ピザ祭り

赤星士輔

ピザ祭り

 ――まず、ピザを与えよ。さらば与えられん。『ピザ祭り公式ルールブック2002』序文より。



 ご存じの方も多いと思うが、地中海に面したソラリス地方には焼きたてのピザを投げあう祭りがある。この祭りは、勇猛果敢なつわものたちが最後の一人になるまでピザを投げ合う奇祭として広く知られている。元々は村を襲ってきた盗賊たちを住民総出で熱々のピザを投げつけて追い払ったのを記念して作られたお祭りで、歴史はまだ浅く70年しか経っていない。

 筆者の取材に対し、当時9歳だった女性村長サーシャ・テューダーはその時のあらましをこう語ってくれた。


異国から来た方ストレンジャーが、困っている私たちに知恵を授けてくれたの。なんでも故郷の商船では熱せられたリゾッ※1を、乗り込んでくる海賊に向けて浴びせるんですって。わたしたちの村に大した武器なんてなかったから、焼きあがったピザで盗賊どもを追い払う話になってね。戦いが終わるとこの少し長い包丁を置いて『再び盗賊が来たら、これで戦うのですよ』とだけ言い残して、村から立ち去ってしまったわ」


 村長はそう喋りながら手にした小太刀こだちで楽しそうにベーコンを切っていた。

 女性と子供たちは下地作りとチーズを乗せるのを流れ作業で行い、それを男たちがピール(石窯にピザを入れる時に使う道具)で焼いていっては、馬に乗ってやって来た盗賊相手に投げつけていたそうだ。


 焼きたてのピザが余程嫌だったのか、ピザを投げつけてくる住民らに狂気を感じたのか盗賊たちは二度と村にはやって来なかった。それからというもの、勝利の日を記念して毎年ピザ祭りが開催される様になったという。最初はシンプルに焼かれたピザを家族や近隣住民で囲って食べるだけの実に慎ましいお祭りだった。

 それが盗賊を模した男たちにピザを投げつけるのが恒例となり、次第に団体に分かれて投げ合う大規模なチーム戦へと激化していった。50年前あたりからアメリカの『パイ投げ』の文化が入って来たため、手で投げ合うバトルロイヤルに発展したエスカレート。当然の事ながら火傷による負傷者が多数出るため、ピザ祭りのルールが制定され現在いまの形に至ったのである。


 そんな過酷な祭りで、一人のピザ職人が話題を呼んでいる。

 彼の営んでいるという店に入ると、澄んだ青い瞳の伊達男がコックコートの袖を捲り、はち切れんばかりの太い腕でピザ生地を回転させていた。身長2メートル7センチ、140キロを超える巨漢。四年間無敗の王者ボリスラフ・タルコフスキーだ。四連覇はバトルロイヤル史上二人目であり、今年優勝すれば史上初の快挙となる。

 そんなピザ祭りの王者に今年の意気込みを聞いてみた。


「この日のためにピザを投げるトレーニングを毎日欠かさずやってきた。私が負ける要素? フンッ。そんなものは見当たらねーな」


 そう不敵に笑いながらも、石窯で黙々とピザを焼くタルコフスキーの汗が光った。

 香ばしいピザの匂いが村中に立ちこめる中、お祭りの開催を知らせる花火が打ち上げられた。

 

 快晴。穏やかな日差しの中、祭事というにはあまりにも凄惨な光景が広がっていく。宙に舞うマルゲリータ、マリナーラ、クアトロフォルマッジ、バンビーノ、デトロイト、シカゴ、そしてセントルイススタイル。立て続けに飛び交う怒号と悲鳴が聞こえ一段落すると、散見するのは石畳の地面に転がり呻く無残な敗残者たちの姿である。まさに地獄絵図。阿鼻叫喚。この世の終わといって差し支えないだろう。ピザによって人が倒れる度に、観客席にいた神父が顔を曇らせ十字を切っていく。


