One Way

 国王崩御!

 奇跡的な生還を果たしたその日に、国王が崩御なされたのを知った。


 壊滅した村にたどり着いたのは町を出てから十日目のこと。道中できる限り注意をはらってきたが、予想以上に雪で埋めつくされており、気づけば数キロも通り過ぎていた。それを教えてくれたのは、目の前に広がる湖だった。

 引き返そうとしたところ、かたわらの犬が俺に向かってワンと一鳴ひとなき、おもむろに歩きはじめたので後を追う。しばらく行けばゆるい傾斜になり、凍った雪で足を滑らせないよう気をつけながら降りきった。そこに小さな洞穴が見える。

 犬の頭を撫でながらおやつを与え――おまえはここにいなさい。ついてくるな――と、ひとり洞穴の中に入った。

「その先に、あの方はいた。そして、」

 白いベッドに横たわったまま、なんとか話そうとするが唇がわななく。

 俺の体は酷い凍傷で、特に手足は集中治療にある。患部は包帯を巻かれ定期的に薬浴を受けている。だが右の指は血まで凍りつき、壊疽えそが始まっていたので五本全て切り落とされた。

「……ああ……しかし、とてもうまく話せない……」

 あの方に半ば強制的に戻され意識を失い、気がつけばベッドの上だった。途中、一度だけ揺れる感覚で目が覚めた。ぼんやりした青い空を覚えている。

 道中ずっと一緒だった犬が救助を求めたらしい。あの方と対面していた時間、残された犬がなにを思いどう行動したのか、俺にはわからない。

 犬は助けを乞うた直後に力尽きて死んだという。

「語るのはもっと回復してからでいい。無理は禁物だ」

 犬を看取ったウニュイが静かにそう囁く。同期のウニュイは付き合いが長くとても信頼している。それだけに随分迷惑をかけてしまい、少し気まずい。

 回復するのにどれほどかかるんだ――と、口から出る寸前に舌先で喉へ押し込む。代わりに、

「俺の退団は、確定されたのか?」と聞いた。

「それはおまえが旅立った時から決まっていたことだ。国王亡き今、覆す者はおるまい」

 無骨な指が、瞼を閉じるようにゆっくりれる。

「今はたっぷり眠るんだ。おやすみ……」

 ウニュイの柔らかい言葉に、俺はすとんと音がしたかのごとく一瞬で眠りに落ちた。


 凍った湖面は遠くまで真っ白く、反射する光で眩しいほど輝いてる。その上を黒い影がひたすら長く落ち、影の主はなんと国王陛下であった。俺は驚きのあまりうわずった。だが陛下はこちらに気がつく様子もなく、俯いた顔は墨で塗られたように暗い。国王陛下はただ一人立ち、しばらく湖の中を覗くように顔を下に向けていたが、その内ゆっくりと歩き出した。長い影はさらに長くなり、歩みにあわせどこまでも伸びる。次第にズルズルと嫌な音がたち、国王陛下は巨大で薄っぺらな影を引きずりながら消えた。

 最後まで俺に気づくことなく、一人きりで立ち消えた。

「陛下!」

 反射的に起き上がろうとして、患部から激痛が駆け巡り脳がスパーク、情けなくも呻き声が漏れる。

 痛みの波がひくのをじっと耐えている間くぐもった吐息だけが響く。どうやら誰もいないらしい。物音ひとつしない静けさで夜中と思えた。

 ウニュイは兵舎へ帰ったのだろう。

――ウニュイ、俺はあの方に会えたんだ。幸運だったとしか言いようがないが、それだけでは言い尽くせないほどに、幸運だった。国王にご報告叶わずなのが、ほとほと残念だ――

 せめてあと一日、いや半日でも早く戻ってこれたなら――そう思わずにいられない。しかし国王がまだご存命だったとしても、俺の身分で謁見は許されなかっただろう。ウニュイが言ったように、旅立ちの時から俺の肩書きは元騎士団員となったのだ。

 夢の中の陛下はどこへ行ったのだろう。

 もう夢でも幻でも会うことはない――そんな暗い確信が頭いっぱいに広がり、その暗さは俺の凍った皮膚までも浸透しそうで、息苦しさに喘いだ。


 次にウニュイが訪れたのは、少しずつ包帯がとれた頃だった。

 窓から見える木々は、鮮やかな緑の葉で包まれ膨張しているかのよう。朝がくるたび日差しが強くなるのを目と肌で感じる。同時に気温の高まりに、いよいよ目の前まで夏が迫っているのを実感する。

