第10話 春来たりて

 横笛の飄々とした音が、奥座敷から漏れ聞こえる。

 我が家にも春が来た。笛の主の奥方はそう思う。その伸びやかな音色に聞きほれていると、突然その笛の音は断たれた。

 



 私の家は神社だ。人丸という人食い鬼を裏の岩山に封じ込め、今も跡継ぎが人丸様調伏と称して祀っている。

 正月が過ぎ、我が神社のセカンドシーズンがやってきた。豆まき、節分だ! 鬼を祀っているから節分がないなどと思わないでほしい。鬼を祀っているからもっと調伏してちょうだいという意味を込めて、豆まきに乗っかることにしている。

 で、今日も今日とて、豆まき用の煎り大豆を袋に詰めて町内会の子どもに配らなくちゃいけないわけだ。

「それでですね、きいてますか!」

 もちろん聞いてない。

 相変わらず、未雪がやってきて、我が家のセカンドイベントを邪魔しやがる。収入にもつながるイベントで、これを逃すとあとは夏祭りしかない。お願いですから我が家をひっ迫させないでほしい。

 でも未雪はかまわず話し続ける。

「おばあちゃんのお友達の方で、相談したいことがあるっていうんです。ねぇ、速真君も手伝ってください」

「いいよ」

 げっ、アニキがいたのを忘れてた!

「で、どういう話なの?」

「はい……」




 去年、亡くなったご主人が大切にしていた掛け軸に異変が起こったそうな。ご主人はその掛け軸をとても大切にしていて、必ず一月から二月の時期になると開いて飾っていたとか。

 その掛け軸が、今年になって開いてみると、いつもと様子が違う。

 小鳥の掛け軸なのだが、鳥が一匹もいないではないか。一体どういうことなのか、わけがわからない。

 盗まれて偽物と交換されたかと思ったが、どこをどう見ても、鶯以外は変わりがない。

 一体鶯はどこに行ってしまったのか。亡くなった主人の思い出の品だ、元に戻すことはできないだろうか……




「無理だよ、掛け軸の絵なんだろ? 書くしかないじゃん」

「綾愛ちゃん、風情がなさすぎ」

 エラそうに未雪が口をとがらせてのたまう。

「未雪のくせに生意気な」

「綾愛ちゃんこそ、生意気です!」

「まぁまぁ」

 アニキが苦笑いして間に入ってきた。

「一回そのお宅に伺うことってできるのかな」

「多分……」




 というわけで、大豆詰めの内職を終わらせて、例の掛け軸の家を訪れた。なぜか、私と兄貴の二人。

「あら、いらっしゃい、人丸さん」

 町内会では亡くなったご主人とは懇意にしていたので、知らない人ではない。珍しい雅楽をたしなむ人で、横笛全般と篳篥が吹ける人だった。オヤジとは仲が良く、よく、笛談義をしていたものだ。

「これが例の掛け軸」

 品のいい老婦人は奥座敷に私たちを案内してくれた。床の間に一幅の掛け軸がかかっている。

 梅の花。開きかかりほころんだ小さなつぼみが、画面にポチポチと墨で描かれている。

 掛け軸には達筆な字で「新月に春来りて」と記されている。

「見事ですね」

 アニキがため息をついた。

 どこら辺が見事なのか、私にはさっぱり分からず、ぼんやり画面を眺めていた。

「ところで、何の鳥かご存知ですか?」

「それが……主人がこの掛け軸を飾るときに限って、わたくしどもを部屋に入れなかったものですから」

「ほほぅ」

 部屋に入れないことに何かあるのか? 私は首をかしげた。

「うーん、推測ですが、部屋にこもって何かされてましたか?」

「ええ、笛を吹いてました」

 アニキはそれを聞いて考え込むと、私のほうを向いていった。

「綾愛、あの龍笛持ってこい」

「なんで?」

「何でもいいから、早く!」

 ということで、なぜか駆け足で龍笛を取りに生かされた。




 私は不思議な横龍笛をもっている。虎霧丸というその龍笛はかなりの一品らしく、調べてくれた専門家は値がつけられないとのたまった。普通なら博物館行きだとまでいって譲ってくれとうるさかったが、触ると電流が走るのでやっと諦めてくれた。

 虎霧丸は人を選ぶ。私を選んだこの龍笛は、笛も吹けない私を主人に選んで、それ以外の人間に自分を触らせないという無茶ぶりである。

 とにかく笛に人格があるみたいに話している私の頭はかなりおかしくなっている。すべて夢の中のお話だけど、みんなは変にそれを信じて、納得しているので、非常に不可解だ。

「アニキ持ってきた」

「何でもいいから覚えた曲吹いてくれ」

 来た早々注文されて、私は覚えたての平調の音取(ひょうぢょうのねとり)を吹いてみた。

 変化なし。

「まぁ、主人より、お上手ね。その道に行かれるの?」

 いや、まぁ、これは私の実力じゃなくてこの笛のせいなんすけどね。私が苦笑っていると、容赦なくアニキの次の注文が飛ぶ。

 とりあえず、覚えたての越殿楽(えてんらく)を吹いてみせる。

「まぁ」

 老婦人は目をキラキラさせて喜んでいる。ごめんなさい、騙してます。

 マジで私は笛の良しあしがわからない。実際吹いてる自分の音にすら無頓着だ。

 結局何も起こらず、兄貴が私に何をさせたいのかわからなかった。

「うーん……なんの曲だったんだ?」

 アニキは腕を組んで、掛け軸を睨む。と、突然、叫んだ。

「新月か! 旧正月……そうか、あれしかないか」

 老婦人のほうに向きなおり、いった。

「奥さん、春鶯囀(しゅんのうでん)の楽譜はありますか?」

「え? ええ、多分」

「貸してください」




「アニキ吹けません」

 私は春鶯囀の楽譜をひと眼見ていった。こんなの上級者用じゃん。私は、バイエルン的存在である平調の音取がやっと吹けるようになっただけなのに!

「まぁ、吹いてみろ」

 アニキは私の言うことを聞いてないのか。

 さんざんほだされて、結局吹いてみることにした。すると、勝手に指が動く。歌口に息を軽くふきこんだだけで、深い伸びやかな音色が室内に響き渡る。この十分近くの曲を私はどうやって吹きこなしているのか、まったくわけがわからない。結局虎霧丸が勝手に吹いてるんだと思うと、練習するのが馬鹿らしくなる。

 突然。

 ほーほけっきょ。

 鶯のさえずりが聞こえてきた。

「あら」

 老婦人が口元に手を当てて驚く。

 掛け軸を見ると、梅の枝のあいだから、小さな小鳥が二羽顔を出した。

 私の笛の音に合わせて、囀り始める。

 掛け軸の中の鶯は曲が吹き終わるまで枝を渡り飛び、遊び、囀って、またどこかへと消えた。

「まぁ……主人のどケチ」

 老婦人は奥座敷から締め出されていたわけを知りつぶやいたが、その目には涙が光っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人丸あやしもの請負業 藍上央理 @aiueourioxo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