最終話 高らかな空は雲一つなく
無造作に、いや、この幼子はただ腕を動かしただけだろう。特に意味はなく、しいて言うのであれば「はいはい」をするために手を前に出そうとしただけだった。
そのストロークの間に、霧島邸の一角があった、それだけだった。ぶ厚い木材で組まれた屋根が、まるでスナック菓子のように簡単に崩れ、樹木だった材質を粉々にし、ばらまき、床を貫いて、大きな手のひらの跡を作った。
「おい刻鉄! いざやろうって格好付けたけど現実問題どうするんだこれ!」
赤子……『ヨミジツクモノミコト』は泣き声を発しながら家屋を揺らし、触れては屋根を地面まで引きずり下ろし、庭園の方角に向かい膝をつきながら移動しようとしていた。その直線上にある霧島邸の屋敷は、紙の如く『ヨミジツクモノミコト』の四つん這いの赤子の行動に潰されていく。
吹き飛ばれた木材の破片を『グロリオサ』で弾き、青比呂は近づくことも出来ずにいた。
「手段は限られていると言ったはずだ。それを成すのみだ」
刻鉄もまた、崩壊していく家屋から遠のき、無理に追いかけない様にせせらぎを連れて後ろへと下がった。
「おい離せ刻鉄。私、荷物違う。赤ちゃん行っちゃう」
「お前が無理に追いかけようとしたからああやって今逃げてるのだがな……」
せせらぎを小脇に抱えた刻鉄は、もう廃墟でも廃屋でもない、ただの瓦礫の山とかした家屋の一部を横目にしながら、青比呂に一度戻ってこいと声をかけた。青比呂は瓦礫の山に踏み出そうとした足を止め、渋々といった様子で引き返してきた。
「手段って何だよ。早く止めないとお前の家なくなるぞ」
「構わん。それに庭園に出てくれれば開けた空間で対処出来る。二次被害はないはずだ」
「……二次被害、な……」
上空を低い音を立て、一台のヘリコプターが霧島邸の敷地を周回していた。ヘリコプターにはとある報道局の名前がプリントされ、『ヨミジツクモノミコト』を中心にして飛び回っていた。
「マスコミか? これヤバいんじゃないのか……」
事情を知らぬ人間たちから見れば、あの赤子は間違いなくモンスターと目に映る
はずだ。詳細をつかめていない報道局も、ただ中継を流すだけでは単にパニックを作るだけだろう。
この周囲は全て『神威』関係者の住宅で締められているものの、騒ぎになるのは時間の問題であった。
「これも老人たちの狙いだ。あの赤子の暴走まで俺にやらせたことにし、責任を負わせるつもりだろう」
「そんなのんびり言ってる状況か!? 下手したら怪獣映画みたいにそこいら辺壊しまくって瓦礫の山が出来るだけだぞ!?」
「リミットがあると言ってるのだ」
あくせくする青比呂に、刻鉄が静かな声で言う。
「あの『ヨミジツクモノミコト』が自由に動ける時間は、集まった『ステイビースト』分だけのスタミナだと言えば分かりやすいか」
「……手段、ってまさか……」
「そうだ.『ステイビースト』を迎撃する基本は「相手の消耗を待つ」こと。いずれにせよ時間切れが来る。でなければ老人どももあれを使おうと思っていない」
刻鉄の言葉に青比呂は「マジか……」と手で顔を覆った。
「だが、お前の言う通り悠長に構えていては、この辺り一帯が潰される。その前に庭園で決着をつける」
刻鉄は青比呂の目を見て、静かな声で言った。
「あの赤子に攻撃をしかける。『ステイヒート』でだ。撃てるか。あの姿を見て」
「……」
「手段は待つか、相手の肉体をそぎ落とすか、だ。流石に肢体をバラバラにすれば自由は奪えるはずだ」
青比呂が口を開こうとした時、抱えられたままだったせせらぎが無理矢理刻鉄の腕から脱出し、大声で言った。
「ダメ! あの子、何も悪いことしてない!」
「だから言った。そういった倫理観がある以上、手段が限られると」
刻鉄にひたりと言い切られ、せせらぎは「……でも」と首を横に振り、腕を組んで考え込み始めた。地面とにらめっこになったせせらぎは、落ち着きのない様子でくるくると歩き回る。
