Chapter 5 大切な友達(吹雪)

 窓の外を見ると白い世界が広がっている。雪が猛烈な勢いで降っている。

 「御古都ちゃん、調子はどう?」

 かけられた声の方を向くと若い看護師さんがいた。胸に佐藤とプレートを付けている。

 「ちょっと痛いです」

 「この天気だとね。やっぱり体調崩す患者さんも増えるから」

 窓の外を見ながら言う。

 「でも、学校が始まるころには退院できるから」

 私は笑って返して窓の外に視線を戻した。

 左手首骨折。全治4カ月。

 効き手でないということで特に何もなければ、2週間ほどで退院できるらしい。

 じっと左手のギブスを見つめる。

 ――ものものしいなぁ…

 私は右手で毛布を持ち上げた。

 ――よっと。

 足を滑らせるように右に移動させてベットから落とした。そのままに下に置いてあるスリッパに足先を入れる。

 左手以外は元気なのでやることがないとヒマなのだった。

 廊下に出るときにとなりの渡部のおばあちゃんが「みことちゃんお出かけかい?」と声をかけてきた。

 私は「ええ」と応えて、そそくさと病室を出た。

 渡部のおばあちゃんは台所で滑って足首を折ったとかで入院している。歳は76で、でも元気な人だった。私にいつもみかんをくれる。

 ――そんなにいらないのに。

 廊下に出るとガヤガヤと騒がしい。

 病院が静かなのは真夜中だけだ。昼間は意外と騒がしくどこからか音がする。

 私はパジャマのポケットを気にしながら、ナースステーションの前をそしらぬふりをして通り過ぎようとした。

 ――どうにかなりそう。

 中にかほりさんがいないのを確認して想った。

 ナースステーションの前を通り過ぎてエレベーターの前に来た。下行きのボタンを押して待つ。この間も目はナースステーションを見ている。

 ポンと音がして、エレベーターのドアが開いた。

 ――よしっ。

 私は開いたドアから中に入った。

 「あぶなかったー」

 エレベーターの階数のボタンを背にしてつぶやく。

 「何があぶなかったの?」

 奥から聞こえてきた声にギクリとする。

 そうっと目を開けると、かほりさんが腕を組んでいる。

 「御古都ちゃん」

 低い抑えた声が耳に響く。

 「病人は寝てなさい。お母さん呼んで来ようか?」

 「母さんはやめて」

 「なら、早くベットに戻りなさい」

 「かほりさん、見逃して。10分で戻ってくるから。ね? ねっ?」

 私は拝むように両手を合わせた。

 「だーめ。大方メールチェックに行こうとしてたんでしょ?」

 「そこまで分かってるんだったら、ねっ?」

 「だーめ」

 「ねっ、ねっ、いいでしょ? 友達いなくなっちゃうから」

 「それぐらいでなくなるなら友達じゃないです」

 「かほりさんはおばさんだから…」

 「!? 何か言った?」

 こわいよぅ…。中山センセ以上の人は初めてだった。白衣の天使なんてウソだ。白衣の悪魔だ。

 「……戻ります」

 「大変よろしい」

 私はしぶしぶエレベーターを出た。後から監視するようにかほりさんがついてくる。

 かほりさんはナースステーションに入ろうとして立ち止まった。

 「そうそう、御古都ちゃん。さっきロビーに仙台櫻華の制服着た子がいたわよ」

 「ウチの?」

 「そう、修明さんと話してたけど…」

 「母さんと?」

 ――誰だろう。思い浮かばない。

 「とにかくベットに戻って、温かくしてるのよ。いいね?」

 はぁいと生返事で返して、私は病室に戻った。

 ベットの上には、ちょこんとみかんがひとつ置かれていた。


―◆―


 病室に現れたのは亜里沙と優子だった。

 「やほ、ミコト。元気?」

 「元気だけど、ほぼ監禁状態」

 私は亜里沙の質問に肩をすくめた。

 「これ…」

 遠慮がちに優子が差し出したのはピンクのガーベラの花束だった。

 「叔父さんがウチの神社でケガさせてしまったって気にしてて…」

 「あれは優子んトコのせいじゃないでしょう。なんて言ったけ…? ほら…」

 「寺岡?さん?」

 「そう、てらおか?とかいうヤツのせいでしょぉ」

 「そうだけど、ウチの境内でケガしたことは変わらないから。修明さん、花びんどこ?」

 「花びんはないなぁ…」

 「ペットボトルかなんかでいいでしょ。ミコト、ある?」

 「ペットボトルなら…」

 私はベットの下に右手を突っ込んで空になったペットボトルを取り出した。

 「はさみかカッターある?」

 「そこの引き出しにあるよ」

 亜里沙が引き出しからはさみを取り出して、器用にペットボトルを半分に切った。

 「かして」

 優子が受け取り、病室の外に出て行った。

 「別にあんなに気にしなくてもいいのに」

 亜里沙が息を軽くはいた。

 「ミコトはそれで良くても、あの子はダメなの。自分が許せないの」

 「あれは事故で、優子は関係ないのに。あの場にもいなかったし」

 「それでも、自分の神社で友達がケガしたことには変わらないから」

 「でも…」と言いかけたとき、水が入ったペットボトルを持った優子が戻ってきた。

