Chapter 3 弓道少女(みぞれ時々止む)
コンタクトがズレた。痛い。
直したいけど今は授業中だ。鏡を出したらさすがに注意される。かと言って手を挙げて直しに行く許可をもらうのもどうかと想う。というよりも授業中に手を挙げるのが単純に恥ずかしい。
――限界。
手を挙げる。
前にいる英語の関本センセは黒板の方を見ていて気付いてもらえない。前まで歩いて行って許可をもらうのは嫌だ。目立ちたくない。
――どうしよう。
手を下げて考え込んでしまう。
トントンと背中がたたかれた。後ろの席の優子が「どうしたの?」と訊いてきた。
「コンタクトがズレちゃって…」
「痛いの?」
「かなり。もう限界」
「わかった」
そう言うと優子立ち上がった。
ギーとイスが床とこすれて嫌な音がした。その音に反応して関本センセがこちらを向く。
「どうした若生」
「先生。修明さんが先ほどから調子を悪くしているようです。保健室に行かせて下さい」
「修明、本当か?」
本当は保健室に行かなくてもトイレで済む話なんだけど。
「はい」と答えてみた。
「じゃあ、行って来い」
「ありがとうございます」
社交辞令で返して、私は席を立った。
増築したのか元々こんななのか、私は知らないけれど、ウチの学校は迷路のように入り組んでいる。
――保健室どこだっけ。
コンタクトはさっきトイレで外した。
今は教室を出る時に持って来た眼鏡をかけている。
痛みから解放されたとはいえ、この眼鏡姿であと1時間授業を受けるのは苦痛だ。
――似合わないなぁ…
私は小学校の4年生から眼鏡をかけている。中学2年生の時にコンタクトにかえた。重いものがなくなったことと視野に境界がなくなったことが単純に嬉しかった。
赤いアンダーリムのセルの眼鏡は家にいる時はかけているけれど、学校でかけることはめったにない。
昔この眼鏡のせいで随分いじめられた。メガネザルと男子にあだ名をつけられた。何かにつけて『メガネ~』と言われ続けた。
私は眼鏡が嫌いだ。
今はオシャレのアイテムとして伊達眼鏡をしている子もいるけれど、見ると単純にイラつく。
実用でかけなきゃいけない人間の身にもなれ、と思う。こいつのせいで私がどれだけ苦痛を味わったか分かってるの?
近眼は遺伝するとかいう人もいる。母さんは目が悪くない。父さんは悪い。
――ムカつく。
こんな遺伝だけ残しやがって。あんたなんかに似たくなかったのに。
考え始めるとムシャクシャした。
イライラしながら廊下を歩く。正面に保健室のドアが見えた。
-◆-
教室に戻ると優子が駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「うん。へーき」
「そう。心配してたんだよ」
「まぁ、外せば済むことだから」
「にしても、カワイイね。その眼鏡。どこの?」
「Jin’sの。前橋にいた時に買ったんだ」
「そう、いいなぁ…似合う人は」
優子は自分の眼鏡を外した。
――へぇ…と想う。
ずいぶん印象が変わる。
――意外と美人だな…
優子はセルの黒縁でレンズが大きな眼鏡をかけている。髪は背中までの長さで2つにお下げにしている。制服も少し大きくなんとなく体に合っていなくて、ズルッとした感じ になっている。すべてが小さな体とは不恰好でバランスが悪い。典型的な地味っ子だった。
優子はもう少し体に合った制服着た方がいいよ」
「うん…お母さんが『まだ大きくなる!』って言って、一つ上のサイズの服を買ったから…もう伸びないのにね」
「そうなんだ…」
私は制服を作る時に店員さんに、なるべくスカート丈を短くしてくれるように頼み、身長の記入欄もちょっとごまかした。
「優子はもう少し細いフレームの方が似合うんじゃないかな」
「私が!?」
「ないよ。それは」
「駅前のロフトにzoff入ってるよ。行ってみたら? 一番町にJin’sあるらしいし」
「いいよぉ、私はこれで。あんまり派手なの似合わないから」
「そうかな」
「そうだよ。それより修明さん、これ」
一冊のノートが差し出された。
「あのあと書いてないでしょ」
「サンキュ」
受け取って2人で席に戻る。
クラスの子達にもっと何か言われるかと思ってたけど、なんにも言われなった。
休み時間はみんなスマホをいじっていて周りを見ていない。男子はゲームを女子はラインやフェイスブック、メールをやっている。
私も自分のスマホを取り出した。
入学祝で買ってくれたものだった。母さんから携帯電話会社の紙袋を渡されたときは本当に嬉しかった。けどすぐに絶望に落とされた。
私はiphoneが欲しかったのに、箱はSONYと書いてあった。XPERIAだった。
