第3話 足りないもの

 呆然と、天井を仰ぎ見る。歴史ある執務室のシンプルなシャンデリアを、ただただ眺める。

「生きてるか」

「死んでいます」

「そいつはよかった」

 とてつもなく大きな鉄の塊を、落ちて来たのを受け止め背負った思いだ。アクライド、いや、オクタヴィア帝国千八百余年の歴史にも、性別を偽った皇太子はいない。幼い頃に女装あるいは男装させていた文化が、いつかにはあったように思うが、ここまで完璧に隠さねばならないものはない。

 ハリソンがポケットから、飴玉をひとつ出して差し出してくる。ルーカスは迷いつつそれを受け取り、半ばやけくそに包みをとって口に放り込んだ。

「何故、俺なんですか」

 シンプルな砂糖味が、口の中でかろんと音を立てる。自らも飴を口に入れながら、ハリソンは片眉を上げた。そこに、更に重ねて尋ねる。

「もっと、適任な奴はいたでしょう。皇太子を騎士に育て守るには、隊長、副隊長が適任です。まだケツに殻の付いた新人にやらせるだなんて、狂気の沙汰です。気が狂ってる」

「でもやるんだろ。ルークは殿下大好きだもんな?」

 権力者の前に立つ威厳ある隊長の顔を外し、隊員に寄り添いつつ厳しく悪戯な男の顔で、ハリソンがルーカスをからかう。

 ぅご、思わず変な声が出た。変な声を誤魔化そうと口を引き結んだら、次は口の中で飴が砕ける音が響く。

「……その言い方はどうかと」

 なんとか出した言葉は的をずらそうとしたものだったが、こんなものでは会話はずれない。現に、ハリソンは意地悪な顔のまま、ずばずばと続けた。

「そりゃ、殿下の頑張りは皆も気付いてたしな。そのぶん殆どのやつが、殿下を好きだったよ。そん中でもルークは別格だ。ま、気付いたの俺くらいだろうけど、お前の目は完全に、神様を見るガキだったよ」

「やめてください」

 自覚があるぶん、顔から火が出そうだった。ただの事実なのだが、からかいの声で言われれば羞恥も湧く。

 神様を見るガキ、言い得て妙だ。確かに、ルーカスにはアーロンが輝いて見えた。その輝きが神のそれならば、確かに、としか言えない。

 ハリソンは、拳を上げた。その、小指を立てる。

「ひとつ、俺やサムじゃ、立場がある。モーフィアスも駄目だ。俺達役職を貰ってるやつは、権力に近過ぎる。皇太子を世話してみろ、地位を狙ってるんじゃ、とか言って、殿下が望むことは与えてやれないだろう」

 次に、薬指を立てる。

「ふたつ、俺達じゃ今迄の経験があり過ぎて、頭が固くなってる。一度何も知らないやつの目を通したほうが、うまく行くこともあるわけだ。勿論、わからないことは全部聞け。全部答える。欲しいものも同様だ。思い付いたことに不安があるなら、俺が何でも用意するし、背中を叩いてやる。遠慮も躊躇もするな」

 次に、中指が立つ。

「みっつ、お前を選んだのは、お前が農民だからだ。権力やら流儀だかで、ガチガチの騎士様でも貴族様でもない。兄弟も多く、面倒見も良ければ、先の読めない天候や害獣から畑を守ってきた、柔軟な目線がある。しかも、そんな柔軟な奴が一番、殿下をいい方向に慕ってるときた。騎士見習いとしての成績もトップグループ。ここまで適任のやつはいない」

 三本の指が立ち言い終わると、ぱ、と指が全て開いた。どうやら、理由はその三つらしい。

「……皇太子を騎士として育てると同時に、前代未聞の教育係も一緒に育てよう、と、そういう?」

「性別を偽って騎士に、なんて、前例があるわけないからな。大胆に行ったほうが何事もうまく行くだろ?」

 騎士には、当然女性もいる。だが、流石に性別を偽った者はいない。性同一性障害というわけでもなく、公表するわけにもいかない、完全に隠し通さなければならない人はいない。

 ……わかっているが、一応、訪ねてみる。

「因みに、皇太子が女だと国民に知らせるのは」

「議会の少なくて半分以上がひっくり返って、公妃は幽閉され、アーロン皇太子は人権を無視され完全なる権力の道具になって、法律がごっそり変わって、オクタヴィアからなんやかんやあれやそれやが来て、最終的にそれなりの確率で大公の苗字が変わる、んじゃねえかな」

