モノクローム・ワールドドロップス

天川 涼

Chapter 1 憂鬱な日々(曇)

 駅の改札を通り抜けた。

 ピッという乾いた電子音とともにゲートが開く。周りを見渡すと真新しい駅舎に目がひかれる。

 平成27年12月仙台地下鉄東西線の開通。今まで大変だった高校までの道のりが少しだけ楽になる。楽にはなったけれど、私の心はいつまでも晴れない。

 電車に揺られて仙台駅に着く。ここで南北線に乗り換えて、八乙女の駅まで行く。さっきまでよりは少し混みかたが楽になる。座れないけど。

 そっと視線を下ろし、着ている制服を見る。黒のブレザーに車ひだのグレーのスカートなんの変哲もないありふれた制服だ。胸につけているスカイブルーのリボンが目を引く。ここだけが目立つ。そして、どこの学校だか一目瞭然だ。

 ――嫌だなぁ。

 制服は嫌いだ。それだけで判断する人が多いから。

 ほうっとため息をつく。

 ――本当はセーラー服の学校が良かった。


-◆-


 うだつの上がらない非常勤教員をしていた父さんが高専の助教に受かって仙台に来ることになったのが昨年の今頃だった。私は前橋の高校を受験するつもりでいたから、突然の仙台行きには正直とまどった。友達と離れるのも嫌だった。

 何度も「おばあちゃんちから通うから、行きたくない」と言ったけれど、ダメだった。

 おばあちゃんもおばさんも行ったセーラー服の学校に行くつもりでいた。憧れの制服だったのに。

 母さんも早々に次の仕事場を見つけ、父さんよりも早く仙台に行ってしまった。母さんのいない家で私は短い一人暮らしを強いられ、イライラが募る中での受験になった。

 とにかくセーラー服だけはゆずれない。

 そう思って、仙台の学校を調べた。

 公立は私の頭じゃ厳しいからせめて…と思い、少ない情報の中で緑のスカーフのセーラー服の学校を見つけた。

 それから、修学旅行で京都に行って以来の長距離新幹線でたどり着いた東北の街は雪がどっちゃりと降っていた。

 ――この街で暮らせるの?私?

