元・魔王の幹部の娘弟子:xx06
それから再び暫く思い出話を語り継ぎ。
記憶を掘り起こしながら言葉を紡ぎゆく。
今日もまた陽が沈み始めたので、オイルライターを擦ってみる。しかし。芯の先に炎は灯されない。
「あら?火がつかないわね…その便利な道具もやっぱり故障するということかしら?」
ロザリーさんは訝しんだ。
ドラムを回すと火花は散るのでフリントが摩耗したわけではないだろう。単純なガス欠だ。燃料補充をするために軽くなった鞄に手を突っ込んで、燃料が入っているはずの瓶を取り出すが…やけに軽い。容器を振っても重心の移動が見られない。空き瓶だ。蓋の締りが甘かったのだろうか?勝手に揮発したのかもしれない。新品の燃料容器も見当たらない。隠密に徹して痕跡を残さぬ為にと、補給を疎かにしたのが裏目に出たか。
仕方がない…効率は悪いが、とっておきの瓶を取り出して、そのネジ口蓋を開封する。
「お?なんだそりゃ?匂いからすると…アルコールか。その着火器具はアルコールも燃料にできるのか。」
「はい。因みにこれはハーブを溶かした蒸留酒です。本当は治療の際の消毒用として用意したんですけれど…回復魔法では雑菌を殺すことは出来ませんからね。小型のランプや携帯コンロの代替燃料にもなりますし、少し工夫すればオイルライターの燃料にもなりますよ。」
アクア・ヴィーテ。水の女神の名前を冠した、非常に度数がお高い蒸留酒。本来の燃料と比べると…容器の中で揮発させるためにライター自身をぶんぶん振ったり温めたり、燃料の消費も早いので頻繁に中身を補充する必要がある等々、色んな要所で手間が掛かってしまうのが難点だ。
実はと言えば、推奨されてるオイルの匂いが好みでないので、アルコール燃料のほうが好きではあるのだ。オイルの炎は力強くて、周囲を照らすほど明るい朱色であるのに対し…お酒の炎は弱々くて青白く、風が吹けば直ぐに消えるなど、実用的な面では欠点だらけではあるのだが…個人的には逆にその、幽幻的な儚い性格が物凄く好みである。アクシズ教徒として青色が好きというのもあるのだが…それ以上に、母さんを思い出す。
紅茶を淹れるのが得意だったウィズ母さん。アクア様が来られる度に、紅茶を催促されてはランプに灯りを燈していた。茶葉の香りを害さないように、夜間の屋内を照らすランプやオイルライターに用いる燃料ではなく…蒸留して精製されたアルコールを燃やすことで炎を熾し、丁寧にお湯を沸かしてた。
そんなことを思い出しながら、野山で拾った生乾きの枝葉に着火する。煙が多いが仕方がない。
「さて、次はどの話をしましょうか…」
伝えたい思い出話は未だに沢山ある。どれにしようか迷っていると、ブラッドさんから話を切り出された。
「いや、そろそろ良いや。十分に満足したよ。まだ話し足りないだろうけど…燃料も切れたということは、食糧も尽きかけているんだろう?」
確かに。前日なんかは野山に出かけて木の実を採取したり、川に入ってザリガニや魚を取ったりしてたっけ。
「明日の朝くらいには浄化されちゃおうかな…その前に一つだけ。ウィズはどんな感じの最期だったんだ?」
やはりその問が来たか。少しだけ胸の中が苦しくなる。
あの時の事を冷静になって思い出し…嘘偽りの無い、客観的な事実のみを言葉に紡ぎ、声にした。
「特に悪い魔法使いになって討伐されたというわけではありませんよ。極めて穏やかに、世話になった方々に看取られながら、アクア様によって浄化されました…綺麗さっぱり跡形もなく。まぁ、リッチーに成って既にアンデッドだったのでこの物言いは妙ですけれど…大往生だったんじゃないでしょうか。やりたいことをやりきって、友人達に囲まれて、自ら望んだ方法で…恩人の手によって浄化されて見送られる。自分の意思で自然の摂理に背いて神の反逆者となった存在としては…この上ない、とても贅沢な最期だったでしょうね。」