「人が生きるはピザのみにあらず、神の口から出る御言葉によって生きていくのだ。アーメン」


 さて、熱々のピザが顔面に当たるのだから、当然火傷に注意せねばならない。世の中には耐熱ジェルという便利な物があり、ピザ祭りの参加者は火傷防止のために忘れず塗布するよう委員会は奨励していた。それにもかかわらず、男らしくないといった理由から、ほとんどの人間がすっぴんで祭りに参加して来ていた。失明の危険性もあるとルールブックには強く明記されてある。しかし、住民たちにとってピザ祭りへの参加は、成人の儀式と同等の価値が生まれているのだ。ピザに塗れてようやく一人前の男して認めてもらえるのだ。

 道徳的観念から見て、食べ物を投げるなんて許されないと憤りを感じる人間もいるだろう。しかし平和を祝う祭典という名目もあり、毎年の恒例行事に慣れてしまうと何を言っても野暮な話だ。クレームを入れる人間も年々減り、安全性と公衆衛生の両方からかんがみて、各方から改善するべきだという強い批判が寄せられるようになっていた。観光客による収益、ピザ販売を手掛けるチェーン店数社からのスポンサー料、テレビやネット中継の契約料の他に広告料といったお金がソラリス地方の財政の収益の多くを担っている。その予算を使って精鋭の医療スタッフと清掃・衛生班を絶えず待ち構えさせていた。

 今年も顔にピザを覆ったまま担架に乗せられ、設営テントの野戦病院に次々運ばれてくるお祭りの犠牲者サクリファイス。冷蔵庫には大量の人工皮膚が備えられているし、再生医療も万全。なんと言ってもこの祭りによる死者は毎年ゼロ。重症者が3名いるが、どれもチーズで足を滑らせて起きた骨折だけに留まっていた。病院への救急輸送用のヘリコプターも2台備え、スタッフは万全の態勢でピザ祭りに臨んでいる。ほぼすべての参加者は暴力的なまでなチーズの芳香にさいな まされるのだが。


 顔から引き剥がされたピザは清掃機械のバイオ燃料としてリサイクルされる。昔は豚などの家畜の餌として処理され、エコロジーに村の暮らしを支えてくれていた。規模が大きくなるにつれ、廃棄されたピザを食べてくれる豚の数が足らなくなってしまったというのだから驚きだ。近年では祭りが終わるとピザを燃料にした清掃機械が打ち捨てられたピザを饕餮とうてつ ※2の如く綺麗に片付けていくそうだ。シャノンの最終機械アルティメイトマシーン《※3》のように、村は万事何事もなかったかのように元通り天下泰平の姿へと戻るという。


 あとはピザ祭りでどうやって熱々のピザを手にするか疑問に思った方もいるかもしれないので、軽く触れておこう。最初は指定された補給場所デポからピザを直接取りに行っていた。ドローンを使った空輸も一時期為されていたが、科学万能な近年においては装着したグローブから熱々のピザを瞬時に召喚していた。

 ゾーンを使った空間輸送システムを独自に改良したといえば通じるだろうか。テーブルからピザを召喚するコマーシャルでお馴染みの物流に革命をもたらしたあの転送装置だ。それが技術躍進サイバネティックスによって小型化し、音声入力などで熱々のピザの召喚がグローブから可能となった。掌を上にしてコマンドを呟くと、魔法のようにピザが届く。もしも近くにクレジットカードの決済でネット登録したピザ屋があれば、いつでも何処でも焼きたてのピザが手元に届いて楽しめるのだ。

 宅配する過程が消え、人件費が消え、誰でも安く美味しいピザを食べられる。決してピザで戦うための装置ではなかったのだが、転送装置自体が軍事利用で開発されているのでなんとも言いようがない。



 ピザ祭りには毎年多くの観光客が訪れ、7年前から国外からの一般参加も募る様になった。例年海外から来た参加者たちは10分も経たずにピザが顔面に直撃していくのが常だった。

