第16話 比翼の儀



 「比翼ひよくの儀」――秘術を継承する儀式は、夜になってから行われる。

 朱雀神社が儀式の舞台となる。

 境内では電気を使った照明はすべて消されている。代わりに、油を使った小さな灯台が整然と並ぶ。オレンジ色の光がぼんやりと揺れる。

 ヒノと姫子がゆっくり歩いてくる。案内役は喜代輔きよすけだ。

 ヒノは平安時代を思わせる狩衣かりぎぬ姿。燃えるような朱色の布に、黄金色の糸で朱雀を織りだしてある。鮮やかで華やかな、若き総領の姿だ。

 姫子は巫女を思わせる千早ちはや姿。ただし上の衣は漆黒、金緑色の糸で玄武の模様を織りだしてある。袴は血のような緋色だ。厳然たる異形をそなえた、総領の妻の姿だ。

 境内を二人が進む。

 拝殿の前庭には、朱雀島に住む四方神一族が正装で並び、座している。

「ここから先は、二人だけじゃ」

 二人を案内してきた喜代輔が告げる。

 朱雀神社は、拝殿のうしろに塀がある。塀の中央には荘厳な門扉があり、いつもはしっかり閉じられている。塀で仕切られたあちら側は、神域だ。許された者しか立ち入ることができない。

「では」

 門扉が開く。左右の門をそれぞれ開く役目をしたのは、啓介とすみれだ。二人は門を開くと、狛犬のようにひざまずいた。

「…………」

 ヒノは目で姫子をうながす。

 扉のむこうは、山だ。頂上に向かって、石段がまっすぐ伸びている。石段の両脇にはいくつも灯台が置かれ、たよりない光であたりを照らす。

「足下、気をつけて」

「はい」

 石段を登り切ると、祭壇がもうけられている。

「こちらへ、二人とも」

 明紀兼あきかね夕香子ゆかこが座っている。

 明紀兼は朱色の狩衣姿、夕香子は黒の千早姿。ヒノと姫子と同じだった。

「この水瓶に入っている穢酒えしゅを、嫁が注ぎ、婿に渡しなさい」

 夕香子がスッと水瓶を差しだす。ふたつきで背が高い水瓶だ。深い緑色をしていて、注ぎ口が鳥の首のように長い。

 姫子はおずおず手をのばし、水瓶を取った。

 ヒノが杯を取る。杯も深い緑色をしていた。

 酒が注がれる。

(これが……)

 〈ケガレ〉を液体に加工したもの。黒くどろりとした、タールのような液体だった。おせじにも旨そうではない。

 飲めば、秘伝の力を得られる。朱雀門家総領としての将来が約束される。

 だがこれは毒酒。姫子がうまく吸いだせなければ、ヒノは死ぬ。

 姫子が不安そうに見つめている。

(大丈夫、オレは死なない)