色んな方々から預かった恩義も出来るだけは返した筈だ。後腐れも殆ど無い。とても綺麗な最期だったと思う。…まぁ、恩返しを貰い損なっている大悪魔がいるにはいるのだが…契約を反故にされた悪魔は有り余る位に存在してる。彼らは生命とは言い難いので、腐るほどの様式美とは言い切れないが、よくある事なのは間違いない。それに、後を託せる存在…ロザリーさんの連絡先も、こっそりと受け取っていたようだった。
父さんのダンジョン造りに関する遺言はアクア様も承知していたみたいだけど…私の方には何一つとして言われてはいないのだ。ロザリーさんに関する情報は完全に隠蔽されていた。その理由も判らなくもない。ついカッとなってしまうのは、私の悪い癖である。アクシズ教徒になる前から…思いつきやら気の迷いやらの何かの拍子で、とんでもない事に手を出してしまう、そんな性格なので在らぬ心配をされるのも仕方がない。あの時もだいぶ取り乱してしまったけれど…今では既に落ち着いた。凡そ気持ちの整理もついている。…少なくとも、そのつもりだ。
こうしてロザリーさんに接触したのも、父さんへの嫌がらせだ。彼女を浄化することで、義父が抱く夢や希望の道のりを遠ざける。寿命の存在しない悪魔族にはあんまり意味は無いかもしれないが…仮にも養女が恩義を感じて父さん呼ばわりしてるのだ。やんちゃ娘の八つ当たりくらい、偶には義理でも父親らしく、暖かく受け止めきって欲しい。
私も母さんのように、やりたい事をやりきって。出来ることを出し切って。そうして何時か何処かで果てて逝こう。一先ずは、母さんの伝記を書ききること。自費出版するほどの財産が築けるか判らないけれど…母さんの名義で残された遺産も幾らかあるし、それを元手に商売するのも良いかもしれない。今は事情があって、あまり故郷には戻っていないけど…もう少しだけ気分が落ち着いたら、魔道具店を引き継いでもいいと思う。年老いてからは手を出せない、若いときにしか出来ないこともある。先ずは地方を巡って宣教の旅をしなければ。
いま在る国々の関係がギクシャクしていると言ってもだ、凡そ全ての人々が平和な世界を…明るい未来を望んで目指しているのは間違いない。戦争が起こらぬように各々の関係各位が必死に外交努力を尽くしてる。数多の国を巻き込んだ、国際的な一大プロジェクト…伝説のキャベツが眠る新大陸の探索もその内の一つである。
魔王がしばかれ平和になったこの世界。各国で騎士団が編成されてる環境では必然的に需要が低くなり、職にあぶれてしまった冒険者。多くの者が、身寄りが無くて命知らずの彼らに対し次のように声を掛けるのだ…新大陸を見つけた者には土地をやる、やり方によっては村や街だけでなく国も作れるかもしれない、未開の土地から金脈を掘り当てれば億万長者になるのも夢ではない…等々、嘘か真か判らない、そんな夢物語を聞かせて焚き付ける。
そうして幸運にあやかることが出来るようにと、大陸の辺境に位置する王国の、さらなる辺境の街…女神エリスが降臨されて聖地となった駆け出しの街へと彼らを送り込み…その近くの海辺の一部に新設された、港町へと住まわせる。そうして時期が来れば船に乗せて送り出し、海の上を飛び回る元気なキャベツを追いかけさせる。
春夏秋冬、季節を問わずに収穫されて、新鮮な状態で市場に送り出される高級野菜のキャベツだが…活発に空を飛び廻り、収穫の鎌から逃亡しようと試みるのは、秋物だけに見られる特徴だ。それに合わせて新大陸の探索隊も編成・派遣されている。年がら年中、派遣される冒険者達を補給も覚束ぬ、とても危険な海上へ追放しているわけではない。
