Chapter 2 父と暮らせば(曇時々雪)
階段を降りながらため息がもれた。
これから三浦センセに呼び出しを喰らっている。
――また、部活の話だよ。めんどくさい。
あの日以来、私は本当に定期的に呼び出されていた。1週間に1回のペースで。
うんざりする。
「ミコト!」
かけられた声に振り向く。階段の上から亜里沙が見下ろしている。
「んー」
「今日も例の?」
「そ」
「綱紀もしつこいねぇ」
綱紀は三浦センセの下の名前だ。私は言わないけど。
「本当に定期呼び出しとは思わなかった」
私は苦笑いする。
トントンと階段を降りてきた亜里沙が「ま、しょうがないじゃん」と言いながら頭をポンポンとする。
その手を払いのけて「亜里沙にはこのめんどくささが分からないんだよ。本っ当にしつこいんだから」
あれから何度も呼び出され、同じことを言われた。親の呼び出しはまだない。
「ふぅん。ま、がんばって」
亜里沙は後姿でバイバイと手を振った。
「そういえば聞いてなかったけど、亜里沙って何部なの?」
亜里沙は振り返らずに「吹部ですよー。今度定演あるから来ってねー♪」とだけ言った。
――吹部なんだ。厳しそ。
厳しそうな部活動と言えば、運動は野球部、文化は吹部だろうと想う。
楽そうなのは活動日が少ない茶道とか、華道のイメージがある。
私は演劇部に入った。
裏方の照明でもやって、のんべんだらりと高校生活を過ごすつもりでいた。
なのに。入ってみたら、外から見ているのとは全然違った。
照明希望だったのに、役者希望の人と同じメニューをやらされた。
発声練習から基礎体力作りまで。
理不尽だと想ったけれど、1年の我慢だと言い聞かせてだましだまし続けようとした。
その矢先。
――やめよう。思い出したくもない。
私は亜里沙がいなくなった階段をぼんやりと見つめていた。
ハッと気が付いて固く目を閉じて頭をブンブンと振った。
――ダメ。思い出すな。
深呼吸してから、よしっ! と想う。
さ、行こ。
-◆-
「修明 御古都、失礼します」
お決まりの手順を踏んで職員室に入る。
――あれ?
お決まりの席に、お決まりの後姿がない。
隣の現社の中山センセに聞く。
「済みません、三浦先生に呼ばれたんですけど…」
「三浦先生なら会議。教科会だな」
「いつごろ終わりますか?」
「さぁ…そこの予定だともうすぐのハズだな。数学科は時間通りに終わるからもうすぐ来るだろ」
「待ってた方が良いですか?」
「呼び出されたんだろ。当然。廊下で待ってな。戻ってきたらすぐに捕まえられるから」
「分かりました。ありがとうございます」
私は事務的に頭を下げた。
「――ちょっと待て。修明」
歩きかけていたところを呼び止められた。
「何ですか?」
振り返って聞く。
「現社のプリント明日〆切な。出していないのはお前だけだ」
「出しましたよ」
私は毅然と抗議する。現社のプリントなら、その日のうちに出した。
「そうか? ちょっと待て」
そう言ってなにか細長い手帳を確認している。
「いや。出ていない。チェックが入ってない」
「出しましたよ。その日のうちに。机の上に置いておきました」
ギョロっと睨み付けるような視線で「本当か?」と言われた。
「本当です」
「――分かった。後でもう一度探しておく。これでも無かったら再提出な」
「分かりました」
私は怒りを抑えて言った。
――自分が失くしたってことは認めないんだ。イラつく。
私は教員が嫌いだ。
平気でうそをつくし、えこひいきはするし、点数で人間を決めつける。
そして、父さんのように他人の子どもを優先して、自分の子どもは顧みない。偽善者だ。自分がそういう人間の子どもだと思うと怒りすら覚える。
「分かりました。もう一度家を探してみてなかったら再提出します」
「よし。プリントの予備があるから渡しておく」
ペラリと1枚プリントが渡された。
私はうんざりとしながら受け取る。
――どうせ出てこないから、コレやればいいんでしょ。
そのままバックに突っ込んだ。
「失礼します」
くるりと踵を返すと三浦センセの姿が入り口に見えた。
そして。お小言が始まった。
-◆-
――寒い。
お小言が終わって外に出るとやっぱり日は暮れていた。12月も半分以上終わっている。中間考査もこの間終わって、どれも平均点だった。
