第16話 比翼の儀
「
朱雀神社が儀式の舞台となる。
境内では電気を使った照明はすべて消されている。代わりに、油を使った小さな灯台が整然と並ぶ。オレンジ色の光がぼんやりと揺れる。
ヒノと姫子がゆっくり歩いてくる。案内役は
ヒノは平安時代を思わせる
姫子は巫女を思わせる
境内を二人が進む。
拝殿の前庭には、朱雀島に住む四方神一族が正装で並び、座している。
「ここから先は、二人だけじゃ」
二人を案内してきた喜代輔が告げる。
朱雀神社は、拝殿のうしろに塀がある。塀の中央には荘厳な門扉があり、いつもはしっかり閉じられている。塀で仕切られたあちら側は、神域だ。許された者しか立ち入ることができない。
「では」
門扉が開く。左右の門をそれぞれ開く役目をしたのは、啓介とすみれだ。二人は門を開くと、狛犬のようにひざまずいた。
「…………」
ヒノは目で姫子をうながす。
扉のむこうは、山だ。頂上に向かって、石段がまっすぐ伸びている。石段の両脇にはいくつも灯台が置かれ、たよりない光であたりを照らす。
「足下、気をつけて」
「はい」
石段を登り切ると、祭壇がもうけられている。
「こちらへ、二人とも」
明紀兼は朱色の狩衣姿、夕香子は黒の千早姿。ヒノと姫子と同じだった。
「この水瓶に入っている
夕香子がスッと水瓶を差しだす。ふたつきで背が高い水瓶だ。深い緑色をしていて、注ぎ口が鳥の首のように長い。
姫子はおずおず手をのばし、水瓶を取った。
ヒノが杯を取る。杯も深い緑色をしていた。
酒が注がれる。
(これが……)
〈ケガレ〉を液体に加工したもの。黒くどろりとした、タールのような液体だった。おせじにも旨そうではない。
飲めば、秘伝の力を得られる。朱雀門家総領としての将来が約束される。
だがこれは毒酒。姫子がうまく吸いだせなければ、ヒノは死ぬ。
姫子が不安そうに見つめている。
(大丈夫、オレは死なない)
ヒノはわずかに笑って、杯を口元に運び――。
「妖怪だ――――!!」
飲めなかった。
石段の下、拝殿のあたりがにわかに騒がしくなる。
「な、何かあったのか?」
「拝殿の方からだ。何か来る!」
悲鳴と破壊音。
石段から、巨大なヘビが飛びだした。
「うわあっ!」
間一髪、四人は逃げた。
ヘビが祭壇に激突する。杯が飛び散った。水瓶も地面に転がる。
『ガゲゲ、ゴギギ、ゲゲ、ゴゴ……』
顎をガクガクと痙攣させて、妖怪がうなる。
『シャグアァァァアアアアッ』
「だめ!」
姫子が飛びだした。蛇体のスキを突いて、水瓶を拾う。
『シャグアァァァアアアアッ!』
大蛇は姫子に視線を定めた。姫子は思わず後方に下がる。彼女の足元で、カランと小石が消えた。姫子の背後は、断崖絶壁だった。
「……っ!」
姫子は水瓶をぎゅっと抱き、キッと大蛇を睨んだ。
大蛇の動きが止まる。フシュルルル……と息が聞こえる。
「姫子、目をそらすな!」
大蛇は様子をうかがっている。一瞬でも目をそらせば、喰われるだろう。
「明紀兼さん!」
「
明紀兼が叫んだ。カッと見開いた目が赤く輝き、全身が鎧に覆われる。
明紀兼が飛ぶのと同時に、ヒノが叫んだ。
「姫子、横へ!」
弾かれたように、姫子が真横に飛ぶ。
追いかけようとした大蛇の頭を、明紀兼が垂直に踏みつけた。
その勢いで、大蛇は崖から落ちる。
明紀兼は大蛇の体を足場にして高く飛んだ。崖の上に戻ってくる。
『シギィィィイイイアァァァアッ!』
水音が響いた。