探索船に搭乗した冒険者達の役割は、巨大な船体を動かすためにオールを漕ぐことなどではない。それはあくまで非常手段だ。船の動力源は別の手段、魔道具を用いた方法がきちんと採用されている。彼らの主な仕事内容は…キャベツを追跡する途中において不運にも、強敵に遭遇してしまった場合に討伐するか、少なくとも追い払うことである。新大陸の発見は、二の次だと言ってもいい。
海にはクラーケンや触手モンスターなど、倒し切るのが難しい恐ろしい怪物が無数に蠢き犇めいている。何故に強敵なのかと言えば…彼らは一定のダメージを与えられ、生命の危険を感じると、直ぐに海の中へと逃げるのだ。まぁ、一度は痛い目を経験すれば、同じ個体が再びちょっかいを掛けてくることも少なくなってくるらしい。身体がとても大きい分、意外と知能が高いのだ。そうすることで、海の航路の安全を確保する。とても立派な仕事である。そして…その恩恵に預かることができるのは、新大陸を探している、彼ら自身だけではない。
遥か以前より海の上を職場としている漁師達…カニやサメなどの超高級食材を採取する彼らも常に命懸けで仕事に臨んでる。そんな海の民達の安全にも一役買うことが出来るのだ。例え新大陸が発見できなかったとしても…大陸中の国々の貴族や王族、あるいは資産家などが美食や珍味を求めて投資をするのは当然だった。
最近では海産物が長寿や健康に良いと持て囃されたりもしてるらしい。森で採れるタコや畑で養殖されてるサンマだけでなく、カツオやマグロなどのツナ類の需要も高まる一方だ。噂では、逃げた手負いのクラーケンを追いかけて、海中で仕留めたは良いけれど…強敵であるのにその肉は臭くて食べれたもんじゃない、そんな感想を述べた二人組のツワモノもいるんだとか。その猛者の正体は冒険者ですら無くて、何処ぞの街の現役を退いた肉屋とコックで、やたら元気なジジイだったとか…故郷の3丁目に店舗を構えていた方々だろうか?彼らは無事に次世代に店を引き継がせたと聞いたけど…かなり高齢なはずだが、引退した後も相も変わらず元気なようだ。
いま在る大陸上の凡そ全ての場所には人の足が踏み入れられたが、それはあくまで四方を海で囲まれた、この狭い大地だけの話である。
この世界は未だに未知で溢れてる。人々の憧れは止められない。探究心と好奇心の源泉は、絶えて尽きることなど無いのである。
翌朝。
魔法陣の中央に胡座をかいて座ったブラッドさんに対して問いかける。
「…覚悟は良いでしょうか?」
「死にゆく覚悟のことならとっくのとうに済ませているよ。冒険者になると心に決めたその瞬間からな。…ウィズやロザリーは、どうもそうじゃなかったようだけど…まぁ、冒険者としての本分を全うできなかった俺達にとっては、こうして誰かに見送られて逝くというのは贅沢すぎる死に方だよ。」
こちらの問に対して、元ソードマスターのデュラハンは肩を竦めながら気軽に応えを返してきた。
彼ら仲良し3人組は。当時最強の冒険者グループの面子でありながら…冒険者の矜持や覚悟を果たすことが出来なかった。
冒険者は常に己の生命を賭けて事に臨んでいる。当然ながら事の次第によっては己の生命を落とすこともある。
遺体の処理に関しても身元不明だったり引受人がいないが為に葬儀の仕方も判らずに取り敢えず共同墓地へと運ばれて土葬されるのは未だにマシな方である。状況によっては亡骸が道端で捨て置かれてそのまま野犬に食われたり、或いはゾンビと成り果てて彷徨うこともあるだろう。
こういう背景があるもんだから、死に方や死に場所が選べる冒険者は…ある意味では幸運である。