「何でiphoneじゃないのっ!」
私は母さんにかみついた。
「弥生さんがアップル好きじゃないから…」
「また父さん!もういいよ」私は箱をテーブルに放り出し、自分の部屋に戻ろうとした。
「ちょっと御古都! 待ちなさい!」
母さんに腕をつかまれた。
「もういい。母さんにはわからないっ!」
私が叫ぶと母さんの手を振りほどこうとした。
「いいかげんにしなさいっ!」
母さんが怒るのを久しぶりに見た。
「母さんも一緒に買いに行ったの。母さん御古都はiphone欲しがってるって、ちゃんと弥生さんに言った」
「じゃあ、なんで!」
「弥生さんはね、ちゃんと2つを比べてこっちを選んだの。みことは小さい時にお気に入りのぬいぐるみを池に落として泣いてたからって。完全防水のものを店員さんに訊いて、それでそれにしたの。これで大丈夫だろうって」
今でもはっきり覚えている。
お気に入りのだった熊のぬいぐるみ。どこかのお寺に家族で行った時に私は泳いでいる鯉に目を奪われて近づいて行った。1歩、2歩と歩いていたら突然足の裏の感覚がなくなった。
ドボッと音がして、私は水の中にいた。
すぐに引き上げてもらったけど、熊のぬいぐるみは池の中に沈んで戻ってこなかった。
そんな訳で私のスマホはXPERIAなのだった。
「…ねぇ。ねぇ…」
誰かに呼ばれた気がする。背中をトントンをたたかれた。
振り返ると優子が指を1本立てて背中をつつく姿勢で固まっている。
「なぁに」
「ずっと気になってたんだけど、それ初音ミクのモデルだよね」
「知らない。親が買ってきたヤツだから」
「それ全国で3万9千台しかないんだよ」
「3万9千もあれば充分でしょ」
「いいなぁ…私も欲しかったんだけど、買ってもらえなくて」
「優子、こういうのに興味あるの?」
「え…私は…」
大きな眼鏡の下の頬が少し赤くなった。
「な、ないよ。全然」
てのひらを顔の前でぶんぶんと振る。
「そう、じゃあメアド交換する? まだ優子とはしてなかったし」
「う、うん」
優子は少し慌てた感じで、バックに手を入れた。
優子が取り出したのはガラケーだった。しかもらくらくホン。
「これって…久しぶりに見たよ。おばあちゃんが持ってた」
「ごめんね。引くよね」
「いや、引きはしないけど」
「私、機械苦手だから、親が心配して…」
「それで、コレなんだ」
「私は大丈夫って言ったんだけど…」
「ま、いいやラインのIDも教えようか?」
「私ラインやってないし、これで出来るのかな?」
「ちょっと見せて」
はいと言って優子はらくらくホンを渡してくれた。
画面ちっさ。見にくいなぁ…
iモードに接続してラインを検索する。このあたりはおばあちゃんの携帯と同じだ。出てきた。どうやら使えるみたいだけど、何となくめんどくさそうな雰囲気がする。
「出来そうだけど…」
「出来るのっ!?」
優子の目が輝いている。
「でも、ちょっと大変そう」
「そっかぁ…」
優子がしゅんとしぼんでしまった。
「で、でもメールは出来るんだから、大丈夫。私もラインあんまりしないし。赤外線どこ?」
私はらくらくホンを優子に返した。
-◆-
――あ、八乙女持っていかれた。また同じ人だよ。
次の駅にチェックインをかけてみる。リンク失敗。こっちも同じ人。
これじゃあ、いつまで経ってもレベル上がんないよ。と想いながらも懲りずに続けている。
今は泉中央に来ている。なんとか5回目で駅を手に入れた。ホームの反対側に移り、電車を待つ。あとは仙台から先かぁ…富沢まであと8駅ある。学校帰りに足をのばしてもいいけど、めんどくさい。
とりあえず仙台で乗り換えて、今度は東西線にチャレンジする。
大町西公園駅で何とか不在のタイミングでリンクを成功させた。国際センターは失敗。川内も失敗した。
「ちきしょう、ひまな大学生め。東北大なら東北大らしく勉強してろよ」ぽつりとつぶやく。
青葉山も失敗。
ヴーと想っていたら、スマホが震えた。
メールを確認すると優子だった。
<こんばんは。若生です。届いていますか?>
<届いています。優子は今ドコ?>
<まだ学校です。部活中です>
<いいの? メールなんかして>
<今は休憩中です>
<優子って何部?>
しばらく経っても返信はなかった。休憩が終わったのだろう。
私は動物公園駅のホームのベンチから立ち上がった。
――帰ろう。
外に出るとみぞれが降っていた。
――雪の方が楽なんだけどな…
私はカバンから桜色の折りたたみ傘を取り出した。
今日は12月22日。明日から冬休みだ。
-◆-
冬休みだからと言って、何か特別なことをする訳ではない。