 思った通りの回答に、ルーカスはまた背もたれへ体を預けた。

「……俺もそう思います」

 出る溜息は重い。それで、背負った重荷が軽くなるわけではないけれど。

「ま、なんとかしよう!騎士はいつでも、主と乙女の為に道を切り開くものだ」

 ハリソンの明るい声は、当然のことを当然に述べて、とても頼もしい。

「殿下は二年と言ったがな、半年でそこそこにしてくれ。その前に、ナルカッス山の視察が一ヶ月後にあるから、せめて山登りが出来るようにな!」

 頼もしく、同時に鬼畜だ。爽やかな笑顔が恐ろしい。

 そちらがその気なら、ルーカスも憧れの人に容赦しないことにした。取れるものは、何でも貰っておこう。重いものを背負うのならば、最後まで守る為に道具を使うべきだ。



「ナルカッスを!」

 山の名前を聞いて、アーロンは目を丸くした。が、驚愕の表情のまま、すぐに納得したように手を打った。

「あ!ナルカッス山の空クジラの渡りか?」

「ええ、毎年秋にこちらへ渡ってくる、空クジラの数やコースを見ねばなりません。多過ぎたりずれたりすれば、近隣住民に被害が出ます。一ヶ月の滞在、それを一週間ごとに五班に分けて観察するのが、毎年新米従騎士の役目なのです」

「勿論、知らぬ者は城にはいないだろう。人も獣も尊重する、敬意を表する任務の一つだ。そうか、栄えある初陣に、私も参加出来るのか」

「異例とはいえ、殿下も新米従騎士の一人。参加していただかなくては、困ります」

「そうか、そうか……!」

 憧れの一歩を思ってか、アーロンの瞳が輝く。薄い金色の髪や陶磁器の如く白い肌を持つ殿下の瞳が輝くと、ますます光を帯びている気がする。神々しさと微笑ましさにルーカスは笑み、持っていた書類をめくった。

 式典すら開けそうなほど広い、騎士が訓練をするグラウンドの隅に、木が等間隔に植えてある場所がある。普段ならば、その芝生に直に座り込み寝転がり、めいめいに寛ぐのだが、アーロンが来てからベンチとテーブルが設置された。

 勿論、アーロンはそんなことは知らない。最初はそれはもう豪華な休憩小屋が建ちそうだったのだが、立派な木で出来たそれらに落ち着いたのも、そんな貴族と隊長の戦いも知らない。