魔王の幹部との激闘の果てに死の呪いを受けた彼らであるが…宣告された命日までにはそれなりの時間が与えられていた。
リザレクションの蘇生は呪殺に対して効果はない。生き延びるためには術者を斃すなどして呪いを解くしか方法が無いのだが…呪いの術者は魔王の城の結界内へと引き篭もり、打倒も交渉も不可能な状況に陥っていた。呪いの強制解除も叶わなかった。当時の王都に滞在してたエリス教の最高位のアークプリーストに掛け合っても解呪することは出来なかったのである。
そういう事実があることを、周囲の人間も理解した上で各メンバーが残された日々を有効に過ごす…つまりは後悔の無いよう、未練を残さぬように余生を送ることを黙認しており、その日を迎えるための準備も粛々と行われていた。パーティーの一員であった勇者候補生も最期を迎える場所や葬儀の方法などを相談した上で、心安らかに逝けるようにパートナーと共に過ごすなど、冒険者としての活動を止めて平穏に暮らす道を選んでいた。しかし…母さんと、ロザリーさんの2人は冒険者の矜持を捨てて、それぞれ独りで別々に行動していた。
ウィズ母さんは…どうせ死ぬならばと、一か八かで己が魂を削ってまで大悪魔と激闘を繰り広げ…予定とは少し違う形ではあるが、見事にパーティーメンバー全員の呪いの解除に成功した。しかし、結果的に上手くいったからと良いものの…たった独りで悩んだ末に、たった独りで特攻をぶちかまし、大悪魔に気に入られていなければそのままたった独りで果てたであろう。とてもじゃないが、褒められたものでは決してない。
そしてロザリーさんも…禁断の秘儀、つまりリッチー化の秘術が記された魔導書を保管しているエリス教団の禁書庫にどうにか忍び込み、目的の書物を探し当て…一足遅く、リッチー化を成し遂げていた。『権力者ほど永遠の生命なんてものを欲しがる』と…とあるエリス教徒の女盗賊が呟いていた。エリス教団内でも禁呪が記された禁書が厳重な監視下にありながら保管されていることは噂になっていたらしい。それなりに高位のアークプリーストだったロザリーさんもその噂は当然ながら知ってたし、そして…見通す悪魔にあれだけ色恋沙汰でからかわれていたのだ。ブラッドさんのウィズ母さんに対する想いなぞ、当然ながら気がついていた。仲間であり親友でもある二人の仲をどうにかしようと考えて…選んだ道が、たまたま同じ手段であった。
そして独りでブラブラしていたブラッドさんを見つけては、リッチー由来の規格外の魔力を用いて解呪を試みたが…その時には既に呪いは解けた状態だった。暫く後に同じくリッチー化を果たしたウィズ母さんと再会し…自らがしでかした事を棚に上げ、エリス教の教義に基づきアンデッドに対して厳しい態度を貫いて…あれこれ罵声を浴びせた後に勝手に絶交を宣言し、故郷の教会跡で深い眠りに落ちたのだ。
眠りについた理由は色々在るけれど…簡単に言えば人間としての意識を保つことが限界だったということだ。
アンデッドに厳しい女神の教えに反して自らリッチーとなる…仲間を救う為とはいえど、冒険者の矜持に反するし、何より激しい自己嫌悪があっただろう。
それだけではない。魔物に成り果てるということは、その身体の性質に精神が引っ張られるということだ。大悪魔の憑依に対してある程度は抵抗できる精神力をもってはいたが、最終的には屈していた彼女には魔物としての本能に抗い続けるのも難しく…狂信的な女神エリスへの信仰のみが、矛盾を孕んだ彼女の心を歪ながらも支えていた。
しかし、強靭な精神力を以て魔物としての本能を捻じ伏せて魔王の幹部達を立て続けにボコボコにした駆け出しリッチーを目の前にして…仲間殺しの禁忌と己が崇める女神への信仰心との板挟みに陥って…瞼を閉じて、耳を塞いで永い眠りに落ちるしか彼女の選択肢は残されていなかった。いつしか自身を浄化できる希少な存在を、只々ひたすら、ずうっとずうっと待ち侘びながら…