 迎えに来てくれた母さんが言った「今日は大分少ないのよ」の一言が決定打だった。

 ――帰りたい。嫌だ。

 促されるままに母さんの軽自動車に乗り、運転する横顔を見ながらなんか広い通りを抜けていった。

 雪でほとんど周りは見えなかった。

 受験する気力もないまま流されるように試験を受け、そして見事に。

 ……落ちました。

 一応で受けた公立も。憧れのセーラー服も。すべてが手からすり抜けて唯一の滑り止めとして受けていた学校から、かろうじて合格通知をもらった。


-◆-


 キンコンカンコンとおきまりのチャイム音が響き、けだるい国語の授業が終わった。黒のスクールバックに教科書とノートを放り込む。

 「ミコト。今日、掃除当番だっけ?」

 かけられた声に振り返ると、亜里沙が立っていた。亜里沙はいわゆる今どきの女子高生って感じで、制服を少し気崩してスカートも絶妙のバランスで短くしている。

 「ううん」

 「じゃあ、一緒に帰ろっか。今日あたし部活ないし」

 かけなおしたバックでキキララが揺れた。

 「ごめん。今日当番なんだ」

 「図書の?」

 「そう」

 「そっか。じゃあ夜にラインするね」

 「わかった」

 バイバイと手を振りながら教室を出ていく亜里沙の後姿を見送った。

 「さてと」

 私も肩にバックをかけ、教室を出ていこうとした、その時クラス委員の優子に声をかけられた。

 「修明さん、三浦先生が呼んでたよ。部活の事で話があるって」

 「またかー、うざいなぁ。もう辞めたんだからいいでしょ。いつまで言い続けるかな、アイツは」

 私は口をとがらせた。

 「でも、一年生は全員義務だから、どっかに入れって…」

 「――。分かった。後で顔出す」

 それだけ言って教室を出た。


-◆-


 普通科の職員室は2階にある。4階からの階段を降りながら大きくため息をついた。

 ――めんどくさ。大体何で部活が義務なんだよ、いいじゃん。やらなくたって。

 ずり落ちてきたバックをかけ直した。

 職員室の入り口には入り方を書いた紙が貼ってある。

 なんだかなぁ…と思いながら、書いてある通りにする。

 まずノック。

 次にドアを開けて「1年3組21番 修明 御古都です。三浦先生に用があって来ました。失礼します」と言う。

 中から『はい』と返ってきたら、もう一度「失礼します」と言って中に入る。

 さっと見回して、奥の方の机に三浦センセの後姿を見つけた。まだ若い数学の先生でいつもお洒落なスーツに身を包んでいる。一部の子たちには人気がある。

 机で何か書いている横顔に「修明来ました」と告げる。

 顔を上げ眼鏡の位置を直すと「来たか」とだけ言われた。

 「ちょっと待って、すぐに終わるから。入り口にあるイス持ってきて座ってて」

 それだけ言って、顔を机に戻した。

 私はバックを足元に置き、入り口に戻ってイスを持って来た。

 ――長くなるんだ…嫌だな。

 「若生から何か聞いてる?」

 「はぁ…優子からは何も…」

 三浦センセは少し息をはいてから

 「修明、部活に顔出さなくなったのいつ?」

 「中間の後ですから…7月位からですかね」

 「ウチが1年生全員義務なのは分かってる?」

 「分かってますけど…」

 「分かってて、それか…」

 呆れるように言って苦笑いした。

 「どした修明、何かあったのか?揉め事とか」

 「特にないです」

 「文化部でも上下関係とかあるから、それかと思ったんだけどな…じゃあ、どした?」

 「だから特にないです。正直に言えば面倒くさいなぁ…と」

 「面倒くさい…か」

 そうつぶやいて、三浦センセは考えるように目を瞑った。

 「なぁ、修明。俺は別に部活に入らないといけないとか、やり続けることに意義があるとか、そういうことはどうでも良いと思ってる。でもな、一応義務って事になってるから、こればかりは変えようがない。とにかくあと三カ月、このまま過ごすのか、他に所属を変えるのか、決断をして欲しい。ただし、このままの状態でいくならこうやって俺の小言を定期的に聞くことになる。それはヤだろ?」

 「嫌ですね」

 「ならば、状況の方を変えるしかない。このまま行くと最悪、親の呼び出しもあるかもしれない」

 「親…ですか…」

 たかだか部活ごときで親の呼び出しを喰らっていてはたまらない。

 ――本当にうざいな、このガッコ。

 「とにかく、少しでも状況を変えてくれ。何かないのか? 中学は何やってた?」

 「帰宅部です」

 「え…? 中学は部活義務だろ? 内申とかあるから…」

 「普通に帰宅部でした。内申にも所属なしになってたハズです」

 「そうだっけか…? 宮城は義務のハズ…って、修明はここじゃないんだっけな、わすれてたよ」

 ハハハとごまかすように笑っている。この笑いだけは好きになれない。

 「はい。もういいですか? 図書室のカウンター当番なので」

 「まぁいい。とにかく、状況を変えてくれ。どこでも構わんから、所属を変えろ」

 「分かりました」

 私は立ち上がり、頭を下げた。

 バックを掴み、イスを持ちあげる。

 「失礼します」

 そのまま歩いて出口に向かう。

 イスをもとの位置に戻してから「失礼しました」と告げ、ドアを横に引いた。


-◆-


 カウンター当番の仕事を終えて、外に出ると真っ暗になっていた。冬だなぁと思う。

 マフラーに顔を埋めて、校門まで歩く。大学が同じ敷地内にあるから、校地だけは異様に広い。その割にグラウンドは狭い。体育館は大学と合わせて3つもあるのに。

 校門までの坂を下りながら空を見上げた。ねずみ色をしている。

 ――そういえば初めての冬だなぁ。

 仙台に来たのが今年の2月だったから、冬の真っ最中だった。3月に雪が降った時は正直に驚いた。これが東北の冬なのか…と想った。

 私は前橋の生まれで、物心ついたときには父さんは単身赴任のように関東中をうろついて職場を転々としていた。たまーに夏休みに帰ってくるくらいで、ほとんど会った記憶がない。看護師の母さんとほぼ二人暮らし状態で感じだった。

