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@se_k_i
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終電をなくしたその日、初めて漫画喫茶なるもので夜を過ごした。
始発が動き始める頃に店を出て、自宅の妻に連絡を入れようとした時、
携帯電話がないことに気がついた。どうやら漫画喫茶に忘れてきたようだ。
漫画喫茶にとって返し、カウンターで問い合わせをしたところ、幸運にも私の携帯電話は忘れ物として店が預かっていてくれていた。間違いようのない、銀のボディに3本の爪痕のような傷がついた我が携帯電話。
「お渡しに際して身分証のご提示をお願いいたしております」
自分のものなのに、と思ったが個人情報の塊なので仕方がないのだろう。嘘をついて持っていく輩がいないとも限らない。私は免許証を店員に渡し、コピーを取らせた。免許証と携帯電話は無事、私の手元に戻ってきた。開くと待ち受け画面にしていたある女性歌手が微笑んでいた。
「さて、電話しないと」
店を出て電話を掛けようと電話帳を開こうとしたその時、画面が切り替わり着信を告げる表示になった。
そこに現れた番号を見て私は顔をしかめた。その番号は私の携帯電話の、つまり今持っているまさにこの携帯電話のものであった。同じ番号が存在するなんてことがあるのだろうか。
気味が悪かったが私は通話ボタンを押した。
「もしもし」
電話先の声から男のようだった。
「すいません、この携帯電話の持ち主の方でしょうか」
男の声はいかにも事務的な、さして特徴を見いだせないものだった。
「どういう意味でしょうか。この携帯電話は私の物ですが」
「ええっとですね、実はあなたが持っている携帯電話は私の物なのです。私が持っているのがあなたの物で」
「そんなはずはないと思いますよ。私の携帯にはわかりやすい傷がついていますし」
「引っ掻き傷のような、3本の線ですよね」
「え、なぜそれを」
私は動揺した。傷が似ているからと他人の携帯を持ってきてしまったのかと思ったからだ。何か悪いことをしてしまった時のような居心地の悪さを感じた。
「僕は漫画喫茶に携帯電話を忘れました。それで取りにいったらちょうど忘れ物が届いているというので受け取りました。こんな傷がついた物が他にあるなんて思いもしませんでした。どうもすいません」
「いや、それはこっちもちゃんと確認しなかったので。でも、待ち受け画面も同じって凄い偶然ですね」
「それがちょっと問題でして」
男の声色が変わった。
「ドッペルゲンガーというものをご存知でしょうか」
「あー、確か自分がもう1人みたいなやつですよね」
「そうです。あなたの携帯電話と私の携帯電話はまさにそれなのです。傷や待ち受け程度なら似た物はいくらでも存在します。問題は電話番号です」
「それは携帯会社の手違いとかではないんですか」
「違います。それはあり得ません。ともかくドッペルゲンガーは出会ってはいけないのです。私は今からこの携帯電話を漫画喫茶に戻しに行きます。あなたにもその携帯電話を漫画喫茶に戻していただきたい」
男の話によるとドッペルゲンガーは出会うと両者が死ぬ、とのことなのでハンカチか何かに包んで預けて欲しいとの願いだった。こうして電話ができたということは預けられていた時も別々に保管されてたおかげなのだという。
リスクを極力避けるべく受取時間もずらすという話になり、先に電話先の男が預けに行き、私が受け取って代わりにこの携帯を預ける、ということで話がついた。男はそれではお願いしますと口にして、通話は終わった。
私はポケットから皺くちゃの藍色のハンカチを取り出し、携帯電話を包んだ。男に指示された時間に漫画喫茶に戻ると、カウンターにいた先ほど応対してくれた店員が気づいて、声をかけてきた。
「あ、お客様ちょうどよかったです」
「携帯電話でしょ。相手の人と話はしたから。聞いているかもしれないけど、これね」
私は小汚いハンカチで包んだ携帯電話を店員に渡した。店員は信じられないような顔をしてそれを受け取った。そこまで汚くはないと思ったが、店員がそんな顔をした理由はすぐにわかった。
「お預かりしている物はこちらになります」
代わりに店員が差し出したのは、今まさに私が渡したようなハンカチに包まれた携帯電話であった。色はもとより、皺の形まで同じに見え、あまりにも気味が悪かった。
私はハンカチをめくって携帯電話を確認した。今預けたばかりの携帯電話が現れる。わかりきっていた事とはいえ、何かに騙されているような気分だった。
店員に聞いてみたが、これを預けた人間との応対は別の店員が行い、最初の受け渡しに関してもこの店員は関わってはいないとのことだった。
「お客様のでお間違いないでしょうか」
「それはすぐわかる」
携帯電話を開いて発着履歴を呼び出す。私の番号が発信履歴に残っていた。
「うん、大丈夫っぽい」
私は先方によろしくと店員に伝言を預けて店を出た。私は自宅に電話する前に、男がしたように自分の番号に電話を掛けた。3回掛けたが3度とも話し中になり、電話が取られることはなかった。
私は諦めて自宅に電話した。寝起きの妻の小言を聞き流し、朝の出来事を話した。
「そういえば昔友達と似たようなことしたわ。自分の携帯で自分の番号に掛けたらどうなるのかって。確かにずっと話し中だった覚えが」
「そりゃそうだよな、この携帯電話で電話しているんだから」
「じゃああなた、誰と話していたのよ」
「え、誰って……」
「機械のドッペルゲンガーなんかより、そっちの方がよっぽどよ」
「ええ、ほんとうに」
背後を誰の声ともわからぬ囁きが通り過ぎて行った。
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