そしてブラッドさんは、呪いが解かれて冒険稼業に復業したはいいけれど…道を外れてしまった2人の仲間をそのまま見過ごすことができなくて…内に秘めた強い心残りが源となり、闘争の果ての死を受け入れられず、デュラハンとして黄泉から帰ってしまったのだ。この結果が本人にとって本意か否かは解らなかっただろう。しかし…蘇ったのなら仕方がないと、ウィズ母さんと相談した上で、ロザリーさんの眠るエリス教会の廃墟を守ることにしたのである。
「ロザリーはどうだ?未練があるならとっとと済ませたほうが身のためだぞ?今更叶わぬ願望でも、言葉にするだけでだいぶ楽になる。」
「…そうね。私も出来ればウィズと仲直りしてから浄化されたかったけど…勝手に絶交を宣言してこの教会跡に引き篭もったのは私だし、あの子が天に召された今となっては果たすことの出来ない願いだから…仲直りとまで行かなくても、せめて一言だけでも謝りたかったわね…」
「同じ言葉は母さんも呟いていましたよ。知り合いまで落ち込んだ間柄から、仲間とは言わなくてもせめて友人の関係まで戻したかったって…」
2人の想いは一緒だったのだ
「あとはそうね…ウィズにリッチー化を教えた悪魔もしばき倒したかったけど…それは代わりに誰かがやってくれそうだし、こうして浄化されてやるだけでも十分な嫌がらせになるだろうから我慢しておこうかしら。」
悪魔や不死者に対しては、アクシズ教も忌むべきものとしているが、エリス教での嫌悪の度合いは更にその上を行く。
即滅消却。魂の循環を遮る存在に対してエリス教はとてつもなく厳しい姿勢で臨んでる…少なくとも、表向きは。
本来ならば生命が死を迎えた時、肉体は土へと塵へと還り、魂は輪廻を巡って次の来世に引き継がれる。世界を維持するために必要不可欠なシステムである。このサイクルを滞らせる存在に対して、神々やその信徒は厳しい態度で臨まなければならないのである。
アンデッドに成り果てた彷徨える魂は天に還るべきであり、肉体も土に還らなければならない存在である。共存は可能と言えば可能だが、何時までも何時までも現世に留まることは、余程のことがあったとしても見逃すべきではないだろう。精々が、未練や心残りを叶えさせ、出来る範囲で満足させて、気持ちよく送り出す…その手伝いをしてやるのが
そして悪魔族。感情を食する彼らも人間と共存できる存在ではあるけれど、同時に魂に価値を見出しているのも間違いない。取引の内容によっては対価として他者の魂を要求することもあるし、場合によっては契約者や召喚者の魂を掠めとることもしばしば在ると言われている。魂の循環を脅かす
以上に述べた理由から、不死者や悪魔は宗教関係者から忌み嫌われているけれど…一般的な冒険者にとっても嫌悪の対象とされている。
冒険者はたった一つの己の命を賭けて魔物に挑み彼らの生命を奪い取る。回復魔法があるとはいえども大怪我を負って治療が遅れれば生命を落とすし、運が良くても後遺症が残ることも頻繁にある。しかし…討伐対象となる魔物の多くも生き物で、立ち会う際の条件としては凡そ対等の立場である。
ただし。アンデッドや悪魔はこの枠組みに収まらない。神々ですらたった一つの生命や身体を大事に大事に取り扱っているのに…彼らに対してはその理屈が全く通用しない。
アンデッドの殆どは生命は既に失われている…にも関わらず、静かな眠りを良しとせず、生者に危害を加えようとする。
ゾンビやスケルトンの屍鬼なんかは手傷を負っても平気で動き回るし、ゴーストやレイスなどの霊体は干渉するための手段が限られている。