ウチは母さんも父さんも成績で何か言うわけじゃないけど、少しは気にしてほしい。
――関心ないのかなぁ…
息が白い。冬の訪れは早かった。東北の冬は本当に早い。
山はすでに白く染まっている。今年の2月の仙台駅が思い出されて憂鬱になる。
――雪が降るんだ…
そんな事を想いながら駅に向かって歩く。
この坂道にも慣れた。心なしか足が太くなっているのは気のせいだと思いたい。
見上げると鉛色の空が広がっている。のしかかるように広がり、少し息苦しくなる。
――帰ろ。
八乙女の駅について改札を抜ける。いつもと同じ動作を繰り返す。
ホームに登ると知っている顔がいた。
「陽子、今終わり?」
陽子がヘッドホンを外して「御古都、こんな時間までどうしたの?」
「三浦センセに呼び出し喰らって」
「何か悪い事でもした?」
「別に悪いことはしてないよ。ちょっと部活の事でさ」
「あぁ…」
陽子は足もとを見るように視線を落とした。
「御古都、あの事引きずってる?」
「うんにゃ」
私は首を振った。
「あれはしょうがないよ」
「そうだよね! しょうがないよね!」
陽子は顔を上げ、食いつくように私に顔を近づけてきた。
「ち、ちょっと陽子。落ち着いて、ね?」
私は陽子の気迫に負けて2、3歩後ずさりした。
「ごめん」
「陽子は何も悪くないんだから、いいじゃん。それで」
「でも…あたしだけが残って…止められなくて…」
「だから、その話はおしまいにしよ?ね?」
「うん…」
「あとどれくらいかなー」
私は陽子から離れて時刻表の所に行った。取り出したスマホで時間を確認する。
≪2番線、泉中央行電車が参ります。危ないですから黄色い線の内側まで下がってお待ちください≫
平坦なアナウンスが響いた。反対側のホームを見る。汽笛が聞こえ電車がホームに滑り込んでくる。巻き上げる風は冷たい。
仙台「地下鉄」である。地下鉄である以上、地下を走るべきだと想う。
――地下鉄かぁ…
振り返ったホームの後ろには住宅街が広がっている。
「御古都って動物公園だっけ?」
陽子が横に来ていた。
「そーだよ。バスの時と比べると楽にはなった」
「動物公園かぁ…小学校で行ったきりだなぁ」
「毎日通ってるとどうでもよくなるよ」
「御古都は行ったの? 動物園」
「行ってない。私も動物園は小学校で行ったきり。上野でパンダ見たよ」
「あたしは中学校の修学旅行が東京だったから、その時に行った。去年かぁ、それも」
ディズニーランドにも行ったよ、と話を続ける陽子の声を聞きながら私は寒いなぁ…と想っていた。
≪富沢行き電車が参ります…≫お決まりのアナウンスが聞こえた。
「乗ろっか」
陽子に声をかける。入ってきた電車が押しのける空気の冷たさに再び首を縮める。
プシューと音がしてドアが開く。
車両の真ん中あたりまで入り込んで吊革に掴まる。遅れて入ってきた陽子も隣に立つ。
変な電子音がして景色が流れ始めた。
「御古都は初めての冬だよね。大丈夫?」
「うーん。寒いのはヤダな」
「やっぱり寒い?」
「寒いよ。群馬じゃまだ雪山なんてみられないし」
「群馬は行ったことないなぁ」
「行かない方がいいよ。何にもなくて暑いだけだから」
「でも関東でしょ。東京近いよね」
「東京と言っても100キロあるし、電車で2時間かかるし、電車賃もったいないし。仙台の方が都会だよ」
「ふぅん、そうなんだ。あたしはまだ仙台から出たことないから」
「出る必要がないならいいじゃん。出なくて」
「そうかなぁ…」
「そーだよ」
「そうだ、じゃあ、ひとつ教えておくね。本格的な冬になったら地下鉄は注意して。遅れるし止まるから」
「なんで? 地下鉄でしょ? 雪関係ないじゃん」
「御古都、外見てみなよ」
え…と思って外を見てみる。森林が目に入った。
「地下鉄は地上を走る部分があるから雪の影響を受けるよ。遅れるし止まる」
「覚えておきます…」
この「覚えておく」を何度思い出すことになるのか、この時の私にはまだ分かっていなかった。
陽子を北四番丁で見送り、動物公園の駅から出ると一段と寒くなった気がした。
……はらり。
なにかが目の前を流れた。見上げると鉛色の空。視線を戻すとまたはらりと舞うものがあった。
……初雪。
冬が始まる。そんな気がした。
-◆-