「いったん下りよう。儀式は中断だ」
「ああ」
姫子が呆然と座りこんでいる。
ヒノは姫子の前にしゃがんだ。
「姫子、大丈夫か?」
「は、はい」
涙目になっている。
「立てるか?」
水瓶を受け取り、手を取って立たせる。
その細い腕を抱えるようにして、ヒノは姫子とともに石段を下りる。
「総領! 奥様!」
「ヒノ! 姫子ちゃん! 大丈夫!?」
拝殿の前は惨状と化していた。
拝殿は柱が折れ、屋根が削り取られたように破壊されている。塀は一部が無残に崩れ、扉も
「いったい何があったんだ。あれは……」
「いきなり、鎮守の森から飛びだしてきたのよ」
「止めるヒマもなかった。暴れながら上に登っていったから……」
『シギイイイイイ!』
耳障りな音が響く。両腕を生やした大蛇が、山頂から姿をあらわした。転落した崖を登り、再び拝殿まで戻ってきたのだ。湖に落ちたのは確からしく、全身から水をしたたらせている。
「あれ……道場破り!?」
すみれが叫んだ。
大蛇の頭部が変化し、どことなく人間じみている。そしてその面影は、数日前、道場に押し入った男のものだった。
しかしあの妖怪は、早暁の箱に封じられたはずだ。
「お師匠様――!」
「早暁、これは何事じゃ!」
「申し訳ありません、私の箱が無くなっ……て……」
早暁の顔が、惨状を目の当たりにして唖然となる。
『シャギャアアアアアアッ!』
バカ、と妖怪の口が四つに裂けた。
「手を出すな!」
明紀兼が叫ぶ。
一族の者たちは身構えながら下がる。
「ヒノ、穢酒を飲むんだ!」
ヒノは意図を理解した。瓶を持ちかえ、直接口をつけ、ひとくち飲む。
「う……っぶ」
まずい。どろどろした口当たりはまるでヘドロだ。我慢して飲みくだす。
「……っは」
息をのむ。
体が熱い。全身の血流を感じる。体内の奥から、さらに熱がわき上がる。
「朱雀比翼術、装身纏開!」
無意識のうちに叫んだ。全身を熱い炎が包んだ気がした。全身を紅蓮の鎧が覆い、背に刃を連ねたような翼が生える。
「これが……」
朱雀の本当の力なのか。翼を生やし、燃えるようなエネルギーに包まれるこの感じが。
『シャギャアアアッ!』
大蛇が飛びかかる。
「翼よ!」
剣の翼が伸びて、妖怪の体を薙ぐ。バッと赤い血が散った。
『ヒイイィ……!』
大蛇は弾かれたように後退した。四つに裂けた口を、ゆっくり開閉させる。
「お呼びじゃねーぞ、雑魚妖怪!」
ヒノは言い放ち、拳を構えた。わかる。何をすべきか、わかる。
「朱雀比翼術――
ヒノの体が、一挙に距離を詰める。強力な一撃が、妖怪の頭を打ち抜く。
大蛇はそのままの勢いで飛ばされ、クスノキに激突して動かなくなった。
大蛇の体が、黒くくすんで崩れていく。〈ケガレ〉に分解していく。妖怪に訪れる、完全な死だった。
「う……!?」
突然、ヒノの体がこわばった。
「――ガハッ!」
ヒノの口から鮮血がほとばしる。
「か……っ、ゴホ、ゴホッ!」
血を吐き、膝をつく。何度も咳きこむ。息が詰まり、血が止まらない。
「ヒノさん!」
姫子がかけよる。
「姫子さん、早く毒を吸い出して!」
ヒノの顔を姫子が持ち上げ、キスをする。
ヒノは胸の奥が、すう、と楽になるのを感じた。そのまま意識まで遠くなり、ヒノの体は地面へと崩れ落ちた。
朱雀、湖上に飛ぶ 南紀和沙 @nanayoduki
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