アヌビスの天秤
萩尾みこり
〈アヌビスの天秤〉
死んだ人間を悪く言うのは良くない、という言葉がある。それを承知の上で私はあいつを悪く言う。生きている間のあいつはろくな女じゃなかった。上辺だけの友人であった私に映るあいつは。簡単な言葉に直すと――悪女。まさにそういう女だった。
急な知らせだった。「小夜子さんには知らせておこうかと」というあいつの弟からの電話。続いた言葉であいつが逝った事を知った。交通事故だったらしい。直前まであいつと一緒にいた共通の友人の証言では、あいつは相当酒に酔っていたという。奴が交通違反を犯して事故にあったのか、酔っていたあいつが道路に急にとびだしたのかは定かではないが。
その証言をした友人は直前のあいつが何をしていたのかを私に教えてくれた。案の定のことだった。どこどこの男に貢がせただの前に貢がせていた奴がしつこく付きまとうから然るべき処置をとっただのと、自分の正義を振りかざしていたそうだ。他には同じ部署の後輩が気に食わないから、と陰湿な嫌がらせをしてやったとも言っていたと言う。同僚の彼氏を寝取ったり、手柄のために同僚を陥れたり――あいつらしいが私としては胸糞悪い事だった。それは友人も私と同じ気持ちだったということを、言葉から悟ることができた。
あいつの葬式に出た。白い棺が祭壇の前に。あいつはあそこで眠っている。自分が受けた怨みを全てかわしているようにも見えた。人を痛めつけるだけ痛めつけて逃げた。そういう解釈も出来るだろう。
あいつの葬式にでている他の友人たちが漏らした「本当は出たくないんだけどね」と言う言葉が痛いほどわかる。私も同じだ。上辺だけの付き合い、しかしあいつに好意的な人々からは友人とも取られる私たち。たとえ嫌でも大局で見ると一種の人付き合いだ、仕方がない。
時間が進む。木魚の音だけが響く。心ここにあらず、そんな状態の私の思考も単調といえる物だった。
あの電話、あいつの弟からの電話の後から数時間たった時だった。あいつの弟からもう一度電話があった。私は自分でもなぜこのようなことを聞いたのだろうと今思う。
「あいつの死に顔はどうだった?」
彼は言葉を濁していた。どうやら死に顔は見えなかったらしい。見えないくらいに醜い姿で死んでいたのだろう。腹のうちを体現したような姿だったのかもしれない。不謹慎なことを考えた。お似合いだ、と。跳ね返ってきたから最期の姿は酷い姿だったのね。いい気味だ。
しかし、私はこれほどまでに冷酷な人間だったろうか。相手があいつだからから冷酷な言葉を次々と紡げるのだろうか。私はあいつと他の人間を天秤にかけている。言葉は悪いが、扱いの価値を見定めるために。紡いだ言葉の意味はそう言う事だ。
ふと視点があった先の、棺の中には逃げた奴が眠っている。扱いと同じように、頭の中であいつのやってきたことも天秤で量る。比較するのはあいつが痛めつけたもの全て。あいつが行った全てのことに匹敵する怨みは確実に存在する。あいつがばら撒いた悪意と同等に扱われる感情もまた。どれだけあいつが怨まれていたのか詳しくは知らない。ただ、あいつがやってきたこと――それからあいつ自身よりはあいつを怨んでいるもの全てのほうが尊重されるのだろう。私の感覚で言うならば。
それほどまでにあいつに価値は無い。私が出した結論はこれだった。私は神ではない。神ではないが、あいつを知る一人の人間としてそう結論付ける。私の中であいつは無価値な人間。どす黒く薄汚い本性を隠し、上辺だけを見繕う。私とは正反対とも言えようか。
一番の理由は対極の存在に対する嫌悪感。
私はあいつが嫌いだ。
無残な最期を遂げてしまえと思ったこともある。
出棺を見送るだけ見送って、私は友人たちと帰路についた。交わす言葉の大半はあいつの悪口。上辺だけの友人たちにも悪意は届いていた。小さいけれど怨みも存在する。私たちの些細なそれよりも、あいつは本当に無価値だ。私だけでなく、友人たちも同じ感覚を持っているのだろう。言葉がそれを証明している。
今なら言える。私は考えの中だけであいつを天秤にかけた話を友人たちにして見た。すると、全員が似たような答えを返してきた。私の答えは、あいつを嘲笑うことだった。
アヌビスの天秤 萩尾みこり @miko04_ohagi
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