6-2 可もなく不可もなく

 けたたましい警告音が老人の耳を突いた。


「何故だ!!」


 苛立ちを隠しきれずに持っていた杖を投げる。


「どうしてこんな結果になる!!」

「箱庭、完全に消失! リカバリ不可能!」


 怒れ狂うゲルシュナーを余所に研究員が大慌てで復旧作業に取り掛かるが、事態は完全に手詰まりの様だった。


「くくっ」


 ゲルシュナーのいる傍観席の入り口脇にベルフェークが笑いを堪えて立っていた。目は一層冷たく、冷気が零れているようにも感じた。

 そしてその口元には奇妙な笑みが、静かな恐怖をこびり付かせていた。


――カプセル室。


「げほっ、げほっ」


 ルーフスはたった今、培養器から救い出された少年を見て安堵した。

 室内にいるのはロッソ、ルーフスを含めた数名の研究員。実験の異常のため、被検体の回収をしに来たのだ。


「記録は取れていますか? 直ちに診察して処理プログラムに移行してください」


 ロッソは研究員達に指示を出し、少年に布を羽織らせてあげた。

 他の研究員は部屋に合った器材で手早く診察すると管理用のパッチを少年のうなじに貼り付け、ロッソに耳打ちをした。


「わかりました。整理ペアと作成ペアに分かれて作業を進めてください、回復プログラム作成後は私のアドレスに転送、整理完了後は管理部への報告を忘れずに」


 指示の後、ロッソは震えの止まらない少年の身体を小さいながらもしっかりと支え、ルーフスの所へ歩く。

 ルーフスも少年に歩み寄り、目線を合わせようとしゃがんだ。


「大丈夫?」


 少年は聞かれた言葉に対し、首を縦に振った。寒くて体を縮こませているからだろうか、顔は俯いていて表情は伺えなかった。


「私はルーフス・ヴェルメリオ。これから数日間、あなたの面倒を見ることになったわ」


 よろしくねと、ルーフスは少年の頭を撫でた。

 よかったと思う反面、謝罪の気持ちが込み上げる。なんとも複雑な心境の中、ロッソから少年を引き取り、部屋を出て直ぐの別室に向かった。


 病院の個室の様な部屋で、少年をベッドに座らせた。


「今日は君が寝れるまで、ここにいるからね。なにか欲しいものがあればなんでも言って頂戴」


 あくまで明るく話しかける。

 延々と続いた人形劇から奇跡的に生還したこの少年に、死の連想を与えてはいけない。生きて地上に降りて貰うために。

 少年は少し気を落ち着かせたみたいだったが、未だ震えの止まらない様子だった。


「ち、ちょっと……さ、ささ、寒いかな」


 ルーフスは部屋のパネルを操作して室内の温度を少し上げた。棚から毛布を取り出し、少年にかけて上げる。


「あ、……あ、あの」


 少年は震える唇で何とか声を出した。


「なに?」

「な、涙が、止まらなくて、……俺、何で泣いてるんですかね」


 そう言った少年の顔を覗くと、目からは涙が溢れ、手を濡らしていた。

 培養液で濡れていると思っていたルーフスは自分の手で少年の涙を拭った。


「いいのよ、合ってるの」


 優しく語りかけるルーフスに少年は漸く視線を向けた。綺麗な女性の顔がそこにはあって、少し照れた。


「あっはは、漸く見てくれた。綺麗な担当者でよかったわね。……今日はもう疲れているから、何も考えず寝なさい。また明日色々話してあげるからね」


 また頭を撫でてやると、少年はほんのりと暖かみを取り戻していた。

 それから少年は、流れ続ける涙に戸惑いながらもなんとか眠りにつけたようで、静かな寝息を立てた。


「さて、と」


 ルーフスは部屋のパネルを操作し星空の照明にした後、部屋を出てカプセル室に入った。鍵はかけられていなかった。恐らくロッソが開けっぱなしにしておいてくれたのだろう。

 まだここでやることが残っている。

 白衣のポケットから手に握ったのはデータプラグ、それを少年を助けた時同様に機器に差し込む。


「ここからが大仕事だわ」


 肩を回し、近くのイスを寄せて画面と対峙する。

 アネッサの回収だ。

 ほんの一部でいい、残っていてくれればもしあの少年がアネッサを思い出した時の救いになる。ルーフスはそう考えていた。

 壊れた箱庭から幾千、幾万、幾億のデータを順番に読みとっていく。


   ◇  


「これって……!」


 そのデータに辿りついたのは作業を初めて五時間程経とうとしていた時だった。

 既に消失している筈の被検体『手々島毅』の肉体左耳一部を示すデータを発見した。


「どうしてここだけ……」


 疑問よりも先に試したい事があったルーフスは、箱庭内でのそのデータのマップを探し、あるデータを見つけ出すことに成功した。


「全部、残ってる!」


 全て壊れた箱庭内で唯一、無傷で残っていたは、データの端の方でポツンとその名を示していた。


「――アネッサ」


 『ANNESSA』の名が宛がわれているそのデータは、何一つの損傷も見られないままそこにあった。


「……」


 ルーフスは推測する。

 なんの理由かは分からないがアネッサが手々島毅の一部を所持していた。手々島 毅は消失と同時に被検体の精神に帰るプログラムが組み込まれている。箱庭内の手々島毅というデータはプログラム移行後、その姿は箱庭内のデータから消え失せた。