家に帰ると何やらあわただしい。リビングに入ると母さんがキッチンの中を歩き回っていた。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
私はカバンとコートをその辺に放り出すとコタツに入った。冷え切った手足がとけてゆくような気がする。
――天国だ。ここは。
そのままぺたんとテーブルの上に顔を載せる。
テレビはつまらない情報番組だった。ローカルな話題を延々とやっている。
――地元の人これ、楽しいのかなぁ…
前橋にいた時も地元ローカルの群馬テレビがあったけれど、見た記憶がない。東京の局に比べると垢抜けなくてダサくてつまらなかった。
仙台に来て驚いたことの一つだった。私はそれまで日本全国どこに行っても同じものが見られると思い込んでいた。(思い出せば確かに京都では違ったものをやっていた気がする。)でも、違った。関東と他の地方は違うらしい。
手を伸ばしてリモコンを取った。
――何か面白いことやってないかな
局をザッピングしていく。どれも同じようなことをやっている。石巻や気仙沼の話題をこんなにやっても地元の人は行ったことあるから意味ないんじゃないかなぁ…と想う。
ぼんやりとテレビを眺めているとスマホが鳴った。
体を起こし放り出したカバンを漁る。
スマホを取り出してロックを解除する。
――なんだラインか。出るのめんどくさいなぁ…
想いながらアプリを立ち上げる。黄緑色の画面が出て誰かからメッセージが来ているマークがついている。
――誰だろ?
タップして中を確認する。亜里沙からだった。
〈やっほ、ミコト。今ヒマ?〉
〈ヒマと言えばヒマ〉
〈今ドコ?〉
〈ウチ〉
〈今から出てこれない? みんなでカラオケ行こうって〉
〈うーん〉
〈一番町なんだけど〉
〈やめとく。寒いし〉
〈そっか。じゃね〉
〈また誘って。ゴメンね〉
と返してスマホを放り出した。
「何、お友達?」
母さんが聞いてくる。
「うん。カラオケ行かないかって」
「そう。行って来たら?」
「いい。もう暗いし、また駅まで歩くのめんどくさいし、寒いから」
「また御古都のめんどくさいが始まった。そんなんじゃ今にぶくぶく太っちゃうわよ」
「いい。別に痩せたいとも思わないし」
まったくという声が聞こえた。
「母さん、今日のシフトは?」
「これから夜勤です。だから夕飯の用意急いでるんでしょう」
「そ。父さんは?」
二人きりの夜はどちらかと言えば嫌だ。今年に入って何回かあったけれど、私は自分の部屋から一歩も出ないでやり過ごした。
最初の頃はあからさまに大きな声で『みこと、テレビ面白いぞ』とか『飯くらい一緒に』とか『風呂に入れ』とか言っていたけれど、すべて無視した。
そして夏以降は顔も合わせていない。
前橋と同じ暮らしがあった。そうであってほしかった。壊されたくない。本気でそう思った。それに今さら父親に対してどう接すればいいのか分からなかった。
私は私の小さな世界を守ろうとしていた。
友達から離されたのも。
寒くて知り合いのいない土地に放り出されたのも。
こんなに遠い通学を強いられているのも。
セーラー服が着れないのも。
全部アイツのせいだ。
――今さら出てきて父親ヅラすんな。
私はそう思っていた。
-◆-
…古都。…御古都。
遠くから声がきこえる。
ふあっ。
変な声を出して周りを見る。
母さんの顔が近い。
「御古都。こたつで寝ると風邪ひくから、寝るなら布団に行きなさい」
「あ…ねてた…?」
「そう。制服がシワになるから早く着替えて、布団に行きなさい。母さんもう出るから。ご飯どうする?用意しといたけど、すぐに食べる? それとも眠い?」
見るとコタツの上に夕食が二人分作ってある。
私はぼうっとする頭で「寝る」と答えてコタツを出た。
「…いってらっしゃい」
「いってきます」
母さんがドアに鍵をかける音を聞いてから私はリビングを出た。
ペタペタと廊下を歩き、自分の部屋に行く。
機械的に制服を脱いで、少し迷ってから下着を外した。苦しいのは嫌だ。
猫の絵柄のパジャマに着替えてそのまま布団にもぐりこむ。
程なく訪れた眠気に身を委ねる。
すぐに私は深い深い眠りの淵へと落ちていった。
―chapter 2 父と暮らせば(曇時々雪)了― chapter 3 弓道少女(みぞれ時々止む)
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