40光年の彼女

埴輪

重大発表


 今日は歴史的な一日になると、ニュース番組のレポーターが興奮気味に伝えている姿を、僕は介護ベッドの上で痩せた足を伸ばし、ぼんやりと眺めていた。

 宇宙屋お得意の「重大発表」に、人々は何度となく期待を裏切られてきた。いや、本当に重大だったのだろう、その重大さを理解できる者にとっては。だが、多くの人にとっては何が重大なのか分からない重大発表が何十回、何百回と繰り返されれば、またかと見向きもされなくなるのが道理だ。だが、今回はこれまでと異なり、発表の内容が事前に告知されており、それも「地球外生命体の画像を公開する」とあっては、今度こそはと期待せずにはいられないのも、無理からぬ話ではあった。

 告知の瞬間から、世界中はお祭り騒ぎ。まるで、新たな時代の幕開けを目前としているかのように生き生きと、楽しそうに、その日を待ち侘びる人々の声や笑顔が、連日メディアを賑わせているのだった。報道機関はこぞって特集を組み、記者会見場にはありったけのスタッフと機材を送り込んで、その「福音」をあらゆる場所、あらゆる人へもたらすことこそ我が天命と、躍起になっている。

 ――馬鹿馬鹿しい話だ。宇宙は広大で、そのどこかに地球と同じような惑星があり、生命体がいるということは。今更その証拠が公開されたからといって、何が変わるというのだろうか? ブームは起こるだろう。それがどのような姿をしていたとしても、「地球外生命体グッズ」は飛ぶように売れるだろうし、その偉業を成し遂げることになる亜光速惑星探査機「なゆた」は、早くもドキュメンタリー映画の製作が決定、キャストすらも発表されていた。

 それを耳にした僕は、怒ればいいのか、喜べばいいのか、泣けばいいのか……分からなかった。だが、僕の想いとは関係のないところで映画は製作され、公開され、多額の興行収入を得るに違いないが……結局、変化はその程度だろう。

 商機……それ以上の何かが、地球外生命体の画像が公開されたからといって、起こり得るのだろうか? 戦争が終結するのだろうか? 少子高齢問題が解決するのだろうか? 環境問題は? 貧困問題は? ……そんなこと、あるはずもなかった。 

 もちろん、それは誰しも承知の上に違いない。だからこそのお祭り騒ぎ……一時でもその事実を忘れ、現実から目を逸らしたいのだ。年末年始の馬鹿騒ぎと何ら変わることのない、根拠なき明日への期待、楽観、現実逃避……要は「娯楽」である。

 ――とは言え。僕も今日という日を心待ちにしていた。80年前から、ずっと。ただ、地球外生命体なんてどうでも良くて、僕の思いはただ一つ……「彼女」が最後に見たものを見たい、それだけだった。


 彼女の名前はユキ。古い人工知性体で、「知性体保護法」が施行される以前には、人工知能と呼ばれていたが、僕が12歳……中学一年生の時に出会った彼女は、知性体として人間と同等の権利を持って久しい、クラスメートの一人だった。

 彼女はある意味では目立つ、またある意味では目立たない少女だった。学校指定の制服がブレザーの中、一人だけセーラー服では目立たないはずもなく、日本でも珍しくなった黒髪も拍車をかけていたように思う。ただ、それでも彼女が目立たなかったのは、そうあることが自然だったからで、いつも一人きり……それが彼女だった。

 とはいえ、彼女は虐められていたわけではない。クラスメートの半数は知性体だったし、からも彼女は距離を置かれていた……そう、距離だ。その距離が彼女には相応しいと、皆は知っていたのだろう。先生も、クラスメートも、そして僕も。

