夜
今私はフレンチの高級レストランにいる。私はこういうところには来たことがない。ではなぜここが高級フレンチレストランだと分かるのか。それはこの店が「フレンチレストラン」という名前だったからで、高級というのは正しくは高級そう、という見た目の話である。フレンチレストランが店の名前を「フレンチレストラン」とするのは一見合理的にも思えるが、だがしかし適当ではないようにも感じる。おそらく適当だったのはこの名前を付けた店主の方だ。
私は真っ白なテーブルクロスが掛けられた円形のテーブルの席に座りメニューを開く。注文を決するのには1秒もかからなかった。その何文字かの羅列は、私の心を掴んで離さなかった。ただ恐ろしいことに、そこには値段は記載されていない。お金が足りなかったらどうしよう。あなたが連れてきたんだからいざとなったら払って下さいね、と目の前に座るサンタクロースの顔を伺う。サンタは眉をピクリとも動かさない。
ウェイターを目で呼んで、オーダーをする。「羽毛布団のフルコース」。羽毛布団とは、フレンチの食材だったのでしょうか。あるいは、ここはフレンチレストランではなかったのでしょうか。「フレンチレストラン」という名前の店が、フレンチ以外の料理を提供することに何ら問題はありません。イタリアンを提供する店が、「中華料理屋」という店名にしても構わない。それは店主の自由です。だから「フレンチレストラン」が羽毛布団の料理を提供することに違和感はありません。逆も然り、「ふとんや」がフレンチを提供しても別にいい。でもまあ、それで店が潰れなければの話ですけどね。
料理が運ばれてくるのを待つ私はスマートフォンで日付を確認する。
今は3月34日であった。私はふと、時間という概念はとても曖昧であると気がつく。私たちは時間という概念の正確さの根拠を、地球の自転や公転による太陽出る方角や時間の長さの変化に託していたのだけれど、急に太陽がどこかへいってしまうこの世界では私たちが時間の正誤を証明する術はなくなってしまった。
「羽毛布団のテリーヌ、オレンジソース添えでございます。」
大きな皿の中心に綺麗に盛り付けられたそれはテリーヌというらしい。私はテリーヌというものを知らない。でもなんとなくその響きはフレンチらしく聞こえた。
左手にフォーク、右手にナイフを持った私は、恐る恐るそのテリーヌなるものを一口分切り分け口へと運ぶ。それは私がかじりついてきた羽毛布団の何倍もの違和感を、溶かして、ろ過して、冷やして固めて、香ばしく焼き上げ、また再び冷やして凝縮したような、崇高な味だった。
次々に運ばれてくる羽毛布団のフルコースを私は楽しむ。これは最後の晩餐なのだとなんとなく思う。世界の終わりが近づいていることを私は予感していた。
コース料理をすべて堪能して、そして私は理解する。羽毛布団の味を理解する。
向かいに座るサンタは何も喋らない。羽毛布団を口にしない。彼が私をここに連れてきた理由も、私は理解出来た気がした。彼は羽毛布団の味を、誰よりも理解していた。そして私にも理解して貰おうとしたのだ。
真実というものは総じて呆気ないものです。例えばマジックの種を知った時、サンタクロースの正体を知った時、幸せな夢から覚めた時、それは魔法から手品に、サンタクロースから両親に、夢から現実になり下がる。ファンタジーからノンフィクションに引きずり込まれる。
羽毛布団は違和感の味がします。では違和感の味とは何でしょうか。違和感の正体とは何なのでしょうか。私は味わったのだ。羽毛布団の味を、そして違和感の味を。違和感の味とは、そう、きっとこの世界そのものの味なのでしょう。
私は自分の部屋に帰ってきていた。食べかけの羽毛布団を見つめ考える。この世界について想像する。私は羽毛布団を一口かじる。わたあめみたいにふわふわしてて美味しい。羽毛布団は違和感の味がする。違和感はこの世界の味である。だとすれば、私が羽毛布団を食べるみたいに、この世界を食べるものがいるのではないか。この世界はいずれ誰かの口の中で、ふわふわとした感触を膨らませて消えていくのではないか。この世界の味を、違和感の味を、嘘の味を、ファンタジーの味を、フィクションの味を楽しむ誰かがいるのではないか。
そして私は悟る。私は、私とこの世界は、きっと誰かに食べられるために生み出されたのだと。この世界は、夢でもなく、現実でもなく、誰かの手によって作り出されたフィクションなのだと。世界が私に嘘をついていたのではなかった。私自身も含めた、この世界の存在そのものが嘘だったんだ。
そうして私にとっての現実は、活字で出来た物語へと姿を変える。
私は隣に立つサンタクロースを見つめる。彼もまた私と同じだったのでしょう。誰かに食べられるために生まれたのでしょう。サンタクロースはある意味嘘の象徴なのだと思う。12月24日の夜にプレゼントを届けに来るという嘘は、誰かに味わってもらうために出来たのだ。
でもそれは残酷なことじゃない。それで誰かに楽しんで貰えたら、誰かに美味しく味わって貰えたら、それは幸せなことでしょう?
あなたは羽毛布団をかじったことがありますか?
羽毛布団の味を知っていますか?
あなたは違和感の味を知っていますか?
嘘やフィクションの味は?
私が生きる、活字で創られたこの世界の味は知っていますか?
あなたは既に知っています。
だって、まさに今こうして味わっているんですから。
美味しく召し上がって頂けたでしょうか。
羽毛布団の味 山元雪照 @kibotekikansoku
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