そして生きているのか死んでいるのか
一方で、悪魔族は残機というインチキ紛いのシステムを地上でも適用させて活動する。個体差もあるけれど、積極的に人々を襲う悪魔の大抵は、死んだからといって直ぐに滅びて存在が消え去ることはないという。
そもそも彼らの
彼らも個体によって食べる感情の趣味嗜好が異なっている。私の身近にいた大悪魔なんかは憤怒や羞恥、苛立ちなど様々な種類の悪感情を食することが出来るけど、喫茶店を経営する
そして知性体だけが生み出せる質の良い
そういう想いを馳せながら、描かれた魔法陣をチェックする。
アクア様が印した本気も本気の魔法陣。迷える魂を天へと帰す…そのために描くそれは、過去に2度は見たことが在る。もっと見たことは在るかもしれないが、あの2回は特に印象深く残っている。どちらも今に至る私の生き方を決定づけた、どうしても忘れられない思い出だ。
中心にブラッドさんを独り据え置いて…最期の別れの言葉を交わす。
「そんじゃあな、ロザリーよ。熱心なエリス教徒のお前に先んじるのは申し訳ないけれど…一足先にエリス様と会ってくるわ。」
「別に気にしないで良いわよ。私の事も宜しく伝えてちょうだいね」
「ごめんなさい。本当は
流石に最上級のアンデッドを浄化するのは初めての試みだ。デュラハン、リッチー、ヴァンパイア…熟練の冒険者でもおいそれと出遭えるものではない。駆け出しならば尚更だ。
しかし、初めてでも、成し遂げねばならない。それが私の
己の精神を集中させて、烈迫の気合を思いに載せて、神聖呪文の詠唱をー囁きー祈りー念じて叫ぶ!
「『セイクリッド・ターンアンデッド!』」
「ーーーーーーッ」
ブラッドさんの全身は、輝き煌く白光に包まれた!
そしてやがて薄くなり…鎧も兜も肉体も、両手に握ったウィズ母さんの遺髪が入った紅魔族の
今までは人家や墓地に蔓延ったゴーストやゾンビしか相手にしなかったから、気にならなかったけど…最上位のアンデッドを浄化するのには、ここまで魔力を必要と…消費をするものだったとは。しかもブラッドさんは、デュラハンとしての本能に逆らって、長い期間を水を汲むために、降雨に打たれ、川で流水に触れるなどして、レベルが極端に低下しているというのにだ。
アクア様は、やっぱりとっても凄いなぁ。
そう思いながら身体が傾く直前に、なんとかポールハンマーの柄に縋りついた。握力は何とか残っている。しかし身体の震えが止まらない。必死になって呼吸を整える。
ゆんゆんさんから教えてもらった秘技…紅魔族に伝わる、魔力の自然回復を早める呼吸法。まさか、こんなところで役に立つなんて…
こちらの様子の異変に気がついたのか、ロザリーさんから声が投げかけられた。
「大丈夫?顔色が悪いわよ?」
「平気です。少し…待ってて下さい。新しく魔法陣も、用意しなければなりません。」
そう。魔法陣は使い捨てなのだ。ひとたび、最上級の浄化の呪文に用いた魔法陣は…結界にもにた力場を形成し。印が描かれた空間内への魔物の侵入を拒むのだ。公爵級の大悪魔でも破壊することは叶わない。同じ方法でロザリーさんを浄化するには、発動前の魔法陣を再び用意し、その中心に彼女を据える必要がある。
自らの体調を確認するために、自分の手や腕の肌に見える血色を確認する。アルビノなので、普段は血管が透き通るように見えるほの紅い肌も…今は蒼白になっており。
誰が見ても、平気じゃない。でも、すぐに彼女も浄化しないと…そう思い。少しでも早く魔力を回復させるよう、呼吸を整えながら、必死になって魔法陣を再構築する。