 だから、僕は特に彼女と親しいというわけでもなかったのだが、良くも悪くも、縁はあったようだ。何せ僕は、彼女が自殺を図った現場に居合わせたのだから。


 彼女は放課後になると、決まって校庭のベンチに腰掛けていた。運動部の練習でも見ているのかと思ったら、雨の日でも傘を差して座っていて……分からない。

 ただ、その日の放課後、彼女の姿はベンチになかった。僕はあれっと思ったものの、足を止めるほどではなかった……背後でドンッと鈍い音が聞こえるまでは。

 振り返ると、彼女が仰向けで横たわっていた。奇妙な光景だったが、僕は彼女がいたことに安堵。次に何を思うよりも先に、彼女の黒い瞳と目が合って――それも珍しい色だ――手足が明後日の方向に曲がっていることすら、気付かなかった。

「ユキっ!」

 白衣を着た老人が彼女に駆け寄り、空を見上げた。僕もつられて空を見上げ、そこで初めて彼女が校舎の屋上から落ちてきたという可能性に思い当たった。

 ――モーター音。僕が顔を下げると、老人が彼女をお姫様のように抱きかかえていた。白衣の袖口からパワーアシストスーツが覗いている。老人は僕に声をかけた。

「君は、ユキの友達かい?」

 僕は「はい」と答え、歩き出した老人の後を追った。老人は駐車場に向かい、彼女を車の後部座席に横たえると、助手席に顎をしゃくる。僕は助手席に乗り込んだ。


 大隅おおすみと名乗った老人は彼女の保護者で、いつも送迎しているのだという。自宅までは車で一時間ほど……その間、大隅さんは僕に彼女のことを話し続けた。

 彼女が旧世代の人工知性体だということ。元々は、惑星探査機を制御するために作られた人工知能だったということ。彼女を作り出したのが、大隅さんの研究チームだったということ。彼女が宇宙開発に目覚ましい進歩をもたらしたこと……話は専門的な用語も多く、分からないこともあったが、大隅さんはそれを気にすることなく喋り続けた。もう何年も……何十年も喋っていなかったとでも言うような勢いで。

 地球外生命体……その言葉は確かに聞こえた。あと一歩で、その画像を地球にもたらすこともできたという。だが、知性体保護法が施行され、検査を受けた彼女は知性体と公式に認定、惑星探査というに従事することはできなくなった。

 こうして人工知能から人工知性体となった彼女が望んだのは、「学生になること」だった。その理由は未だに分からないと、大隅さんは首を傾げる。

「娘のように可愛がってはいたがね、何でまた――」

「寂しかったんじゃないですか?」

 僕がそう言うと、大隅さんは「そうか、そうか」と繰り返した。

 自宅に到着し、大隅さんは彼女を研究室へと運んだ。その間、僕は部屋に飾られていた青い惑星の画像に目を奪われていた。それは、僕が目にしたどれよりも――。

「スーパーアースだよ」

 部屋に現れた大隅さんの言葉で、僕は初めてそれが地球ではないことを知った。巨大地球型惑星……こんなにも美しい惑星が、地球の他にあるなんて。地球よりも青く、美しく、何倍もの大きさがある惑星の画像を見て、そこに生命体が……人間がいないなんてことは考えられないと、僕は心の底から思ったものだった。

 僕は車で家に送ってもらい、その間、大隅さんが口を開くことはなかった。


 翌日、彼女は学校に登校した……何事もなかったかのように。それは放課後も同じことで、彼女の姿はいつも指定席にあった。変わったのは僕の方で……なぜだろうと考えながらも、僕の足は彼女が座っているベンチに向かっていく。

 ――自殺の現場に居合わせてしまったからだろうか? それとも、口先だけではない、本当の友達になりたかったからだろうか? ……その時、僕の頭に浮かんでいたのは、あの素晴らしい画像のことだった。スーパーアース。 

 僕が足を止めると、彼女は顔を上げた。黒い眼差し。それは昨日、横たわる彼女が見せたものと同じ輝き……僕はそれを見詰め返すばかりで、何も言えなかった。

 ――次の日も、また次の日も、僕は彼女の前に立ち、だが何も言えないという毎日が続いた。僕は彼女に話しかけたかったのか、彼女に話しかけて欲しかったのか、その両方だったのか……ただ、そのいずれも叶うことはなく、終わりがやってきた。