 治癒室へ運ばれてから三ヶ月が経とうとしていた。

「具合はどうだ?」

「無くなった指の感覚があって困っている。慣れるまで、というか慣れる気がせん。他はなんということない」

 ウニュイは深緑色の目を細め、

「ロングソードでおまえの右に出る者はいなかったのに」と、悔しげに呟いた。

「いいんだ、本当なら凍死していたはず。騎士にも未練はない」

「……しかし、おまえが帰還した日に国王が崩御なされたことに疑念を抱くものもいる。今日は……おまえに伝えなければいけないことがあって来たのだ……」

 ウニュイは唇をきつく結び、言葉をしまい込んだ。代わりに懐から一巻きの用紙を突き出す。結ばれている紐には王家の紋章が縁取られていた。

 俺は無言でウニュイを見つめ、頷きながら左手で受け取る。紐はゆるく結ばれていたのか、ほどかなくともはらりと落ちるように開いた。

 用紙は過度に漂白されており不自然に白い。見慣れた文字が黒く横並ぶのを、ただ静かに追った。

「すまん……生き延びたのに、帰還祝いもしてやれない」と、申し訳なさそうに言うウニュイに俺も心苦しく思う。

 国王陛下には二人の王子がいるが、双子であるが故どちらに国王の座を引き継がせるか、ついぞ決断出来ずじまいだった。

 たった二人きりの兄弟なのに、玉座を巡り臣下を巻き込む激しい権力争いが勃発、しまいに猛吹雪でひとつの村が壊滅したというのに、争いを中断しようとしない。

 俺はといえば、国王に一目置かれていたのが裏目になり、二人の王子から妙な執着をされ逃げ回る日々だった。どちらからも逃げる俺を追い込むつもりだったのだろう。それに多くの死者がでたにも関わらず、動きの鈍い王家に民衆からも不満が出始めていたと思う。

 王子二人から冬の女王討伐の勅命がくだされた。

 この国では古くから、犠牲者が出るほどの吹雪は冬の女王の仕業であるとされてきた。しかしこれまで生還できたものはいないから、言い伝えが本当なのかもわからない。帰還できたところで、討伐に失敗すれば罰せられるので、体の良い厄介払いだと囁かれていた。

 ウニュイに渡された用紙には、回復と同時に国外へ退去すべしと記されていた。

「俺の身を案じ救助の準備をしていてくれたじゃないか。それに犬を看取ってくれた。礼も出来ない俺のほうこそ詫びねば」

 ベッドから降り、左手でウニュイの手を強く握りしめると、もうこれ以上耐えきれないとばかりに、

「おまえは勝手すぎる!」と、怒号をあげた。握った手が震えている。

 震える拳は、どこに振り上げようか迷っているようだった。振り上げた拳を誰に落とせばいいのか、ウニュイはずっと悩んでいたのかもしれない。

「おまえには悪いと思っている。だがどうしても俺は受け入れがたいのだ」

「一介の騎士ふぜいが主を選ぶなど言語道断! 今ならまだなんとかなるやもしれぬ。どちらでもいいから受け入れろ!」

「俺の忠誠心は、国王と共に無くなった」

「口が過ぎるぞシェイド!」

――シェイド?――

 突然、俺の名を呼ぶ女の声が治癒室に響きわたって、俺もウニュイも一瞬硬直するが、ウニュイが間髪入れず腰の剣を抜き、

「誰だ!?」と、身構える。

――さあ……誰と問われたところで、わたくしにはお答えできかねますし、そんなことはどうでもよろしいのです。怪我を負っている方の名はシェイドといいますの?――

「ふざけた女だっ、身を隠す術など使いおって、魔術師か。まさか王子共の差しがねか?」

 首を巡らせながら犬のように唸るウニュイを目尻でみやり、

「俺の名はシェイドだ。間違いない。俺になにか、」

――それが知りたかったのです。それさえわかればもうよろしい。やっと城主の元へ帰れます――

「なに! 城主?」

 思いも寄らぬあの方の浮上に、喉が詰まり色めきたつのが自分でもわかる。そんな俺の心情をよく思わないのか、女は冷たく言い放った。

――今の城主はおまえと語り合った方ではありませんよ。しかし、おまえのせいで、わたくしはこんな血なまぐさいところへ来たのです。接触するのに大変な労力をともないました――

