エピローグ
夏の日差しが強くなり、残暑の気配を感じさせる。汗だくになった額を、青比呂は袖でぬぐうと、花壇の土を入れ替えるため掘り起こし、新しい土を込めて花の根元を埋め、手で土の形を整えた。
「……休憩するか」
一人花園で作業する青比呂は、小さな母屋に建て替えられた元霧島邸の縁側に腰掛け、水筒の中に入れてあった冷たい麦茶で喉を鳴らした。
風がそよぎ、かすかに日差しの熱気を遠のけてくる。青比呂は広く、そしてまだ大半が荒れ果てた花園を見渡し、ため息を落とす。
「……せせらぎは、一人でこんなに広いところを世話してたってのか」
青比呂の独り言に応えるものはなく、どこかで鳴く蝉の声が響き、それに混じってぶうん……と低く唸る音と振動が、縁側の床をかすかに揺らした。青比呂の携帯電話が、マナーモードのままでコールされているのだと身を震わせて主張していた。
折りたたみのガラパゴス携帯を開くと、そこには「川上携帯」と素っ気ない表示が浮かび上がっていた。
「もしもし。しばらくぶりですね」
汗を気にしながら、青比呂は電話口に向けて話しかける。
『中々連絡出来なくてごめんね。どう? 今の住まいは』
「悪くないですよ。落ち着きます」
『あなたの要望通り霧島邸の跡地に建てたものだけど……本当にそれでよかったの?』
青比呂は、縁側のすぐ隅にある、ネットに蔦を絡め花を咲かせるを眺めながら「ええ。気に入ってます」と応えた。その蔦に、咲いた花に囲まれ、佇んでいる『天気輪』は日光の光で白く輝き、ブーケの様にアクセントの一つとなっていた。
「また地下に閉じ込めるってのも、何だか息苦しそうでね」
『……花園の中で『天気輪』を管理するなんて言い出した時は、気が遠くなったわよ……』
「大丈夫ですよ、元々むやみに暴れるもんじゃないですから」
刻鉄とも話し合った結果であるが、最後には青比呂に一任する、と刻鉄は『天気輪』を預けてくれた。それを、青比呂は太陽に向かって咲く花々の中で、眠らせておきたい……「盾の戦士」の歴史を考えれば、前代未聞のことであったが、刻鉄はただ苦笑するだけだった。
「それに、どっちにしろ俺はこの花園を守るって決めたんですから。……アイツの代わりに」
かつて花園を駆け回り、しっかりとケアを施していた姿はそこになかった。なら、守る者が守ろうとした大切な場所ぐらいは、守りたい。まだ左手の薬指には指輪がはめられたままだった。
「ところで俺の処遇はまだ決まらないんですか? 仮住まいが本当に居着くことになりそうですよ」
『手続きや処置が遅れてるのは謝るわ。その辺も含めて、一通りの報告を入れようと思ったんだけど、今時間いいかしら』
「ええ。丁度休憩中でしたし」
縁側に腰掛ける足を組み、青比呂は電話口に耳を傾けた。
『ならよかった。今朝、霧島刻鉄に対する判決が下されたの』
「……」
『判決は、無期懲役。執行猶予はあったんだけど、総帥……いえ、霧島刻鉄はすぐにでも刑務所に入ることを望んでる……面会は出来てないけど、きちんと司法裁きを受け入れることになった』
「そうっすか……立証にはさぞ苦労したと思いますが」
『色んなところから余罪をかき集めて、今回の騒動の結末としたの。時間が出来て、あの人が落ち着いたと思ったら、面会に行ってあげてほしい。多分、彼のことだから、模範囚にでもなって、遠からず出所出来るかも、だけど』
「……いえ。出てくるその時まで待ってます」
ひらり、と風に舞いひまわりの花が揺らいだ。それを遠目に見つつ、川上の言葉を待った。
『次に『神威』だけど……黒幕っていうか、委員会……古参の老人たちの行方はまだつかめてない。組織としては瓦解も同然。「盾の戦士」の一族は、結局潰えた形になったわ』
「そう……ですか」