 母さんは日赤の内科の看護師をしていて、不規則な生活で家にいないことも多かった。そんなときはおばあちゃんの家に預けられていた。今思うとよく離婚しなかったなぁ…と想う。私だったら耐えられない。

おばあちゃんちにいる時、よく「娘時代」の話を聞いた。高校生の時は…とよく話してくれた。だから私も自然と同じ高校に行きたいと思ったし、なにより制服が可愛かった。

 よく連れて行ってもらったモールでその制服に身を包んだお姉さんたちは可愛くて、明るくて、楽しそうだった。絶対にあの制服を着るんだ! と想っていた。

 なのに、突然よくも知らない父さんが定職を見つけ、私はすべての憧れをひっぺがされ、あげくの果てに知らない土地に放り出された。これを絶望と言わずに何と呼べばいいのだろう。

 校門を出て、そのまま坂を下る。

 ウチの高校は小高い丘の上にある。自由の丘などとやたら綺麗な名前がついているけど、なんてことはない、ただただ通学に不便なだけだ。バスもあるけど、今の時間は歩いた方が早い。

八乙女駅まで歩くと30分はかかる。帰りはいいけど、行きは丘を登るので、学校に着くまでに疲れ切る。授業を受ける気にすでにならない。

 八乙女駅に着いて改札を通る。ここで地下鉄の南北線に乗る。八乙女の次は泉中央なので泉区になる。学校はギリギリで青葉区に入らない。

 仙台は北から泉区、青葉区、太白区と三つの区がならんで、海沿いに宮城野区と若林区がある。私が住んでいるのは太白区の八木山本町というところだ。母さんが勤めていた日赤のコネで、そのまま仙台の日赤病院に移ることになって、病院に近いところに新築のマンションを買った。結構な年数のローンを組んだらしい。父さんはここに永住するつもりらしかった。母さんも徒歩で職場に通えることをよろこんでいた。少しでも御古都と過ごせる時間が増えるから、だそうだ。

 私も一応、家から近い宮城の県立西高を受けて落ちた。第一志望だった私立の女子校にも落ちた。

母さんの新しい職場の人の紹介で、「とりあえず」で受けておいた家から一番遠い今の学校以外は全滅だった。

 太白から泉までいくのは仙台を縦断することになり、時間がかかる。しかも八木山は東西線が通るまでは陸の孤島状態で仙台駅からのバスも3ルートしかなく、本数も多いとは言えなかった。

12月になって地下鉄が通ったおかげで少しは楽になったけれど、仙台を縦断する生活には変わりはない。靴はHARUTAのいいやつを買ってもらっているけれど、もう5足目だった。

 ――ロフト寄ってから帰ろう。

 仙台駅で乗り換えずに改札を出た。

 地下鉄の出口を出るとバスターミナルの中に出る。JRと直結していないのは本当にめんどうくさい。向かい側にあるPALUCOまでは結構歩く。階段を上がりきってコンコースに出る。びゅうっと風が強くなり、思わず首を縮めた。

 ――あ、白百合だ…

 紺のセーラー服が目に入った。白百合の子達の制服はいつもきれいだ。テカテカが全くないし、スカートも膝できっちり履いている。清楚って感じだ。最初はココ! って思ったけれど偏差値が高すぎて諦めた。

 ――いいなぁ…

 すれちがいながらも目が追いかけてしまう。

 ――いいなぁ…

 そりゃあね。私もオンナノコですから。スカートの丈はバレないくらいに折って短くしてある。でも他の子よりは全然長い。鏡に映すとやりすぎるとバランスが悪い。足が気になる。亜里沙ほどのセンスはないから、ほどほどで止めている。

 駅舎を右手にしながら黄色の建物に入る。仙台に来て良かったと想うのは、こういうお店が多いことくらい。ロフトなんて一番近くても埼玉の大宮まで行かないとなかったし、行ったこともなかった。ましてや学校帰りに寄り道するとは思っていなかった。