 データ上のもつれ。ゲームで言えばバグ。つまりは、ある意味手々島毅の所持者であったアネッサが箱庭データ内から弾かれたのではないだろうか……。


「だとすれば、これはもうアネッサそのもの……」


 ルーフスはデータを抜き取ったプラグを手の上で眺めた。この小さなプラグの中に、アネッサは生きている。

 ふと名案が浮かんだ。ルーフスはすぐに自分の研究部署に戻り作業に取り掛かった。



 次の日、少年が目を覚ますと天には青空が広がっていた。


「あれ、……ここ、外?」


 丁度その時、部屋の扉が開き、ルーフスが入ってきた。手にトレイを持っている。人間の栄養バランスを考えた食事が乗っていた。


「あ、目覚めた?」

「これって……」


 少年は空を見上げた。


「凄いでしょ、寝室として使える部屋には全てウェザーホログラフィが施してあるの。時間ごとに設定すれば外にいるのと同じような体感ができるのよ」


 パネルを操作し、晴れや曇りや雪など天候を操作して見せる。


「へぇ、凄いですね」


 偽物の空を見渡して感心する少年を見て、体力がある程度回復しているのがわかった。やはりすぐ身体を休めたのがよかったようだ。

 少年の腹は壮大な音を鳴らして空腹を訴えた。


「あ……」

「はいはい、ちゃんとご飯も用意してるわよー」


 意気揚々とルーフスは少年の膝に食事の乗ったトレイを置いた。


「ありがとうございます」


 いただきますと、早速食べ始める少年にルーフスは先程完成したものを提げて見せた。


「なんですかそれ?」


 元気に食べる少年にルーフスは「食べながら聞いて」と返した。


「これはね、『ANNESSA』というデータが入っているの」

「アネッサ?」

「君が今までどんな目に合っていたのか、覚えてる?」

「んー……、それが全然。故郷の景色以外は」


 アネッサという言葉になんの琴線にも触れぬ様子で目の前の食事を口に運んでいく。ルーフスは傍の椅子に座って話を進めた。


「今、この世界には深刻な問題があるのは学校で教わった?」

「俺んとこ学校は無かったけど、エネルギー問題の事ですか?」

「そう、そのエネルギー問題の打開策として研究されていたのが『エバーオール体収集実験』」

「エバー、……オール?」

「この実験には生身の人間の精神が必要不可欠だったの、君はその適正にクリアした」


 淡々と語るルーフスに、少年は意味もわからず聞いていた。


「そう、なんですか」

「君は器材に繋がれ、『箱庭』という偽造世界で一人の人間、手々島毅という名前で生きていたの」

「……ふーん、難しいな」


 それから一つ一つ、箱庭での出来事、基実験の経過を説明した。

 プログラムのスケジュールをこなしていく内に、アネッサとは本当に信頼できる仲になったこと。

 悪魔のこと。

 それから終わりのこと。

 長いようで短い話の中で、食事を食べ終えた少年は真剣にルーフスの話を聞いていた。


「本当になんにも思い出せない?」


 ルーフスの真っ直ぐな視線に、思わず考え込むがどうにもこうにも記憶に無い様子だった。


「うん、ごめんなさい」

「いや、いいのよ。ただこれは持っていて」


 ルーフスは手に持っていたペンダントを少年に渡した。ピジョンブラッドの宝石、それに埋め込められた小さな真四角のデータチップ。


「これに、その?」

「そうよ、箱庭で君と過ごしたアネッサという魔法使いのデータが入っているの」

「ふーん、魔法使い……綺麗ですね」

「ここから出たら、肌身離さず持っていてくれないかしら」


 ペンダントごと手を握って頼み込んだ。


「う、うん。わかりました」

「ありがとう」


 ルーフスの様子に戸惑いつつも願いを受け入れた少年は、ペンダントを首に提げて食事のお礼を言ってトレイをルーフスに渡した。

 理想的な結果だ。

 記憶が無くても、姿が変わっても、かつて共に過ごした二人が世界を超えて傍にいられる。まさに奇跡のようなものだ。

 ロッソとの会話が頭を過った。


――本当に奇跡と思えるから奇跡。

 

 ああ、そうだ。そういうことなのだ。

 滅多に無いけどどこにでもあって、奇跡と思えたらそれが奇跡になる。


「なぁんて、子供じゃあるまいし」

「何か言いました?」


 ボソリとつぶやいたルーフスに、光に宝石を当て覗いていた少年が聞いた。


「なんでもないわよ」


 子供じゃあるまいし、夢を見るなんて神の仕事じゃない。

 ここに来てから、このイカれた世界の仕組みを知ったんじゃないか。神に奇跡は起こせないし、夢なんか無い。

 あるのは存在だけ、ただそれだけで様々な状況の潤滑油となって綺麗に回る。


 兎にも角にも、これが最良の状態だ。

 可もなく不可もなく。

 とりあえずこれを、奇跡と呼べさえすればいい。

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