 その日、ベンチの前にやってきた大隅さんは、僕を見るなりこう言った。

「ユキは宇宙に行くんだ」

 ――新たに開発された亜光速探査機のとして。目的地は40光年の彼方……地球には二度と戻ることのできない片道切符。危険なんて言葉では言い表せないほどの旅路だが、それによってもたらされる恩恵は絶大で……僕には大隅さんの言葉が全て言い訳にしか聞こえなかった。いつか誰かがやらなければないことであり、もちろん、何よりも本人の意志が尊重されるが、それでも彼女は――。

「嘘だっ!」

 僕は叫んでいた。それが本当なら、なぜ彼女は自殺を図ったのだ? 決まってる、それしかなかったからだ。嫌でも嫌だと言い切れないのが分かっていたから。そうなるだろうと誰もが思っていたから。何しろ、そのために彼女は……そして、その通りになってしまうことを、彼女は知っていたのだ。だから、彼女は……彼女は。

 大隅さんは「すまない」と僕に何度も頭を下げ、それが僕を苛立たせる。謝る相手は僕じゃない……だが、僕はただ苛立つばかりで、それ以上、何もできなかった……彼女が立ち上がり、歩き出したからだ。まっすぐと、僕を振り返ることなく。

 大隅さんは「すまない」と深々と頭を下げて、彼女の後に続いた。僕は彼女の背中が見えなくなるまで、じっと見送っていた……それが、彼女との別れ。ちゃんと出会えたのかすら分からないのに、別れはなぜこんなにも……僕は……僕は……。

 

 ――遠くから歓声が聞こえ、僕は目を開けた。カウントダウンが始まっている。少し眠っていたようだ。80年も待ったというのに、寝過ごしてしまっては笑い話にもならない。僕は何度か咳き込み、深呼吸してから、テレビの画面に目をやった。

 亜光速……ほとんど光と同じスピードで40年。地球外生命体の撮影が、亜光速惑星探査機「なゆた」にとって最後の仕事だった。撮影された画像のデータが地球に届くのにも40年……つまり、彼女は40年前に亡くなっている。今日地球に届くのは、彼女が最後に見た光景……それを、僕は何としても見届けたいと思った。

 夢のない人生。僕は彼女を追って宇宙飛行士になったわけでもなければ、研究者になったわけでもない。そんな僕が生きることができたのは……生きようと思ったのは、他ならぬ彼女のお陰だった。この、一瞬のために……3、2、1、0。

 ――40光年を越え、映し出されたのは……僕だった。中学生の僕。緊張したような、はにかんだような笑顔……ああ、あの時の僕は、こんな顔をしていたのか。

 しんと静まり返ったのも一瞬のことで、テレビには「しばらくお待ちください」と表示され、和やかな音楽が……と、僕は笑い出した。自分の声だとは信じられないほど大きく、近所迷惑もいいところで、笑い死にしてしまいそうな……それでもいいと思えるほどの笑い声だった。80年分の笑い声……これなら、40光年の彼方にも……いや、もっと遠くまで聞こえるかもしれないし、聞こえて欲しい。

 僕は呼吸を整えつつ、溢れ出る涙を手の甲で拭った。テレビはまだ「しばらくお待ちください」のまま……てんやわんやの大騒ぎだろう。あの画像に写っているのが僕だということはすぐ判明するだろうし、自宅も特定されるだろう。取材陣が殺到した挙げ句、首謀者だと疑われるかもしれないが……些細なことだと僕は思った。

 ただ、一つだけ……世界に向かって胸を張って言いたいこと、伝えるべきこと、伝えるべき価値があることにも、僕は気付いていた。だから、僕は取材陣を前にして「重大発表」をしようと思う。――僕は、彼女に恋をしていたということを。

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40光年の彼女 埴輪 @haniwa

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