第2話 老人介護

 その日がくることは多分、母も十分わかっていたんじゃないかと思うんだけれど、伯母の認知症の介護は、人並み外れて大変だった。


 食べたはずの朝ごはんをもう一度食べようとするなんていうのは序の口で、高価なものをぽんぽん人にあげてしまってはすっかりそれを忘れて相手を泥棒呼ばわりするなんていう事件も何度か起こした。普通の家庭でも大変だっただろうと思うんだけれど、伯母の場合、たまたま職業が女王だったから、あげてしまう物品の価値も半端でなく、最終的に退位を説得して議会の承認をもらった頃には、母の髪はひとふさどころではなく、全て真っ白になっていた。


 まあ、そういうわけで、晴れて母が王位についたのは、まあめでたかった。結構バランス感覚のあるひとだし、父もいるし、そこそこ良い治世になるだろうと思う。

 ついでに私の王位継承権が2位になったわけだけれど、これはあまりめでたくなかった。同時に伯母の世話という仕事がついてきたからだ。私だって子供もまだ小さいのに、本当、いっぱいいっぱいだ。

 しかし、この仕事は私しかできないだろうというのは重々わかっている。なにせ、私は見た目が母の若い頃にそっくりだからだ。性格は全然違うけど。


 今日もまた、伯母は自室で歌っている。これに耳をすませておくのが私と私の侍従たちの大事な仕事だ。

 大体、歌詞が吹きすさぶ雪景色を描いているあたりで、伯母を止めないと大変なことになる。歌詞が「風がささやく」であるとか「このままじゃいけない」というようなことを言い始めたら、宮殿中が緊張に包まれ、衛兵たちがスタンバイする。過去に2回ほど、歌に気づかずに宮殿に大きな被害を出してしまったから、私も真剣だ。

 今日は困ったことに、伯母が私の説得を聞いてくれず、歌い続けている。

 「伯母さま、さあ、散歩に行きましょう?」

 必死で説得に当たる私の手を振りはらい、伯母はすくっと立ち上がるとマントを外し、ぱさっと床に投げ捨てる。周囲に緊張が走る。


「殿下!宮殿の温度が下がってきております!」

 背後で報告をする衛兵の声が焦っている。

「落ち着いて。<ありのまま>、はまだでしょう?」

「は。ただし、ここ数回、殿下がお留守の際、途中を飛ばして<ありのまま>にたどり着いたことがありますから、警戒はしておいたほうが良いかと」

「は? 途中を飛ばした?」

 信じられない話に思わず聞き返す声がキツくなる。なんてこったい。伯母はすっかり歌詞を忘れて途中を飛ばすという暴挙に出たらしい。いや、まあ、記憶になかったのだろうから仕方ないんだとはわかるけれど。



「ありのーままのー」

 突然、伯母が大きな声を張り上げた。宮殿の床と言う床がスケートリンクもかくやという状態に凍りつく。メキメキと音を立てて氷の柱が床から育ち始める。衛兵たちが、泡をくって走り回る。

 「……! 伯母様、愛しています!」

 もう、破れかぶれで抱きつくと、幸い、びっくりしたように伯母の歌声が止まった。

 「あら? こんなところで何をしているの?」


 本当、異能者の認知症なんて笑えない。


 肩で息をしながら、「あちらの部屋で熱いココアでも飲みましょう」と誘う。この部屋は、できるだけ早くメンテナンスをしてもらったほうがいい。


 「あら、でも私、少しも寒くないわ?」


小首をかしげる伯母は可愛らしいけれど、私も含め、周囲はほとほと疲れ果てている。


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こんな夢を見た 赤坂 パトリシア @patricia_giddens

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