「して、私は何をすればいい?空クジラを討伐する訓練か!?」

 木陰の下、動き出した騎士の日々にうきうきとするアーロンに、ルーカスは次の反応を想像しつつ、言った。

「殿下にはこれから一ヶ月、座学と体力作りに集中していただきます」

 想像より、もっとこどもっぽかった。アーロンはぽかんと口を開き、小首を傾げる。なんともあどけない反応に、ルーカスのほうが驚いてしまう。

「……それだけ、か?」

 きっと、様々な稽古を想像したに違いない。初めての稽古、憧れの騎士への第一歩。今迄の戯れのような稽古ではなく、きちんとした、過酷と称される訓練。

 は、とアーロンは首を振る。

「い、いや、座学を軽んじているわけじゃないんだ。ただ、意外、だっただけで」

 わかっている。ルーカスは頷いた。

「存じております。しかし、殿下には圧倒的に体力がございませんので、体のことも考え、このような計画表になりました」

「体力?体のこと?」

「ご説明します」

 首を傾げるばかりの殿下の姿まで、全て予想済みだった。

 ルーカスは並び立つ木々を見やり、100mほど先にある一番端の木を指差す。青空に映える葉は、もう青から黄へと移ろい始めている。

「あそこまで、走ってみてください」

「走る?」

「ええ、走ってみてください。タイミングはお好きに」

 首を傾げるのを通り越して、目を白黒させてアーロンは木とルーカスとを見る。ルーカスが静かに頷くだけで返すと、アーロンはぎこちなくフォームを取った。

 ふ、と息を吐き、走るときには真面目な顔だ。今迄訓練に忍び込んでいたのを見るに、アーロンは勤勉である。疑問に支配されず、やるときはきちんとやり遂げる。

 最後の一歩までしっかりと、全速力で走り切った。

「はぁっ、はぁ、どうだ!」

「速いですね」

「わあっ」

 振り向いた、先程の場所にルーカスはおらず、いつの間にか横にいた。走り始めたときと変わらない、計画表を持ったポーズのままだ。

「えっ!なに、何事!」

「俺も走ったのですよ。視界に入らないように」

 さらりと言ったルーカスに、アーロンは絶句した。

 この少しの間に、アーロンは何度言葉をつまらせただろう。戸惑うアーロンのスピードに、ルーカスは優しく合わせてやる気はさらさらになかった。

 合わせたほうが、皇太子殿下に対して失礼に当たる。そう、確信してのことだった。なので、容赦なくルーカスは、言葉を続ける。

「殿下には、圧倒的に出来ないことが多すぎます」

 息一つ乱れていないルーカスと、まだ息を整えるので精一杯なアーロンは、身長差もかなり開いていた。見下ろす瞳を真っ直ぐと見上げて、アーロンは息を整え終える。

 できない、こと。声になるかならないかの音で、アーロンが呟く。きゅ、と唇を引き結んでいて、恐らく心には悔しさが渦巻いているだろう。

「……勿論、いくつかのことは、出来るようになっていただきます。ある程度の体力作り、剣術の稽古、それもやっていきましょう」

「ある程度、だと」

 少し、怒りが見えた。公族の怒り、どきりとしたが顔には出さない。心を乱しては、これから先やっていけない。

「殿下は、まだこれからも成長するこどもです。今から体を鍛え過ぎては、伸びるものも伸びません」

「しかし、私は皆のような騎士になる為に、今すぐ力を付けたい」

「無理です。近付く事は出来ますが、力で殿下は我々に並び立てません」

 アーロンの顔が、可哀想なくらい青ざめていく。だが直ぐにぶるりと首を振り、尚も諦めない強さでルーカスに詰め寄った。

「だが、私にはやらねばならぬことがある!」

 ルーカスは頷いた。

「左様です。殿下には、殿下にしか出来ない事を作ってもらいます」

「わ、私にしか、出来ないこと?つくる?」

「小柄を活かす剣術、力が無理ならばある程度のスピードを、そして持久力。それと、おっと」

 ちら、と懐中時計を見る。今日は初日だが、アーロンの皇太子としての仕事がある。言われた時間まで、あと一時間ほどだった。

 このままでは、殆ど説明で終わってしまう。それは避けたい。

「今日はあまり時間がありませんので、体操と筋肉をつける運動を軽くやりましょう。本格的な授業は、明日からです」

「軽く」

「軽くです。ああでも」

 軽く、と言っても、きついですよ。にこっと笑って告げれば、アーロンは初めて後ずさりをした。

 後ずさりして、このまま逃げてしまいたいのは、本心で言えばルーカスの方だった。本当にさせたいことは、別にあるのだ。

 これからどうなるんだろうと、自分のたてた計画を見ながら、ルーカスは付きそうになった溜息を呑み込んだ。

 いけない、そんなことでは。弱気を深呼吸で吹き飛ばし、ルーカスはきょろりと訓練場の入り口の方へ視線を向けた。

「そろそろ、来るはずなんだけど」

 果たして、求めていた人物はそこにいた。

 朝黒い肌に傷跡をいくつもつけている、紫色の髪の女性が、こちらへ笑顔を向けて歩いてきていた。

 遠くからでもわかる、普通の女性にはない逞しい筋肉は、しなやかで彼女の強さを想像させる。傷だらけの体といいその体つきといい、明らかに普通の女性ではない。

 剣を持ち、戦う女性だ。アーロンは目を輝かせた。

「よお、ルーカス!来たぞー」

「ああ、ありがとう。フローラ」

「今度奢れよ」

 辺りをぱっと明るくする、快活な笑顔でルーカスの胸を叩いてくるフローラに、アーロンはただただ尊敬の眼差しを向ける。きらきらと輝く瞳に、フローラはおうふと目を細めた。

「えーと?この方が?」

「アーロン・カティーナ・S・アクライド殿下です」

「フローラ・エイダ・T・マーコリー!」

 輝くままにフローラの名前を言うアーロンは、きらめきが止まらない。フローラはもう一度おうふと言いつつ、今度は目を完全に閉じた。

「で、殿下?」

 戸惑ったのはルーカスの方だ。こんなに輝くアーロンは、見たことがない。さっきこれから訓練が始まるぞ!と期待していたときだって、こんなに輝いてはいなかった。

 はっ!と、アーロンは顔を赤らめた。

「いや!その!憧れの女性騎士だったもので、つい、な!」

 同じ女として、と言外に込められたのを感じる。

「た、確かに。フローラ殿はその名に恥じぬ、戦場の花と言われている人物です。一人で大熊を倒した、なんて話は、マーコリー族の誉れでしょう」

「ははは、私なんかが殿下に憧れられるなんて、恐れ多いですよ。マーコリーの一族と言っても、勘当されてるし、敬語得意じゃないし」

「新たに爵位を渡したいくらいだ!」

「あなたが言うと洒落になりません」

 いや、きっと冗談ではない。こんなアーロンは、盗み見ていた時代にも見たことがない。このまま話を進めては、ほいほいと爵位を上げかねないので、咳払いで話題をずらした。

 こちらが本題なのだ。

「殿下、今日は体力作りを主にやりますが、フローラ女史から教えてもらうことは、それではないんです」

「うん?では、なんだ」

「料理です」

 言ってしまった。国の一番てっぺんに位置する一族に、騎士になりたいと言ってはいるものの、一人の皇太子に、料理を、だなんて。

 アーロンの瞳は、驚きで見開かれ落ちそうだった。ルーカスも、緊張で心臓が飛び出しそうだ。

「フローラ女史には、料理を教えてもらいます。彼女は怪我がもとで引退し、今は料理屋を経営しています」

「狩猟料理が好きで、機会があってやってます。皇太子殿下に、私のとっておきを教えますよ」

 ばちんとウインクしたフローラに、アーロンは何も言えないようで、ただただぽかんと口を開いていた。

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