せせらぎをよそに、刻鉄は青比呂に再び目をやった。
「見た目で攻撃の質が左右されてしまうなら、お前も来るな。相手を消耗させるにこしたことはないんだ。攻撃し、体力を奪い、消滅を早める」
「……お前一人でも、それは可能なのか」
ぼそりと言い返した青比呂の目は、警戒や慎重さが含まれ、「隙あらば」といった様子で虎視眈々と刻鉄を見つめ……探っていた。他の可能性を。
「お前、特攻する気だろう。体に残った『王の力』を全部ぶつけようとしてるな」
「察しがいいな。その通りだ」
「……どうも、何かあるな」
青比呂は『グロリオサ』の花弁をたたみ、指輪に姿を戻すと腕を組んで刻鉄を値踏みする様な目で見返した。
「ある、とは?」
「すっとぼけるな。別の攻略法がある。そういう気がしてならない」
「例えば、お前ならどう考える」
「そうだな……。あの『ヨミ……』なんとか、か。体を構築しているのは合体した『ステイビースト』の群なのか?」
「『ヨミジツクモノミコト』だ。そうだ、あの大群が赤ん坊の姿に合体した、という言い方が一番手っ取り……」
「ダウト」
ひたりと青比呂の指先が刻鉄の口の手前に突き付けられ、刻鉄は思わず言葉を途切れさせた。
「お前今、嘘ついたな」
「……妙な言いがかりだな。こんな時に嘘をついてどうする。行かないのなら俺は移動するぞ。早く追いかけないと……」
「石木田はどうなってんだ?」
歩き出しかけた刻鉄の足がびたりと止まった。
「あの中に……と言っていいもんか。『ステイビースト』たちは石木田の体に溶け込み、膨張しあの赤子の姿になった。つまりは石木田の体が媒体になってるんじゃないか?」
「……」
「それはあの位牌を意味する杖をてにしていたから、吸い寄せられでもしたのか。ともかく石木田のおっさんは『ヨミ……』なんとかの中にまだいるんじゃないか? それこそ
「……」
青比呂の言葉に刻鉄は踏み出しかけの足を戻し、大きくため息をついた。
「その石木田のおっさんを何とか取り上げれば、合体も解除ってな具合にならないか? あくまで想像の上に理屈なだけなんだが」
「……全く」
刻鉄は二度目のため息を落として、眉間の皺を指でこすりもみほぐす。
「お前には敵わんな。……そうだ、石木田の肉体を内部から奪ってしまえば、『ヨミジツクモノミコト』はあの姿を保てなくなる……つまりは消滅する」
その言葉を聞いた青比呂は、呆れ半分怒り半分で刻鉄に詰め寄った。
「なんで最初からそれ言わないんだよ。超重要攻略情報じゃないか」
「……言うのは簡単だが具体的に行うのは難しい。運以上の要素が必要になる。つまりは賭けだ。そんな不安定なことにお前まで巻き込みたくは……」
刻鉄の言葉は青比呂の乱暴な拳で閉ざされた。頬を殴られた刻鉄は、「何故殴られた」と言わんばかりにきょとんとしていた。
その様子が、更に青比呂の不機嫌さをあおった。
「あのなあ。数分前に言ったこと忘れたのか。お前の脳みそはニワトリか何かで出来るのか? それとも学習能力がないのかこのバカ鉄」
刻鉄の胸元を乱暴につかみ上げると、息の届きそうなほどの距離まで目を近づけ、にらんで青比呂は言う。
「頼れって言ったはずだ。俺はそんなに頼りないか。信じられないか」
「……」
「頭冷えただろ」
そっと手を離すと、青比呂は『ヨミジツクモノミコト』が進んでいった瓦礫の轍を見やり、その姿がどんどんと遠くへ行っていることに舌打ちする。
「いいか。赤音はな、自分の意志で自らを盾にした」
左手の指輪を強く握るよう拳を固め、改めて刻鉄をにらみつける。
「お前に陥れられるほど、赤音は落ちちゃいない。天才なんだ、俺の妹を侮るな」
「……青比呂……」
「つまりはお前のせいなんかじゃない。誰もお前が死なせたわけじゃない。そして俺も死なない。うぬぼれるな。そんなんだから担がされるんだ、総帥さんよ」