 オブラートに包むことない咎めに呆然としてしまう。俺を庇うように身構えたままのウニュイは、話しの見えなさに渋い顔をするばかり。

 そんな俺たち二人をまったく気にしない風で女は独りごちる。しかし女の声は急激に小さくなり――ああ、なんて臭いの、おまけに泥まみれで何も見えない。なんという暗がり。よくもこんな世で生きていける。おお、臭いくさい……という、言葉を最後に、気配すら完全に遠ざかり二度と聞こえてくることはなかった。

 そのまま二人で呆けていたが、ウニュイが先に動いた。

「なにやら貴重な体験をしたようだな。詳しく聞きたいがそうもいかん」と言いながら、鈍い光りの剣を鞘に戻す。同時にカキリとした金属音が壁に染みいった。そしてふぅと大きく一息つき、

「俺を含め、みなどちらかに就く。この三ヶ月奮闘したが騎士団は事実上分裂だ。王子共は再編成などと言っているが……」と、突然の不可解な女によって勢いを削がれたのか静かに紡ぐ。

「この国を捨て、どこで生きるというのだ」

 俺への問いかけは、同時にウニュイ自身への問いでもあるだろう。俺もウニュイも騎士としてひたすらに技を磨き、主を守ることだけを考えてきた。

 俯くウニュイの真正面に向き直れば、察したのか顔をあげ俺の目をしっかり見つめてくる。

「ほとぼりが覚める頃会いにくる。必ず」

「……この石頭め。土産を忘れるなよ」

 そしてウニュイは俺の背に両腕を回し、肩に顔をうずめ低く嗚咽をあげた。

 今生の別れになるかもしれないと、悲しんでいるのだった。


 国外退去を通達された日から、旅路の支度を整えついにその日を迎えた。クレリックや回復師、支援魔法師たちに見送られ、治癒室を後にする。

 一歩外に出れば、窓から見えていた木々が迫るように木の葉を揺らす。小波のごとき葉音が大波のごとく風にたなびき、俺の耳元を掠めながら遠く広がる青空を飛んでいく。盛り上がる真っ白い雲に夏の盛りを見た。

 俺はもう城にあがれる身ではないから、そのまま外へと続く道を行くことにした。騎士団への挨拶も迷惑にしかなるまい、との考えもあった。

 そう多くない荷物を肩に担ぎ、ぽつりぽつり歩く。

 時折聞こえる女のわめき声や、子供の笑い声に泣き声、男たちのかけ声、どこかで迸る水音、馬のいななきに蹄の音などなど、響き合う全ての喧噪もやがて遠ざかる。

 騎士として国境に赴くこともあった。しかし国を出たことはない。ましてさまようなど想像もしなかった。帰還したその日から覚悟はした。それでもいざ外門が見えればおのずと腹に力がはいる。

 それは、門の前にいる見慣れた顔たちのせいでもあるはず。国を捨てる俺を見送ってくれる仲間がいることに感謝を覚え、知らず胸元を押えた。

「回復おめでとう」

「瀕死の重体だったのに丈夫な奴」

「かっこつけやがって」

「他の国を見られるのはいいことかもしれんなあ」

 口々に出る言葉と頭や腕、体のあらゆるところを励ますように叩かれ、髪の毛はもみくちゃにされる。

 俺はそれらを大笑いしながら――おまえら勝手なことをほざくな――と、軽くかわそうとしたが腹の底から喉奥までなにかが絡まり言葉が出ない。おまけにどうしても堪えきれない想いが、不覚にも一筋の涙となって頬を流れ、慣れ親しんだ土を湿らすごとくぼたぼたと落ちていくのを、しばらく止めることが出来なかった。

 なんとか涙を止めようと顔をあげたところ、みなが俺を囲むように円陣を組んでいた。

 深緑色の目を潤ませながら、ウニュイが空へ向かって声をはりあげる。

「シェイド、必ず帰ってこい! 誓え俺たちの剣に、おまえのロングソードに誓え!」

 ひとりひとりの顔を刻むように視線をあわせ、掠れる声で精一杯応える。

「誓おう、必ず帰ると! 戦友たちの剣と俺の相棒ロングソードに誓おう!」

 これまで苦楽を共にしてきた仲間と自分自身のために、強い気持ちで祈るように誓いを立てた。

 けれど、もうすぐそれら全てが俺の後ろへ過ぎ去り、前には見果てぬ道ともいえぬ道があるばかり。

 あの方が目覚めるまでに、一冬ひとふゆ越せる場所を見つけなければ――不確かな行く末を、一歩一歩確かめながら歩き続ける。

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もう消えた女王の夢を見ない kud @miki_k

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