エピローグ

『ピジョンブラッド』の瞳

 ロッソの作成した療養スケジュールによって、少年の経過は良好だった。

 ベッドの上でペンダントを眺めていた少年は、ルーフスに尋ねた。


「ルーフスさん、これどうしてこの色にしたんですか?」

「え、色?」 


 少年は見覚えのあるこのピジョンブラッドの色をしたペンダントがどうしてか気になって仕方がなかった。

 胸の奥にしまわれた微かな感覚がざわめいて、自分に呼びかける。


「そうね、そろそろ話をしておかないといけないわよね」


 カウンセリング中だったルーフスは手元の書類にペンを置き、少年と対峙すると、アネッサのことを話しだした。

 データ上の偶像に人間的意識『ニューラルネットワーク』を構築させてアネッサを作ったこと。ゲルシュナーという老神がそれを自身の研究に加えたこと。かつての残虐は何の成果も実らせることなく凍結したこと。

 そして、アネッサという魔法使いの瞳がそのピジョンブラッドの色だったということ。


「それでこの色に……」

「酷だったかな。私もね、自分勝手なことをしてるのはわかっているのよ。君はもう関係のない人間だし、ここで身体が回復したら地上に降りて普通に生活していければ、それでいいはずなのに。私はそのペンダントを渡して、忘れないでって言ってるようなものだもの」


 少年とアネッサをあの残酷な実験から解放してあげたかったことは事実。

 そしてアネッサと少年が出会えたことが今回奇跡と呼べる結果に至ったこと、アネッサが本当に救われた事をただの結果で残したくないと思っているのも事実。

 これは我儘であった。


「俺、なんとなくだけど、ぼんやり覚えてる気がするんですよ」


 少年は手元で遊ぶように、ペンダントを弄りながら言った。

 どこか懐かしむような目元が柔らかい。


「それって……」

「覚えてるっていうか、感覚で覚えてるっていうのかな。すごくこの色が好きなんです」


 それがただの色の好みという話でないのはルーフスにもわかっていた。この少年はアネッサの瞳を覚えているに違いない、あの奇妙に輝く不思議な色の瞳を。


「俺、このペンダント見てると最初にあんなに悲しかった理由がわかった気がするんです。あの時はなにがなんだかわからなかったんですけど。なんていうか、その、“離れたくなかったなぁ”っていう。……そんな、感じですかね」


 少年の目がどこか切なげな色を浮かべた。

 未だコロコロと手元でペンダントを弄るその姿が寂しいように見えた。


「そう、……。きっと君はアネッサのことを家族のように愛していたんだと、私は思うわ」

「うん。俺も、そう思います」


 優しさを含んだ笑顔で少年はペンダントを握った。


「これ、ずっと大事にします」


 そして首にペンダントをさげてそう言った。

 療養スケジュールは明日の検診が全て通れば、その日の内に地上に帰れる予定だった。

 少年がここで経験したことは良い思い出というものではなかったが、一つの、世界からしたら些細な奇跡がこの少年を救い、アネッサという脆く儚い存在がこうして一人の少年の首元で人の体温を感じていられることは幸福の極みではないかと。

 ルーフスはそう思い、カウンセリングのファイルを閉じた。


「じゃあ、最後のカウンセリングはこれでおしまい。見た所異常もないみたいだから、たぶん明日は地上に降りられるわ」

「はい、今までありがとうございました」


 少年はベッドの上でお辞儀をした。


「いいのよ、私も君と話すことで仕事もサボれたし」


 二人は笑いあって、ルーフスは短い挨拶をして部屋を出て行った。



 一人になった部屋、ここの景色も見納めだ。

 一通り見渡した後、少年は心臓の音を聞くようにペンダントを手のひらで触れ、目をつむった。

 僅かに残った景色、古本屋、蓄音器。


「――――――ずっと忘れないよ。アネッサ」


 そう呟いて、少年は瞼の裏に飾られた箱庭の景色を思いだせる限り並べた。

 大変なことばかりだったが楽しかったことも沢山あった。少年はその一つ一つを大事に思い出にしまって首元のペンダントの熱を静かに感じた。


 こうして一つの物語は、エピローグ付きで終焉を迎えたのであった。

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Beauty The Entertainer 空白透明 @mononofu_itsukami

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