氷を抱いて眠る僕

 お向かいの山田さんから紫蘇を頂いた。毎年恒例のお裾分け。夏到来である。


 僕は紫蘇が好きだ。両面緑色の、いわゆる大葉というものが。刻んで冷奴に乗せるもよし。てんぷらにするもよし。豚バラと一緒に巻いて焼いたものも美味しかった。


 しかし一番はやはり、サーモンの刺身と一緒にパクリ、である。脂がのった、肉厚の、ほんのりと甘い一切れに、大葉を乗せて、口の中へ。舌でサーモンの旨みを味わいながら感じる、鼻に抜けていくツンと爽やかで素朴なのに、どこか雅やかな香り……


 決めた。今日の夕飯はサーモンのどんぶりにしよう。まだまだおやつの時間だが、スーパーは空いているはずなのでかえってちょうどいい。売り切れてしまってスモークサーモンしか残っていない、なんてこともないだろう。スモークサーモンもあれはあれで美味しいが、今日は新鮮な刺身の気分なのだ。新鮮なうちに買いに行かねば。

 僕は意を決して、でろりとした空気に満ち満ちた、外の世界へと踏み出した。


 スーパーの冷えた空気が、体に絡みついていた熱気を一気に削ぎ落とした。反射的に体表面を駆ける、かすかな震えが心地よい。

 思わず恍惚としそうになるのを抑えて、傍らの買い物カゴを手に取った。入り口でうっとりと立ち止まるなど、ただの変人である。下手したら不審者だ。こんなことでご近所さんにヒソヒソされるのは避けたい。田舎の世間は狭いのだ。


 新鮮でおいしいサーモンを直感で選び、早々に魚売り場を後にする。向かうのは冷凍食品売り場だ。ここがスーパーの中で一番涼しい。商品を物色するふりをして涼む。至福のひとときである。

 極楽極楽、とひとりごちながら、つらっと商品を眺めてみる。すると、売り場のレイアウトが変わったのか、アイスクリームが冷凍食品コーナーに進出していた。たまにはアイスもいいかもしれない。氷のような、ジャクジャクしたアイスが食べたい気分だ。


「あ、シロクマさん!」

 声をかけられて振り返ると、山田さんの孫娘、千恵里ちゃんが立っていた。お友達も一緒である。二人ともビニールの水泳バッグを肩にかけ、すとんとしたワンピースを着ている。スイミングスクールにでも行ってきたのだろう。習っていると以前聞いた記憶がある。

「やあ」

「誰?」

 千恵里ちゃんのお友達が小首を傾げるようにして聞く。

「シロクマさんだよ」

「白井熊三です。千恵里ちゃんちのお向かいに住んでます」

 訂正するようにフルネームを名乗る。

 まあシロクマさんでも特に気にしないが。

「ふうん」

 二メートル近い僕を物珍しそうに見上げながらお友達は呟いた。名乗る気はないようだが気にしない。

「スイミングの帰り?」

「うん。アイス買いに来たんだ。シロクマさんも?」

「まあね」

 そう言ってアイスのケースに目を移す。すると、「しろくま」というアイスが目に入った。その響きになんとなく親近感を覚える。

 ミカンやイチゴなんかのフルーツが乗った真っ白いかき氷のようなそれは、口に含んだら絶対、今僕が求めているジャクジャクが楽しめるだろう。

 僕は期待を胸に、「しろくま」をカゴの中に座らせた。二人には共食いだと揶揄されたが、大人の余裕で笑ってかわした。


 外に出ると、まるで冬用の毛布でもかぶせられたような不快感が襲いかかってくる。毛足の長い熱風がひどく不快だ。まあ、僕の体毛ほどでもないが。


 僕の名前は白井熊三。

 渾名はシロクマさんだし、本当にホッキョクグマだ。




お題:紫蘇・シロクマ・夏


しろいくまぞう君です。「しろいくまさん」とも読めます。

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三題噺 加代 @sleepingwhite

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