青比呂は言うとそっぽを向き、再び『グロリオサ』を展開させた。
「俺は行くぞ。待ってやるほど気が長くないんだ」
「……ふふ」
ふと耳元に聞こえた笑い声に振り返ると、刻鉄は口元を覆って青比呂に顔を背け、肩をふるわせていた。
「……まさか、お前に頭を冷やされることになるとはな。……く、くふふふふ」
「……何笑ってんだよ、また殴るぞ」
「いやあ、失敬失敬。はは。久しぶりに声を上げて笑いそうになった」
ふう、と一息ついた刻鉄は、青比呂の顔を見てうなずいた。
「じゃあ行くか」
「そう言ってんだろ。とっとと……」
「おい、お前ら、ちょっと待て」
せせらぎの声に、二人は同時に振り向いた。
「これ、どうするんだ? このまま置いてっていいのか?」
「……」
「……」
せせらぎの「指摘」に青比呂と刻鉄は互いに顔を見合わせ、同時に口を開いた。
「それだ!」
「灯台もと暗しだな」
「……?」
せせらぎ一人がついて行けず、本人は勝手に「発案者」となってしまった。
□□□
泣き声をひびかせ、『ヨミジツクモノミコト』が歩みを進めるたびに、大地にはクレーターが、膝を引きずるたびに深い溝が生まれる。剥き出しになった目が、閑散とした霧島邸の庭園を映し出し、再び泣き声を上げた。
「待たせたな、遊び相手になりにきたぞ」
ふとその背中からかかった声に、首の座らない赤子の顔が、180度回転した。
「……フクロウかよ、器用な奴。将来有望だな」
「青比呂、あまり油断するなよ。ただでかいだけじゃないからな」
「……なあなあ。さっきの、どういう意味だ?」
首をそのままに、『ヨミジツクモノミコト』の体がぐるりと回転した。瞳には三人の人間が映っている。
「そうそう、俺らが遊び相手だ」
青比呂が『グロリオサ』の花弁を広げ、注意を引きつようとする。その動きが、瞳の動きと同調し、ぐるりと青比呂一人に視線が向けられた。ぐずり始める様子はなく、ぶ厚い筋肉で膨らんだ指が、無造作に伸ばされて地面をえぐった。
飛び退いた青比呂をつかもうとしたのか、『ヨミジツクモノミコト』は無言のままもう片方の腕を伸ばす。
それを同じように後ろへと飛ぼうとした青比呂に、せせらぎが声を上げた。
「……青比呂!」
「……!?」
せせらぎが強く指輪を握りしめ、青比呂の『グロリオサ』が赤く燃え上がり、『ヨミジツクモノミコト』の伸ばした手から出た「もの」に青比呂は思わず膝をつきそうになった。
金属を無理矢理引き裂いた様な、体の奥を裏返すほど届いた音に、青比呂は派を食いばって勢いがなくなるまで耐え抜いた。
耳がしびれ、脳が麻痺しそうなほどの衝撃の余韻が青比呂に苦痛の表情を浮かばせる。
青比呂の背後の地面は土が剥き出しになり整えられた芝生は姿もなく、それが数メートルは続いていた。
「っつ……! な、何だ!?」
もう一度『ヨミジツクモノミコト』の手が伸び、青比呂を握りしめようとするが、青比呂はその直線上には回避せず横に飛んで距離を取った。がくがくと、膝が震えている。
「油断するなと言ったばかりだぞ、青比呂!」
『ヨミジツクモノミコト』の足元を黒い影が四つ動き回り、『ヨミジツクモノミコト』の関心は刻鉄が放った影の騎士たちに向けられた。
「今のは「マザーシグナル」だ! 超高濃度に圧縮して、一気に撃ち出したんだ!」
影の騎士たちは手にした剣を膨れあがった腕に突き立てようと振りかぶった。だが、鋭利な刃は丸みを帯びた肌の上で砕け、一体の影の騎士がわしづかみにされる。
一瞬、『ヨミジツクモノミコト』が幼子らしい笑みを浮かべた、ように見えた。
影の騎士は手のひらの中でもがき脱出しようとするが、もがく手がどんどんと短くなっていく。腕は沈み、甲冑は指の中に溶け、盾だけが地面に落ちて塵芥となった.『ヨミジツクモノミコト』の手が開かれる。次の影の騎士を捕まえるために。その手の中には何も存在していなかった。