 優子は花束をほどいてペットボトルに生けた。

 「2人とも座ったら?」

 私はベットをたたいて言った。

 「じゃあ」

 亜里沙がベットに座る。優子は脇においてある丸イスに腰掛けた。

 「2人とも部活帰り?」

 仙台櫻華は休みの日でも学校に行くときには制服を着なければならない。

 「そうだよ」

 亜里沙がうなずく。

 「吹部はどう?」

 「うーん。14人しかいないから、なんとも言えないねぇ…コンクールにも出られないし」

 頬に手を当てて考えるように言う。

 「優子は?――そういえば優子って何部? 前に聞きそびれたけど」

 うつむく優子に代わって亜里沙が応える。

 「ゆーちゃんは弓道。昔からやってるんだよね?」

 うん、と優子がうなづく。

 「それより修明さん、今回は本当にごめんなさい!」

 ガバッと頭を下げる。

 「え!? 別にいいよ。優子のせいじゃないし」

 「そーだよ、なんていったけ?」

 「寺岡」

 「そー、あのてらおか?とかいうヤツがすべて悪いんだから」

 「でも…」

 亜里沙が優子の鼻をつまんで

 「もー、それ以上言わないの。ゆーちゃんの悪いクセだよ、それ」

 「いたいよっ!」

 手を振りほどいて優子が言う。

 「でもでも、ケガしたのウチの境内だし…」

 私はぷっと吹き出した。さっき亜里沙が言ったことと同じだった。

 「それなら大丈夫か…」

 亜里沙がほっとしたように言った。

 「心配してたんだよ、優子とここに来るまで、大丈夫かなって」

 「ごめん。すぐにラインかメールすれば良かったんだけど、監視が厳しくて…」

 私はペロッと舌を出した。

 「まぁ、そんなところだろうと思ったけど。それでミコトのお母さんに聞いたんだけど…けっこうヤバいんだって?

 「手首の骨折だって。全治3カ月。しかも後遺症が残るらしいんだ…」

 「後遺症?」

 「おそらくってことだけど、握力が元よりは弱くなることと、腕が完全には上げられなくなるだろうって…」

 「手だけじゃなくって、肩もなのっ!?」

 「手のつきかたが悪かったらしっくって」

 「やっぱりてらおか?に賠償請求しようっ! それがいいっ!!」

 「それは、母さんがやめときなさいって」

 「だけど、ミコト。一生なんだよ、一生。これからずうっとその状態と付き合っていかないといけないんだよ?」

 「それは…」

 私は黙ってしまう。

 ――亜里沙に言われなくても。

 言われなくても分かっている。この宣告を受けたあと、私は3日間ふさぎ込んで、3日間泣いた。

 左手のギブスをたたいて、つかんで、たたきつけた。たたきつけるたびにキズに響いて痛みが走った。それでも私はたたきつづけた。泣きながらたたきつづけた。

 痛みで感覚がマヒした頃に、佐藤さんが駈け込んで来て、腕にしがみついた。なおもたたきつづけようとする私の腕をがっちり抱きしめて動かないようにしている。

 ヴー

 私は諦めてうめき声をあげた。

 「いいかげんにしなさいっ!」

 佐藤さんの声が病室に響いた。

 「ここにはね、あなた以上につらい思いをしている人もいるの。その人の気持ちも考えてみなさいっ!」

 私はただただ悔しかった。

 何も言い返せない自分に。

 痛い左手に。

 歯を食いしばって嗚咽を飲み込もうとしても、次から次へと波のように押し寄せてきて、口からもれる。

 パアンと頬がはたかれた。

 キッと睨むと母さんが立っていた。後ろにかほりさんの姿も見えた。

 母さんの目は今まで見たことがないくらいに真剣で、一目で怒っていることが分かる。母さんにはたかれたのは初めてだった。

 「母さんには、分からないっ!」

 私は嗚咽まじりに叫んでいた。

 「母さんは私じゃないもの…」

 ポロポロと涙がギブスの上にこぼれた。

 「母さんは私じゃないもの…」

 繰り返す私を母さんは何も言わずに、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 あったかくて、やわらかくて。

 私は母さんの背中に手をまわしてぎゅっと抱きしめた。きつくきつく抱きしめる。

 母さんは何も言わなかった。それがただひたすらに安心できて、私は泣き続けた。

 「ミコト?」

 亜里沙が心配そうにのぞき込んでくる。

 「大丈夫?」

 私はハハハとから笑いして

 「へーきだよ」

 「そ、それならいい」

 「修明さん…本当に」と優子が繰り返すのを「ストップ」と言って止めた。

 「優子、もういいよ。優子は何にも悪くないんだから」

 「でも…」優子は、まだうじうじしている。

 「優子みかん食べる?」

 私はさっき戻って来たときに置いてあったみかんを差し出した。

 えっ…とか言う優子の方にみかんを放る。あわてて優子が胸のまえに両手を出してキャッチする。

 「ナイス」

 私は笑って言った。優子は頬をうっすらと赤くして笑った。


 ―chapter 5 大切な友達(吹雪)了―

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