 しかし、どうやら今年は様子が違うようだった。中盤まで一人の青年が勝ち残って来ていた。

 名前をアンジェロ・オズという。半袖のワイシャツでジーンズにスニーカーというラフな出で立ち。背丈は170センチほどだろうか。特筆すべき点はその長く伸びた前髪によって両目が隠されていた。そのアンジェロは気配を消して静かに背後へと忍び込み、熟練の暗殺者のようにピザ祭りの参加者の顔を覆うという妙技を幾度も見せていた。

 一方、王者タルコフスキーは噴水前の広場でカタパルトの如くピザを豪快に投げ飛ばし、猛者たちを一掃していく。

 静と動。隠と陽。対照的な二人の活躍に目が離せない。


「王の力、特と味わうがいい!」


 タルコフスキーの投げられたピザを文字通り顔面に食らい、死屍累々と積み上がっていくピザ祭りの参加者たち。平和は誰かの犠牲の上に成り立っているのだとしたら、勇敢な彼らこそがそうと言えるだろう。美味しいピザは平和の象徴であるべきだが、ピザ祭りで行き着く運命は悲惨で残酷なものでしかない。


 開始から1時間にも及ぶ激戦が続き、黒いエプロン姿で長髪を後ろに束ねた痩身の男がふらりと現れた。髭面に落ち窪んだ両眼。その両目がギョロリとタルコフスキーの姿を射貫いた。ピザ祭りを二年連覇した経歴を持つ元王者ザハール・クライスキーその人である。タルコフスキーに負けて以来、おおやけの場には一切出て来なかった。


「あの日、お前に負けてから俺は店を失い妻も出て行った。娘はピザを嫌う様になった。すべて貴様のせいだ!」

「ザハール! 再び貴様と相見あいまみえるとは、なんという僥倖ぎょうこう! だが、再び勝利するのはこの俺、ボリスノフ・タルコフスキーだッ!」


 人差し指を向けたザハールに呼応するタルコフスキー。

 こうして闘いの火蓋が切って落とされた。石窯の煙突から煙が立ち上っていく。ピザへの強い愛が勝者へと導いてくれるだろう。


Hell is other people地獄とは、他人である.

 これが長年研究の末にたどり着いた究極のビスマルクだ! 」


 サルトルの言葉を詠唱し、ザハールはピザを出現させた。そのピザは端がギザギザとした鋸刃の形状になっていた。カリカリに焼かれ炭化したベーコンを生地からはみ出る様、角の部分を一枚ずつ斜めに乗せてあるのだろう。それをフリスビーの様に回転させ、タルコフスキーに向けて勢いよく投げ飛ばしていった。

 しかし、ピザはタルコフスキーの斜め上に向かって通り過ぎて行ってしまったのだった。


「どこを狙っている、ザハール!」とタルコフスキーは言って、持っていたピザを投げようと腕を挙げた。

「かかったなタルコフスキーッ!」


 ザハールの口元から笑みがこぼれる。

 明後日の方向へ飛んで行ったビスマルクは、噴水に建てられている祈りを捧げる女神の銅像を胴体から真っ二つに切断し舞い戻ってきていた。ピザ祭り史上、一番殺傷能力のあるピザだ。驚異的な切断力である。来年はルールブックの改定が必要だろう。


 タルコフスキーが後ろからの危険を察知し、本能的に振り向こうとした。その瞬間、タルコフスキーの身体が地面へと沈んだ。そして、目標を失ったザハールのピザは石畳にぶつかり、半分以上潜り込むと、回転とゆっくり止めていった。

 完全に仇敵を仕留めたと思っていたザハールは我を忘れ、呆然と研究の集大成であるビスマルクを見つめた。タルコフスキーはその隙を逃さず、持っていたピザを容赦なくザハールの顔に投げつける。