 ヒノはわずかに笑って、杯を口元に運び――。


「妖怪だ――――!!」


 飲めなかった。

 石段の下、拝殿のあたりがにわかに騒がしくなる。

「な、何かあったのか?」

「拝殿の方からだ。何か来る!」

 悲鳴と破壊音。

 石段から、巨大なヘビが飛びだした。

「うわあっ!」

 間一髪、四人は逃げた。

 ヘビが祭壇に激突する。杯が飛び散った。水瓶も地面に転がる。

『ガゲゲ、ゴギギ、ゲゲ、ゴゴ……』

 顎をガクガクと痙攣させて、妖怪がうなる。

『シャグアァァァアアアアッ』

「だめ!」

 姫子が飛びだした。蛇体のスキを突いて、水瓶を拾う。

『シャグアァァァアアアアッ!』

 大蛇は姫子に視線を定めた。姫子は思わず後方に下がる。彼女の足元で、カランと小石が消えた。姫子の背後は、断崖絶壁だった。

「……っ!」

 姫子は水瓶をぎゅっと抱き、キッと大蛇を睨んだ。

 大蛇の動きが止まる。フシュルルル……と息が聞こえる。

「姫子、目をそらすな!」

 大蛇は様子をうかがっている。一瞬でも目をそらせば、喰われるだろう。

「明紀兼さん!」

朱雀紅蓮術すざくぐれんじゅつ装身纏開そうしんてんかい!」

 明紀兼が叫んだ。カッと見開いた目が赤く輝き、全身が鎧に覆われる。

 明紀兼が飛ぶのと同時に、ヒノが叫んだ。

「姫子、横へ!」

 弾かれたように、姫子が真横に飛ぶ。

 追いかけようとした大蛇の頭を、明紀兼が垂直に踏みつけた。

 その勢いで、大蛇は崖から落ちる。

 明紀兼は大蛇の体を足場にして高く飛んだ。崖の上に戻ってくる。

『シギィィィイイイアァァァアッ!』

 水音が響いた。

「いったん下りよう。儀式は中断だ」

「ああ」

 姫子が呆然と座りこんでいる。

 ヒノは姫子の前にしゃがんだ。

「姫子、大丈夫か?」

「は、はい」

 涙目になっている。

「立てるか?」

 水瓶を受け取り、手を取って立たせる。

 その細い腕を抱えるようにして、ヒノは姫子とともに石段を下りる。

「総領! 奥様!」

「ヒノ! 姫子ちゃん! 大丈夫!?」

 拝殿の前は惨状と化していた。

 拝殿は柱が折れ、屋根が削り取られたように破壊されている。塀は一部が無残に崩れ、扉も蝶番ちょうつがいが外れて今にも倒れそうだ。

「いったい何があったんだ。あれは……」

「いきなり、鎮守の森から飛びだしてきたのよ」

「止めるヒマもなかった。暴れながら上に登っていったから……」

『シギイイイイイ!』

 耳障りな音が響く。両腕を生やした大蛇が、山頂から姿をあらわした。転落した崖を登り、再び拝殿まで戻ってきたのだ。湖に落ちたのは確からしく、全身から水をしたたらせている。

「あれ……道場破り!?」

 すみれが叫んだ。

 大蛇の頭部が変化し、どことなく人間じみている。そしてその面影は、数日前、道場に押し入った男のものだった。

 しかしあの妖怪は、早暁の箱に封じられたはずだ。

「お師匠様――!」

 早暁そうぎょうの叫ぶ声がした。

「早暁、これは何事じゃ!」

「申し訳ありません、私の箱が無くなっ……て……」

 早暁の顔が、惨状を目の当たりにして唖然となる。

『シャギャアアアアアアッ!』

 バカ、と妖怪の口が四つに裂けた。

「手を出すな!」

 明紀兼が叫ぶ。

 一族の者たちは身構えながら下がる。

「ヒノ、穢酒を飲むんだ!」

 ヒノは意図を理解した。瓶を持ちかえ、直接口をつけ、ひとくち飲む。

「う……っぶ」

 まずい。どろどろした口当たりはまるでヘドロだ。我慢して飲みくだす。

「……っは」

 息をのむ。

 体が熱い。全身の血流を感じる。体内の奥から、さらに熱がわき上がる。


「朱雀比翼術、装身纏開!」 


 無意識のうちに叫んだ。全身を熱い炎が包んだ気がした。全身を紅蓮の鎧が覆い、背に刃を連ねたような翼が生える。

「これが……」

 朱雀の本当の力なのか。翼を生やし、燃えるようなエネルギーに包まれるこの感じが。

『シャギャアアアッ!』

 大蛇が飛びかかる。

「翼よ!」

 剣の翼が伸びて、妖怪の体を薙ぐ。バッと赤い血が散った。

『ヒイイィ……!』

 大蛇は弾かれたように後退した。四つに裂けた口を、ゆっくり開閉させる。

「お呼びじゃねーぞ、雑魚妖怪!」

 ヒノは言い放ち、拳を構えた。わかる。何をすべきか、わかる。


「朱雀比翼術――華落カラク!」


 ヒノの体が、一挙に距離を詰める。強力な一撃が、妖怪の頭を打ち抜く。

 大蛇はそのままの勢いで飛ばされ、クスノキに激突して動かなくなった。

 大蛇の体が、黒くくすんで崩れていく。〈ケガレ〉に分解していく。妖怪に訪れる、完全な死だった。

「う……!?」

 突然、ヒノの体がこわばった。

「――ガハッ!」

 ヒノの口から鮮血がほとばしる。

「か……っ、ゴホ、ゴホッ!」

 血を吐き、膝をつく。何度も咳きこむ。息が詰まり、血が止まらない。

「ヒノさん!」

 姫子がかけよる。

「姫子さん、早く毒を吸い出して!」

 ヒノの顔を姫子が持ち上げ、キスをする。

 ヒノは胸の奥が、すう、と楽になるのを感じた。そのまま意識まで遠くなり、ヒノの体は地面へと崩れ落ちた。

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朱雀、湖上に飛ぶ 南紀和沙 @nanayoduki

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