 文房具のコーナーへ行き、新作がないかチェックする。私の唯一の趣味はこの「文房具集め」だった。

 ――あ、新色出てる。

 お気に入りのボールペンに新色が出ていた。でも、ちょっとババ臭い色だった。【常磐】とある。読み方が分からなくてクルリと回転させた。値札に【TOKIWA】とある。ときわ? この深緑が? まあいいかと思って手に取る。レジに行く前に通り過ぎようとした万年筆のコーナーで足が止まった。

 ――欲しいなぁ…

 覗き込んで値段を確認する。手が出ない。

 ――欲しいな…バイトしようかな…

 色とりどりに並んだ万年筆を眺めながら想う。

 ふと隅に並んだ壜に目が留まる。

 ――あ。綺麗。

 万年筆用のインクの壜だった。カバンを探って財布を取り出す。

 ――なんとかなるかな…


-◆-


 机の上のスタンドに買って来たインクを透かして見る。

 少し緑がかった青。「月夜」と名前がついていた。

 ――綺麗。

 そのまま机の上において覗いてみる。自然と笑みがこぼれる。

 カチャと音がして、ドアが開く音が聞こえた。

 「御古都ー、いるんならちょっと来てー」

 母さんの声がする。

 「はーい」壜を机に置いて立ち上がった。

 「ちょっと買い込んじゃった」

 これがちょっとなのだろうか。

 母さん愛用のエコバック1つとさらに大きい袋が2つ並んでいる。

 「母さん、こんなに何買ったの?」

 「柔軟剤が安くて。ほら、御古都の好きなフローラルグリーン」

 そう言って、袋の中に大量に並んだ柔軟剤の詰め替えパックを見せる。

 「いくら安いからって…そんなに使うの?」

 「使います。御古都のためにいつも多めに入れてるから」

 よいしょっとと言いながら、母さんは玄関に上がった。

 「とりあえず、洗濯機のところに運んどいて。母さんはこっちを冷蔵庫に入れておくから」

 「はーい」

 私は柔軟剤の入った袋を2つ持った。

 -重い。

 うんしょと力を入れて2つの袋を持ち上げる。

 脱衣所に入るとドラム式のピカピカの洗濯機が置いてある。

 父さんがボーナスだからと母さんのリクエストに応えて買ったものだ。どれだけ家事をやらせたいんだ。アイツは。さんざん家を空けておいて、コレか。今更マイホームパパ気取って。

 私は乱暴に袋を床に置くと洗濯機から離れた。

 リビングに入るとキッチンで母さんが鼻歌交じりに夕食の準備に取り掛かっていた。

 カウンターに回ってその様子を眺める。

 「母さん、1つ聞いていい?」

 「なぁに?」

 「その歌、いつも歌っているけど、何なの?」

 「あぁ…」と母さんはつぶやいて、うふふと笑った。

 「これはね、父さんが歌ってくれたの」

 「父さんが?」

 「そう、あの人カタブツだから、プロポーズも出来なくて。何時間も色々なところに連れまわせれて、そろそろダメかなぁって思い出した時に『梢さん、カラオケ行きましょう』だって。母さん笑っちゃった。もう時間も10時過ぎていたし、これからーって思った」

 「フツー断るよ、そこは」

 「でもね。真っ赤になって、必死に言っている姿を見たら、あ、可愛いなぁって」

 「それで行ったの…」

 「そう。でも勝手に10曲くらい入れて、しかも歌わないの。なんだかなぁ…って思って。終電も近かったから、限界かなぁと思い始めたときに、この歌を歌ってくれたの。音痴だったけど」

 「アホですか…」

 「そうねぇ…どっちもアホね。でも歌い終わった後に『梢さん、一生僕の側にいてください。幸せにします。必ず』ってうつむいて耳を真っ赤にしながら言ったの」

 「やっぱりアホだ。どっちも」

 「恋ってのは、結婚ってのは、アホにならないと出来ないの。御古都にもわかる時が必ず来る」

 「私は…」

 そんな日が来るのだろうか?想像も出来ない。

 「さ、御古都も手伝って。今日はカレー」

 「カレーかぁ…」

 「あれ? 好きでしょ?」

 「そーだけどっ!」

 私はカウンターから立ち上がり、母さんの待つキッチンに入った。


 ―chapter 1 憂鬱な日々(曇)了―  chapter 2 父と暮らせば(曇時々雪)

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