第2話

 お風呂上がりのベランダが好きだった。

 もうずいぶん前の話だが。

 思い返すほどに、思い出というものは美化されていく。窓のない風呂場にはもう慣れて、私はいつの間にか大学三年生になってしまった。シャワーからあふれた水滴に押し流され、泡が皮膚をすべって落ちた。まったく情けないことである。私は自分の過去と未来を思ってまた憂鬱になった。大学生は人生の夏休みとはいうけれども、私の場合本当に年中夏休みのような生活を送っている。だが「夏休み」と銘打つほど、私の現在は充実していないのでてんで楽しくない。要は大学に行かず日がなごろごろ引きこもっているのである。日本社会にひそむ害悪である。はっきり言って存在自体が生き恥である。先ほど私から滑り落ちた泡は、排水溝の毛髪にせきとめられて真っ白にその形を残していた。汚水が行き場をなくして私の足元に集まりだした。溜息は冬の風呂場においてはその形をとどめる。私は幾度となく溜息をついたために、風呂場が真っ白に染まってしまった。彼らは湯気と同化するのだという。

 吸ったり吐いたり食ったり寝たりしていれば人間死なずにすむもので、こんな屑でもなんとか今日まで生きながらえている。大学に入ってからというものずっとこんな生活を続けていたから、すこし暇ができるとぼんやりと昔のことを思い返しては、あの頃はよかったなあとか思うことがある。思うだけだ。ただ思うだけなのでまったく何の足しにもならない。そうして過去にすがることのみじめさにはたと思い当たって、私はより深く浴槽に沈んだ。温まって早いとこお風呂からあがろう。今の私においては、目下の生活を成り立たせるための行為のほうがよっぽど生産的に思えたのだった。

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星港夜 鯨丘捷 @zone_zone

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