「ど、どうなった!?」
「吸収したんだ! あいつは巨大な『ステイヒート』そのものだと思っていい! 俺から発した『ステイヒート』も同様にお前の『ステイヒート』も吸収されかねん! 撃つ時は確実な隙を狙え!」
「となると……ますますアレが必要になるな……」
そうこうしている内に、残り三つの影はあっという間に『ヨミジツクモノミコト』の手の中に消えてしまった。次の獲物を求めるかのように、間合いを計り移動し続ける青比呂と刻鉄を、左右の目両方を使って追い、腕を伸ばす。
「せせらぎ! ひとまず一発撃つ!」
「分かった、けど、あと撃てる体力、その一撃だけだぞ!」
離れた位置にいるせせらぎの指輪が光り、同時に『グロリオサ』の花弁が閉じ、赤い光を内部から漏らすほど輝き始めた。
その光が『ヨミジツクモノミコト』の興味を引いたか、身を乗り出して青比呂に向かい地面をよじって迫り来る。
青比呂は左右に飛びながら距離を取り、巨躯の横へと回り込み、足を止めて地面を踏みしめる。
「……ここで!」
大きな手のひらが青比呂の真上へと迫る。青比呂は身震いする体を我慢させ、手のひらから落ちる影が濃くなる寸前で、前へと……『ヨミジツクモノミコト』の腕をくぐり地面を駆けた。伸びた腕の先にある脇から心臓部分ががら空きになった。
「行けえ!!」
花弁の内部で沸騰していた赤い光が空気を焼いて、一閃の柱となり『グロリオサ』から撃ち出された。唸りを上げる炎の津波が『ヨミジツクモノミコト』の胸部へと吸い込まれ、寸前でもう片方の手のひらが、関節の動きを無視し蛇のようにしなり、胸部の前にかざされた。
「そんなのありかよ!」
息を切らせた青比呂は、赤子の手の中に収束されていった炎の残り香である火の粉を『グロリオサ』の花弁で払い、倒れ込みそうになった『ヨミジツクモノミコト』の体の下から何とか脱出する。
ずしん、と庭園そのものが揺れる震動に足を取られながらも、青比呂は起き上がりかけた『ヨミジツクモノミコト』を見ながら走り、息も絶え絶えになりながら叫んだ。
「刻鉄! アレを使う!」
『ヨミジツクモノミコト』を挟んだ反対側にいる刻鉄は、何とか自分に注意を引かせようと影の騎士を地面に突きたてながら、
「まだだ! まだ早い! もう少しやつの情報をつかんでから……」
「そんなちんたらしてたらこっちの力が尽きる! それに確信がある! アレを確実に当てられる!」
「何!?」
起き上がった『ヨミジツクモノミコト』は影の騎士の誘導によって地面に座り込み、戯れるように影の騎士を握りしめ、その手の中に埋めさせていった。
「だから出来るだけやつの気を引いてくれ! せせらぎ!」
青比呂は刻鉄とすれ違いに『ヨミジツクモノミコト』から離れ、待機していたせせらぎの元へと走った。
「あ、青比呂! それ以上、ダメ! 力使うと、危ない!」
「大丈夫だ、気合いでなんとかする!」
せせらぎの側にたどり着いた青比呂は、肩で息をし膝に手を置きながら、口の端を吊り上げた。その顔色は蒼白で、汗は滝の様に流れていた。
「けど……」
「信じろ」
心臓は爆発しそうなほどに鳴り響いている。体はきしみをあげ、骨にまで痛みが達している様な感覚に襲われていた。しかし。
「赤音が託してお前が見つけてくれて、そして俺が咲かせる花だ。その花を守るのは、守ってくれるのはお前、なんだろう?」
とん、とせせらぎの頭に手を置いて、青比呂は笑った。
せせらぎはそれにうつむいたまま、
「……絶対、帰ってこい」
声の端を震わせ、すっと裾の中にしまっていたものを青比呂に手渡す。
「花壇、荒れっぱなし。手入れ、手伝えよ」
「分かってる。赤音にも怒られそうだからな」
顔を上げないせせらぎに、青比呂は一息ついて膝を折りしゃがんで、涙を堪えていた顔をのぞき込んだ。
「誓ったはずだ。お前を守るって。何回でも、何度でも。だから置いていったりはしない」