『それだけに、関わったあなたの処遇はどうするか、まだ決められてないのもその辺にあるの。……うかつにあなたほどの戦闘力をどうすればいいか、まだしっぽをつかめてない老人どもの考えも読めないし、簡単に決めれない……実質軟禁状態でとどめるのが精一杯だった……』
「そこは気にしてません。俺はのんびりやってきますよ」
そういうと、電話口でかすかに口元をほころばせるような、そんな息づかいが聞こえた。
『あなたから「のんびり」なんて言葉が出るなんてね……』
「ええ。ここで土いじりする時間が増えるにつれて、なんか老け込んだようでして」
『ふふ。喜んでいいのかどうやら。……でも、事件にはケリをつける。私や一部の人間はツテを使って、なんとしてでも老人どもを探し出すつもりでいる』
声からは、静かながらも強く固い意志が感じられた。語る川上の瞳が目に浮かぶようだった。
『二度と『ステイビースト』をこの世から出さない……。『佇み病』のケアにも、裏から手を回してる。これにはあなたの戦闘データが役に立ってるのよ』
意外な言葉に、青比呂は「え?」と間の抜けた声をこぼした。
『あなたがアカジャクとの戦いで、「マザーシグナル」を通じて無理矢理『ステイビースト』を吸収したあれ。あれを解析して、生じた『佇み』に干渉し、対消滅させる方法を今試作中なの』
「出来るんですか、そんなことが……」
『そこは、赤間士恩行氏が奮闘してるわ』」
出てきた名前に青比呂はまた、間の抜けた声で「へえ?」と声を上げる。
「あのじいさんが?」
『ええ。それと……せせらぎについての話もある』
青比呂はふと花園に目をやった。花園はかつての様な華やかさから遠ざかり、まだ『ヨミジツクモノミコト』との戦闘で荒れた跡を残していた。
青比呂一人では枯れてしまった花や地形が変わった地面を整えるのでは精一杯だった。
『あなたも知っての通り、あの後……あなたたちは病院に運んでもらったけど、せせらぎはホムンクルス。うかつに医療機関に任せるわけにはいかなかった』
「……」
気がついた時にはまた病院のベッドの上だった。疲労困憊で回復するのに二週間も寝続けることとなり、それまで全く他の情報を知る機会はなかった。
『よく、聞いてね。せせらぎは……』
花園を見渡せる様に作ってもらった縁側で、青比呂は夏の空を眺め、大きな雲を目で追い、「ええ」と短く応える。
だが、川上の声が飛び、途絶えながら続き、言葉の全てをよく聞き取れなかった。電波の調子でも悪くなったのだろうか。
『……で、……なの。それに、彼女にも設定された寿命も……』
と、川上の声がどんどんとひどい雑音にかき消され始めた。こちらの携帯電話には何の問題も見られない。川上の方に何かあったのか。
青比呂は回線が復活するまで携帯電話を耳に当てていたが、更にひどい雑音と共に、かすれた男性の声が聞こえてきた。
『あー、テストテスト。本日は晴天なり。聞こえるかね、新垣青比呂くん』
雑音が消え、川上の通話よりもよりクリアになった音声が聞こえてきた。その声の主に青比呂はあっけにとられ、しばし言葉を紡げずにいた。
『返事をくれたまえ。それとも私の声を忘れてしまったかな?』
「お……恩行、さん?」
『ほう! 私に「さん」とな。人間性も成長したか、あっはっは』
相変わらずの様子の老紳士の声で、彼がいたずらに成功したかの様な笑みを浮かべているのがまた目に浮かぶ。
「な、何だ一体。それに今川上さんと電話してたんだが……」
『ああ、私の都合で割り込んだ。簡単に言うと電波ジャックだ』
さらりと言う恩行の声に、青比呂は二の句が告げず、痛み出した頭を手のひらでかきむしった。
「何しに来てんだこのクソじじい! 大事な話の途中だったんだぞ!」
『おおその悪態ぶり、やはり君にはそちらの方が似合っているな』
「どこにいやがる! 今からぶん殴りに行くから詳細話せ!」
