少し宇宙へ行こう」

「いや、それはちょっと」

 宇宙人にちょっと宇宙へ行かないかと言われてついていくのも、なんだかなあと思うわけで。

「残念だ。眠り姫は、どうだ」

「……んぅ。晩ご飯までなら」

「短い! 短いから! あと一時間とかそんな時間しかないよ」

「では早速行こう。一時間もあれば充分だろう」

「気軽か! 眠り姫、ちゃんと考えないと!」

「ちゃんと考えたのにー」

「寝てたじゃない」

「んぅ。そうだよ」

「寝てたら考えてないでしょ」

「考えてるのになあ。なじませるの大事だよー」

「もう、私の周りは変人ばっかりなんだから。私が面倒見てあげないとすぐダメになっちゃうわ」

「んぅ……怒らせちゃった?」

「そういう意味じゃなくて!」

「どういう意味?」

「どういう意味だ?」

「ついていくから」

「ふえ?」

「私もついていくって言ってるの! 眠り姫だけ一人で行かせるわけにいかないでしょ」



 宇宙船はぐんぐん空に向かって飛んでいくのかと思いきや、ちょっと光ったと思ったらワープして宇宙空間に出ていた。

「あれは木星だ。土星に近い場所が分かりやすいはずだが、細かい六次元座標の設定は苦手だ。存在しない確率がいつも不安定だ」

「んぅ。外になにも無いね。プラネタリウムみたい」

「これ本当に宇宙なの? 外の景色が変わっただけだしただの映像じゃないの」

「信じてもらうのは難しい。理解を任せる」

 宇宙人くんは太陽の方向を指差す。太陽は明るすぎて、宇宙船の船内には明るさを調整された姿で写っている。

「向こうで歌を聴いた。意識が時間軸に並行して空間に溶け込んでいた」

「歌、ねえ」

「意識は局所的だが精神は広域化されることを許容する。広域化されることを歌うと表現した」

「詩人め」

「肉体的な。宇宙に同一化。素敵な女性だ」

 会話の通じなさは眠り姫以上かもしれないぞ、と隣の席の友人はため息。

 だがしかし眠り姫はなんとなく通じ合っているようだ。

「んぅ。それは私のこと好きってこと?」

「そうだ」

「んぅ。私も、好き。ここも好き。一緒に宇宙を旅してみたい」

「気持ちはありがたいが旅は人生を消費する」

 いきなり宇宙人くんに告白する眠り姫に驚いている友人に比べ、宇宙人くんは冷静だ。

 もしかしたら宇宙人くんはモテるのに慣れているのかもしれないし——少なくとも宇宙レベルの美形だし——、それとも宇宙の恋は案外淡白なのかもしれない。

「貴重な交流をありがとう。旅を続ける上で、出会いはいつも星を輝かせる」

 木星あたりの宇宙空間に別れを告げ、三人は部屋に戻った。



「では旅の続きへ戻る」

 地球人との交流を終えた宇宙人くんは、地球から旅立つため宇宙船に入ろうとしている。

 その服の裾を掴んだのは眠り姫だ。

「待って、私も行く」

「眠り姫、ダメだって、明日も学校あるでしょ」

「でも行く」

「宇宙船の船長は私だ。君が望んでも君を連れて行くわけには行かない。この旅は宇宙の中心へ向かう。帰ってこられない旅なのだ」

「んぅ、何年くらいかかる?」

「時間のないところまで行く。だから時間は永遠だ」

「んぅ。行く」

「だから、乗せないと言っているだろう」

「んぅ、ちゅー。はい、ちゅーした」

「ちょっと、眠り姫!」

 わけの分からない様子の宇宙人くんへ、眠り姫はしてやったりという顔で説明する。

「口でちゅーしたら恋人、恋人は一緒にいるんだよ?」

「そうだったのか。なら仕方ないな」

「仕方なくない! ちょっと待って、眠り姫のお母さんに電話するから。……もしもし、ちょっと眠り姫を止めてもらいたいんですけど、はあ、事情は私もよく分からないんですけど、はい、眠り姫に代わります」