震える指先を強引に力で押さえ、そっとせせらぎの頬を伝う涙をぬぐった。その手に、小さな手が重なり、力強く握りしめられた。
「じゃあ、約束しろ、青比呂!」
強い意志を宿した瞳は青比呂をまっすぐに見据え、それに青比呂も大きくうなずく。
「おう! 何でもしてやる!」
「戻ったら、私とケッコンしろ!」
「おう!……おう?」
「さ、さっさと行け!」
顔を真っ赤にさせたせせらぎは青比呂を蹴り飛ばす勢いで押しだした。青比呂は去り際に、
「もう指輪はあるから改めて用意する必要はないだろ」
と、ささやいて走って走り出した。その後ろでせせらぎが「バ、バカー!」と怒鳴り散らしていた。
それに押される気持ちになり、青比呂はもう既に疲労で動けないはずの足を軽く弾ませ、刻鉄の元に合流した。
「何をいちゃついている! さっさとしろ青比呂!」
「う、うるせーな! こっちだって緊張したんだよ!」
「何の話だ!」
「のろけ話だ!」
走りながらの戦闘となっている刻鉄の消耗は大きく見えたが、不思議とその横顔に悲壮感などはない。むしろ、楽しそうに走る子供の様に、青比呂と並んで『ヨミジツクモノミコト』から距離をとって次々と影の騎士を送りこんでいった。
「おい、あの動きを止めるやつ、出来るか」
「相手があのサイズじゃな……時間はわずかしかない。それに……」
「物理的接触があると硬直時間は解除される、だな」
口を閉ざす刻鉄に、青比呂はしてやったりといった顔で笑った。
「自分で食らってたんだ、特徴ぐらい把握出来るさ。理屈まではさておき」
「ならなおさら危険になる。勝負は一回のみ。一撃で決める……それが使う条件だ」
「乗った!」
それぞれが『ヨミジツクモノミコト』を目にしながら、握った拳同士をコツンとぶつけ合う。
刻鉄は走っていた勢いを靴底で滑らせながら『王の剣』の切っ先を地面に突き刺し、庭園の芝生を切り裂きいて影の騎士を作り出した。
「『
ずらりと並んだ影の騎士は四つを超えていた。ギチチギと、地面に突き立てる『王の剣』の刀身が軋みを上げる。
その数は13騎となり、中央に立つ白い甲冑の影の騎士を先頭にして、こちらへと這い寄る『ヨミジツクモノミコト』へと剣を構えた。
「全騎突撃! これで最後だ、花となり影に散れ!」
刻鉄の号令で、影の騎士たちは地面を蹴り、手を伸ばす『ヨミジツクモノミコト』へと突進していく。一体が衝突し、手のひらを握る前に影の形を溶かして行く。続けて残りの騎士たちが『ヨミジツクモノミコト』と躍りかかり、振り払う肉の塊の腕で弾き飛ばされ、その顔の上空を燃える花びらが通過した。
「さあて! お膳立ては堪能出来たか!?」
切り離した『グロリオサ』の上に乗り、遠隔操作で花弁を『ヨミジツクモノミコト』の上空まで飛ばした青比呂は指輪を輝かせ、その左手を強く握った。
燃える花弁は更に炎の赤を弾かせ空中で急速回転し、発生した熱の上昇気流で『ヨミジツクモノミコト』頭上へと舞い上がる。
青比呂をつかみ取ろうとした『ヨミジツクモノミコト』の腕が伸び、途中で糸に絡まったように動きが鈍った。
「やれ! 青比呂!」
開いた顔の傷から流れる出血など気にも留めず、『王の剣』の柄を向けた刻鉄が叫んだ。
垂直に上昇する花びらから、『ヨミジツクモノミコト』の脳天へと滑り落ちるように急降下し、手にした『天気輪』を深々と差し込んだ。
音の波が決壊する。呼び声は上がるごとに崩壊し始め、大地を締め付ける様に落ちていく。
ぶ厚く肉の塊だった腕は肘から崩れ落ち、体を支えていた膝は砕けて大きな体躯を地面へと打ち付けた。切り離された腕は砂のように細かい肉片となり、そして焦土となって粉微塵になり、ゆっくりと大地へ落ちていった。
「帰ろうぜ。お前には帰る場所があるんだろ」
肉が溶け落ち、細かな肉片となり、その肉片も更に分解されて塵となっていく。足場となっていた頭部も段差が生まれて亀裂が走り出す。