『今君が家を空けると、せっかくの「客人」を迎えられんぞ?』
恩行の言葉を確かめる前に、チャイムがなった。青比呂は舌打ちして立ち上がり、
「本当に来客らしいからな。切るぞじいさん」
『もう着いたか、流石に張り切っていただけあるな』
「……あん?」
訝しげに言う青比呂は、足を止めて恩行の言葉を待った。
『何だ、川上女史から何も聞かされてないのかね』
「何もって……何がだよ」
『せせらぎのことだ』
ぼつり、と言った恩行の言葉に青比呂は息を落とす。
『ホムンクルスの……と言うより、『神威』が設定したホムンクルスの寿命はそう長くない。それは君も知っての通りだ』
「……わざわざそれを言いに割り込みしてきたのかよ。お疲れさん。客人を出迎えに行く」
青比呂は携帯電話を閉じようとした時、がらがらと玄関の戸が開けられた音を聞いた。
「って、くそ。誰だ勝手に入ってきやがって」
『人の話は最後まで聞きたまえ』
音量が大きくなり、嫌でも青比呂の耳に恩行の声が届いた。おそらくこちらの携帯電話の音量でも勝手に調整したのか。
くだらない、と青比呂は通話を切るつおりでボタンを押そうとするが、
『これから君には大変な毎日が待っているぞ』
玄関から入ってきた気配は、とてとてと短い歩調で走ってくる。青比呂は何事かと警戒し、その間にも恩行の声は続いていた。
『なにせ新垣赤音のパワーをその身に宿したぐらいだからな。『神威』が勝手に決めた寿命なんぞ、簡単に限界を超えたものだ』
廊下を曲がり、走ってきた足音の主が青比呂の前に現れる。
風が舞い込み、ひらりと淡い赤色の花びらが、廊下に一つ、点を打った。
『私も驚いたものだが、まあその報告もわざわざ口にせんでもいいようだな』
どしん、と背中を打ち、青比呂は苦い顔で携帯電話を耳に当ててつぶやく。
「説明しろ」
『さっきからしようとしているのに、聞かなかった愚か者はどちらかね?』
「いいから言え」
『結論は目の前にあるものだ。まあデータの話をすれば、軽く人間を超えた存在となった。生命力もな。寿命という言葉なんぞ、永遠に遠のいたものになる』
「……だろうな」
青比呂は、自分を押し倒し体を抱きしめて離れようとしない「客」の頭にぽんと手を置くと、
「さっさと花園の手入れ手伝え。俺だけじゃ手に負えん」
「何だ、まだ直してなかったのか」
「俺一人で急に直せるわけがないだろうに」
「仕方ない。青比呂、私が教える。立派な花、育てるぞ!」
「……はいはい」
左手の薬指にはめたままの指輪そのものが、赤い彩りをわずかに灯した。
『……あ、もしもし!? 聞こえる青比呂くん!? 急に電波が悪くなって……せせらぎのことで、報告しなくちゃ行けないことがあって』
「あ、川上だ。おい、着いたぞー」
音量が大きいままで、川上のため息までが聞こえた。
『諸々の手続きはもう少しかかるから、青比呂くんにはまだその屋敷にとどまってもらうことになるけど……』
「そこは構いません。結構気にいてるので」
『そう。……じゃあ、せせらぎをよろしくね』
それだけを言って、通話は切られた。青比呂は携帯電話を折りたたむと、「よろしく、ねぇ……」とぼやき、ぼりぼりと頭をかいた。
「何してる青比呂。花壇、行くぞ」
こんがりと肌を小麦色に焼いた、ワンピース姿のせせらぎが縁側から花園へと飛び降り、青比呂は「分かった分かった」とつぶやきながら身を起こす。
「ん? どうした、何か面白いこと、あったか?」
裸足で花園の土を踏み、早速スコップを手に取ったせせらぎを見て、青比呂は緩んでいた口元を無理矢理引き締めた。
「……別に。さて、取りかかるか!」
赤の忠誠・終
赤の忠誠 柴見流一郎 @shibami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます