幼い頃に、つい口にしてしまった言葉で、人を傷つけたことがあります。
今でも、その時のことを思い出すと、頭を抱えて転がりたくなるような気持ちになります。
過去との対峙は、人間の普遍的な闘いであり、誰もが持つほろ苦い経験なのでしょう。
そんな経験を持つ人は、間違いなくこの作品に心を捕まれることでしょう。
この作品の主人公は、本当の意味で読者と同じ目線です。
特殊能力などなく、選ばれた人間でもなく、非日常のために日常を犠牲にするでもなく、それでも何かしたいと願う、普通の少年です。
だからこそ、この作品は誰もが持つ心の弱い部分を、かきむしるかのように抉ってくれます。
この作品に、解放感やカタルシスはありません。想像を越える最悪はなく、ただ予定調和の絶望へと向かっていきます。
それを見続けたいと思うのは、二人の小さな恋を、見届けたいと思うからでしょうか。
しかし、それが全て最悪に向かうのかと言うとそうでもありません。この物語の終着は、肯定でも否定でもない。ただ、成長とは取捨選択であるという、当たり前の事実に気がつくだけなのです。
また、描写力が圧倒的です。基本淡々とした一人称の情景描写で、とても読みやすい。しかし、いざ心情を描写すると、読みやすいのにも関わらず、少年の切なさや悲しさ、無力感をこれでもかと綴ってくれます。
そして、全編を通してまとわりつく恐怖。
すなわち、《忘れたことすら忘れてしまう》縁喰いの恐ろしさ。
おそらく、これから読み始める方は、その本当の恐ろしさを、まだ掴めていないでしょう。
縁が喰われるとは、どういうことか。その恐怖と悲しみを、是非味わってみてください。
運命は赤い棘のかたちをして、僕に忘れ得ぬ傷をつけた。
作者である沐川 九馬氏は作品の扉部にそう書いております。
ヒロインの可愛さでしたりだとか、作品の構成の巧みさなどといったことに付きましては先駆者様のレビューがありますので割愛します。また、当然小説であるがゆえ結末に至るまでに様々な出来事が存在し、当然のように全てに意味があり重要なことではあるのですが、内容そのものはレビューであらすじをなぞるより、落ち着けるような場所でしっかり本編を読んでいただいた方が絶対に良いのでそうして頂いて。
私自身、とても平凡で普通でしかない一人間です。だからこそ予想出来てしまい、かつその予想が外れることもなく行われる平凡で普通な主人公の選択と、訪れるその結末。
本屋に平積みにされ『ラスト〜ページでこう来たか、と舌を巻きました』などとレビューされている小説のようなどんでん返し、予想外の展開というものはこの小説には含まれておらず(個人的な感想ですが)ゆえに迫る終わりからまるで自分が逃れられないような感覚。
最後の5章4話を開いた時の『そうなってしまうだろう。なんとなくわかっていた』という諦めのような感覚。
傷だけを残して、全ての赤い棘が抜けてしまい、ただただ痛みと、たださらさらといつか止まってしまう血が流れ出していくような感覚。
青春時代の恋(赤い棘)。自室やアパートから見上げた星空(赤い棘)。暖かいオレンジジュース(赤い棘)。ジュブナイル(赤い棘)。
物語の最後で、主人公はどうしようもなく失った見上げる星空を取り戻してみたいと思ったのでしょうか。自分が赤い棘に付けられた傷は確かに忘れ得ぬものであったと。
そしてそれならばまだ取り戻せると思い。
きっと、取り戻すことは出来るでしょう。
ただそんな運命が赤い棘である限り、どうあれ彼の人生から痛みというものはなくならないのだろう、という平凡な確信を、普通の人間である私は抱いています。
この物語は、「とても良くできたライトノベル」であり「ジュブナイル」です。主人公の少年は、世界の裏側で戦いを繰り広げる特殊能力者の少女と出会い、青春の時を過ごします。
世界観設定はよく作り込まれており、普通に商業誌で見れそうなほど。
そんなしっかりした世界を舞台に、「もし、バトルラノベの主人公が、ただの凡人だったなら?」という仮定を緻密にシミュレートしたら、このような物語になるのではないでしょうか。
そう、作品紹介では「無力な少年」と書かれている主人公ですが、彼は無力ですらない、悲しいほど「普通」の人間です。時折主人公らしい活躍や前のめりな姿勢も見せますが、それが時として事態を悪化させます。
リアルに生きるごくごく普通の人間が、彼と同じ立場に置かれた、そんな行動を取るのも致し方ない。それは分かります。分かりますが、物語の主人公であり、ヒロインの隣にいる唯一の人物である彼が、そのようなどうしようもない凡人のままなのが、とても辛い。
言ってみれば、主人公の凡庸さは、ある意味読者の反映そのものでもあるかもしれません。最終話の彼の選択も、自分だったら、同じような選択を取ってしまうでしょう。
それでも、その凡庸の殻を破る行動を、私たちは普段フィクションの世界に求めている。
この作品が凄いのは、そうしたある種の逆張りを、巧妙な計算と演出の元に行い、面白さをしっかりと提供している技術の高さです。
ヒロインのクレンちゃんはしっかりと可愛らしく、悲劇的な結末へ向けての期待や恐怖、戦慄を煽りながら、ふっと弛緩する楽しい展開や恋愛描写も差し挟む。なんとも綺麗にまとめたものです……!
そして。この物語は、誰もがありえたかもしれない「若気の至り(ジュブナイル)」を描き出しているという点が、何より特筆すべきことではないでしょうか。
彼女のような特殊能力のヒロインに出会ったことが無くても、それはすべて「忘れて」しまっただけ。「本当の自分」は、悲しく美しい一人の少女と出会い、共に過ごし、強く思い合っていたのだという幻想を抱くことも出来るかもしれない。
そんな美しく、ひたすらに身勝手で残酷な、青春の幻。
それが、きっと〝運命の赤い棘〟の正体なのだと思います。