星港夜
鯨丘捷
第1話
仙台の夜は深い。――そう思うのは、僕が大学生になったからかもしれない。自転車を漕ぎながら考える。久しく行っていない大学というものの存在が頭をよぎって、ペダルが重くなった。いったい僕は人生に向いていないのではないか、云々と考えていたら、いつの間にか下り坂に差し掛かっていた。先ほどペダルが重かったのは、なるほど上り坂だったせいだろう。
もう深夜であるし、目抜き通りであっても人はまばらだ。あるいは繁華街国分町に人が吸い寄せられているのかもしれない。とにかく夜の仙台を上杉方面へ抜けると、そこにぽつんと明かりのついた喫茶店がある。白壁は闇夜の裏路地にあってはその存在を誇るのに十分であったし、漂う珈琲の香りは高く、僕は惹きつけられるようにして扉に手をかけた。
「星港夜」、それが名前であった。「シンガポールナイト」と読むらしい。星港という当て字は、どこがどうしてシンガポールになるのか全く不明だが、異国感漂う詩情に溢れ美妙な名づけである。窓際の席に腰かけると、机ごしにとある女性と目が合った。若干の居心地の悪さを感じて、思わずに目を逸らす。
メニューに目を通しながら、なにか気になって、ふと顔をあげた。彼女は目前のチーズトーストを黙々と口に運んでいて、僕のこと、先ほど視線が合ったことなどまるで意に介さない様子であった。ほっとしたような、残念であるような――なんだかどこか遠いところで、確かに陥ったことがある感情だ。その正体を探ろうとして、はやる自分に気づき苦笑してしまう。落ち着こう。僕はいちばん濃い珈琲と、そして少し間をおいて、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「チーズトーストをお願いします」と言った。
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