突き刺した『天気輪』はすさまじい震動を起こしながら、『ヨミジツクモノミコト』の内部へとめり込み、杖の先の鉱石が鈍い色を輝かせ始めた。
「ごめんな。勝手な都合で呼び出したりして。今度は俺の方から、線香でもあげに行くからよ」
青比呂を握ろうと伸ばされた指が、青比呂の肩の側で細かい肉の塊となりこぼれ落ちる。
「じゃあ、またな」
青比呂を囲む花弁が火を灯し、首から伸びる頭部へと降り注ぐ。崩れかけの顔に、『グロリオサ』の花弁は火花を散らし突き刺さり、目玉がこぼれ、頬がそげ落ち、かろうじて顔の形をつないでいた肉片を焼いて蒸発させ、青比呂は目の前で揮発し空へと昇っていく幼子の顔とすれ違いに、『ヨミジツクモノミコト』の頭上から落ちていった。
『ヨミジツクモノミコト』は完全に形をなくし、巨躯をゆっくりと微塵へと沈ませ、霧の様な濃度の噴煙は静かに大地へと沈む。その霧の中で、『天気輪』は宙に浮かび身を震わせていた。揺れる先端の鉱石部分が、膨らみ立ち上る霧を吸い込んでいく。
荒れた地面に残った肉片も、形をなくし細かな粒となり、ふわりと浮かんで風に流れて『天気輪』の中へと消えていった。
泣き声の余韻は静寂の始まりとなり、大地は穏やかに朝日を浴びて、残った芝生は青々しさを取り戻していた。
「……着地まではかんがえてなかったな……」
崩壊した『ヨミジツクモノミコト』の上から足場をなくした青比呂は、数メートルの距離から落下し、地面に背中を強く打ち付け大の字になって動けずにいた。
青比呂は何とか起き上がろうとしたが、上半身は何とか持ち上がったものの、膝に力が入らず地面に座り込んでしまう。
そのすぐ側で、ころんと転がる軽い音がした。『天気輪』がくすんだ鉱石にかすかな光を取り戻し、青比呂の目の前に転がっていた。地面を這う粒子が朝日の光の中、鉱石へと吸い込まれる様に消える。
芝生へと、土へと降り立った全ての粒子が杖の先端に吸い込まれ、やがてくすんだ色は白い、琥珀を思わせる輝きを取り戻していた。
「……無事、帰れたか」
それを手に取ろうと青比呂は腕を伸ばすが、体がいうことをきかず、立ち上がれないまま前にのめり倒れた。
「一人でコントか?」
『天気輪』を拾い上げた刻鉄が、寝そべったままの青比呂に小さな笑みを向けた。
「しかし、この土壇場で『天気輪』を「使う」という発想……思わぬ発見だったな」
「そうか? むしろ自然な流れだったと思うぜ」
青比呂は刻鉄が手にした『天気輪』を指さし、
「石木田のおっさんはその『天気輪』を使うことで『ステイビースト』を操作していた。ってことは、その『天気輪』の中にあるものが……つまりは『ヨミジツクモノミコト』が動かしてたってことだろ?」
確認するように言う青比呂に刻鉄はうなずいた。すでに石木田が『天気輪』を振り回していた頃には、鉱石状の遺骨には琥珀の様な色はなく、灰色にくすんでいた。
「そうだな。だから『ステイビースト』たちは『ヨミジツクモノミコト』の意志で動き、石木田の体に入り込み、統合することで『ヨミジツクモノミコト』の体を体現化させた。石木田の体を媒体にし、自らの体を『ステイビースト』で作り上げたんだ」
石木田の体にめり込むように入って行った『ステイビースト』たちは、どんどんと内部で膨れあがり、溶け合って巨大な赤ん坊の姿へと変貌した。
青比呂はその様子を思い出し、転がったままだった『天気輪』を拾ったせせらぎの一言で、とある仮説を立てていた。
考え事で地面とにらめっこしていたせせらぎがいなければ、拾うことはあってもそれは後回しになっていたかもしれない。
「だったら、あの後の『天気輪』の中にあるものは何だ? って思ったんだ。中は何でもない。空っぽだ。俺たちを包囲した時には既に『ステイビースト』を操り、鉱石部分にはもういなかった。そして『天気輪』は『ヨミジツクモノミコト』を納める……要するに収納する様に作られてる。後はその中にまた入れてやればいいだけってことだ」