コタツにもぐりこんで駅メモをやっていた。出あるかないから他の電友さんには悪いと思いながらも動物公園駅をリンクし続ける。
「御古都。ヒマならお願いがあるんだけど」
キッチンから母さんの声がした。母さんのお願いは基本的にめんどうくさい。
「今忙しい」
「どうせゲームやってるんでしょ。たまには外の空気吸って来なさい」
「えー、いいよぉ」
「良くないです」
母さんがキッチンから出てきた。手にはトトロの弁当袋を提げている。
「これ、弥生さんに届けて」
「えー、やだ。父さんに会いたくない」
「嫌じゃありません」
「母さんが行けばいいじゃん」
私は食い下がった。
「母さんはこれから仕事です」
「今日は休みじゃないの?」
「さっき電話が来て、忙しいから手伝いに来てくれって言われたの」
「休みだって言えばいいのに」
「赤ちゃんは時間を選んで産まれてきません」
母さんは仙台に来て内科の看護師ではなく、助産師として働いている。
「そうなんだろうけど…でも!」
「御古都は夜中の3時に産まれてきました。大変だったんだから…みんなが仕事終わってるのに待っててくれて、先生なんか6時間以上も付き添ってくれてたし。それに…」
「ああ、はい。分かりました。行きます。行けばいいんでしょ」
投げやりに言うと、母さんはにっこりと笑って、「ありがと」と言うとトトロの弁当袋を手に押し付けた。
「で、どこに行けばいいの? 高専?」
「今は集中講義で仙台櫻華学園大学に行ってます」
「仙台櫻華ってウチの大学じゃん。八乙女まで行くの? 嫌だ」
「いやだじゃないの。一度行くって言ったんだから行きましょう。定期切れてないでしょ?」
私はしぶしぶ部屋に戻り定期券を確認する。今日まで使える。
――やだなぁ…
想いながら部屋着を脱ぐ。暖まっていない部屋の空気は肌に優しくない。震えながら制服を着る。休み中でも校内に入る場合は制服着用だった。私服でもバレなさそうだけど、これ以上三浦センセのお小言のネタを増やしたくはない。スカートを折ろうとして、止めた。少しでも露出を少なくして寒さを防がないと。さらに黒のタイツを履く。鏡で 見ると足が少しだけ細く見えることに満足した。
-◆-
結論から言うと父さんと会うことはなかった。
どこの教室で講義をしているのか分からず、高校の職員室に助けを求めた。現社の中山センセが部活の指導のために来ていて大学の方と連絡を取ってくれた。私は言われたままに百周年記念棟に行き、大学の事務のお姉さんにトトロのお弁当袋を渡した。
去り際に「修明先生の娘さんだって」「似てない」などの声が追いかけてきたけど無視した。
建物から出るとみぞれが降っていた。
桜色の傘をぽんっと開く。傘のナイロンに当たる音がシャッとポツの2つあることに気づく。
――そういえば今日はクリスマス・イブだったなぁ…
ホワイト・クリスマスをは良く言ったものだとやたら感心した。小さい頃はそれに憧れたりもしたけれど、こうやって目の前にぶら下げられると、結構どうでもいい。
スマホを取り出す。
16時28分夕飯にはまだ少し早い気もする。
――そうだ。リンクは!
さっき八乙女の駅に着いた時に、不在を狙ってリンクしておいた。
――あ!やっぱり解除されてる。しっかりしてよ、みろく。
もう一度チェックインを試して、リンクが出来ないことを確認してから、スマホのスイッチを切った。
入り口から入ってくると大学の校舎は奥の方、その奥にグラウンドがある。
私は校門に向かって歩き始めた。駐輪場の前を過ぎて、右手に大学校舎、左手にプールがあるところまで来て、ふと足が止まった。
プールの奥にある弓道場に電気がついている。誰かが出てきてゆっくりとした動作で弓が上がり静かに広げられていく。こちら側からだと後ろ姿しか見えないけれど、動きに一切の無駄がない。
カンッ…
右側から音がしたと思った瞬間、左側からパンッと音がする。
目を凝らしてみると的に矢が刺さっている。羽が6つ見えた。
――全部、当たってる。
私は建物の方に視線を戻した。
もう誰もいなくなったところにさっきの後姿が重なった。背中に垂れるまとめられた髪。白の上着と黒の袴、白い足袋。真剣なまなざし。
――綺麗。
ただそう想った。胸がなぜかドキドキする。
――なんだろう。
高鳴る鼓動の正体が分からず、でもすごく嬉しい気もして、私はなぜか駆け出していた。仙台駅でフレッシュネスに行こう。
いつのまにかみぞれは止んでいた。
―chapter 3 弓道少女(みぞれ時々止む)了― chapter 4 神社と巫女と(雪)
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