皮膚の真下を蟲が這い摺り回ってる。そんな感覚がする。冷や汗が滴り落ちる。呼吸を、呼吸を整えなければ。手が震える。
自然と震える顎を、奥歯を食いしばることで何とか留める。痛みで硬直する身体を無理矢理に動かして手足を操る。それでも尚、魔法陣を描き続け…なんとか、やり遂げた。
初めから2つの魔法陣を描いて準備すればよかっただろうか?しかし、おそらく私の実力では1人ずつしか浄化できなかっただろう。
レベルが下がり、ゴブリンにすら舐められるようになったデュラハンが相手でも、こんな有様なのである。最上位のアンデッドを2人も纏めてなんて絶対に無理だ。
そして…たとえ相手がそれを望んでいたとしても…レベルダウンなど起こしていない、最強の冒険者グループのメンバーだった元・アークプリースト経由の
いや、やり遂げなければならない。
母のため、ブラッドさんのため、ロザリーさんのため。そして何より、自分のために。アクア様のような存在を目指すためには、やり遂げなければならない。
強い意思を宿した炎を心に灯す。意識を集中させて、俯いた顔をキリリと上げる。
この身を苛む苦痛の中で
「ロザリーさん、それでは、お覚悟を」
「……」
対する彼女の顔は、憂いた表情を浮かべている。こちらの身を案じているのだろうか。優しい御方だ。
そうして再び精神を集中させて、烈迫の気合を思いに載せて、神聖呪文の詠唱をー囁きー祈りー念じて叫ぶ!
「『セイクリッド・ターンアンデッド!』」
「……?」
しかし。何も起こらない。魔力が少なすぎて呪文の発動すらしなかったのだ。暫くの時間を気まずい空気とともに、沈黙がその場を支配する。そして…ロザリーさんが、やや軽い調子で唇を開いた。
「…どうやら魔力切れのようね。今日はこれで終わりにして、私の浄化は日を改めてからお願いしようかしら。」
「そういう訳には参りません!」
彼女が示した順当な提案を慌てて否定した。
天界の時間の流れは地上のそれとは全く異なる。なるべく時間を開けないで、順々に送らなければならないのに。そうしなければならないのに!
…それならば!
「『ターンアンデッド』!『ターンアンデッド』!『ターンアンデッド』!」
「っちょっ!?いたっ!いたたっ!」
初級の浄化魔法を続けて唱える。しかし全く歯が立たない。それでも連唱。連唱あるのみだ。
「『ターンアンデッド』!『ターンアンデッド』!『ターンアンデッド』!『ターン』…」
やがて魔力が足りずにターンアンデッドすら発動しなくなる。ならば。
「『ヒール』!『ヒール』!『ヒール』!」
「あたっ、痛い!いたいってば!ちょっと落ち着いて!?」
初級の回復魔法を続けて唱える。全く持って歯が立たない。それでも連唱。連唱あるのみだ。
「『ヒール』!『ヒール』!『ヒー』…」
バカの一つ覚えのように魔法を連続で唱える。唱える。唱える。唱え…
ぶつん。
突如として身体の内側で何かが切れる音を聞いた気がした。完全な魔力切れだ。限界を超えて魔力を消費した、その代償がこの身に降りかかる。
意識が遠のく。視界の中で長い白髪が舞いながら、景色が回転して落下する。直後に走る衝撃とともに目の前が真っ白になり…やがて暗闇へと引きずり込まれる。
「っちょ…ディアさん!?」
己が名前を呼ばれるも、応えることなど出来はしない。混濁し、失われゆく意識の中で、只々一つの想いのみが心の中を支配する。
ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…
この素晴らしい世界に福音を!(仮)〜偽典転生・前日譚〜 hiromi2号 @hiromi2
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