そこまで言って、青比呂は寝転んだまま、ふうと大きく息をつき、まだ難しい顔をしている刻鉄を見上げる。
「お前も同じ考えだったんだろ?」
「発想は同じだった。が、極めて危険なことには変わらない。言うほど簡単じゃなかった……」
それは青比呂も同意見だった。慎重に、と言った刻鉄の気持ちも理解出来る。
「上手く「入る」かどうかはほんとお前の言う通り運次第だったかもな。あのでかい体を崩す一撃……それがこの『天気輪』じゃなけりゃ、きっかけにならなかった。あとは『天気輪』が乾いたスポンジのように『ヨミジツクモノミコト』を吸い込んでくれなければ、この手は打てなかった」
宙に浮かび塵芥となった『ヨミジツクモノミコト』の体を吸い込んでいく様子を見て、青比呂はやっと安堵の息をもらせた。そのせいで気が抜け、着地に失敗し墜落したのであるが。
「ああ、『ヨミジツクモノミコト』がある程度消耗してなければ、不可能だっただろう。俺たちの攻撃を吸収してはいたが、それよりも動くこと自体がかなりのエネルギーを使っていた……走り回ってたのは正解だったな」
やがて自壊するともくろんでいた老人たちの考え自体は間違っていない。しかしいざ動いた『ヨミジツクモノミコト』のエネルギーは老人たちの予想を遙かに上回る消費量となっていたらしい。こちらにとっては都合の良い誤算だと言えた。
「しかし、何故「当てる確信がある」と言えたんだ?」
青比呂が実行に移す際、叫んだ言葉を刻鉄が思い返したのか、青比呂は「ああ、それな」と、いい加減に体を起こし、また息をついて言った。
「アイツは『ステイヒート』を……防衛本能の吸収は手のひらからじゃないと出来ない、と踏んだからだ」
「何故そう分かった」
「俺が射撃モードで撃った時、不自然なほどの姿勢で手のひらをかざして俺の『ステイヒート』を心臓部分からかばった。頑丈だけってんなら普通無視して俺を潰しにかかるだろう。だがそうはしなかった。つまり当たると都合が悪いってことになる」
それこそ、『天気輪』に吸い込まれるほどに消耗してしまうぐらいのダメージになる、と青比呂は付け加えた。
それに刻鉄は呆れた様な顔ではぁ、と疲れを見せるため息をついた。
「……理屈と状況証拠だけで、よく「確信」と言えたもんだな」
「違ったらもう手の打ち様はなかった。どっちにしろああするしかなかったんだ。手段は限られるってお前も言ってたじゃないか」
「揚げ足を取るな、全く……」
底意地悪そうに言った青比呂に、刻鉄は苦い顔をした。
「で、石木田のおっさんは?」
青比呂の声に刻鉄が顎で視線をすぐ側に促した。
「んごー……んごー……」
一人、豪快にいびきを立てて仰向けに倒れている石木田を見つけ、青比呂は力のない笑い声を上げる。
「あ、今過呼吸おこした」
「日頃から飲み過ぎなんだ、あの人は。これを境に禁酒でもしてもらうか」
夢見心地で石木田は寝返りを打ち、そしてその顔を走ってきたせせらぎに蹴り飛ばされる。
「青比呂、無事か!」
駆け込んできたせせらぎを受け止めようと体を起こすが、突進に支えきれず青比呂は後ろへと倒れ込んだ。そして石木田はまだいびきをかいている。
「なあ……あのいびきは、脳挫傷のいびきになってないか?」
「のーざしょ-、って、なんだ?」
刻鉄が石木田の側まで歩き、頭と首を触り、そして苦い顔をする。
「……酒臭い」
その後も石木田は寝返りを打ち、むにゃむにゃと寝息を立てていた。呆れ顔の刻鉄に、青比呂は思わず苦笑する。
「……ポケットの中にあったウイスキーの小瓶が割れてる……どうりで臭いわけだ」
「仕事中に飲んでたのか? 書類送検してやれ」
何とか体を起こした青比呂は、上空を舞うヘリコプターの数が増えていることに気がついた。憂鬱なため息を落とし、刻鉄を見上げた。
「……どうなるんだ、これから」