 電話を代わった眠り姫はなにやら話した。

 あんまり長い時間はかからなかった。ものの一分で話は終わる。

 眠り姫の母の返事はシンプルだった。

『そう? いいんじゃない。お母さんは応援するわ。お父さんにはお母さんから言っておくわね』

「気軽か! お母さん、止めてあげてくださいよ!」

『娘を心配してくれてありがとうね。でも、娘の決めたことだから心配してないの』

「んぅ。許可、取れた」

「分かった。責任を取る」

「ちょっと待ってー!」

 こうして友人を地球に残し、眠り姫は宇宙人くんと共に宇宙の中心を目指して旅立った。



 狭い宇宙船の中での生活は窮屈なものだ。

 少し広めの空間があるためストレッチはできるけれど、走り回るような運動はなにもできない。

「心的ストレスは常に許容範囲内にすることが望まれる」

 心配する宇宙人くんに眠り姫が微笑む。

「んぅ。大丈夫。一緒にいると楽しい」

「一緒にいるが、私にはそれしかできない。君と私は違っているのだ」

「考えてくれてるよ?」

「もちろん君のことを考えている」

「だから好き」

 眠り姫は宇宙人くんの腕に手を回すと、その肩に頭を預けた。

 いつもの眠気のせいで半ば眠っているようだ。

 宇宙人くんは真面目な顔で眠り姫の頭を撫でた。

「これは私の予想だが、君は眠りながら意識を広げているのだろう。この世界に複雑さが生まれる前がそうであるように、個別の生命より原始的な、この世界の命そのものなのだろう。だからきっと、君の友人のこともまた自分と同じ存在のように感じていたのかもしれないな。君は、君を見送った。でもきっと」

「んぅ……難しい。みんな仲良し、みんな一緒、じゃ、だめ?」

「ダメなものか。私のいた星ではみんながそれを望んでいたよ。望みながら滅ぼしあったけれどね」

 眠り姫は宇宙人くんの目に悔しさや後悔があるのを感じ、ふわりとその体を抱きしめた。

 二人は黙っていたが、音の足りないのは空間的な観測結果であって、精神的にはきっと満たされているのだろう。



 宇宙船はいくつかの小銀河を越え、大銀河さえも軽々と越えた。

 旅を続けすぎて、通り過ぎた銀河の数なんて両手の指ではすぐに数えきれなくなった。地球から観測できる最も遠いアンドロメダ銀河でさえ、二人の乗る宇宙船が飛んだ距離と比べればご近所のようなものだ。

 果てしない旅。けれどなかなか変化に乏しい旅ではある。

 しかし最近になって眠り姫にも感じるような変化がやってきた。

 それは時間の経過についてである。

「んぅ。最近、時間が巻き戻ったり飛んだりしない?」

「時間軸が不安定になっているんだ。すでにいくつかの次元に関しては計算結果が多重となっている」

 要は、宇宙の中心に近くになるにつれ物理法則が少しずつ不安定になっているのだ。

「まだ先の話だが、いつかこの宇宙船は宇宙の中心に到達する。その時点で多くの軸が失われる。永遠に宇宙の中心と一体化することになる可能性がある」

「んぅ? ずうっと一緒にいられるってこと?」

「そう言い換えることができるだろう」

「やったあ」

 眠り姫は嬉しそうに、宇宙人くんに頬ずりする。

 宇宙人くんは旅の終わりの前に、今までしなかった質問をする。

「君はどうして私と来たんだ?」

 眠り姫はかなり長い間考えてから、恥ずかしそう俯いた。

「んぅ……。眠ってるとき、世界に溶けてくの。でも、その感じ、誰も分かってくれなかった。でも宇宙人くんはちょっと分かってくれた」

 そして初めての感謝を告げた。

「ありがとうね」


 やがて宇宙船は宇宙の中心に到達した。



 宇宙の中心では時が止まっていた。

 最も宇宙人くんの優れた科学力にとって時間軸の欠損は活動不能を意味するものではない。だが、彼は驚いていた。

「不思議だ。ここでは私自身で君の歌を感じられる」

 眠り姫の意識はどこまでも広がっていて、それは宇宙人くんも包んでいたのだ。

 失われた時間軸の中でこうしていると永遠に一体化することに等しい。

「……んぅ。幸せ?」

「幸せだ」

 宇宙人くんは精神的な同一化によって忘れがちになる肉体に目を向けることにし、やがて、肉体的な状況を見れば手を繋いでいることを思い出した。

「眠るときに手を繋いでいることは不自然だろうか」

「……んぅ」

 ハイともイイエとも判別のつかない言葉に少し悩んだあと、宇宙人くんは考えることをやめて手から伝わる温もりに意識を向けた。

 ここに時間はなく、熱エネルギーは移動することなく、温もりも伝わらない。

 それでも時間軸から切り離された意識だけは思考という固定的な定義から逸脱した思考を続け、それは空間に同一化する。

「ずっと一緒に歌おう」

 その言葉を最後に二人は言語交換を終了し、重なり合った意識を交換するに任せた。

 ここはまだ宇宙の生まれる前、エネルギーのゆりかごで同一化する。

 やがてそれは波長から、波長を産む根源へと回帰する。

 二人は永遠になっていく。


 眠り姫は歌う。

 歌はいつまでも響く前で、いつまでも届かなくて、それでいて響いていて届いていて、その存在は手を繋いだままの宇宙人くんと未来永劫同一化している。

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