プレゼント

 短い秋が終わり、早くも冬場にさしかかりだした気候の中、教室の黒板には栄養素の名前が書かれていた。


 たんぱく質、炭水化物、脂質、食物繊維、それぞれが多く含まれる代表的な食品が羅列されている。


 家庭科。


 直接、普段の生活に活きるくらい、役立つ学問のはずなのに、教科としては影が薄い。


 そんな影の薄さにのっとって、まんまと教科書を家に忘れてきてしまった僕は、とりあえず黒板の文字をひたすらノートにうつすしかなかった。


〝芯条くん〟


 季節がどんなに変わっても、変わらずに続くものもある。たとえば、沙鳥のテレパシーなどだ。


 僕、芯条信一と斜め前の席の女子、沙鳥蔦羽は、声を出さなくても言葉のやり取りができるテレパスである。


〝芯条くん、芯条くん〟


 そして、そんなテレパシーの能力を使って、別にテレパシーで伝える必要もないことを伝えてくるのが、沙鳥という女子だ。


 どうせ無駄な会話になる。第一、今は授業中だ。沙鳥の呼びかけになんて答えている場合ではない。答えないぞ。


〝芯条くん、わかっていますよ〟


 何がだ。


〝なぜ芯条くんが、私の呼びかけに答えてくれないのか。そう、それは――〟


 なんだ。


〝反抗期ですね〟


〝誰がだ〟


 いわれのないレッテルを貼られてしまい、思わず答えてしまった。


〝おや、芯条くん。答えてくれたということは、反抗期ではなかったのですね〟


〝なんで僕が沙鳥に反抗期を迎えるんだよ〟


 普通は親に反抗するものだろう。


〝ということは、今まで通り、従順期ですね〟


〝誰がだ〟


 沙鳥に従順だったことはない。


〝まあです。何期でも構わないのですが、相談に乗ってもらえませんか〟


〝ちょっとあとにしてくれよ〟


〝わかりました〟


〝珍しくあっさりひいたな〟


〝従順期なので〟


〝助かる〟


 それから、十秒ほど経つと、沙鳥はまた念を飛ばしてきた。


〝で、相談なんですけど〟


〝従順はどうなった〟


〝言われた通り、ちょっとあとにしました〟


 子供みたいな理屈。


 沙鳥に従順期などあるはずなかった。


〝実は、前に話してた、妊娠してた親戚のお姉ちゃんなんですけど〟


 確かに前に話してたな。まだ生まれる前なのに、いつか話して聞かせるための昔話を考えるとか言いだしたんだ。


〝あのお姉ちゃんが、まだ妊娠してるんですよ〟


〝なんだその報告〟


 普通、生まれてから報告だろ。


〝その親戚のお姉ちゃんにはお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんが来週生まれたんですよ〟


 時制がおかしい。


〝どういうこと?〟


〝ですから、お姉ちゃんのお兄ちゃんが、四十年くらい前の来週の日付に生まれたんです。そして、そのお姉ちゃんのお兄ちゃんから、私が生まれたんです〟


 とても複雑だけど、整理すると。


〝来週、沙鳥のお父さんの誕生日ってこと?〟


〝わかりやすく言うとそうです〟


 なぜわかりにくく言った。


〝誕生日といえば、プレゼントとケーキなのです〟


〝まあ、そうだな〟


〝じゅるる〟


 自分で言った単語に脳内ヨダレをだす沙鳥。


〝ケーキのことはいったん忘れるとして。じゅるる〟


 忘れてない。


〝毎年、母と一緒にプレゼントをあげているのです。今年のプレゼントを考えねばなりません。そこで芯条くん、同じ男子として何をもらったら嬉しいか、意見を聞かせてください〟