「少なくとも、この失態は世間に知れたわけだ。もう正義の戦士面はしてられんだろ」
「その割には……なんかスッキリした顔してるな。血まみれだが」
顔の出血を乱暴にぬぐう刻鉄は、笑みをこぼし「それはスッキリしたさ」と言う。
「俺のうぬぼれを、お前が『神威』ごと吹き飛ばしてくれた。これが痛快でなくて何だというのだ」
「……」
「処遇なら、もう覚悟は出来ている」
そっと、刻鉄が青比呂に手を差しのばした。
「だから、また会おう。待っていてくれるな?」
「……勝手に格好つけやがって」
伸ばしかけた手に、もう一つ、小さな手が加わった。青比呂にしがみつきながら、せせらぎがふん、と鼻息荒くし刻鉄を見上げる。
「せせらぎ……」
「刻鉄、仲直り出来たか?」
刻鉄は応える代わりに、二つの手を両手で握りしめて笑った。
「ああ。何よりも大切なものを、俺は最後で取り戻せた。お前のおかげだ、せせらぎ」
せせらぎも笑顔を浮かべ、大きくうなずいた。握った手は固く、確かな力強さを感じさせた。
しかし、すぐに手を結ぶ力は緩められた。握りしめ合った指が、離れていく。
刻鉄は笑みを消し、せせらぎの目を見てつぶやいた。
「だが、俺の犯した罪は消えない。それを償う。今度は、そのために生きる」
露のように流れた血が、傷跡をなぞり落ちていく。それをぬぐおうとしない刻鉄は、静かに頭を下げた。最敬礼の姿勢であった。
「一時でも、同じ道にいられたことを誇りに思う」
「……」
せせらぎは言いかけそうになった言葉を飲み込み、こくりとうなずいた。
「青比呂……あれ?」
くたり、と青比呂は首をうなだれさせ、そのまま地面へと背中から倒れた。
「寝る」
そう言って、青比呂はあっという間に寝息を響かせた。静かに上下する胸は、安全な呼吸をしている証だった。心配そうに近寄ろうとしたせせらぎに、刻鉄は肩に手を置き静かな声で言う。
「……今はそっとしておいてやってくれ。完全にオーバーワークだったからな」
「……そうだな」
自然と、刻鉄とせせらぎは眠る青比呂の寝顔を見て苦笑を、微笑を浮かべた。
「本当に、こいつには敵わない。このまま……」
ふらり、と足元をよろけさせた刻鉄は、姿勢を立て直そうとしたが、「……まあいいか」とつぶやくと、地面に腰を落とした。
「お、おい! お前が大丈夫じゃない! 早く手当、必要!」
「……構わん」
言うと刻鉄もまた土の上に体を放り投げ、雲一つない晴天の空を見上げる。
「……良い天気だ」
まぶしい日差しに目を閉じかけた時、刻鉄のポケットから電子音が鳴り響いた。せせらぎはぎょっとして飛び退いてしまう。
「携帯が……川上さんからか……せせらぎ」
コールが鳴るままの携帯電話を取りだし、恐る恐る近づくせせらぎにそれを渡す。
「あとは、頼む」
「……え?」
「疲れた。寝る」
そう言い残すと、刻鉄もまた、寝息をかいて目を閉じてしまう。
取り残されたせせらぎは、ひたすら鳴り続ける携帯電話を、赤音から教わった知識を元にして何とか通話に切り替えた。
『もしもし、総帥ですか!? 今一体何が……』
「川上かー。刻鉄なら寝てるぞ」
『寝て……あれ、せせらぎ? ちょ、寝てるって……青比呂くんは? 無事なの!?』
「青比呂かー。寝てるぞ」
『……どういう状況なのよ! せせらぎ、説明出来る?』
「ちなみに、私も疲れて、眠い」
『はい? ちょっと、もしもし?』
「おやすみ」
ころん、と横になったせせらぎの側で、携帯電話から川上の声が鳴り響き続ける。
『ちょっと、誰か……起きなさい! いいから起きろー!!』
川上の声は、ばたばたとプロペラを回し上空を旋回するヘリコプターの音にかき消されていた。
三者三様、大の字で転がった戦士たちは、夢さえも見ない深い眠りについていた。
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