「危なかった。チーズで足を滑らせてなければ、負けていたかもしれない」


 ピザの端で切れた頬から血を流しながらも、タルコフスキーはかつての王者に再び勝利したのだった。



 こうした対戦のあと、ついに唯一無二の海外参加者であるアンジェロ・オズと、ピザ祭りの王者ボリスノフ・タルコフスキーの二人だけとなった。 向かい合う二人。辺り一面には投げられたピザの香ばしい匂いが胸焼けを起こしそうなほど充満している。 石畳にいくつもの散乱したピザの残骸が闘いの激しさを物語っていた。廃棄されるピザが多ければ多いほどこの村のバイオ燃料に変わり、住民たちは光熱費の恩恵を受けていく。

 敗退した参加者は野戦病院で治療を受け終わると、顔面に包帯を巻いた姿で観客席に座って、美味しそうにピザを頬張っていた。そんな彼らに販売員が声を張り上げて炭酸飲料を売っている。ピザ祭りのピザは無料で配られるが、飲料は有料。コーラは特に割高だった。非難めいた声が出るのはもう毎年の事だ。


 閑話休題。対峙している二人に話を戻そう。

 互いに見つめあったままジリジリと間合いを詰めていく。そして、タルコフスキーが先に仕掛けた。ジェスチャーによるコマンドでピザを立て続けに召喚させ、ジャグリングの様にタルコフスキーは次々と投げ放っていく。それを必死に避け続けるアンジェロ。しかし、後方にある壁へと追い詰められていた事にアンジェロが気づいた時にはもう遅かった。ピザを躱したアンジェロが壁面に辿り着き逃げ道がなくなると、タルコフスキーは両腕を高く挙げ特殊コマンドを詠唱する。


「一日は終わろうとしている 夜はおりてくる

 心は凍る 魂は死ぬ

 しかし月は己が道を歩む

 みなが言いそびれてきた事物にかしづくために」


 聞こえてきたのは詩人D・H・ロレンスの『古い歌※4』だ。

 タルコフスキーは頭上で直径3メートルはあろう巨大なピザを召喚させると、そのまま高速で回転させていった。


「これで俺の勝ちだーッ!」


 巨大なピザのチーズを遠心力で巧みに飛ばして相手の眼を潰す、ピザ祭り王者のみが使える禁じ手『絶対王者の時間ノスタルジア』。来年はルールブックの更なる改定が必要だろう。

 アンジェロに向かって弾丸のように次々と飛んでいくチーズ。 それをかいくぐらなければタルコフスキーを倒すことができない。しかしアンジェロは一歩も怯まずにタルコフスキーの元へとひた走った。


なんじ平和を欲さば、いくさへの備えをせよ」とアンジェロはラテン語の成句を小さく呟き、ピザを呼び寄せる。


 一つ、二つ、三つとアンジェロの顔にチーズが被弾していく。それでもアンジェロの動きは止まらない。タルコフスキーはピザを回転させながら、距離を狭めていく脅威に悲鳴をあげた。


「何故だ。何故、俺のモッツァレラが効かないッ!?」

「それは私が……眼鏡をかけているからだッ!!」


 アンジェロがそう答えると、前髪の隙間から覗いた眼鏡のレンズが西日で瞬いた。

 それを見て驚愕したタルコフスキーの顔面へ、熱々のピザが叩き込まれる。

 ゆっくりと崩れ落ちていくタルコフスキー。 絶対王者の時間ノスタルジアが終わっていく。


 夕暮れ。最後の勝者となったアンジェロが、チーズで汚れた拳を赤い空に掲げると轟くような歓声が巻き起こった。

 その後のインタビューでアンジェロ小津が盗賊から村を救った英雄の子孫とわかり、世界中の話題をさらったのは言うまでもない。






 ※訳注1 リゾットではなくお粥の事と思われる。江戸時代、商船ではお粥を襲撃してきた海賊に浴びせるという記録が残っている。

 ※訳注3  中国神話の生物。なんでも食べちゃう可愛い腹ペコキャラ。

 ※訳注2  スイッチをオンにすると強制的にオフにしてくるだけの機械。

 ※訳注4  新潮社刊『世界詩人全集』より引用。

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