〝同じ男子って、四十年くらい前に生まれたんだろ?〟


 お父さんは。


〝地球が生まれてからの何億年の歴史に比べたら、四十年も十四年も同じです〟


 比べたら、そりゃそうだけど。


〝お母さんはなんて言ってるの?〟


〝母は基本、私に丸投げです〟


 いいのか、母。


〝沙鳥は今のところ、何をあげようと思ってるの?〟


〝いくつか候補はあるのですが〟


 なんだ、ちゃんと考えてるんじゃないか。


〝まず、肩たたき券です。これを使うと、私がいつでも父の肩をたたいてあげるのです。ちなみに十枚です〟


〝……他には?〟


〝他は、お手伝い券です。これを使うと、私がいつでも父のお手伝いをしてあげるのです。こちらは五枚です〟


〝……あとは?〟


〝似顔絵券です。これを使うと、私がいつでも父の似顔絵を私が描いてプレゼントしてあげるのです。こちらは三十枚です〟


 そんなに似顔絵いらない。


〝大サービスで、この三つセットという手もありますね〟


〝なあ、沙鳥。沙鳥っていくつだっけ?〟


〝芯条くんとタメです。十四です〟


 よかった。ちゃんと自分の歳をわかってはいた。


〝今あげたやつ、どれも四歳くらいの子が贈るやつだよ〟


〝芯条くん。地球が生まれて何億年の歴史に比べたら、四歳も十四歳も同じです〟


 比べたら、そりゃそうだけど。


〝人間の十年はだいぶ違うだろ〟


〝それでは、大盤振る舞いしましょう。三つとも百枚プレゼントです〟


 たぶん死ぬまで使い切らない。


〝肩くらい、券なくても叩いてあげなよ〟


 四十くらいの父ならば。


〝お手伝いも自分からしなよ〟


 中学生ならば。


〝うーんです。でも、父の手伝いとなると、お仕事の手伝いということもあります〟


 確か沙鳥のお父さんは刑事だった。


〝凶悪犯の取り調べのお手伝いとなると、券なしではちょっと〟


〝そこまで手伝わなくていいけど〟


 というか、手伝っちゃだめだけど。


〝似顔絵はもらっても困るんじゃないかな〟


 中学生ともなると。


〝ちっちっちです、芯条くん。似顔絵といっても、園児がクーピーで描くようなものではありませんよ。水彩でキャンバスに描きます〟


〝……余計やめた方がいいと思う〟


 校舎の絵が奇怪な虫の怪物になるのが沙鳥の画力だ。


〝去年は何あげたの?〟


〝去年は、爪切り券で、その前は耳かき券です〟


 毎年、券。


〝その前は肩たたき券でした〟


〝かぶってるじゃん〟


〝そうなのです。そろそろ券のアイディアが尽きてきたのです。そこで芯条くんの知恵を借りたかったのです。どんな券が良いと思いますか〟


〝券はもうやめたら?〟


 まずは。


〝なるほどです。もう力で争う時代ではない、剣を捨てろと〟


〝そっちの剣の話だっけ〟


〝剣を捨てて、銃を手にとります〟


 結局、暴力の時代。


〝あ、そうです。銃をプレゼントするのはどうです? せっかく刑事ですし〟


 何がせっかくなんだ。


〝だめだろ〟


〝まあ確かに、銃はきっと間に合ってますよね〟


〝そういう問題じゃない〟


 法的にだめだ。


〝何かもっと普段から使えるものをあげたら? 身につけるものとか〟


〝うーんです。父がいつも身に着けているものですか、そうなると……〟


 沙鳥はちょっと悩んでから念じてきた。


〝結婚指輪です〟


 そりゃ身に着けてるだろうけど。


〝結婚指輪を、新たにプレゼントするのはどうです?〟


〝だめだろ〟


〝まあ確かに、間に合ってますよね〟


〝そんな言い方はしない〟


 間に合っているとは思うけど。


〝うーんです。でも、それ以外のものも、父が普段から使っているものならば、それはもう間に合っていると思うのです〟


 まあ、もっともではあるけど。


〝沙鳥。銃と指輪はともかくさ。別に間に合ってるものをプレゼントしたっていいんじゃないの〟


〝いいんですか?〟


〝プレゼントって結局、プレゼントを考えてくれたっていう気持ちの問題なんじゃないかな〟


 ものが何かというよりも。


〝なるほどですが、芯条くん。それは贈る側が言うことではないのです〟


 一理あった。


〝それに、それならば、券でもいいのではないですか〟


 めちゃくちゃ一理あった。


〝確かに〟


〝決めました。やはり、券にします〟


〝三点セットの?〟


〝三点セットを、さらにグレードアップします。たとえば似顔絵券は、そうですね……。水彩ではなく、ポスターカラーになります〟


 それはグレードアップなのか。


〝お手伝い券は、そうですね……。お手伝い券(手料理も可)にしましょう〟


 手料理は含まれてなかったのか。


〝あとは、肩たたき券ですね……。これには、肩たたき券(肩もみも可)とします〟


 券なしでは、もむ気なし。


〝あとはそうです。肩もみ用のマッサージ機もあげましょう〟


 じゃあ、それがプレゼントじゃないのか。


〝こんな感じでどうです?〟


〝……まあ、いいんじゃない〟


 マッサージ機がもらえて、娘に手料理までふるまってもらえるなら、きっと父親としては嬉しいだろう。


 絵についてはわかんないけど。


〝そうと決まれば、勉強です〟


〝勉強?〟


 何のだ。


〝決まっています。父のリクエストに応えて手料理を作らないといけませんから、家庭科をきちんと勉強です〟


 もう少し、早くそう思ってほしかった。




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つまり、雑念の沙鳥さん。 関根パン @sekinepan

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